第58話 休暇の始まり ~ with a smile playing about one's lips


 嘘みたいな話だが、花見川先輩が何かの商品のキャンペーンで温泉旅行を抽選で当てた。有里朱と「温泉でも行きたいよね」と話していただけに、出来すぎていてちょっと怖くなってくる。


「めぐみ先輩とは行かないんですか?」


 学校の廊下で花見川先輩に呼び止められて、まさかのお誘いに嬉しくもあり、戸惑いもする。


「めぐみは今、新作の絵にかかりっきりやねん。最近、ほんまに付き合い悪いで。まあ、ソロでツーリング行くつもりやったし、宿泊地としてはちょうどええ。それにこれ五名までやし……うち、そんなにいっぱいトモダチいーひんのよ」

「けど、換金するって手もありますよ」


 旅行券であれば、金券ショップに持っていくことで現金化できる。


「うーん。でも、うちツーリング行きたいし、ついでやついで」

「わたしとしては嬉しいですけどね」


 打ち上げパーティと称してケーキバイキングへ行ったが、部活としてはもう少し絆が深まるようなイベントが欲しいところだった。それだけに温泉旅行はベタすぎるが、個人的にはナイスなタイミングだ。


「それにキミたちおもろいねんかぁ」


 めぐみ先輩の件から松戸美園の事まで知っている花見川先輩には、特に有里朱は気に入られていた。まあ、中身は俺なんだけどさ。


「それは光栄ですけど」

「そうや、うちにもなんかニックネームつけてくれてもええで」


 うーん。たしか花見川先輩のフルネームは花見川ゆりといったっけ。だったら――。


『それ却下だから』


 有里朱が割り込んできた。


「まだ何も言ってないぞ」

『どうせ、ゆり先輩だからユーリとか付けるんでしょ?』

「な、なぜわかった?」

『孝允さん、そういうのいいから』


 俺の扱いに慣れたのか、冷たく言い切る有里朱。


「でも、かっけーぞ!」

『でも、ユーリって男性名じゃないの?』

「ブッブー! 男性名なのはロシアで、しかも発音がちょっと違うぞ。ユーリィだ。ハンガリー語なら女性名なんだぞ」


 と無駄に知識をひけらかす。こういう部分が有里朱に嫌われていると、自覚はあった。でも有里朱と軽口をたたき合うのは楽しいのでついつい調子に乗ってしまう。


『はいはい、そうですか。でも。却下ですからね』


 薄ら笑いでも浮かべてそうな有里朱の対応だ。心に余裕があるからこそ、俺に対して冷たくあしらうのだろう。いい傾向だ。


「美浜さんどうしたんや? 黙り込んで?」


 花見川先輩は、急に黙り込んだことを不審に思ったのだろう。有里朱と脳内会話していたなんて言えないからな。


「花見川先輩のニックネームのことを考えていたんです。そうですねユーリ先輩なんてどうですか?」


『孝允さん! わたしのことは無視ですか?』


 と脳内で有里朱がうるさい。けど、今回は退かないぞ。


「ユーリ? ええなぁ。たしか格闘ゲーにそないなキャラいたね」


 スケートアニメでなく、そちらの方を思いつくか。アニオタではなくゲーオタ系なのだろうか。とはいえ、初出がZERO3だから二十年くらい前じゃなかったっけ? 先輩生まれてないやんけ!! まあいいや。


「その代わり、わたしも親しげに呼んでくれると嬉しいですね」


 その交換条件に、ユーリ先輩は小首を傾げて数秒考えた後に、人懐っこい瞳をこちらに向ける。


「じゃあ、アリスちゃんでええ?」


 かぁっと胸が熱くなる。いい加減に有里朱は自分の名前のコンプレックスを克服すべきだ。キラキラネームっぽいけど、実のところ日本でも結構昔から付けられてきた名前だぞ。


「オッケーです。ユーリ先輩!」



**



 春休みに突入したこともあって、話はトントン拍子に進んでいった。


 で、本日は埼玉の田舎から新宿まで出て、そこからロマンスカーで箱根へと直通で行く予定である。


 もちろん、バイクのツーリングが目的の花見川先輩は、すでに一人で目的地へと向かっていた。


「ふぇ……人いっぱい」


 気合いを入れたロリ服でおめかししたナナリーだが、新宿がロリィタの聖地だったのは一昔前。今では場違い感が半端ない。もちろん、地元でもナナリーの服は浮いているが、人が多いこの場でもかなり異彩を放っている。だが、そんな派手な衣装とは裏腹に、彼女は人の多さに圧倒されていた。


