第19話 追い討ち ~ Queen of Hearts II
翌日、俺は教師に呼び出された。とりあえず、呼び出されたのが館山先生だったので、ほっとする。
「あの缶詰は、あなたの鞄の中の物と松戸さんは言っていますが」
呼び出されたのが放課後なので、自分の鞄を持って職員室に入っている。だから、その鞄を見せつけるように館山先生の前に差し出す。
「わたしの鞄はこれですが、どういうことでしょうか?」
「……」
「わたし、松戸さんの友だちにいじめられてたんですよ。先生もご存じですよね? トイレで水をかけられたり酷いものでした。今回の件だって、松戸さんたちが嫌がらせをするために、わたしに罪をなすりつけようとしているのではないですか?」
「でも、松戸さんがはっきりあなたのだと」
松戸は市内の大病院の娘だ。学校への寄付も多額だろうし、それなりに発言力はある。直接問題を起こすわけではないので教師の信頼も厚いのだろう。だからこそ館山先生は彼女の発言を盲信する。
「それが本当だとしたら、なぜわたしの鞄を松戸さんが持っているのですか? いじめっ子にわざわざ自分の鞄を差し出しますかね。本当だとしたら、松戸さんはわたしの鞄を盗んだことになります。松戸さんの友だちにいじめれてましたけど、実は松戸さんが黒幕だったんですかね?」
俺は一気に捲し立てる。さらにダメ押し。
「盗んだとしたら警察沙汰ですよね。高校生でも越えちゃいけないラインってありますよね。このまま警察に任せてすっきりしますか? 先生のお好きな週刊誌に調べて貰うのもいいかもしれませんね。大病院の院長の娘がいじめの首謀者で、盗みまで行っていたと。それをいじめられていた子の担任教師が庇っていたと」
「……もういいわ。あなたの鞄だって証拠はないもの」
はい、ご苦労様。予想通りの展開です。
館山先生には真相を確かめるすべがない。下手につつくと学校を巻き込んでの大事件となる。積極的に動けないだろう。
聞くべき事がなくなった俺たちは、無事解放される。
『終わったの?』
有里朱がほっとしたように聞いてくる。
「第一段階はな。今日はさすがに松戸は休んだみたいだけど、このまま黙ってないだろ」
『やっぱり、これで終わりじゃないんだね』
今度、松戸が登校して来たときが勝負だ。明日は日曜日なので、その翌日の月曜日、ダメージが残ってたらその次の日あたりか。
**
松戸は月曜日も学校を休んだ。未だに部室棟は立ち入り禁止となっているが、結局、シュールストレミングの缶詰の件はうやむやになった。松戸としては噂をあまり広めたくないのだろう。学校側に何か言ったようだ。
火曜日の朝、下駄箱の前に松戸たちがいた。トイレで俺たちをいじめていた配下グループの女生徒もいるが、微妙に彼女から離れているような気もする。まあ、三日も経てば臭いもとれるだろうけど。
「まったく! やってくれたじゃない。でも、わたくしの怒りを買ったのよ。覚悟は出来ているのよね?」
近づくと凄い形相で睨まれる。宣戦布告のようなものだ。
だが、俺らには触れてこない。録画を恐れているのだろう。何かやるとしたら学校外か。それもドローンの事を考えたら、かなり遠くに連れて行かれるだろう。
あのヤンキーどもが仲間なら車も出せる。前にかなめが未遂で終わったように、レイプでもさせる気か。
だとしたら、勝負は放課後までに決着をつけないとマズいことになるな。僅かに眉を寄せ、口元に両手を持っていき『松戸さんこわぁーい』と気弱な演技をしてみる。
「じゃあ、放課後。楽しいことしようね」
松戸はそう言って不敵な笑みを浮かべた。俺の脅えた演技に満足したのか、勝ち誇った顔ですぐに背を向けると、配下の者たちと共に去って行こうとする。
俺は急いで鞄からパチンコを取り出し、松戸の後ろ髪に狙いを定め、カプセルに包まれた液体を発射した。
量としてはこの間の缶詰の三百分の一で、一グラムにも満たない。カプセルは彼女に当たると弾けて髪の毛にその汁が僅かに付着する。僅かな質量なので、本人も気付かなかったようだ。
だが、その僅かな量でも命取りである。両脇の取り巻きの子が、彼女から避けるようにさらに間を空けた。密閉空間に入った時が終わりの合図である。
俺は彼女たちを静かに見送るのであった。バイバイ松戸!
