ep.30 こだわり


 ロイヤルブルーの名は伊達ではないとカートは素直に思った。

 レコンキスタ・メンバーズの本拠地のある都市フラッグタウンまで列車で二日の行程。駅まで辿り着くと、馬車の迎えが待ち受けていた。ミストが前もって手紙を書いたので、到着時間を把握しているようだ。

 今回、カートはミストの使用人と言うことで少々のおめかしをした。着慣れないグレーのスーツ姿。代金はすべてミスト持ちだ。その割に当の本人が適当なパーカーなのが気になる。

 それでも、ロイヤルブルーの偽物と罵られることもなく、すべて順調に運んだ。

 ウィリアムの屋敷の門をくぐると、カートは唖然とする。貴族の屋敷の豪奢さに面食らうとは予想していたが、最初に驚いたのは庭の広さとその手入れの丁寧さだ。

 立派な建物は仕事柄、何度か出入りしているため、それほど驚くことはない。美しく手入れされた庭を見るのは初めてとカートは説明する。終始、庭の景色を見渡して目を丸くした。

 その目の付け所に、ミストも首を傾げる。

 エントランスの車寄せから正面玄関へ。玄関扉の前に執事とメイドが並んでいる。執事が先頭立って、渋い声でミストに挨拶をすませる。従業員一同、心より云々と言いながら頭を下げるがカートにはこそばゆい。天井が高い荘厳な館で、待たされることなく丁寧に応接室まで案内される。

 来賓扱いはカートにとって、はじめてのものであった。

 張りつめた緊張感が体力を奪っていく。

 カートが一人で来ても、きっと門前払いされるだろう。

 事実、その経験があった


「鉄道公社の幹部にツテがあって、訪ねたら門前払いだったよ。後で聞いたが、俺たちの要望を聞くこと自体、出世の邪魔になるらしい」


 あの人はそんなずるがしこい役人ではなかったとその人物を振り返るが、時代の移り変わりに保身に走ることもあるだろう、と。さも事情を知っているかのようにカートは説明した。


「メリーの言葉を借りると、人の変わりゆく姿ってのは残念だよな」

「あんたは変わらずに輸送管理官でいてほしいね」

「……耳の痛い話だな」


 輸送管理官はなくなったんだ。俺の力だけでは制度の復活は出来ない。だから、こうやって権力者に力を借りに来ているわけだろう? と確認する。

 ミストは不思議そうな顔をしていた。


「そういうことじゃ……ないんだけどなぁ……」


 歯切れの悪い、物言いにカートは首を傾げていると、ノックの音がした。執事が主人の到着を告げてきた。


 屋敷の主、ウィリアム=サドラー。


 相変わらずの羽根つき帽子をかぶり、しわ一つないジャケットを羽織っていた。少し見ない間に顎ヒゲを生やしたのか、印象が変わって見えた。

 若さよりも貫禄に重点を置いているように見えるほどだ。

 ただ、表情は硬く、血行も良くない。顔色にツヤがなかった。眼も少し血走っているようで、わかりやすく、睡眠不足、疲れ、を感じさせた。以前に会った時の方が柔らかさがあり、健康的であった。

 それでもウィリアムはミストの姿を見るなり、すぐに帽子をとり、恭しくひざまずく。


「この度は、レコンキスタ・メンバーズの一員としてお会いできるのを……」


「そういうのはいいから、座って話そう」


 笑顔をつくって、身振り手振りで座ってほしいことをミストはアピールしていた。儀礼的なのは苦手であるとミストの全身が語った。

 その提案に、ウィリアムはようやく明るい表情を見せる。


「お変わりないようで」


 ミストは変わっていない。それはカートも同意見だ。健康面での社交辞令ではない、皇女時代からの性格そのものについて。気のせいか、ミストの変わっていない様子にウィリアムはほっとしているようであった。

 ふっくらと反発する革張りのソファに腰を下ろし、三人は向かい合った。ウィリアムはカートの存在にはもちろん気づいていたが、一瞥するだけで、視線は常にミストにあった。

 青い髪に青の瞳。絶対的なロイヤルブルー、かつてはそう畏れられていたものの、今の時代は違う。ロイヤルブルーの価値は人によって映り方が異なる。ロイヤルブルーの肩を持つことが好機だと考える者と対峙することが命題だと信じている者。どちらにしろ、その立場をどう利用するか。

 とはいえ、信奉者だとしても、カートは常に疑いの目を向けていた。特に新興の勢力は帝国に恩恵を受けたというより、ロイヤルブルーの立場を利用し、その背景にいる人たちを動かそうとすることが多いからだ。それはウィリアムに対しても変わらない。

