ep.34 ファイナリアへ
日が変わると、雨は本格的に勢いを増した。
夜明け前に何事もないフリをして下宿所に戻り、睡眠をとった。少し遅い朝を迎えて、朝食に堅いパンをかじる。
雨の勢いがおさまらないのを確認して、安い布を貼り合わせた雨合羽をまとった。
まずは病院に向かう。
キャプテンの様子を見ながら、一言二言話をした。まだキャプテンの傍には憲兵がいた。政治犯扱いだろうか。よく通うカートの顔を覚えたためか、にらむようなことはなくなったが、発言や会話に少しでも気に入らないと退室を強要する。
キャプテン曰く、彼も仕事に真面目なのだから恨むなと。
余計な会話をしないせいか、憲兵の男の性格はよくわからないが、彼もカートを細かく問いつめたりしないため、カートのこともよく知らないのだろう。
トランスポーターであると言えば、憲兵の男は警戒するだろう。
なにも言わず、会話も教え子と先生や上司、人生の先輩としての差し障りもない話題ばかりだ。
それで充分とカートは思っていた。
解釈に差は出るかもしれないが、キャプテンとの会話なら、充分に話は通じる。
「昨夜は遊び過ぎました」
「そうか、月が出ている時はいいが、月のない日はやめた方がいいぞ。思わぬことに躓いてケガをするかもしれない」
「肝に銘じます」
真面目に答えた。実際、危ないシーンはいくつかあった。
「なにか発見はあったか?」
「発見ですか? そうですね、ありました。少し、素直になろうかと思います」
手紙の発見よりも、見つかったことがある。
「そうか。まあ、あまり無理をしないようにな」
「はい」
「ああ、それと君はもう少し女性に頼った方がいい」
女性と聞いて、なんのことかピンと来ない。
キャプテンが女好きとは聞いたことがない。眉間に皺が寄る。
「そうですか? それは思いつきませんでした」
「君を頼りたい人もいるということだ」
「俺に出来ることは多くないですよ」
「多くはないが、少なくはない」
小声でささやく。
「殿下を支えてくれ」
そっと、頷く。
頷いていしまった。
素直になると宣言した手前、体が反応したのかもしれない。
キャプテンとしてはようするに、ミストを助け、メリーを救えとでもいいたいのだろうか。
カートはそう解釈した。
そんなやりとりを噛みしめながら、病院を後にした。
雨の石畳を滑らないように足下を見て歩く。
駅までたどり着き、切符の販売窓口に足を運んだ。雨合羽を脱ぎながら、ファイナリア行きに乗りたいと、窓口の女性に告げる。
受付の女性はお金の請求をしながら、
「国境を越えるため、お名前を頂戴いたします」
と、ペンと台帳を差し出す。出国審査だ。
「名前? ああ、これでいいか」
ささっとサインをして、すぐに台帳を返す。
はい、少々お待ちくださいと女性は事務的に答える。
当たり前のような風景に違和感はなかったが、しばらくお待ちくださいと答えたきり、受付の女性は帰ってこなかった。
発車まで時間はあるだろうから、急がなくてもいいが、放置されたままというのが気になった。受付横にある待合室の木造ベンチにもたれかかる。
たっぷりと時間がかかった。
そういえば、ウィリアムは旅客で人手不足と言っていた。国境渡航にこれだけの時間がかかるとなると、他の業務も大変なことになっているんじゃないかと推測する。
しかし、カートの推測とは違った反応があった。
鉄道警察の腕章をつけた制服姿の男が二人、カートに向かってくる。
眉をひそめる。
手紙泥棒がバレたのかと一瞬ヒヤっとした。
男たちはカートの目の前で止まる。
「カート=シーリアスというのは君かね、ちょっと別室で時間をもらえないかね」
「俺が何か悪いことでもしたか?」
「残念なことにファイナリア行きの便に案内することは出来ない」
「満席なのか?」
「言いにくいことだが、君に出国禁止令が出ている」
重い言葉に周りの乗客がそっと視線を向けてくる。
あっという間に注目の的だ。
「わかった。別室で話を聞こう」
「協力に感謝する」
案内されたのは事務所の一角。衝立を挟んで簡易的な応接室になっており、安物の対面ソファがしつらえてある。制服の男たちは並んで座った。カートにも腰を下ろすように言う。
よく見れば丸い顔で柔らかな眼差しの中年男だ。もう一人は長身で、口をきゅっと結んでいるのが特徴というか、いかにも新人で生真面目そうな細面の若手。
「勘違いしてほしくないのは、我々は決まりに従っているだけだということだ。君が何者なのかについては、我々は知る由もないし、知るつもりもない」
カートは腕を組んで聞いていた。
中年男の目はしっかりとカートを捉えている。、まるで善悪を見定めていた。
「君には出国禁止令が出ている。その令に従い、君の行き先変更か、乗車を諦めてもらうかの選択してもらうことになる」
「俺が納得しない場合は?」
中年の男が困った顔をする。
カートはこの男が好意的に対応してくれているのだろうと感じた。話し合いに応じてくれる。
「応じない場合、君を逮捕しなければならない。我々としてもそれは最後の手段だ」
「なるほど。ところで、その禁止令はどこから出てるんだ」
「そんなことは答えられないッ!」
若い男が代わりに声を張る。
だが、それを制するように中年男が話を続ける。
「特務のシエロさんからだよ」
若い男がびっくりしてぽかんとしていた。中年男は特に気にする風でもなく続ける。
「カート君と言ったっけ、いやあ、ほんとに来るとは思わなかったなあ」
「どういうことだ?」
眉間に皺が寄る。
「いやあ、シエロさんが必ずカート=シーリアスという若い男がファイナリアに行くと言い出すだろうから、止めろとね。僕が帰ってきた際に乗車名簿まで調べるとまでいうのだ。あの方もなかなか若いなりにしっかりしている」
言いそうなことだ。
「シエロ……帰ってきたらというと、あいつは今どこへ?」
「お知り合いかね。君が行きたかったファイナリアへ向かったよ」
「課長、そこまで話してしまって大丈夫なのでありますか」
若い男の忠告をまるで無視して話が続いた。
「正直のところ、シエロさんからだと正式に君を止める理由にはならないんだが、逆に無視したとあっては我々が睨まれる。そう言うわけで今回は遠慮してもらえないか。」
「腫れ物には触らずってわけか」
「我々の仕事というのもなかなか困った仕事でねえ。言われたらはいとやるしかないんだ。例えば戦争して欲しくないと思っても、貨物車は武器を運ぶだろう? 荷役はそれを運ばなければならない。見て見ぬふりとは言われようが、どうしょうもないことなんだ。理解してくれるとありがたい。我々は革命政府に協力的な鉄道運営をしていることになっている」
にやりとする。
例えの部分で、カートはピンときた。
――このおっさん、俺を知ってる?