**
教室に行くと、ナナリーからLINFのメッセージが来る。
@ナナリー【くさい!!!!】
一言それだけが書いてあった。心中察する。夏場だったらまだマシだったかもな。
@アリス【あーね】
「あーそうだね」という意味で返答をしておいた。少し我慢すれば状況は変わるはずだ。それまで耐えてくれナナリー。
そして授業が始まる。が、一時間目の途中から、なにやら隣のクラスが騒がしくなってきた。
もう十月も終わりで、寒くなってきたので窓は締め切っているはず。だが、隣のクラスからは窓の開く音と生徒達が嘔吐くような音がわずかに聞こえてくる。
そのうち怒鳴り声というか、わめき声が聞こえてきた。そして、授業中だというのに教室の後ろの扉が開く。
そこには半べそをかいた松戸が俺を睨んでいる。くぐもった声で「……みはま、あんたぁ!」と恨み節だ。と、同時に漂ってくる魚の腐ったような臭い。
「やだ、くさい」
「なにこれ」
「なんで松戸さんがいるの?」
「わたし吐きそうだよ」
「この
「やだ。窓開けないと」
「くっさー! 勘弁してよねぇ」
クラスの生徒達はプチパニックに陥っていた。廊下側にいた生徒は、松戸から避けるように窓側へ移動。窓側の生徒は、即座に窓を開け始める。
だが、今は物理の時間。担当教師が冷静に松戸に告げた。
「きみは隣のクラスだろ。出て行きなさい」
教師は当たり前の事を言ったのだろう。ここは一組だから他のクラスの者が来るべきところじゃない。授業中なんだぞ、と。
だが、クラスの生徒たちは、教師のその言葉に便乗する。
「そうよ。出てってよ」
「そうそう。臭いんだから」
「臭い臭い」
「出てってよ」
「出てけ!」
「出てって松戸さん!」
そのうち「出・て・け!」「出・て・け!」とコールが沸き上がる。それは集団心理の勝利だった。今まで厄介だと思っていたクラスの状況を逆に利用したのである。
ホント、群衆ってのは敵に回したらこれほど厄介なものはないだろう。
「バカー!!!」
心が折れたのだろうか、松戸はそのまま走り去って行く。そうして、学校には平和が戻っていった。
もちろん、あの「出てけ!」コールには高木たちも参加してたのだ。ここまでくると松戸からの洗脳も解けてきたのかもしれない。
『ねえ、これで本当に終わりだよね』
有里朱が呟く。その声にはまだ不安は残っていた。
「終わりであればいいけどね」
『だいぶ恨まれたんじゃない?』
「反撃されることを考えずに、いじめなんかやるからだよ」
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけさ! とあるアメリカの探偵小説の台詞を思い出す。アニメの方じゃないぞ。
『かわいそうだったね』
こいつはまた情けをかけるんだから……。そんな風に有里朱を哀れもうとしたのだが、哀れなのはこいつではない。
彼女は痛みをわかっているからこそ、冷徹になれないんだ。集団心理で排除される怖さを身をもって知っているのだ。
それは悪いことじゃない。人間は立場が上になると簡単に驕る。だから、冷徹ではなく冷静にならなくてはならない。
俺も調子に乗りすぎていたわ。それは反省すべき点。
だからこそ、有里朱には優しいままでいて欲しい。俺みたいに手加減のできない大人になんか、なって欲しくない。
それは俺のささやかな願いでもあった。
**
四時限目の終業チャイムが鳴る。土曜日なので授業は終わりだ。戦勝祝いをすべく、かなめたちとどこかへ出かけようと考えたところで、ナナリーからLINFが来る。
@ナナリー【とりま助けて! 部室棟の前で待ってる】
それをかなめに見せると、急いで部室棟へと向かった。
今度は誰がどんな手を使ってくるのだ? それに俺は対処できるのか? そんなことを考えながら歩調はだんだんと早足になっていく。一刻を争う事態だったらどうしようか? 気ばかり焦っていく。
部室棟の近くに行くとだいぶ臭いは薄くなっていた。だが、それは文芸部の部室を閉鎖しているからだろう。
「ナナリーどうしたの? また誰かに嫌がらせされた?」
俺は建物の近くで佇むナナリーを見つけ、開口一番でそう聞いた。
「違うよ。あ、違わないか。文芸部の顧問の先生にね。あなたは部員なんだから、部室を掃除しなさいって言われたの」
脱力する。ナナリーの身に何かあったんじゃないかって心配して損したわ。そういや「助けて」の前に「とりま」ってのが付いてたな。あれは「とりあえずまあ」っていう意味だっけ? よく考えりゃ緊急性はなかったな。
