第62話 再会

 丘の麓、つい数時間前まで光神国軍が守っていた陣地から、帝国軍の歓声が上がる。

 

「勝った……のか?」


 穴の開いた城壁から麓の陣地を見下ろし、僕は思わず呟く。


「――そうね。けど、そう思うのはよくない。そんな時こそ、よくない事が起きるから」


 背中からかけられる、安堵と不安がないまぜになった、それでも僕を気遣った優しげな声に、僕は背後を振りかえる。

 そこにあったのは、傷の手当てを終え、体のあちこちに赤く染まった包帯を巻きながらも、未だに鎧を身に着け、盾と槍を手にしたままの出で立ちのエイミーの姿。

 城内の兵は見張りを除いた多くが武装を解き、鎧を脱いだ今となっても、彼女の表情から緊張が消えることはない。  

 鎧や武装の重量と体への負担を考えれば、いつまでも身に着けていては体が持たないのは目に見えている。

 休むべき時にはしっかり休む、その時を判断できるのも実力のうち。

 それを理解していないはずがない彼女が今だ武装を解いていないということは、


「まだ危機は去っていないってこと?」


 問いかけに、エイミーはわずかに表情を曇らせ、


「根拠はないの。けれど私――勘も判断材料だと思ってるから」


 そう答えて、槍の柄を一層強く握りしめる。

 歴戦の彼女の勘だ、気を引き締めた方が良いのだろう。

 実際問題、僕はブルゴスの城内への侵入に気づく事ができなかったのだ。

 そう考えた時、


「そう言えば、ブルゴスはどうやって城内に?」


 僕の呟きに、エイミーもまた深刻な表情を浮かべて頷き、


「私もそれを考えてた。城内への敵の侵入に気づく事ができないなんて、本来なら絶対にあってはならない事。それを防ぐために探知の魔術を幾重にも重ね、目視の警戒にも十分力を入れていたはずなのに」


 そう強い懸念を滲ませ答える。

 あの時、確かに城内は混乱状態にあった。

 とはいえ、エイミーを始めティアさん、その他多くの実力を持った者が城内にいながら、誰一人侵入に気づく事ができなかった。

 一体どうやって?

 もし自分なら、どうやる?

 

「魔術的探知に引っかからないようにするには、探知で放たれる魔力の波を吸収するか、あらぬ方向に反射させるか、逆に魔力の波を発して妨害するか。でも魔力の波を発して妨害すれば、魔力の発信源を逆探知され、いつかは気づかれる。吸収したり反射させたりする技術は、僕しか知らないと思っていたけれど……。それに仮にその技術を知っていたとして、目視の警戒を逃れることはできないし、それを逃れるために魔術を使ったら、その魔力を逆探知される。魔術を用いない迷彩と合わせて、必要最小限の光学魔術を駆使すれば……でもそれにしたって、すさまじい技量と知識がいるはず……」


 僕は考えたことをそのまま言葉にして呟く。 

 するとその言葉を聞き、エイミーは突然、はっとした表情を浮かべ、


「でも逆に言えば、それがあれば不可能ではないという事。それに光学魔術に精通した者が十分な対策を講じて来たなら、優秀な逆探知でもかなり接近しないと気付くのは難しい」


 そう深刻な声で呟く。

 するとその時、


「……なんだ、故障? いや――、逆探に反応、正面門前50メートル以内!」 


 城内に響き渡る、設置された逆探知装置を操る魔術師の叫び。

 その声に、城内の将兵の半数ほどは表情をこわばらせ、だが残り半数ほどは、機械の故障か何かの間違いだろうと、それまでと変わらない様子を見せる。

 

「正面門に敵? 50メートル以内? もし本当なら気づかないはず……」


 そう、正面門付近で警戒に当たっていた兵が、めんどくさそうに呟きながらも門の前を確認し、


「……いや、まさか――」


 呟くのと、門の外に黒い閃光のようなものが瞬くのは同時だった。

 次の一瞬、木製の城門の中央に、突如黒い染みのような影が浮かび上がる。

 それから数秒、染みは徐々に範囲を広げ、程なく門全体を包み込む。

 そして数秒の内、今度は門全体が大きく歪んだかと思うと、やがて炎にあぶられた飴細工のように、城門はたやすくひしゃげ、地面にまで広がった影の深淵に溶け堕ち沈んでいく。

 

――魔術で幾重にも防御された城門を、一瞬で!?

――緊急事態だ、赤の狼煙のろしを上げろ、急げ!


