番外編

聖夜にともに

 国事として臨んだ封印塔再活性化事業がひと段落すると、典礼官は休息を得る間もなく通常業務に戻ることになった。まずは目下差し迫っている、聖夜の祈祷祭を終えなければならない。

 信徒のために首都の封印塔で行われる祈祷は、週に一度行われるものとは異なり、音楽祭のような一面を持つ盛大な行事なひとつだ。典礼官、そして聖務官にとっては一年を締めくくる大きな仕事である。

 再活性化事業とは別に通常業務に従事するよう言いつかった典礼官たちが着々と準備を進めてくれていたおかげで、エルセリスたちは頭を切り替えてその日に備えるだけでよかった。――よかったのだが、聖夜というその日がエルセリスを緊張させる要素を含んでいた。

 封印塔国マリスティリアでは、聖夜になると愛する人に贈り物をする。だいたいは親から子どもへ、恋人や夫婦がお互いに。友人同士ではカードをやりとりさせるのだ。

 その日、カードを手配した後、エルセリスは気を張り詰めさせてその扉をくぐったのだった。

「ありがとうございました。商品が到着致しましたらすぐにご連絡いたします。今後ともご贔屓にお願い申し上げます」

 高級装飾品店を出る間際、扉までやってきて見送ってくれる店主に引きつった愛想笑いを浮かべて、エルセリスは足早にそこを立ち去った。普段儀式に使う装飾品を頼むこともある店なので、別に出入りしているところを見られても噂を立てられることはないだろうが、購入したもののことを思えば顔は熱くなるし足も速くなった。

(あああっ、どうしよう、どうしよう! 買っちゃった、買っちゃった!)

 あんなに頭の中で店に入るところから練習したというのに、声は上ずってしまったし、笑顔はかちこちに固まっていたことだろう。けれど不審さをおくびにも出さずににこやかに対応してくれた店主はエルセリスの求める品物をいくつか選び出し、意見を添えて勧めてくれた。その意見を取り入れて選んだものは、多分、劇的に趣味が悪いというものではないはず、だ。

(聖夜だし! 聖夜に贈り物をするのは普通だし! 家族でないけどこ、こっ……恋人、だし……)

 恋人、という言葉の甘さは、頭に思い浮かべるだけでエルセリスを赤い石像にする。

 再活性化事業が始まる前に首都に舞い戻ってきた、放逐されていたはずの第二王子オルヴェイン。彼が典礼官の長となって封印塔再活性化事業が開始し、様々な秘密やいくつかの謎を経て事業は初段階を終えた。エルセリスが抱いていた、彼に対するわだかまりはその後ほとんど解消され、お互いの思いを告げあって、恋人同士になった。

 しかしそれぞれの立場や周囲の状況を鑑みてしばらく公表は避けようという話になり、いまはひっそりとお付き合いをしている状態だ。けれど役職付きと聖務官ではすれ違いばかりでなかなか言葉を交わす機会を得られないまま、じきに聖夜という日付になっていた。

 制服の上に厚手の外套をまとうエルセリスは、頬を染める熱を逃がすように長く息を吐き、その白がさらさらと消えていくのを潤んだ目で見上げた。あっという間に冷え込んだ首都の空は曇りの日が多くなっており、そのうち雪が降るようになりそうだった。

(……寒くなると怪我が多くなる。筋肉が固くなるから、柔軟は念入りにするようにしないと)

 頼んだ品物は取り寄せる必要があったが、到着したらすぐに連絡をくれるとのことだった。届いたらどう行動すべきか一度想像して、エルセリスは帰路についたのだった。


 冷え込みが厳しくなるある日、公署の警備兵に挨拶をして聖務官執務室に向かっていると、廊下の奥から降るような歌声が聞こえてきた。

(アトリーナだ)

 発声練習代わりなのだろう、聖夜にちなんだわらべうたを高音域で歌っている。思わずうっとりするような歌声で、寒々しい廊下で遠くから響くそれを聞くのは贅沢な時間だった。

 聖夜の祈祷祭では、聖務官の祈りは毎年の持ち回りで行われる。

 一昨年がエルセリス。昨年はネビン。だから今年はアトリーナだ。そんなわけで、彼女は毎日練習のために早番と称して出仕し、体調を整えるために定時で帰宅するようになっていた。

