第33話 猫の微笑み ~ Cheshire Cat II


「すみません。部外者なんで話に加わりにくくて」


 頭を掻きながら、誤魔化しついでに作り笑いをして草むらから出て行く。


「まあ、いいよ。もう暗いから気をつけて帰りなよ」

「ネコをお探しなんじゃないですか?」


 俺の言葉で、少女が近寄ってくる。その眼差しは真剣だ。


「知っているの?」

「いえ、その……探しているネコって、【ぐりーん・でぃあ】のチャンネルに出てた野良猫の『チェシャ』ですよね?」


 そのウーチューブチャンネルは結構好きで見ている方だ。だから、すぐに猫のことに気付いたのである。


「ええ、何か知っているのなら教えてくれない?」

「申し訳ないけど、有用な情報は持っていないの。けど、探すのを手伝うわ。わたしもあの動画のファンなの」

「でも、もう暗くなって探すのも苦労するわよ」

「それなら大丈夫。秘密兵器があるんだよ」


 といって、スポーツバッグの中から暗視装置ノクトビジョンを取り出す。


「それ、もしかして暗視スコープ? なんでそんなもん持ってるの?」

「そこらへんは、アレですよ……企業秘密ということで」

「……」


 しまった。言い訳全然考えてなかった。相手も暗視装置がどんなものか理解しているだけに唖然としている。


「でも、これなら多少の暗闇でも大丈夫だし、熱源にも反応するから生き物の探索には向いているの。それよりも、チェシャの行動範囲を教えて?」

「わかった」


 彼女はそれ以上は事情を聞いてこない。スマホを取り出して地図を表示させた。重要なのは行方不明になったネコなのだから。


「ここの家を中心に約二百メートル。いちおう、この中はくまなく探したからもうちょっと広げてもいいかも」

「三百メートルに広げてその探してないところをぐるりと回ればいいのね」

「そう。理解が早くてありがたいわ」

「ねぇ、ここって住宅だっけ?」


 俺が指したそこは、通学路でいつも歩くコース。


 チェシャの行動範囲と思われる二百メートルからは外れているが、そこは記憶が確かなら家は取り壊されていて、資材置き場のようになっていたはずだ。


「わからない。そこはまだ探してない」

「じゃあ、わたしそこ調べてみる。そこにいなかったら、東回りでぐるっと回っていくよ」


 指で地図の上をなぞる。


「じゃあ、あたしはそこから西へ回ってみる」



**



 LINFで連絡先を交換してから目的地へと向かう。わりと近くだったので、すぐに彼女は別の場所へと探しにいった。


 暗視装置を装着。IR光源を点灯。資材置き場へと入っていく。


 鉄板や、鉄杭、鉄製棒が無造作に置いてあり、周りに監視カメラらしきものは付いていなかった。探し回るにはちょうどいいが、防犯には無頓着な管理会社なのだろう。


『ねぇ、なんか聞こえる』

「音?」

『うん、たぶん猫の鳴き声じゃないかなぁ』


 資材置き場に入った途端、有里朱が反応した。


 聴覚を共有しているというのに聞こえる音と聞こえない音があるのか? 俺には耳を澄ませても風音しか聞こえてこない。


 視覚や味覚に個人差があるように、有里朱の肉体には俺自身のクオリアが適用されるのだろうか? これ以外でも有里朱は第六感が鋭く、俺が気付かないことも多かった。


「どっちだ?」

『右の方、もっと右。うん、そっちの方』


 有里朱に言われた方に首を向け、場所を確認するとその方向へと歩いて行く。すると俺にも猫の鳴き声が聞こえてきた。だが、それは弱り切った声。よく有里朱は遠くから気付いたなと思えるほど微弱なものだった。


 視界を音の方向へと集中させると、僅かに白いものが動いた。暗視装置が熱源に反応している。


『あそこだね』


 俺はすぐに駆け寄っていく。


 と、そこには首輪を鉄棒に引っ掛けて身動きがとれなかった猫を確認する。きっと隙間をすり抜けようとして、鉄棒が引っかかってしまったのだろう。


 こういうことがあるから猫への首輪は危険なのだ。


 俺は暗視装置を取り外し、スマホのライトで状況を確認する。


 猫は白黒の模様の動画で見て知っている猫だ。チェシャには間違いない。


 首輪には意外と奥の方まで鉄棒がすり抜けていて、猫の身体をそのまま後ろに引っ張ろうとすると、首を絞めてしまいそうだった。仕方なくマルチツールを取り出して、そのナイフ部分で首輪を切る。