「同じJRの駅でも大宮とは大違いだね」


 と、かなめは人混みに驚きながらも、少し余裕のある笑みで辺りを見回す。服装もグループ内では割と大人っぽい方向で纏めていた。


「相変わらず人多いね」


 カジュアルな格好のミドリーは涼しげな顔。と思ったが、その表情には僅かな焦りの色も見える。ナナリーの前で余裕の素振りを見せているが、実際は都内まで来ることはほとんどないのだろう。


 とはいえ、ミドリーのファッションは、東京近郊のわりとどこにでもいる女子高生と変わらない。人混みの中にいても周りの人間たちに馴染んでいた。


 そして有里朱。服はすべてウニクロである。以上。オチ要員かよ……。


「ナナリーの服ってどこで買ってるの? 新宿とかって昔はロリィタ服の店が多かったよね?」

「そうなの? 七璃はほとんど自分で作ってるから」

「あ、そっか。ナナリーの場合だと絵が描けるから、一からデザインできるもんね」

「じゃあ、七璃さんってお裁縫も得意なの?」


 と、かなめが会話に入ってくる。彼女はファッション全般的に興味があるのだろう。今は大人っぽい服装が多いが、ロリ服が似合わない容姿ではない。


「うん、小学校の時からお裁縫は得意だったよ」

「その服、パーツ多くて作るの大変じゃないの?」


 ミドリーは喧嘩モードではなく、普通にナナリーへと質問する。まあ、ロリータのファッションはフリルやリボンが多く、重ね着でかわいらしくしている。複雑な構造の為、相当慣れていないと作るなんて感覚にはならないだろう。


「でも、デザインしてる時とかすっごく楽しいよ」


 ナナリーの極上の笑みは心からのものだろう。そうだよな、自分の好きなものを作っている時とか楽しいもんな。俺も電子工作してる時は、ナナリーみたいな笑みを浮かべているはずだ。


「やっぱ買うと高いんだよね」


 ミドリーが羨ましげにナナリーのロリ服を見ている。普段はバカにしながらも、互いに認め合っているところはあるからな。この二人は。


「ミドリンも欲しいの?」


 と七璃版のミドリーの愛称を呼ぶ。こいつらはいつの間にか、俺の推奨するあだ名以外で呼び合っていた。


「ナナリンみたいな白いやつは似合わないけど……ゴスロリっていうの? ああいう黒いのなら着てみたいかなって」


 ちなみにナナリンのリンはちんちくりんのりんから来ているらしい。初めはその呼び方で喧嘩にもなっていたが、今ではお互いに「リン」を付ける愛称で納得している。


「あー、みどりさんって黒い服似合うかもね」


 かなめは相変わらず「さん」付けで呼んでいた。有里朱だけ「あっちゃん」だもんな。この温泉イベントで、もっと仲良くなってお互いの距離が縮まればよいのだが。


 そうなると、ナナリーは「なっちゃん」でミドリーは「みっちゃん」かな? ユーリ先輩は「ゆっちゃん先輩」か。まあ、悪くない呼び方だ。


「おお、ファッションリーダーのカナリンにそう言われると自信がついてくるなぁ」

「そうだねぇ。ミドリン腹黒いし、ゴスロリがお似合いだよ」

「なんだと! ちんちくナナリン」


 プチ喧嘩な状況になりそうだったので、俺は話を逸らす。


「乗り換え時間にはまだ早いけど、そろそろ移動しようか」

「みんな、人多いから気をつけてね。痴漢だけじゃなくて、スリや置き引きも多いだろうし」


 かなめはお姉さん的な立場で皆にアドバイスをしていた。俺という人格を除けば、この中で一番しっかりしているのだから。


「うん、わかってるよ。かなめさん」


 ナナリーはボストンバッグを両手で抱きかかえるように持っている。これならば鞄を持って行かれることもないだろう。とはいえ、彼女の場合は身体の小ささゆえに、鞄と一緒に本人も持っていかれる可能性もあるわけだが……。そうなると、スリではなく誘拐だ。ある意味笑えない展開になってしまうだろう。



 西口を出て小田急線の乗り場へと移動する。


 人も多いということで、あまり広がらないように歩いた。かなめを先頭にナナリー、ミドリー、有里朱の順で一列に並ぶ。


 見た目では、ナナリーの次に隙がありそうだと思われがちな有里朱。本来ならミドリーを最後尾にして行動するのがベストな隊列だったが、今回はちょっとした実験を行っている。