 再活性化事業の後、アトリーナはどこか変わった。俯瞰するようにして淡白に周囲を眺めていたとげとげしさが少し薄れた気がするのだ。それが歌にも表れていて、時折傲慢にも思えた高い歌声は感情豊かに、妖艶にも優美にも響く。

(楽しみだなあ、祈祷祭のアトリーナの歌)

 一曲聴き終えた後、立ち去りがたい気持ちを振り切って仕事に行く。だが聖務官執務室には誰もいなかった。

「あれ? ネビン、まだ来てない……、わけじゃないのか」

 彼の机には杖の舞を記した舞書が広げられたままだ。何か調べ物をしようとして席を立ったという感じだった。

(盗られて困るようなものは置いてないけど不用心だなあ。そんなに慌てて出て行かなくちゃならなかったのかな?)

 たとえばエドリックからの呼び出しとか。あの人ならネビンの事情なんて無視して引っ張っていきそうだった。

 とりあえず仕事を始めようと席に着くと同時に扉が開き、長いため息をつくネビンが現れた。誰も部屋にいないと思っていたらしく、エルセリスに気付くなり、がきん、と音を立てそうなほど固まってしまった。彼がちょっと挙動不審気味なのはいつものことなので、エルセリスはにこやかに挨拶を口にした。

「おはよう、ネビン。部屋、鍵かけてなかったけど、何か急な呼び出しでもあったの?」

「あ、あ、あ……! えっと、ええっと……!」

 しかし今日はいつにも増して様子が変だ。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です……! ちょっとびっくりしちゃって……おはようございます、エルセリスさん」

 何度か深呼吸して少し落ち着いたらしい。けれどまだ心臓がうるさいのか、胸を押さえながらぎこちない笑顔を浮かべている。

「びっくりさせてごめん。お茶淹れようか、差し入れ買ってきたから」

「わ、マフィンですか? わざわざすみません……」

 手伝いますと申し出てくれたので、お湯をもらいに行ってもらい、お茶を淹れる。そうしているうちに疲れた顔をしたアトリーナがやってきた。

「あら、いい香り」

「お疲れさま。ちょうどお茶にするところだよ」

「ありがたいわ。喉を使ったし、疲れたから糖分が欲しかったのよね」

 エルセリスがマフィンの載った皿を差し出し、ネビンが湯気の立つティーカップを置いた。アトリーナはまるで傅かれる王女のようだった。

「調子はどう?」

「予定外の仕事の後にしてはまあまあね。当日には仕上がっているから心配しなくてよくってよ」

「さすがアトリーナさんですねえ……」

 だからこうしてお茶をする余裕があるわけだ。優雅にカップを持つアトリーナにネビンが羨望の目を向ける。

 ネビンもまたあの事業以来、前よりも後ろ向きになることが少なくなった。しかし自信満々に振る舞うことは性格上出来ないようで、一歩引いた謙虚な姿勢は変わらないままだ。

 そんな視線に気づいているのにアトリーナの発言は厳しい。

「私たちは自己管理が仕事でしょう。本番に怯えてがたがた震えるよりも、ひとつでも失敗する要素を潰していく方が建設的というだけよ。それでも不安になるなら心の問題だから別の対処をすればいいだけ。気持ちが落ち着くようにお茶を飲むとか、時間が過ぎるのを待つのも手ね。時間はどうしようもなく過ぎるし、そうすれば否応なしに本番になるのだし」

「でも、何もしない時間って、焦らない?」

 たとえば相手の返答を待つとか本番まであと一時間などという状況になったとき、自分ではどうしようもない、何もしなくてもいい時間が発生するときがある。返答は相手が答える準備ができなければ聞くことはできないし、本番まであと一時間で練習もできないなら待つしかないというときだ。

 何もすることがなくて待つしかないとわかっていても、エルセリスは焦る。そわそわと落ち着かない気持ちを持て余して、無駄に歩き回ったり、読む必要のない資料を何度も読んだりしてしまう。

