第11話「出会い」

「ソーマさん! 大丈夫ですか!」

 身体を激しく揺すられて、僕は目を覚ました。朝日が目にしみる。涙でぼやけた丸顔は……タマだった。どうして、タマがこんなところにいるのだろう?

「こんなにボロボロで……リューネさんと喧嘩でもしたんですか?」

 僕は身体を起こした。いつの間にか、公園のベンチで眠りこけていたらしい。しきりに僕の身体を気遣うタマを押しのけ、僕は立ち上がった。

「ソーマさん……」

「僕に、構わないで」

 僕はタマの手を振りほど……けなかった。タマは両手で僕の腕をしっかりと掴んでいる。潤んだ瞳で見つめられ、僕は何だかとても居たたまれない気持ちになった。

「放っておけるわけないじゃないですか!」

「タマ……」

「さぁ、黒猫号に行きましょう! ボスに全てを打ち明けるんです!」

 タマは僕の腕をぐいっと引っ張った。

「ボスなら何だって解決してくれますから! もう大丈夫ですよ!」

 ……本当だろうか? こんな僕でも、希望を持っていいのだろうか?


 

 麻耶さんが用意してくれた部屋で、私は小説を書き続けていた。

 君は今も小説を書き続けているようだね。なぜだい? ……七福神君の問い。答えは今も出ていないけれど、途中で投げ出したくなかった。だから、書き続ける。

 大きく伸びをして、立ち上がる。ちょっと休憩……振り返ると、男性が立っていた。その頭に被っている変な形の帽子には、見覚えがある。この人は……。

「久し振りだね」

「どうして……」

 男性の笑顔はドキッとするほどかっこいい。だけど、私の心はそういうのとは違うドキドキで満たされていた。この気持ちは……何と言えばいいのだろう?

「あなたは、何者なんですか?」

「俺は俺だ。そして、君は君」

「七福神君みたいな人……なんですか?」

「そうとも言えるし、そうとも言えない」

「……どうやって、この世界にやってきたんですか?」

「ブーンと」

 男性は両手を広げ、左右に傾ける。……変な人だけど、まるで旧友に会ったような親しみもあって……それもそのはず、彼はで出会った人なのだから。

「……あなたは私のこと、知ってるんですよね?」

「天野空子。晴嵐高校の二年生」

 ――久しぶりに聞く、母校の名前。私は両手で顔を覆った。

「どうしたんだい?」

「……分かりません。だけど、嬉しくて……」

「水を差すようで悪いけれど、この世界も終わる」

「えっ……」

 私は顔を上げた。帽子男さん――名乗らないから、勝手にこう呼んじゃうけど――は、私の涙を指先でそっと拭う。

「ここからが、正念場だよ」

「何を――」

「答えはいつも、君のすぐそばにある。それに気づいても気づかなくても、未来は流動的だ。どう転んでも君の未来であることに違いはない。そう、違いはないんだ」

 帽子男さんは姿を消した。私には目元に指を伸ばす……拭われた、痕跡。

「何か悲しいことでもあったのかな?」

 ――今度は七福神君が現れた。その口振りからすると、帽子男さんが来ていたことに気づいていないようである。……それとも、気付いていない振りをしているだけなのだろうか? ……いくら考えたところで、答えが出るものでもなかった。

「やっと準備が整ってね。さすがに、骨が折れたよ」

「準備って――」

 七福神君は私の手を握り、じっと私を見上げた。その無邪気な顔に弟が重なり……私は戸惑う。七福神君は私の気持ちを知ってか知らずか、こう口にした。

「さぁ、一緒に行こうか。お姉ちゃん」



 ――サーバーダウン。ネストに関わる全てのサーバーが、突然停止した。

 前代未聞の大障害に、DE社のサポートセンターはついにパンク。加藤社長以下開発メンバーによる謝罪会見まで行われるという、異例の事態となった。

 加藤社長の会見からは、それがマトリョーシカの提案によるものなのか、加藤社長の独断なのか、それとも別の要因があるのか、うかがい知ることはできなかった。

 私はといえば……自分でも意外なぐらい、この事実を冷静に受け止めていた。空子ちゃんのことはもちろん心配だけれど、きっと大丈夫だと信じている自分がいた。空子ちゃんは七福神から特別な力を与えられていたから……というのは根拠としては弱いかもしれないけれど、何もないよりはましだ思う。

