ep.32 被害者と容疑者
したたかに酔った。
飲み過ぎて、足下が覚束ない。
ふらふらとしながら、大げさな呼吸であくびをしながら、歩みを進める。
町並みのどこを歩いているのか、よくわからないが、なんとなく見たことのある地域だから大丈夫であろうと、眠気で倒れそうになって街路樹の太い幹に寄りかかる。
少し休むかとそのまま座り込んでしまうと、途端に瞼が重くのしかかり、強烈な眠気が襲い掛かってくる。
意識はそのまま沈んでいった。
どれくらい時間が経っただろうか。
ぐったりと倒れ込んだ体がいつの間にか、揺すられていた。
おい、と乱暴な男の声がする。
カートの意識が少しずつ戻ってくる。
体を揺すられ、反射的に手でふりほどく。
やれ、と声が聞こえた。
次の瞬間、大量の水が上半身に浴びせられた。
水草の緑臭さが鼻につく。水の体積を無抵抗に浴びて、顔を覆った。髪の毛はもちろん、上着が水を吸っていく。
「なんだおまえら……」
意気込んで立ち上がったのものの、気づけば、赤い帽子で腕章をした男が三人、姿勢良く仁王立ちをしている。
すぐに憲兵だとわかった。
「おい、池の水はうまいか」
乱暴な口調で問うてくる。
「ふざけるな、なんだってんだ」
「この先で暴力事件があった。なにか見てないか」
「知らない。ケンカなんかしょっちゅうあるだろうよ」
中央に立つ、目付きの鋭い、いかにも隊長らしき人物がちっ、と舌打ちをする。
若い憲兵に向かって、説明してやれとばかりにアゴで指示をしていた。若い憲兵は一歩踏み出し、カートを見下しながら、言い放つ。
「ケンカじゃない。老人相手に集団で袋叩きだ。通りすがりの女性が悲鳴を上げたらあっという間に逃げたそうだ。なにか見ていないか」
「俺を疑ってるんなら残念だな。他人の財布に興味もないし、見ての通り、ここで寝てたわけだ」
若い憲兵がまたなにか説明しようと口を開くが、もういい、と隊長は制する。シャツの襟を雑に掴んで、カートの顔をじっと見定める
顎をおしあげ、まるで顔を検分していた。
「ふふん、おまえ、カート=シーリアスだな。参考人として一緒に来てもらおう」
その言葉を言い終わるか、終わらないかのところで、憲兵たちが問答無用で脇から肩へ、つかみかかる。腕をとりおさえられ、身動きがとれない。
「なんだ、俺はなにもしてないぞ」
「悪く思うな。特務大尉殿から命令でな」
憲兵に捕まり、特務の者から目をつけられているとなれば、相場が思想犯かスパイである。
「俺もとうとう、スパイの仲間入りか」
やや自虐的に言うも、隊長は薄気味悪くにやりとするだけだ。
「スパイの疑いがあれば、堂々と手錠をはめて足を打ち抜いてでも連行するさ。我々は過激団体からお前を守ってやっているのだ」
守っている? 誰から?