「まあそういうことでね、ご理解いただけたか?」
「理解は出来ないが、逮捕されるのはイヤだから、今日は帰るとするよ」
「賢明な判断だ。大きな騒ぎにならないことはなによりだ」
「ああ、そうだな。ちなみに聞くが、俺がファイナリアに行くためには他にはどんな方法がある?」
すぐに反応したのは若い男だ。
「自ら法を侵すというのか」
「ははは、君はおもしろいね。少なくとも、我々は我々の仕事をしたまでだ。あとのことはわからない」
「まったくだ。じゃあ、失礼する」
「時間をとらせて悪かったね」
中年男は最後までそんな調子で駅の出口まで送ってきた。
おとなしく従って、駅を出て、また雨合羽を着た。
いつか荷役と喧嘩した酒場に足が向いた。
店はまだ準備中だった。
雨だから昼間から飲んでる大工たちがいるかと思ったが、そうでもなかった。準備中と書かれた札が両開きの扉の閂代わりにかかっていた。おもむろにはずして扉を開けようとするが、扉は動かない。
鍵が掛けられている。
扉の縁から明かりが漏れている。男と女の話し声もした。
誰か店にいるには違いなかった。鍵をかけているところをみると貸し切りではないようだが。
仕方なしにノックをする。
マスターの返事が聞こえ、しばらく待たされた。
鍵を開けてもらい、店の中に通される。
店には客は誰もいなかった。
違和感を感じる。
「悪いな。開店前に」
カートから先に詫びを入れる。
「いえいえ、そろそろ開けようと思っていたんです。雨だから、人出は少ないでしょうと今日は一人番なんです」
マスターは独りだから鍵を開けるのを忘れたと言い訳する。
「さっき話し声が聞こえたが、お手伝いさんは帰ったのか」
「話し声? いえ。私は独りですが。だから準備に時間がかかったのです。ラジオの音じゃないですか」
自慢のラジオを指さす。
「そうか、独りでラジオを聞くなんて贅沢だな」
「役得です。なにか飲み物は」
「一杯もらう、グラスでいい」
と、小銭をマスターの前に置く。
すぐにビールが出てきた。
品名を頼まないと必ずビールというのは店のルールだ。
軽く口に含んで、カウンターにもたれ掛かる。
「今日はマスターに伝言をお願いしにきた」
「それは、これくらい人がいないときがちょうどいい話ですか」
察しがよいことに少し笑う。
「明日の早朝便の貨物に忍び込む、と、あの人に伝えてくれ」
あの人、という言い方をしても伝わるだろうと高をくくる。
「殿下にですか。明日に間に合うかわかりませんよ」
いとも簡単に殿下と口にするマスターに拍子抜けするが、すんなりと話が伝わるようだ。
「間に合わなければ、俺独りで行くさ」
「なにかあったんですか?」
「ああ。そういうことにしておいてくれ」
「わかりました。間に合えばお力になりましょう。便名は……?」
シャツの裏にメモした時間帯と特徴を伝える。
「確かに伺いました。ところで、おかわりいかがです?」
もらう、と空になったグラスをさしだした。
カートが店を立ち去って、カウンターの裏側からひょっこり首を出す女がいた。
青い瞳があたりを見回して、客が誰もいないことを確認し、立ち上がる。
青い髪を掻いて、とぼけたようにつぶやく。
「隠れなくてもよかったかな」
「たまたまあの方だっただけですよ。それに、そこで登場されては彼にとって、都合がよすぎではないでしょうか」
どうかなと適当に首を降って、グラスにジュースを注ぐ。
「お代はいただきますよ?」
「今度カートに請求しといて」
マスターは肩をすくめる。自由な人だと半ばあきらめているのか、それ以上はなにも言わなかった。
「彼と合流なさいますか」
伝言とやらに乗っからないという選択もある。
「あいつもなにか掴んだね。そろそろあたしもファイナリアに戻るかな。こういう天気の方が動きやすいし」
ハンガーにかけてあった、フード付きコートを羽織った。フードをかぶっても怪しまれないのは、雨の日だ。
「お手紙は確かに受け取りました。仲間がファイナリアに届ける手はずになっています」
「頼むよ」
「お任せください、殿下」
殿下はやめよう、とミストは提案する。
「街で出会った仲間たちはあたしのこと、殿下とは呼ばない。カートなんかわかりやすいでしょ。そういう扱いでいいよ」
マスターは苦笑する。
「では、私は私たちの仲間の健闘を祈っています」
マスターが帝国式敬礼で見送り、ミストははにかんで同じ帝国式敬礼で答えた。
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