「焦るかもしれないけれど『何もしない』と割り切ることね。そうした時間は貴重なんだから、頭を空っぽにして周囲を見るともなしに見ればいいのではない?」

「あ、なんかわかるかも。そういうとき、いつもは気付かないことに気付くんだよね。天井に染みがあるとか、資料に誤字を発見するとか」

 そうするとちょっとだけ気持ちが落ち着くのだ。別のことを考えることができるようになるからかもしれない。

 エルセリスが笑っているとアトリーナは小さな子どもを見るように優しく眉尻を下げた。エルセリスの無頓着な無邪気さに呆れたけれど何も言わない、よく見せる顔だった。

 するとネビンが「あっ!」と声を上げた。

「そういえば、エルセリスさんに渡すものがあるんでした。これなんですけど……」

 エルセリスはずっしりと重い紙の束の表紙を読み上げた。

「『贈答品目録』……?」

 アトリーナが不審そうな顔をする。

「何なの、これは」

「父からなんです。『ガーディラン聖務官に渡してくれ』と。『贈り物ならうちを贔屓にしてほしい』と言われたんですが最初はよくわからなくて……後から気付いたんですけど、閣下に聞かれたときは返事のしようが」

「『閣下』?」

 この公署においてその呼び名が指す人物はひとり。

 エルセリスは眉を寄せて尋ねた。

「どういうこと? オルヴェイン……閣下がこれとどういう関係があるの?」

「あっ、いや……っ! その、た、たまたま閣下にお会いする機会があったときにちょうどそれを持っていたので説明しただけです! ただの目録ですと答えました」

 なんだか気になるが深く問いかけるにもきっかけが見出せず、ふうんと言って目録を開いた次の瞬間、エルセリスは硬直した。

 それを見たアトリーナが身を乗り出して紙面に目を走らせていく。

「なあに、これ。目次までついているの? ……『懐中時計』『筆記具』『マント留』『装飾品』……装飾品のところ、しるしがついているわね。『う」

 アトリーナが読み上げる寸前、エルセリスは勢いよく目録を閉じた。頭の中では疑問がぐるぐる回っている。

(私が贈り物を買ったことが漏れてる!?)

 ネビンの実家は商売をやっている。手広くやっているその商いは、ウォリース一族を有名な長者にするほどの利益を生み出しているという。確かにこの耳の速さなら上客を逃すことはないだろう、けれど。

(まずくない!? ちょっとした隠密部隊並みの耳の速さなんだけど!)

「ふううん、ふうううううん」

 はっとして見ればアトリーナが頬に手を添えてにやにやにやにやしている。そして何故かネビンも顔を赤くして両手をもじもじさせていた。

 ば、ばれてる……!?

「『贈答品』ね。身分のある方にはやっぱり下手なものは贈れないわよねえ。でもいつの間に贈り物をしようなんて考えられる仲になったのかしらあ?」

 ひっとエルセリスは悲鳴を飲み込んだ。

「あああああの! これはその!」

「ええと……そういうわけで、『贈り物ならうちを贔屓に』とのことでした……」

 締めくくったネビンはすぐその場を逃げ出した。これから尋問されたエルセリスが、国を騒然とさせる決定的な一言を口にすることによって、秘密を知る者として騒ぎに巻き込まれることを避けたのだった。


 そんなわけでエルセリスはアトリーナに事情を説明した。ネビンはその場にいなかったが事情を察した上で知らないという態度を貫くことにしてくれたようだった。得難い同僚たちのおかげで秘密は広まることはなかったが、忙しなく働いているせいでエルセリスとオルヴェインがふたりきりになるところが目撃されなかったのも理由かもしれない。

 すれ違いが続く中で聖夜がやってきて、エルセリスとネビンは首都の封印塔へ赴いた。アトリーナには主役に徹してもらい、代わりに担当者を交えて会場の準備を整えていく。いつもは冷気に満ちている塔内部は、集まる人々のために火鉢が置かれて多少寒さを和らげている。それでも外套を着ていなければ身動きが取れなくなりそうなほど寒い日だった。

(あ、オルヴェインだ)

 封印塔の入り口で荷物を待っていると、白い息を吐きながら外套の裾を揺らすオルヴェインと王宮の役人たちがやってきた。暗い色調の制服は、彼らが重役であることを示している。きっとオルヴェインが案内役として付いているのだろう。

 道を譲って控え、通り過ぎるまで頭を下げる。

 役人たちは見向きもしなかったが、オルヴェインがちらりとこちらに視線を注ぐのを感じた。

 だが暖かさを求めてせかせかと足を進める役人たちを放っておくわけにもいかず、彼はそのまま急ぎ足で中に入って行ってしまった。

 顔を上げて息を吐き出す。長く白い息は目の前を曇らせる。

 惜しいな、と思った。多分毎日を忙しくする者にとって、会いたい人とすれ違うというのは奇跡みたいなことなのに、立場を思うあまり声をかけることができなかった。惜しいことをしてしまった。