状況を飲み込めず、質問を繰り返す。
「連れていけ」
隊長がその一言を発すると、部下の若い男からカートの腹とアタマ目がけて二、三発拳がとんでくる。受け身を取ることもできず、意識が朦朧としていく。
憲兵たちは意識がはっきりしないカートの肩を挟み、地面をひきずっていった。
気がつくと、明るい部屋にいた。
満面の笑顔の青年がいた。
「やあ、また会ったね」
手を振っている。
この顔は知っていた。
少年のような笑顔で愛嬌を振りまきながら、刃物を突き刺す男だ。
「……シエロか」
簡易ベッドから起きあがると、頭痛がする。頭は殴られていないはずだが、酒がまだ抜けていないのだろうか。
「どういうことだ?」
窓のない白い部屋。ちいさな円形テーブルの向こう、木製のイスに彼は座っていた。
「手荒なことをしてごめんね。そうでもしないと、君は従ってくれないだろうから」
「無理矢理起こされて、腹を強打され、連行された。一体俺はどんな罪でしょっぴかれたんだ」
ふふふと笑う。
「さて、その前に一人の老人が襲われた事件があったのは知ってるかな?」
楽しげに問いかけてくる。すべてを知っているうえで問いかけようとしている態度が気に入らず、カートは無視した。
「興味ない? 被害者は君の尊敬する元上司だろ?」
ぎょっとした。まさか。
いやそんなはずがない。
はじめてシエロを直視した。笑みを絶やさない表情が、逆に悪い予感を膨らませる。シエロの顔はいつもの表情だが、珍しくところどころにかすり傷があり、事件性を感じさせる。
「ホワイト=オーグリーって言ったっけ?」
カートはおもむろに立ち上がった。
「なんで、キャプテンが」
「ああ、やっぱりそうなんだね?」
落ち着いて聞きなよ、と手振りでしめすシエロ。
イヤな汗がじわりと額に湧いてくる。
「最近、困っているんだ。過激な団体が現れて、僕らの知らない間に自主的に重要人物を取り締まっている」
市民の財産を預かっていた輸送管理官が結社をつくり、帝政を復活させようとするレコンキスタ・メンバーズという反社会的団体へ、組織だって寝返ろうというのが許せないというのが彼らの言い分だ。
「私的制裁、ってやつさ」
簡単に言いのける。
カートにとっては反吐が出る理由であった。
いわば、一部の市民たちが、自分たちの気に入らない相手をボコボコにしたというだけだ。正しい大人であれば、正当な政治的手段を持ってして、対抗するのが筋だろう。
また、そのような過激団体をのさばらせている政府の対応、というのも、気になる。憲兵が困った困ったと言う分には、困っていないのである。本当に困っていたら、一人も逃さず、取り締まりの手をゆるめることはない。
つまり、裏の顔として一部の要人が指揮をしている可能性もある。
シエロをにらみつけながら、カートは問う。
「それで、キャプテンは無事なのか」
「ああ、生きているよ。意識ははっきりしていないらしいけど」
軽いケガではないだろう。軽いケガですまない、すむわけがなかった。
拳を握りしめ、震える腕をこらえる。
「なんで……だ」
「理由は話した通りさ。きっと彼らにとってみれば、不満のはけ口を探したいだけなんだろう」
「ふざけんな……」
「でも、僕の機転に感謝してほしい。運が悪ければ次は君だった。君をこうして確保することができなければ、君は今頃どんな目に遭っていたか」
「なにを言ってるんだ……キャプテンに会わせろ」
カートの必死の形相にふふんとシエロは笑う。
「いいだろう。ただし、僕から一つだけ聞かせてもらう」
眉をひそめる。
「なんだ?」
「君の荷物はどこへ行った?」
――またそれか。
うんざりする。
青い髪、青い瞳の生意気な少女。厄介な荷物。
唇を尖らせて不満をアピールしていた表情を浮かび、次に寂しげな横顔が脳裏をよびる。そして、ラジオから流れたスピーチを思い出し、記憶を振り払う。
「荷物? なんだ、俺はお前が気にするような運んでいたか?」
「……いや、それならばいい」
シエロが知らないはずがなかった。だが、詮索もしてこない。彼はカートをよく知っているだけに、質問にどうせ答えないという気持ちが伝わったのかもしれなかった。
「質問を変えよう。金髪の男を見なかったか」
金髪の男。
メリーの次に話題にあがる金髪の男とは、一人しかいない。会ったことは一度しかないが、その立ち位置はすぐに想像できる。