 大げさなポーズをとればとるほど、カートには冷ややかに映る。


「まずはさ、式典でメリーを守ってくれてありがとう」


 ちょこんと頭を下げるミスト。


「礼には及びません。当然のことをしたまででございます。不届きモノの侵入を許したのは我らの不覚ではありましたが、殿下に大事などありえません」

「そう。なら、今後もそうしてほしいけど」

「殿下は我々の代表でございます。何人たりとも殿下に近づけさせません」


 風の噂によると、メリーに謁見することは不可能と言われている。

 代表に就任したことで挨拶に伺いたいと申し出る貴族諸侯や各地の盟主たちがことごとく断られていると新聞に報じられていた。


「それはいいけど、あたしでも?」


 ウィリアムは苦笑する。

 予想されていた質問であろう。


「ミスト様であろうと、場所をお教えすることは出来ません」


 はっきりと言い切られ、反射的にミストがむっとした。


「……ずいぶん、厳重だね」

「ああいった事件があった手前、しばらくは辛抱していただいた方が賢明でございます故、ご理解をお願いいたします」


 ウィリアムは丁寧に頭を下げる。

 理屈はわかるが、姉が妹に会えない、という不条理にはミストは納得できるはずもなく、しばらく同じ問答を繰り返した。


「二度とお会い出来ないというわけではありません。しばらくは、と申しております」

「あたしが無理矢理連れ出すとでも思ってるの?」


 少し間を置いて、言葉を探しているようだったが、


「……その可能性を否定できません」


「攫うようなことはしないよ」


 当たり前じゃんとミストは笑いながら言うが、二人とも目は笑っていなかった。


「殿下の意志で組織は発足したわけでありますから、しばらくは見守っていただきたい」


 メリーの意志で発足した組織? 思わず、カートとミストは顔を見合わせた。お互いにその認識がなかった。だが、ウィリアムの立場上、きっとそう応えるのが建前と言うものだろう。


「会うくらいだったら……いいんじゃないのか。家族にすら会えないっていうのも変な話だろ」


 カートは思わず口を挟んだ。

 その瞬間、ウィリアムから鋭い視線と言葉が投げかけられる。


「トランスポーター風情は黙っていただこう」


 ぴしゃりと言い放ってきた。

 トランスポーター風情という言葉にひっかかった。思わずむっとする。


「ここは政治とプライベートのひどく密接した空間だ。君のいるべきところではない。我々に関わらず、君は仕事に励みたまえ。その方が君もいい仕事が出来る」

「そう言うけどな、俺の仕事はおまえらがなくしたんだろ。俺はそれが間違っているって言いに来た」

「時代は動いている。我々は鉄道を、より効率的に活用したい。現状に満足せず、常に新しい時代を切り拓いていかなければならない。前にも伝えたと思うが、鉄道の仕事に心残りがあるなら、財団の鉄道部門を紹介しよう。かなりの路線の買い取りが進んではいるが、人手不足なんだ」

「なに言ってんだ。輸送管理官をなくして自分たちの都合のいい貨物運びたいだけだろ。食糧供給を支えてきたのは、俺たちだ。あんたたちのやってることはただの商売だろ。採算がとれなくなれば人が飢えていたって関係なくなる。そんなんじゃ、国はまわらないだろ」


 ほう、とウィリアムはカートの意見に感心しながら、体をようやくカートへ向ける。


「違うな。君たちは使用人として現場を動かしているだけだ。大勢を知らずして輸送の手は打てない。現場の判断でいちいち変えられていては秩序が保てない。なによりもそう、商売なのだ。利益をあげねば、それこそ現場で働く君のような労働者に賃金を払ってあげることもできない。社会奉仕をするほど、我々は裕福ではないのだ。そういった社会を構築したいのであれば、かの帝国ほど大きな組織に育ててくれないか。組織の屋台骨が大きくなれば、そうだな、社会奉仕の事業として考えることも出来る」

「まるで王様のつもりだな」

「君にわかるように説明するならば、役割は似たようなものと言っておこう。だが残念なことに、君は我々に指導する立場にはない。君はあくまで我々にその労働力ないし技術をもって雇われる立場なのだ。特にカート君、きみは現場をまわすうえで有能な人材であるということを私は知っている。だからこそ、私は現場の意見ということで君と議論するコトが出来る。先ほども話したが、我々は人材不足だ。旅客鉄道の方で働いてみないか。君の精神は見習うべきところがある」


 旅客……言葉を反芻し、息を飲む。


「……俺は貨物をやりたい。輸送管理官として」


 ウィリアムはため息をつく。


「頑固な人だな、なにがそんなに君を魅了する。なぜモノでなくてはダメなんだ、逆に興味をひかれる」

「あたしも聞きたいな」


 ソファに背中を預け、片肘ついてリラックスした姿勢でちょこんと手をあげるミスト。

 ミストは知っているはずだとカートは口に出そうとして、やめた。

 あえて知らなかった素振りを見せるのはウィリアムに対して、真面目に聞かせるための牽制だろう。

 思わぬ話の展開になり、少し、ためらいながらも、カートはゆっくりと話し始めた。




 結局、なに一つ現状は変わらなかった。

 有用な言葉も引き出せなかった。

 ご丁寧に、帰りは馬車を用意してもらった。しかし、御者に行き先もおおよその地点しか告げずに大通りを闊歩していた。御者も急がなくていいことを感じ取ったのか、馬に鞭をうつこともなくなり、淡々と街道を進む。