「顧問の先生は手伝ってくれないの?」
かなめがナナリーにそう聞く。考えてみれば、顧問の先生だって同罪だってのに。
「うーん、なんか忙しいから無理だって」
「ナナリー、文芸部の顧問って誰なんだ?」
「ふぇ? 館山先生だよ」
最悪だった。
なるほど、あの事件のあとに館山先生に呼び出されたのは、担任だからではなく顧問としての聞き取り調査だったわけか。
『ははは……館山先生とは縁があるねぇ』
有里朱が苦々しく笑い出す。あの先生、なんとかしないとな。味方に付けるには頼りないけど、敵に回したらすごく面倒くさい。
「そういや、ナナリー以外も部員いるんでしょ。馬橋とか幸谷とか中根とか。あいつらにも手伝って貰いなよ」
動画があるし、それくらいは従うだろう。
「あの三人なら退部届けを出しちゃったみたい」
「退部? あいつら部室気に入ってたんじゃないの?」
「今日の松戸さんの件で、見限ったみたいだよ」
「なるほどね……」
これで高木たちも馬橋たちも、松戸の配下から抜けることになる。戻ってきたとしても手足をもがれた状態だな。もう一つのグループもそのまま配下でいるか怪しいものだ。
「あのね、相談があるんだけど」
ナナリーが胸元で手を組んで、こちらを見上げる。その仕草がとてもかわいらしくてキュンとなる。
「何?」
「文芸部に入らない?」
首をちょっと傾げてお願いするナナリー。その仕草が可愛すぎて胸が……。
あれ? これ、俺の感情ではないものが混じってるぞ……胸がキュンとなるのはもしかして?
「なあ、有里朱」
『なんですか?』
「おまえ、もしかしてナナリーの事好きか?」
『ええ、大好きですよ。それが何か?』
「友だちとかそういう感情じゃなくて、その
『せいてき? えっとななりちゃんはすごくかわいくて大好きですけど』
「そういやさ、おまえ初恋はいつだ?」
『うーん、小学校四年生の時かな。相手は同じクラスのマコトちゃんでした。きゃっ、恥ずかしい』
有里朱の羞恥心が浮かび上がる。きっと本当の事だろう。
「そのマコトちゃんてさ、女の子?」
『はい、そうです!』
百合ワールドへようこそ! 俺が転生したのは百合の国だったんだな……。
ま、いいや。今はナナリーの事にリソースを割こう。
「ナナリー。入部はオッケーだよ。部室は好きに使わせもらっていいんでしょ?」
「ええ、構わないわ」
「あー、あっちゃん入るならわたしも」
とかなめがそれに加わる。
「その前に掃除が必要だな」
で、掃除をしようと扉を開けたのだが、中に一分といられない状態であった。
あれからさらに発酵が進んでいるようだ。準備もなしに
とりあえず、その日は駅の近くのファストフードでささやかな戦勝パーティーを行った。苦労して手に入れた小さな幸せなんだ。今日くらいは笑って過ごしたいものだ。
帰り道にKonozamaで商品を頼んでおく。お急ぎ便で明日届いて、明後日には清掃作業に入れるだろう。
**
全身雨具に長靴。M04ガスマスク型フルフェイスゴーグルを被り、
「○蟲とか出てこないよね?」
ナナリーが本気で脅えている。まあ、巨大な虫は出てこないだろうけど、匂いにつられた虫はいるだろうな。朝一で、燻煙方式の殺虫剤を捲いておいたから生きているのはいないはず……。
部室内は十畳ほどの広さだ。ソファーが一つぽつんと置いてあるだけの殺風景な部屋。本棚もあるが、小説類は一冊も置いてない。松戸たちが読み散らかした雑誌が無造作においてあるだけだ。
ナナリーの話によると、去年、三年の先輩が卒業するときに文庫本などは全部持って行ったらしい。そりゃ、あの時点では後輩がいないわけだから、廃部になることを見越してだろう。
まずは壁と本棚の洗浄だ。
洗剤を付け、デッキブラシで擦りながら水で流せるところは水を流す。水が流せないところは使い捨ての雑巾で叩きながら匂いのもとを取り除く。
ソファーは臭いが染みついて取れないだろうから、これも後でゴミ捨て場に持って行こう。
作業時間は小一時間ほどかかる。十畳の狭い空間とはいえ、臭いはかなりこびり付いていた。
目に見える汚れがとれたところで、雑巾類をゴミ袋の中に入れて縛る。
新兵器の高濃度オゾン発生装置を取り出し、部屋の中に設置した。オゾン発生装置はプロも使う優れ物。オゾンはきわめて不安定で反応性が高いため、空気中の何かと反応して、もとの酸素に戻ろうとする。この性質を利用して消臭を行うのだ。