メリーの側近、というよりは、お姫様と騎士とでも言えばいいのか、よくありがちなロマンスだとカートは認識している。ただ、彼は職務にクソ真面目でお姫様の恋心になんか、少しも見向きもしない様子だ。名前をリュミエールと言ったか。
「金髪の男? いや、覚えがないが。重要人物なのか」
いつも通り、とぼけてみる。
表情に少し出てしまったかと悔やむ。
「彼はきっと君に接触してくると思っていたが、僕の読み違いか」
「よくわからないが、きっと会ってはいないだろう。ここの男たちに金髪はいなかった。みんな黒か茶色だ。まあ、その前に、この街にはたまたま滞在してるだけだ。誰にもこの街に行くなんて言ってない。俺がこの街に居ることを知ってる奴なんていないはずだ」
リュミエールに会っていないのも、誰にも言っていないのも両方本当であった。
「ほう。では、君のキャプテンはどうして君の場所を把握できた?」
キャプテンには以前別れ際に街の名前ぐらいは伝えたかもしれないと考えがよぎるが、それを蒸し返すまでもなかった。
「さあな、俺が聞きたいくらいだ。ま、狭い業界だ。俺の性格を考えたら、どこに行きそうかわかるのかもな」
「なるほど。僕が君の行動パターンを予測できたのと同じか。つきあいが長いと行動も読みやすい」
逆にカートもシエロの性格は知っていた。この場合、シエロはけっしてカートの行動パターンを読んだのではなく、事前調査の結果があってこその行動だ。ただ、あえてシエロの言動を否定しない。なにしろ、彼は間違ったことを言っていないのだ。ただ、真実であることも言わない。
「断っておくが、俺はもう、輸送管理官でも、トランスポーターに憧れるものでもないからな。なにかを期待しても無駄だ」
先手を打つ。
「ならば革命に参加すればいい」
シエロは大手を振って、カートを招く。
「働く者のためになる社会をともにつくりだそう。一部の権力者によって支配されていた世界を変えるんだ。君のひたむきに働く姿を見て、ローズは革命の機運に触れていった。彼女とやり直すチャンスにもなる。それに、我々は君を歓迎する」
うそぶくシエロを、冷ややかに見つめた。
「俺は革命に同意できない理由がある」
カートは落ち着いた声音で、過去の記憶を引っ張り出す。
鉄道技師として働いていた父、憧れていた自分、少ない家計から学校に行かせてくれた母。よくある労働者の慎ましい一家。
しかし、とある鉄道強盗事件が起こり、父が死んだ。一家の柱がなくなり、生活の糧としてカートは荷役の仕事を選んだ。
不条理の世の中だと怒りまくっていたところで、悪意に踏みにじられ、悲しみを背負っていたローズと出会う。
瞼を閉じると父、母、そして、ローズの姿が浮かんでは消えた。
不思議とみな、笑っていた。
どんな苦しい時でも。
パンも買えず、貧しい夜でも。
ローズと二人きりの生活になっても、楽しかった。
「革命に同意できない?
なぜかな。一部の特権階級に抑圧されないという理想的な市民社会は、君を幸せする」
頭の中に浮かぶイメージの外から声がする。シエロの講釈が聞こえてくる。そう、出会った頃から、彼は変わらない。つくりものの笑顔。
母の優しい笑顔とは違う、異質のもの。
あの時、ぎこちなくはにかんでいたローズはあのつくりものに騙された。
「ああ、そうだろうな。誰にも抑圧されない世界があれば、それはいいだろうよ」
シエロの考え方に、まだ首を縦に振っていない。
いつも曖昧に肯定する。
そうだな、そうだろうよ。
極端な否定もしないから、敵対者はつくらない。
このときもまた、いつもと同じように曖昧に肯定する。
「なら、なぜ、君は革命に参加できないと答える。我々は帝国に代わる世界をつくっているとすでに歴史が証明している」
だが、いつもに比べて、シエロはもう一歩踏み込んだ。
「おまえたちが俺のオヤジを殺したんだよ」
カートは淡々と答える。
ほお、と興味深げにシエロは身を乗り出してきた。
「うろおぼえだけど、君のお父さんは鉄道事故で亡くなったのでは?」
「違うね。鉄道強盗に殺された。都合の悪い記憶は消したのか?」
「都合が悪い?」
「ああ、そうだ。当時の革命軍は帝国と戦う上で、カネ、ヒト、モノ、コネすべての面で足りなかった。だから、手っ取り早く、カネとモノを手に入れるために鉄道強盗をした。古くからいれば知ってると思うが、違うか?」
「ははは。おもしろいな!」
笑いながら、語尾を強める。
「なるほど。それで、かつて強盗をしていただろう革命軍が君のお父さんの車両を襲ったと?