「今年も聖夜なのに仕事ですね……」

 気遣うようにネビンが言って、エルセリスは微笑んだ。

「まあ今日の仕事が私たちの一年の総仕上げってところだから。ネビンは仕事が終わったらどうするの?」

「実家が料理と贈り物を送ってくれているので、それで過ごします。エルセリスさんはえっと……、だ、誰かにお、贈り物とかしないんですか?」

「……ん?」

 エルセリスは微笑んだ。優しく柔らかに「なんのことかな?」と問いかける風に。

「あっ、すみません忘れてください!」

 怯えたようにきゅっと肩をすくめたネビンが慌ててそう言ってくれて、エルセリスは内心安堵のため息をついた。

(よかった……深く突っ込まれなくて)

 そうして押さえる胸元には、店から受け取ってきた例の品がある。

(うう……言えない、実はオルヴェインに贈り物を買ってあって、いつ渡そうか機会をうかがっているなんて……)

 典礼官長官として列席しているオルヴェインだが、お偉方の相手に追われて話すこともできていない。首都に戻ってきて最初の聖夜、彼がどのように変わったのか有力者たちに知ってもらうためには利用しない手はないだろう。

 会えないことを寂しいと言うつもりはない。それが仕事なのだし、いまのエルセリスは自分の足で立てなくなるほど弱っているわけでもないから。

 だからこそ、ちょっと姿が見えるだけで嬉しいし、会えない間何をしていたのだろうかと想像する楽しみに変えることにした。

 暗くなる空を見上げてそろそろ戻ろうかと告げたエルセリスは、気づかなかった。ネビンがずっと何か言いたげにしていて、エルセリスの促しにごくんと言葉を飲み込んだことに。


 アトリーナの歌は素晴らしかった。

 祈祷祭は大成功に終わり、主役たるアトリーナをはじめとした奏官たち典礼官はその後集った人々に祝福のろうそくを授けるために封印塔に残り、エルセリスとネビンは片付けを終えた後は直帰してよいという通達を直属の上司から受け取った。

 家で過ごすと言っていたネビンは同年代の奏官たちに捕まっていたので、飲みに行くかみんなを家に呼ぶかどちらかになるのだろう。

(明日の出勤、大丈夫かなあ)

 まあいい歳なのだし羽目をはずすことはないだろう……と考え、エルセリスは封印塔のある公園を出たエルセリスは、自宅に足を向けるのではなく、再び公署に亜氏を踏み入れた。

 警備兵には「おや?」という顔をされたが用事があるふりをして、人気のない廊下を静かに歩く。それでも靴音が響くのは、後ろめたいことをしようとしているせいだろうか。

(別に悪いことするわけじゃない。ちょっと長官室を開けてもらって、贈り物を置いていくだけだから)

 同じ職場にいても仕事の内容はまるで違う。エルセリスは現場、オルヴェインは管理職として指示を与えるのだから、今日のような行事ごとではオルヴェインは長官としてしかつめらしい顔をしていなければならず、エルセリスが気軽に話しかけられるわけがない。それに王子の務めは第一王子のアルフリードが一手に担っていたが、戻ってきたいまではオルヴェインもその責務を担わなければならない。

 そういう立場の人を好きになった。――だから仕方ない。

 事務室に行って当直の人に断って、長官室の鍵を受け取った。

「まさかガーディラン聖務官までもとは思いませんでした」

 鍵をもらうときにそう苦笑されたのだが、意味がわからないまま部屋を開けて、理解した。

 暗闇の中でもわかるうず高く積まれた、贈り物の山。

 絶句し、呆然とし、笑おうとしてできなかった。ひくりと唇の端が震え、そんな自分に嫌気がさして額を押さえる。

 すっかり忘れていた。多少おかしな点はあるものの、オルヴェインの評判は上々であること。

(これ全部典礼官かなあ。職権乱用だ。私も人のことは言えないけど)

 鍵を使える者に贈り物を託しておいた者たちが大勢いたらしい。ふんわりと香る花は一種類や二種類ではなく、なんだか、大きく肩を落としてしまった。

 いまのオルヴェインなら、きっと礼を言って、お礼状なんかも送って感謝を伝えるのだろうな、と思うと、自分のその一人になるのがほんの少し悔しかったのだ。

(いやいやいや。だめだめだめ。『特別』は求めない! 私の好意は、特権が欲しいからって歪ませちゃだめだ)