シュールストレミングの臭いの成分は、プロピオン酸・酪酸・メルカプタン・アンモニア・硫化水素など。たとえばオゾン(O3)はアンモニア(NH3)の水素分子とくっつき、水(H2O)と窒素(N2)に分かれる。これが消臭のメカニズムだ。偽科学のマイナスイオンや水素水なんかとは訳が違う。
もうすぐ十一月だというのに、雨具の下は汗ばんでいた。新しいゴミ袋の中に、今使った雨具と長靴を放り込む。さすがにガスマスクは高いので、あとで洗ってから仕舞う予定だ。
「終わったね」
ナナリーが嬉しそうに両手を上げて、ハイタッチの受け身のポーズをとる。
仕方がない。のってやるか。
「ウェイ!」とナナリーにクラップ。
「私も」
かなめも両手をあげたので、同じくクラップする。
「ウェイ!」
まるでリア充のようではないか。いや、今はリア充と言う言葉は古いのか。えっと、ウエイ系? パリピ? なんかどっちも違う気がするけどな。
『けど、本当に臭い取れたのかな?』
有里朱はまだ不安げだ。
「あの業務用のオゾン発生装置は人体に影響があるほど強力なんだよ」
危険濃度(0.05ppm以上)を越えると喉に不快感が出る程度だけどな。そりゃ高濃度(50ppm以上)の中にいたら死亡もありえるけどさ。そこまでは高濃度のオゾンは放出できない。
『それヤバイんじゃないの?』
「あの臭いに比べればマシさ」
部室はソファーを捨てたので、かなりすっきりしている。三人で活動するにしても、イスと机くらいは欲しかった。
「予算どれくらい下りるの?」
ナナリーに聞いてみる。部費で設備を揃えるというのが普通だろう。
「うーん、うちは三人という最小構成だから、毎年二万くらいって先生が言ってた」
「それ、一年間の予算?」
かなめが苦笑いしながら質問する。
「うん、今年の分は二万だった。だけど、もう松戸さんに使われちゃったの」
「そりゃご愁傷様」
と俺は他人事のように語る。文芸部なんて、そんなに予算を使うものでもないだろうと思ったが、倚子とか机を買えねーじゃないか。
レジャーシート敷いて、地べたに座るってのも嫌だぞ。
「せっかく部室があるのに何もないのはつらいよね」
かなめもそのことに気付いたらしい。
「そうなんだよね。館山先生全然やる気ないし、しかも馬橋さんたちが退部届け出したから、廃部に出来るって喜んでたみたいなの」
酷い教師だ。なんか、高木や馬橋たちのいじめより悪質な気がしてきたぞ。
「仕方ない。本は各自で持ち寄るとして、机とイスに関してはわたしがなんとかするわ」
その言葉にナナリーがまた、胸元で手を組んでこちらを見上げて目をキラキラさせる。
「ホントに?」
「ああ、知り合いから譲って貰えるかもしれない」
まあ、知り合いといっても、イコール俺の事なんだけどね。
「やったぁ!」
とナナリーが抱きついてくる。彼女のころころと変わる表情は愛らしくも感じる。こういうところはお人形さんというより小動物っぽいな。
『かわいいね。ななりちゃん』
有里朱がすぐに反応するが、とりあえず放っておこう。
俺はスマホを取り出し、Konozamaへ。
「机は事務机でいいよね」
「とりあえず三人だから、三セットあればいいかも」
部長のナナリーは嬉しそうだ。
スチールデスクとイスのセットを三つ、通販サイトのカートに入れる。
「ソファーとローテーブルも欲しいかも」
かなめがそんなことを言い出したので、アラリスオオカワの安めのソファーを一つカートに入れ、さらにローテーブルを探す。五千円くらいのガラステーブルがあったので、それも購入。
「わかった知り合いに頼んでおくよ」
すでに購入済みだがな。こういう誰も傷つかない嘘なら、心が痛まない。
そういやコンセントあったな。wifiは、屋上に設置した中継器を使うとして、三万くらいのノートパソコンを一つ頼んでおくか。部活やってるときは、部室で情報収集した方が効率がいいだろう。二つの場所でデータを共有するためにNASも導入しておくべきか。
ティーセットは……うちから持ってくるからいいかな。あとは随時揃えていけばいい。
送り先を宅南女子高の文芸部部室としておこう。この場合、お急ぎ便ではなく時間指定の方がいいかもな。土曜日の十三時から十五時の間で指定しておくか。
「よし、明後日は部室の模様替えだ!」
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