 遠出するということで、いつもより秘密道具満載のバッグで、ありとあらゆる可能性を考えていた。


 このまま現地の山の中で遭難しても大丈夫なような備えをしている。


『荷物持ち過ぎじゃない? さすがに重いよ』


 感覚を共有している有里朱がそんな弱音を吐く。重いとはいえキャリーケースなので階段以外では、それほど負担はかかっていないはずだ。


「筋トレにもなるんだけどなぁ」

『せっかくの旅行なのに、なんかサバイバル生活でもするみたいだよ』


 うん。まあ、一週間は補給無しで行動できる用意はしているが。


「備えあれば憂い無しって言うだろ?」

『備えすぎだよ……あれ? 孝允さん』

「どうした?」

『誰かに見られてる感覚?』

「知り合い……ではないか。ストーカー? でも、地元から付けられてたわけじゃないよね?」

『うーん……ストーカーとか痴漢とかとはまた違った視線』


 少しだけ歩く速度を落とし、先頭の三人から距離を置く。そして後ろを振り返らずに有里朱と話を続けた。


「まだ見られてる?」

『さっきより強い感じ。狙われてるのかな?』


 人混みとはいえ、満員電車のように身体が密着している状態ではない。人口密度が高い地域ゆえに変な人間も多いだろうが、だからといって、わざわざこんな人も多い通路で痴漢行為をしてくる可能性は低いだろう。


 考えられるとしたら、目的は有里朱の身体ではなく荷物。このキャリーケースは、月面着陸の際、月の石を入れて持ち帰った「月面採取標本格納器」を製造したことで知られるメーカー製であり、女子高生が持つにはやや不似合いなもの。


 お値段約十万円で、ブランドバッグ並の価値を持っていた。頑丈だし、ちょっと改造するのにちょうどいいと思って入手したのだが、やはり目立つといえば目立つか。


『どうする? みんなに相談する?』

「変な場所まで付いてこられても、三人に迷惑がかかるし」

『逃げ切るの?』

「いや、いつも通り。返り討ちにしてくれるわ」


 足を止めてキャリーケースを横に置き、スマホを弄る。いちおうLINFで、皆に【改札口の前まで先に行っておいて】と連絡しておいた。その後は“周りが見えないスマホを弄くる女子高生”を演じながら相手の出方を覗う。


『来たよ』


 まるで後ろに目がついているかのように、有里朱が不審者の存在を感知する。


 そして滑らかな動作で、その者はキャリーバッグを持ち逃げしていく。スマホに夢中であれば、気付かないくらいのさり気なさだ。


「かかったね。ちょうどいい実験になる」

『ほんとにうまく行くのかな? 大事な物いっぱい入ってるのに』

「これがダメでも、あと二、三手あるから平気だよ」


 と言って、俺はスマホのアプリを立ち上げて画面に表示された『shock』と書かれたボタンにタッチする。


――「うがぁ!!」


 十メートルほど離れた所で、キャリーバッグを持ち逃げした五十代くらいの男が腕を抑えて悲鳴を上げ、その場で悶えている。


 スタンガンより威力は弱めだが、スマホに連動して鞄に触れた者に電気ショックを与える仕組みをミドリーと協力して作っていた。本来は、学生鞄に付けようと小型化を想定して開発しているものなのである。


 今回は試作機の実験のためにキャリーバッグに組み込んだのであった。スマホの遠隔操作により、ワンタッチで電気ショックを与えられる。置き引きやスリには最適の防御法であった。


「ちくしょう!!」


 持ち逃げ犯は俺の視線に気付いたのか、そのままバッグを置いて逃げ出していく。まあ、犯人を捕まえるのが目的じゃないから逃げられても構わないんだけどね。


「ありすぅ……あれ、結構エグくない?」


 いつの間にかミドリーが戻ってきていた。


「そうかなぁ?」

「だって、本来は校内のいじめ対策なんでしょ? 鞄を盗まれないためって」


 共同開発者のミドリーが渋い顔をする。盗まれないより、相手を痛めつける方が目的となりかねないからだ。


「うん、まあね」

「まさか、旅行鞄に仕込むとはね」

「備えあれば憂い無しだよ!」


 ノーテンキにそう言い切った。出力は後で調整しよう。


「まあいいや。カナリンたちが改札口で待ってるよ」


 俺はキャリーバッグを回収すると、かなめたちの待つ場所へと向かった。


 実験も成功、幸先は良い。楽しい温泉旅行になりそうだ。


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