第101話 雷撃
「く、押されているな」
帝国軍軽巡洋艦の艦橋にて、水雷戦隊を率いる指揮官が、額に汗の粒を浮かべて呟く。
今や彼の視線の先で、味方の戦艦は敵戦艦の砲弾の雨を浴び、火だるまとなって赤く夜の闇に浮かび上がっていた。
つい先ほどまで敵戦艦に向けて放たれていた探照灯の光の筋も、損傷のためかもう見えない。
「味方戦艦は中、大破。重巡洋艦は善戦していますが、こちらの戦艦がやられれば、砲力差で一気に押し切られる可能性が高いです。我々が何とかしなければ」
そう険しい表情でつぶやく副長に、指揮官は小さく頷きながらも、
「だが、だからこそ慌ててはいけない。我が必殺の槍を放てるのは一度きり。その機会を、見極めなければ」
そう応じる。
だがそんな彼らの乗る軽巡洋艦にも敵艦の砲弾は降り注ぎ、左右にそそり立つ水柱の衝撃に、艦は激しく揺れ動く。
そして次の一瞬、強烈な衝撃が艦全体を襲う。
――艦中央水線付近に被弾。
もたらされる被害報告。
彼らの乗る軽巡洋艦はこれまでにもすでに2発の小型砲弾を被弾しており、損害は確実に累積しつつあった。
また率いている水雷戦隊全体としてみても、探知装置の性能の有利のみでは数の差を補いきれず、砲撃戦は劣勢であった。
そんな状況を見てとり、将校の一人が、
「し、指揮官、このままでは魚雷を放つ前に発射管が被弾する恐れがあります。そうなれば魚雷を発射できなくなるだけではなく、最悪誘爆する恐れも出てきます」
そう険しい表情で懸念を口にする。
だがそれでも、指揮官は首を横に振り、
「まだだ、まだ早い。ギリギリまでひきつけよ」
そう指示を飛ばす。
だがその直後、後方から爆音が響き渡ったかと思うと、後続する軽巡洋艦の後部から炎と黒煙が立ち上る。
――軽巡カグラ被弾。魚雷発射管一基旋回不能とのこと。
もたらされる報告に、将校は咎めるように指揮官を見る。
だがそれでも、指揮官は険しい表情を浮かべて唇をかむのみで、指示を翻すことはない。
すると程なく、
――敵艦まで距離7000、距離7000。
見張り員からもたらされる報告。
その言葉を聞き、ようやく指揮官は大きく頷くと、
「全艦、魚雷発射用意!」
そう指示を飛ばす。
ようやく、待ちに待った瞬間がやってきた。
下された指示に、雷撃担当の将兵はそれぞれ万感の思いを胸に、長い決戦の中の、何よりも長いこの一瞬に、全神経を集中する。
程なく、それぞれの艦に搭載された5連装魚雷発射管が残らず敵艦に向けられ、照準を合わせる。
「巡洋艦以下の艦艇にさえぎられて戦艦は狙えません。敵巡洋艦を狙います」
水雷長の言葉に、指揮官は頷く。
「目標、先頭の敵巡洋艦。距離6500。放て!」
号令一下、発射管から一斉に射出される魚雷。
程なく、後続する帝国軍艦艇もまた、搭載された魚雷を残らず敵艦に向けて発射する。
この時帝国軍水雷戦隊全体で発射された魚雷の本数、実に80本。
発射された魚雷は敵艦を逃さぬよう扇状に広がると、夜の闇にまぎれ、水面下から敵艦に迫っていく。
「命中まで、残り約2分」
もしこの攻撃が失敗すれば、帝国艦隊に逆転のチャンスはない。
時計を手に、水雷長は固唾をのんで戦況を見守る。
その間にも、光神国艦隊の砲撃は砲力に劣る帝国艦隊を襲い、戦局は見る間に劣勢に傾いていく。
――駆逐艦ヤナミ被弾、炎上。
――駆逐艦ハルマ、砲塔損傷中破。
――軽巡カグラ、被弾多数。これ以上は持ちこたえられません。
次々ともたらされる被害報告に、副長は唇を噛み、
「く、魚雷はまだか、そろそろじゃないのか?」
イラ立ちを隠せない様子で問いかける。
そんな中で、水雷長は冷や汗を流しながらも手にした時計の文字盤から視線を敵艦隊へと向け、
「……そろそろです」
そう呟く。
その言葉に、将兵はそろって視線を敵艦隊へと向ける。
だが敵艦隊に異変は現れない。
「……しくじったか?」
水雷長の呟きに、蒼白となって唾を飲み込む将校達。
そんな彼らの視界を敵艦付近から放たれたまばゆい閃光が覆ったのは、次の一瞬の事だった。
ほぼ同時、はるか敵艦隊から伝わる猛烈な衝撃と、落雷にも似た轟音。
閃光と衝撃、轟音はその後も敵艦隊方向から立て続けに巻き起こり、その一瞬、夜の闇を払う程の閃光の中に、敵艦とそれを包み隠すほどの巨大な水柱が、シルエットとなって浮かび上がる。