 体力をかなり消耗したようでぐったりとしていた。逃げる気配すらない。俺はすぐにあの少女へと連絡を取る。


 ちなみに彼女の名前は鹿島みどりというらしい。有里朱と同じ一年で四組の生徒ということだ。


@有里朱【見つかったよ! 例の資材置き場】


 数秒で返答が来る。


@みどり【今行く 待ってて】


 しばらくその場で猫を胸元で抱き、その頭を撫でていた。体力がなくなりかけているということで、かなりおとなしい。


 撫でながら違和感に気付く。猫の腹のあたりに手術跡があった。


 これは不妊手術というやつかな。野良猫がむやみに増えるのを防ぐというのもあるが、発情に伴ったストレスやトラブルから守るという理由の方が大きいだろう。


 ご近所では有名なノラだということで、誰か病院にが連れて行ったのかな? メス猫の不妊手術は三万円くらいはかかるから気軽にできるものじゃないんだけど。


 五分ほどで鹿島さんが走ってやってくる。


 猫を見て、ふぅと吐息を吐くと、大きく息を吸って呼吸を整えた。


「よかったぁ、チェシャぁ……」


 俺から猫を受け取ると、それまで我慢してきたのだろう。涙がぽろぽろと溢れてくる。あの四人組には余裕そうな表情を見せていた彼女も、その心中は穏やかではなかったのかもしれない。


 泣いているせいか、キツそうに見えた目も愛嬌のある顔に見えてくる。


「みっともないところを見せちゃったね」

「みっともなくはないよ。だって、本当にその子が大切だったんでしょ?」

「うん、……っ……っ」


 猫に愛情を注ぐその子を見て、俺は聞かずにはいられなかった。


「そんなに大切なら、飼ってあげた方がいいんじゃないの?」

「……それができたらしてるよ。うちペット禁止のマンションだし……だからせめて、この子が健やかに生きていられるようにって、不妊手術を受けさせたの」

「鹿島さんが連れてったんだ。でも、けして安くないはずだよ」

「そ、それはバイトとかで稼いで」


 一般的に野良猫の寿命は三、四年くらいだと言われている。それに対し飼い猫は十年以上だ。


 まあ、必死だったんだろうな。ノラ猫との短い期間を精一杯過ごすために、できる限りのことをするタイプなんだろう。


「はい、見つかった記念に写真撮ったあげる」


 拒絶されなかったので、シャッターを押した。泣き顔だけど、かわいくは撮れているはず。


「……ぅっ……」


 鼻水が出かかっているか、ズルズルと鼻音を立てていた。先ほどまでの凜々しくて毒々しい彼女とは同一人物とは思えないほど。


「わたしも、あなたの動画のファンだから。チェシャが助かって良かったよ。また動画見せてよね」

「え? あれ? あたしあの動画の主って言ってないよね?」


 さらに焦り出す彼女。


「いや、もうバレバレでしょ。その猫への思い入れは」

「こ、これは、近所のノラだからみんなに愛されているんだよ」


 何か誤魔化すような素振りの鹿島さん。少し声が上擦っているのは、泣いているせいだけであろうか。


「【ぐりーん・でぃあ】チャンネルの【でぃあ】ってさ、『Dear』だと思ってたけど、ほんとは『Deer』なんでしょ?」

「へ? いや……その」

「Deerは鹿、Greenは緑。鹿島みどりの本名から二文字も捩っている時点でバレバレだと思うんだけどな」

「そ、そんなの偶然だよ」


 鹿島さんの変容ぶりが面白い。毒舌と恥ずかしがり屋のギャップに萌えそうだな。ある意味ツンデレ属性に近いのかもしれん。


「【ぐりーん・でぃあ】の人ってさ、ベネチアンマスクで顔の上半分隠してたけど、口元とか鼻とかしっかり映ってたでしょ。さっき撮った画像と重ねてみようか? 九十九パーセント以上一致しそうな気もするけど」

「わかったわよ。あたしが【ぐりーん・でぃあ】を運営してるわ。これでいい? なに? あたしを脅すの? 金目当て? この人で無し! 鬼畜! Asshole!」


 うわ、元の毒舌に戻りやがった。まあ、煽った俺も悪いんだけどね。


「ちょっと待って、別に脅す気はないって言ったでしょ。わたしはあなたのファンなのよ。ネコ動画も好きだし、やってみた系も大好物だよ」

「へ?」

「だから、猫探しに協力したのよ。誰にも言わないから大丈夫だよ。わたし、もっと鹿島さんの動画観たいもん」

「……」


 わたしのその言葉に、鹿島さんは何も言えなくなってしまう。顔を真っ赤にして、俯いてしまった。


「か、勘違いして悪かったわね。それから……ありがとう。チェシャ探してくれて」


 ツンデレいただきました!


 少しはにかんだ顔が絵になると思った。マスクなんか付けずに動画に出れば、かなり人気が出るんじゃないか?


 しかしまあ、今日出会ったばかりだというのに、この子の裏表のすべてを見てしまったようだ。


『面白い子だね』


 有里朱の好奇心をくすぐったのだろうか、僅かに心が熱を帯びる。初対面の子だというのに人見知りもせずにきちんと向き合おうとしているな。


「友だちになりたいのか?」

『うん、なんだか楽しそう』

「おまえ、絶対あいつにボロクソ言われるタイプだからな」

『え?』

「そうだな、仲良くなったら……いや、あいつなら仲良くなったらさらに毒舌が増すタイプか」

『わ、わたし対抗できるかな?』

「まあ、鍛えてやるよ」

『お、お願いします』


 鹿島みどりとの出会いは、有里朱の未来に希望の持てるものであった。


 友達は多い方がいいだろう。目標三万人だ!


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