それはいくらなんでも、被害妄想じゃないか。どうしてそういうことが言い切れる」
「資料を調べたり、関係者の話を聞いたり、地道な調査だ。そういう報道をした新聞もあった。すぐにその号は回収されたけどな」
「ふん、そんなこと、いくらでも改竄できる」
特務の言い分らしい意見であった。彼らにとってみれば自分たちに都合の悪い事実など、あってはならないのだ。
「そうだな、だから、肝心な証拠はないよ。でも、確信しているんだ。だから、革命の理想がどうであれ、自分から参加するつもりはない」
「まさか君に好き嫌いで判断されるとは、ね」
珍しくシエロはお手上げとでも言うように部屋から出ていった。
見張りの憲兵が訝しげにカートを眺めて、シエロになにか尋ねているが、シエロの返す言葉だけがこれ見よがしに聞こえてくる。
「しばらく泳がせればいい」
教えられた病院を訪ねると、ベッドに横たわったキャプテンは案外元気であった。意外と普通に話が出来た。
シエロは相変わらず話を盛っていたようだ。
ケガは二の腕と大腿部の骨折、こめかみの切り傷、一部の内蔵の痛みだという。包帯に巻かれ、足を吊るしている。
残念なのは憲兵付きだということだ。病室の入り口にイスを設け、どすんと腰を下ろし、腕を組んで眼を光らせている。
悪い方向にややこしくなっているらしい。
目つきの悪い憲兵にぎろりと睨まれながら病室に立ち入る。すると、場の雰囲気に似つかわしくなくキャプテンは少し照れてるようで、頭をぽりぽりと掻いていた。
「いや、面目ない。老体の身では若いのにはかなわんよ」
はははと笑う。
テーブルの上には割れた片眼鏡があった。襲われた時に破損したのだろう。怒りが湧くよりも、悲しみに心を揺さぶられる。
「体は、大丈夫なんですか」
「今までと同じというわけには動かんよ」
包帯まみれの腕をお茶目に動かし、イテテと苦笑する。
「当分、動けそうにないですね。これじゃ現役を引退したとはいえ、後輩が泣きますね」
「ああ、指導してやることができなくなったなあ」
完全にのんびりとした好々爺であった。
「誰に襲われたんです?」
その問いをした瞬間、憲兵が近くで咳払いをする。
ちらりと横目で見ながら、かまわず続けた。
「待ち伏せされたって聞きましたけど」
「知らん連中だ。会ったこともない。財布も盗まず、彼らは何をしたかったんだかなあ。君も気をつけなさい」
「わかりました。まかりまちがえば、俺がベッドで寝ていたかもしれないですからね」
シエロたちに保護されていなければ、同じようにボコボコにされていたかもしれない。とはいえ、キャプテンとカートでは立ち位置が違った。カートの知らない世界で、キャプテンは名が通っていたに違いないのだ。
だとしたら、カートが襲われる可能性は低い。政治的に動いているキャプテンと違って、カートは過去に輸送管理官だったとはいえ、それこそ以前にあった腹いせといったぐらいでしか襲われる理由がなくなる。
しかし、カートはキャプテンとは同じ立場と強調した。
キャプテンの考え方に同意するかはともかく、弱々しく横たわる、かつての頼れる上司を励ますつもりなら、その方が賢明であった。
「君の言う通りだ。繰り返すようだが、夜道にくれぐれも注意したまえ。現に君は元気だ。今後ともいろいろなことができる」
「いろいろ、ですか」
「君には、やらなければならないことがあるだろう。ケガ人というのは歯がゆいものだよ。動きたくとも動けん。やりたいことを純粋に実行出来ることは幸せなことなのだ。まあやりたいこと、という言い方をするのは野暮かもしれないな。仕事、と言おう。ところで、君の仕事はなんだね?」
「……俺の仕事、ですか」
「君は君にしか出来ない仕事があるはずだ。それをしっかりと形にすることによって、君と関わったヒトを幸せにすることができる」
「幸せになるでしょうか」
「君次第だが」
「なにからやっていいか、わからない時は?」
「気になったことを調べてみればいい。自分のもっとも得意な方法で」
「俺のもっとも得意な方法?」
なにか、を暗に伝えようとしているのだろうが、わからない。
いや、わからないことはないのだが、戸惑いが焦りに変わる。
先延ばしにしていた、決断や覚悟を迫られている。
「俺の出来ることなんて限られています!」
珍しく、声を張る。
「……時間だ」
キャプテンの答えが出るまえに、憲兵が制止した。
面会時間の終わりを告げるのだ。
「キャプテン、俺になにを期待してるんですか?」
憲兵の言い分を無視して、なお、キャプテンに問いかける。
「時間だと言った。退室を命じる」
だが、憲兵は立ち上がり、カートの肩を掴む。
警告も強い口調になっていた。
冷静にわかったと答えて、挨拶をすませた。
憲兵が訝しげに観察してくるにも関わらず、部屋を出たカートは拳で壁を叩いて、その場を後にした。
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