それはわずか30秒ほどの間の出来事だった。
やがて閃光と衝撃が収まった時、視界に映し出された光景に、帝国軍将兵は息をのんだ。
夜の海を明々と照らし出す炎と、それを霞ませる猛烈な黒煙。
炎は金属製のはずの敵艦の船体を包み込み、勢いよくこれを溶かしむさぼる。
ある艦は真っ二つに裂け、船腹をさらして海面を漂い、またある艦は艦首をすっかり失い、火だるまとなりながら必死に後退し、微速で戦場からの離脱を図る。
海面では海に投げ出された船員が必死になって船の残骸にしがみつき、その命をつなごうとする。
そしてある1隻の敵艦が、今まさに艦首を水面上へと高く持ち上げ、艦尾方向から暗い浪間へと没していく。
直後戦場に響き渡る、金属製の船体の軋み裂ける轟音。
それは艦の断末魔であり、伝説に伝えられる海の怪物が、炎と夜の闇となって艦を呑み、暗い海へと引きずりこむ、そんな光景を思わせるものだった。
「――金属製の艦が、あんなによく燃えるものか……」
地獄という言葉すら生ぬるい、そんな光景を目の当たりにし、思わずつぶやく副長。
「これが新兵器、酸素魚雷の威力」
威容を誇り、つい先ほどまで帝国軍を苦しめ続けていた光神国の大艦隊。
それにごく短時間の内に大打撃を与え、混乱のるつぼへと追い込んだ。
そのあまりの威力と視界に映し出された惨状に、指揮官は頬に一筋の汗の粒を伝わせ呟く。
もし魚雷攻撃が失敗していたならば、あるいは酸素魚雷の開発が間に合っていなかったなら、自分たちがああなっていたかもしれない。
いや、もしかしたらあれは、未来の自分達の姿なのかもしれない。
脳裏をよぎる考えに、背中に冷たいものが走る。
だが今は、感傷に浸っている場合ではない。
「戦況を報告せよ」
場を仕切りなおすように、指揮官は毅然と言い放つ。
その言葉に将兵ははっと我に返ると、またそれぞれの役割を全うすべく動き始める。
――て、敵艦隊に魚雷複数本命中。少なくとも5本以上が命中したものと思われます。
――敵巡洋艦1隻撃沈確実。同2隻撃破、戦線離脱。駆逐艦2隻撃沈ないし撃破。
――敵艦隊は被雷した艦との追突を避けるため各艦が左右バラバラに回頭、陣形は大きく乱れ、混迷の様相を呈しております。
次々もたらされる報告。
夜の闇と猛烈な黒煙、沈んだ艦の残骸に遮られ詳しい戦況は不明ながら、敵艦隊が帝国軍の酸素魚雷により大損害を受け、混乱していることは間違いなかった。
そんな状況を確認し、指揮官は頷くと、
「よし、これより我らは敵艦隊の進路を遮る航路をとり突撃、敵艦隊に機雷戦をしかける。雷撃で大打撃を与えたといっても、敵はまだ相当の戦力を残している。この機を逃すな!」
そう指示を飛ばす。
雷撃によって大打撃を受けた光神国艦隊だが、健在な艦の数は未だ帝国艦隊より多く、強力な戦艦が3隻も残っている。
対する帝国側はほぼ全ての魚雷を使い切っており、損傷艦も多く、戦力的には今なお不利な状況。
このため戦局を完全に覆すことができるかどうかは、光神国艦隊が混乱しているこの機に乗じて、どれだけ戦果を拡大することができるかどうかにかかっていると言えた。
そんな指揮官の指示に、帝国軍将兵はその意図を理解すると、それぞれ精悍な表情を浮かべ動き始める。
間もなく帝国艦隊は右方向に回頭、敵艦隊の進路を遮る航路をとり、突撃を始める。
だが程なく、突撃を始めた帝国軍水雷戦隊の前方にそそり立つ、それまでとは比べ物にならないほど巨大な水柱。
「敵戦艦発砲、目標を我々に切り替えたようです」
もたらされる見張り員の報告。
それまで味方戦艦が囮となり吸収してくれていた敵戦艦の砲撃。
それがこちらへと向けられている。
戦艦と違い水雷戦隊の軽巡洋艦や駆逐艦にはほとんど装甲がなく、戦艦の大型砲弾など被弾すればひとたまりもない。
だがそれでも、
「そそり立つ水柱に向かって舵を切れ、一度砲弾が落ちたところに二度砲弾は落ちない。ここで一気に勝負を決めるんだ」
副長はそう攻撃的に指示し、降り注ぐ砲弾とそそり立つ水柱に向かって舵を切る。
朝から続いた一大海戦もいよいよ大詰め、戦艦等の大型艦を支援する補助艦艇と呼ばれた小型艦艇が、激戦の勝敗を決しようとしていた。
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