 窮屈な車内に二人の肩が触れ合う。

 揺れる度にどちらかに体重がかかるが二人ともすぐに定位置に戻る。

 お互いが自分たちの世界に閉じこもっていた。

 空は薄暗い。

 意外と時間が経っていたようだ。


「……すまないな、俺が話しすぎたせいで、あいつの行方について詰めることができなかった」


 目を合わせることなく、外の景色を眺めながら、カートは言葉を漏らす。


「期待はしてなかったけど」


 ミストも窓の外を眺め、相槌をうつ。

 でも、と続ける。


「変わってないね、やっぱり」


 変わってない?

 思わずミストの横顔を見る。

 青い髪が目の前にあった。肩口でばっさり切られている。数年前に初めてこの横顔を見たことを思い出した。不思議な女の子だと思っていたが、その印象は今でも変わらない。


「最初に会った時と熱意は変わってない。鉄道技師のお父さんの意思をつぐために……」

「そう、俺が勝手に思ってるだけかもしれないな!」


 声を少し荒げて、ミストの言葉に割り込む。


「オヤジは別に俺に輸送管理官でなくてはならないなんて言ってない。勝手に俺が輸送管理官こそ至高だって思いこんでるだけだ。オヤジが整備した鉄道で、貧しい地域の人や田舎の人に腹一杯メシを食わせることができるかもしれない。都会人にも珍しいモノを届けることができるかもしれない。俺がやらなくても、きっと他の誰かがその役目を引き継ぐだろうが、その役目は俺がやりたかった」


 父親はある日、普通に仕事へ出かけ、そのまま帰ってこなかった。

 たまたま同乗した鉄道が強盗にあった。

 鉄道強盗は多かった時期がある。鉄道の最高速度が今よりも低かったというの原因と言われているが、実際のところわからない。鉄道が止まったり、速度が下がったタイミングに武装集団が襲いかかり、金品や食料を奪っていく。鉄道強盗は今でこそ減ったが、一時期は駅馬車よりも危ないとも呼ばれ、用心棒が雇われるほど多かった。


「オヤジがつくって、命がけで守ろうとしたんだ。俺はそれを誇りに思ってなにが悪い」


 同じ言葉をウィルにもぶつけた。

 彼はなるほど、と納得したように頷いた。


「だが、私も父や祖父が築き上げた海運王として名高いサドラー家の財産を守るため、あるいはその壁を越えるために陸で覇権争いをしている。君の思いはわかるが、私にだって……夢はある」


 ウィルのもはや演説ともいえる長口上の全文を思い出すほど、カートの心には余裕がなかった。

 首を振ってあの時のシーンを忘れ去ろうとしていた。


「誰にだって想いはある。それはそうだろうよ。俺だけが特別なわけじゃない」


 ウィリアムだって、熱い気持ちを持っている。

 金貨銀貨に囲まれて、ニヤニヤしているだけの貴族様ではない。情熱とでもいえばいいのか、自分たちの国を興そうとする、その熱量に押され、反論する言葉が出てこなかった。


「あきらめるの?」


 あきらめる? なぜだか、その言葉をうまく飲み込めない。


「トランスポーター風情が口を出すことじゃない、らしいからな。俺から言えることはない」

「……本気で言ってる?」

「俺は俺の仕事をするしかないんだ、それ以上のことは出来ない」

「あのさ、カートの仕事はなに?」

「俺の仕事? 俺は今、単なる荷役だ」

「違うよ」

「なに言ってるんだ? 輸送管理官だったら、首になったさ。それに、あんたの部下でもない」

「……違うよ」

「じゃあ、なんだ」

「わからない?」

「ああ、わからないな」


 まるで売り言葉に買い言葉だった。

 反射的に返事をする。


「おい、おっさん、ここらで止めてくれ」


 カートは大きな声で御者に声をかける。


「途中下車するの?」

「もうその話はいい」


 馬車が止まったときに、扉をあけ、飛び降りた。片手で勢いよく扉を閉め、御者に行ってくれと声をかける。馬車はすぐに動き出す。

 しばらくじっと立ち止まって、馬車を見送る。

 馬の息づかいと蹄の音、がらがらと車輪がまわり、馬車は遠のいていく。


「トランスポーター風情か」


 つぶやきながら、足下の石ころを蹴飛ばす。

 気分のままに歩き始めた。

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