 目を閉じしゃっきりと姿勢を正し、贈り物の山の上――いちばん上にしようと考えたのは恋人の矜持だ――に外套の中に隠していたそれを置こうとして。

「エルセリス?」

 両手を離してしまったため、箱が落下する音が大きく響いた。

 ぎこちなく振り返れば、顔をしかめたオルヴェインがいる。

「こんなところで何してる。直帰したんじゃなかったのか」

「そ、れはこっちの台詞なんですが」

 おそらくこれから晩餐会だろうにどうして職場にいるのか。

 灯りもつけずに……と言いながら部屋に入ってこようとするので慌てて止める。

「ちょ、ちょっと待って!」

「ん?」

 だが遅かった。彼は机の上に積まれたものを不審そうに眺めた後、信じられないものを見るかのように目を丸くした。

「贈り物……俺にか……?」

 そうだよお前にだよ! と言いたい気持ちをこらえて、エルセリスはオルヴェインを外に押し出した。扉の外に出しきった後は、自分の贈り物を回収するのを忘れない。箱はさっと外套の合わせの内側に隠して腕を組んだ。

「ご用事があるなら早めになさってください。この後晩餐会なんでしょう?」

「何を苛々しているのかわからんが、まあ、言うことに従おう」

 彼は外套の合わせから箱を取り出した。

「ん」

 細長い箱を彩るリボンには見覚えがある。大きく焼き付けられているのは、他都市の有名な宝石店の意匠だ。

「…………?」

「ぼうっとすんな。お前にだよ」

 は、とエルセリスは口を開けた。

「お、贈り物!? 私に!?」

「そうだよお前にだよ」と先ほどの構図を逆転させて、オルヴェインは笑った。

 顔がかあっと熱くなり、さまよう目が熱を発して溶けてしまいそうだった。

 まさか用意してくれているとは思わなかった。

 なかなか受け取らないエルセリスの前で箱をゆらゆらと上下させて、オルヴェインは待っている。

 観念したエルセリスは外套の合わせから手を出し、彼の贈り物を受け取らないでいたかを明かした。

 ずっと隠していた右手に持っていた、彼への贈り物を差し出す。

「……はい」

 変だな、素直なのは私の特権なのにな。

 説明もなく箱を差し出してしまった自分が恥ずかしくて視線を外していると、くすりと笑みをこぼしてオルヴェインは言った。

「じゃあ交換だな」

 そう言って入れ替わりに受け取った箱は、見た目に反して結構重い。

「開けていいか?」

「っ、あ、うん! 私も、開けていい?」

 もちろんだと言われてリボンを解く。包み紙を剥くと想像通り、布張りの箱が出てきた。何が出てくるのか恐ろしいけれど、意を決して蓋を開けた。途端、薄暗がりの中でもはっきりとわかる輝きに魅入られる。

 金と銀の小さな花びらに、小さな真珠と青玉をあしらった小さな耳飾り。それに合わせた、レースの輪に時計草のような金銀細工の飾りをあしらったチョーカーが入っていた。

「これ、腕輪(バングル)か?」

 同じように箱を開けたオルヴェインが言って、慌てて頷いた。

「う、うん。普段はあんまり装飾品なんて着けられないかもしれないけれど、着けたとしてもあんまり目立たないものを、と思って……内側に聖句が彫られてるんだ。お守りになったらいいんだけど」

 純銀でできた素朴な腕輪だ。聖句以外に、表面の彫刻は男性が身につけても派手にならないよう控えめにしてもらっている。

 世界を呪う術師に呪われて命を縛られたことのあるオルヴェインだった。いまはそのくびきから解き放たれたはずだけれど、やはり安心の材料となるようなものをひとつ贈っておきたいという思いからの、贈り物だった。