 城内に響き渡る将校の指示。

 数秒の内、狼煙台からあげられる、赤色の狼煙。

 だがティアさんが戻ってくるのを待っている余裕はない。

 

「ーー!」


 声にならない叫びと共に、唇をかみしめ、エイミーが城門の前へと駆けだす。

 だがガウギヌスとの戦いで疲弊したエイミーに、残された余力は少ない。


「まっ、待ってエイミー!」


 そんなことを言って止まる彼女ではない。

 僕が付いて行っても足手まといになるだけかもしれない。

 そう考えながらも、気づけば僕は彼女の背中に手を伸ばし、その後を追っていた。

 止まることができないのは、僕自身よくわかっていた。

 

 そうして崩れた城門の前に集まるエイミーと僕、腕自慢の帝国兵達。

 崩れた城門の先に視線を向ければ、その先には黒い霧とも表現すべき闇が一帯に広がり、視界を包んでいる。

 それから数秒、霧の向こうから響いてくる、乾いた足音。

 それは小さな音なのに、足元から響き渡るように、僕の体を震わせ、心を掴む。

 それはだんだんと大きく、僕たちの元へと近づき、やがて霧の向こうに、人影が浮かび上がる。

 瞬間、全身を走り抜ける何か。 

 それは悪寒のそれに似て、だがなぜだが冷たくない、むしろ暖かいとすら感じる。

 エイミーと帝国兵が、決死の覚悟と共に得物を構える。

 だか影はわずかも歩みを緩めず、むしろ歩を速めるように近づいてくる。

 エイミーや他の帝国兵達に目もくれず。

 真っ直ぐ、僕に向かって。

 

 そして程なく、霧のベールを脱ぐようにして、人影はその全容を現す。

 そしてその一瞬、心を直接斬り裂かれるような、痛みに似た切なさが、僕を襲う。

 きっと皆、同じ思いに駆られたのだろう。

 誰もが彼女の姿を見、息を飲んだ。

 元はそれこそ、エイミーに負けないくらい、美しい人だったのだろう。 

 それ程に彼女の顔立ちは、今でも整っている。

 加えて特徴的な長く尖った耳、人間の女性の平均よりかなり高い170センチを超える身長は、エルフ族の血を引く者の特徴を示している。

 灰色をベースにした迷彩柄のマントの下に覗く緑色の衣装も、エルフ族が好むものだ。


 だが、だからこそ、見る者は皆、心を痛めずにはいられなかった。

 それ程にその人の姿は、痛々しいものだった。

 その人の年齢は、僕と同じくらい。

 だというのに、元は金色で美しかったのだろう腰辺りまで伸ばした髪は、何十年という時を重ね老いたかのように痛み、色を失って白髪となっている。

 肌色も、元はもっと生気のある、薄い黄色を帯びた色だったと思われるが、今は全く生気のない、病的な白色。

 瞳は全く光の無い、闇を湛える。

 そして最も特徴的なのは、右頬と首の左の根元、そして右足首に広がる不気味な漆黒の痣。

 その痣からは地割れのようなギザギザの影が四方八方に伸び、その体を蝕んでいるように見えた。


 懐かしい。

 不意に僕を襲う感覚。

 だが直後には、おかしいと気付く。

 僕は彼女の事を知らない。

 間違いなく初対面だ。

 なのになぜ、懐かしいなどと感じる?

 おかしい、そんな風に戸惑う内、目尻からあふれ出た何かが、頬を伝うのを感じる。

 不意に袖で拭えば、僕の袖は確かに濡れている。

 なぜ? いくら痛々しくても、僕は初対面の相手に涙を流すような感受性なんて持っていないはず。

 一体どうなってる? 僕はどうしてしまったんだ?


 そんな風に戸惑っている内にも、女性は歩みを止めず、脇目も振らず、真っ直ぐ僕に向かって歩いてくる。

 

「止まれ!」


 エイミーが槍の切っ先を女性に向け叫ぶ。

 それに同調するように、他の帝国兵も得物の切っ先を女性へと向ける。

 だが女性はそれでも、歩みを止めない。

 エイミーはそれを見、口を真一文字に食いしばると、女性の前へ、立ち塞がるように進み出る。

 その時になって、女性はようやく、ゆっくりと歩みを止める。

 だがエイミーの行動を見て足を止めたのではないことは一目で分った。

 なぜなら彼女の瞳は、一瞬、一度たりとも逸れることなく、今この時も僕の瞳を覗いて、離れなかったから。


 一陣の暖かい風が、僕たちを撫でる。

 その一瞬、闇を湛えた彼女の瞳に、光が瞬いたような気がした。

 風に舞い上がった塵が目に入り、僕は目蓋をしばたたかせる。

 そしてもう一度、僕は彼女を見る。

 だがそこには、元の光の無い闇を湛えた瞳があるだけだった。

 そして一拍の後、彼女はなぜだか少し唇をかんだのち、明らかに作られた笑みを浮かべ、口を開く、


「初めまして。私は光神国軍技術中将にして、海洋の神ゾルデンの第三の妃、シェミナ。あなたがバームさんね、突然の来訪で驚かせてしまってごめんなさい。でも一刻も早く、あなたに伝えなければならなかった」


 彼女はそう、敵とは思えない丁寧な物腰で、優しく語りかけてくる。

 初めまして、ということは、やはり初対面、先ほどの感覚は、何かの間違いだったのだろう。

 そう一瞬前までの戸惑いにけりをつける僕、

 だがそんな僕の思考を待つことなく、彼女は続けて、僕に言う。


「大いなる光の神を始め、我々光神国はあなたの力を求めています。今からでも遅くありません、我々の力になってはくれませんか?」


 放たれた言葉に、僕は思考の整理が追い付かず、目を丸くする。

 敵の城内に直接乗り込んでの、あまりに大胆な引き抜き交渉。

 だがこの再会が、そんな単純なものではないことを理解していた者は、この時この場に、たった一人しかいなかった。

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