 説明を聞きながらオルヴェインはそれを自身の左腕にはめた。袖口から覗く銀色の輝きにオルヴェインは笑みを深めて、エルセリスにそれをかざして見せた。

「似合うか?」

「うん」

 よかった、と胸をなでおろす。突き返されなくて本当によかった。

 そうしてエルセリスが贈られた耳飾りとチョーカーを見ていると、オルヴェインが説明してくれた。

「お前の聖務が剣舞だから、もし身につけても邪魔にならないものを、と思ってな。耳飾りだけだと格好がつかん気がして、公にも合わせてつけられるように首飾りも頼んだ」

「耳飾りだけで十分嬉しかったのに」

「ふたつあってもっと嬉しいなら、上出来だ」

 エルセリスは小さく噴き出し、もらった耳飾りをつけようと試みた。オルヴェインが箱を持ってくれて両手が使えるようになる。

 耳飾りはぬくもった耳たぶにはひんやりと感じられたけれど、自分の耳を飾るそれがどんな風に見えるかを思うと、冷たさなんてすぐに忘れた。

「耳に沿う形だね。すごく嬉しい。揺れものは綺麗なんだけど、仕事中は動くのが気になってあんまり着けられないから」

「それ、普段から着けろよ。お前、仕事中はずっと髪をまとめてるから、これなら人目につくと思って選んだんだ」

 えええ、と抗議の声が出る。

「宝石がついてるものを普段使いにはできないよ。私が普通の貴族ならまだしも、一応役人なんだよ?」

「いや、絶対着けろ。少なくとも一ヶ月」

 なんで一ヶ月、と思いながらもしぶしぶ頷いた。別にそれが仕事や私生活に影響するとは思えなかったからだ。

 ずいぶん長く話し込んでしまったので、急いで事務室に鍵を返しに行く。エルセリスがオルヴェインと話し込んでいると思っていたらしく、彼が顔を覗かせると「お二方とも、今日は冷えますので暖かくしてお過ごしください」と声をかけてくれた。

 公署を出るべく歩いていると、ふわっと白いものが視界をかすめた。顔を上げて、わ、と声を上げる。

「雪だ」

 闇の中から浮かび上がるようにして姿を現した白い雪が、地表めがけて落ちてくる。少し水っぽいらしく、地面に到着すると濡れた音がささやきのように響いてくる。

 公署の広い芝生に吸い込まれていく雪を見ていると、オルヴェインが突然言った。

「全部送り返すからな、あの贈り物の山」

 不意を突かれてまばたきすると、自嘲するように彼は笑う。

「嫌われ者の俺に、と最初は感動したが、受け取る理由がない。礼状を書くのも面倒だしな」

「受け取りなよ。私のことなら気にしなくていいよ。あ、でも贈賄ってことになっちゃうのか……?」

「そういうことだ」と言ったのであの山は明日から順次返送されていくのだろう。現金ながら、もったいないような、言いようのない気持ちになる。

「……私のは賄賂じゃないからね?」

「知ってるよ。これは『恋人からの贈り物』って言うんだ」

 びくんと固まった隙をついて、オルヴェインの唇が頬をかすめた。

 闇に浮かぶ雪の白さのように、彼の瞳の中に小さな光が瞬く。

「……これは『恋人へのキス』の、軽いやつな」

「かっ。……かっ……!?」

 かっ、かっ、かっ、と鳴くのが下手な鴉のように声を詰まらせるエルセリスの頭をぽんと撫でると、オルヴェインはさっさと歩き始めてしまった。

 大きくて広い背中だ。いつもそうだった。彼はエルセリスより少し大きくて、力も強くて、なかなか触れられない心を持っていた。遠く感じたこともあるし、自分から永遠に遠ざかるつもりで距離をとったこともある。

 でもいまは走って追いつける。

 彼のそばを走り抜けたエルセリスはくるりと振り返って言った。

「聖夜おめでとう、オルヴェイン。一緒にいられて、すごく嬉しい」

 オルヴェインは息を飲むようにして立ち尽くしていたが、ゆるゆると表情を崩すとそれに応えた。

「おめでとう、エルセリス。お前がいて、よかった」

 公署を出て、オルヴェインは王宮へ、エルセリスは帰途につく。

 また明日と別れて、そう言える幸せに笑った。そんな風に思えるうちは寂しさに捕まることはないのだと、自分の心の強さを確かめて、懐にある贈り物を大事に抱えるエルセリスだった。


 翌日、オルヴェインは手隙の典礼官に贈り物を返送するように命じ、さらに長官室に勝手に立ち入った者を厳重注意する。そしてエルセリスは言われた通り耳飾りをつけて、アトリーナにからかわれるのだが、いまはまだ、ふたりの仲は秘められたままだった。

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