 ……サーバーが復旧してからが正念場だぞと、私は自分に言い聞かせる。


 昼休みになって、私は外に出た。室井君は――恐らく、障害の件で――DE社に駆り出されている。ただ、ネスト関係者にとっては緊急事態でも、部外者にとっては対岸……どころか、ゲームの火事なのはいつも通りだ。仮捜の人員が増やされることもなく……何しろ、殺人に強盗と、リアルでも事件が引きも切らないのだから。

 ふと空を見上げる。これもよく空を見上げている空子ちゃんの影響かなと、私は何だか嬉しくなった。都会のオフィス街だから、高層ビルが邪魔をしているけれど、その先には無限の空と宇宙が広がっていと考えるのは……うん、悪くない。

 ――空を横切る黒い影。飛行機にしては、影の形がおかしかった。翼はあんないびつな形をしていただろうか? 影は二つ、三つとその数を増やし、大きくなっていく。鳥……なのだろうか? 都会にあんな大きな鳥が現れるのも珍しい。 

 私の周囲でも、それに気づいた人々が空を見上げ、カシャカシャとスマホで写真を撮る音も聞こえて来て……と、ざわめきが悲鳴に変わった。私もその理由を目の当たりにしていた。……いや、私は夢を見ているのだろうか? あれは、鳥じゃない。大きくて、鱗があって、炎を吐いて……あれは、あれは!

「ドラゴン!?」

 私は思わず叫んでいた。ドラゴンは優雅に空を旋回。そこにまた一つ、新たな影が加わった。それは金属の輝きを放ち、人型をしていて、空からゆっくりと降下している。その手に持っているのは巨大な銃。それを前方に突き出し……発砲した。

 ――けたたましい騒音。ビルの外壁が無数の銃弾でえぐられ、砕けたガラスが降り注ぐ。あちらこちらから悲鳴が上がった。次の瞬間、空が激しく光った。私は顔を背ける。強烈な熱風……まるで、乾燥機の中に放り込まれたかのようだ。熱風が過ぎ去り、目を開けると……ビルが、車が、人が、燃えていた。焦げた臭い。

 私は逃げることも忘れ、震えるスマホを機械的に取り上げると、通話モードで耳に当てる。騒音に紛れ、微かに聞こえて来たのは、室井君の声だった。

「……宮内さんっ! そっちは、大丈夫ですかっ!」

「今の所はね。室井君は?」

「僕も何とか……一体、何が起こったんでしょうか、巨人の大群が――」

「こっちはドラゴンとロボットよ」

「ドラ……なんですって?」

「それと、何て言うんだっけ、あれ? 小柄な鬼。RPGで最初に出てくる――」

「ゴブリンですか?」

 ――そう、それだ。瓦礫と化したオフィス街を、縦横無尽に駆け抜けているのは、まさにゴブリンの大群だった。どこから? そんなの、分かるはずもない。

 遠目でも分かる、粗暴な雰囲気。辺りに漂う酷い臭いは、煤に埃、焼け焦げた死体や流血だけが原因という訳ではなさそうだった。人々が次々と襲われている。サラリーマンが、OLが、大学生風の男性が、女性が、老人が、子供が、犬までもが……それでも、私は一歩も動けなかった。上着をいくらまさぐっても、拳銃は見つからなかった。……当たり前だ。拳銃所持の命令は出ていないのだから。

 ――逃げないと。頭にはそれしかなかった。それでも、足が動かない。悪い夢でも見ているのだろうか? ……その方が、よっぽど現実味があった。

 一匹のゴブリンが、私に向かってきた。赤黒く血濡れた棍棒を片手に持って。ゴブリンと言えば、ゲームでも一番弱いモンスターの代名詞だ。体の大きさだって、ニホンザルを一回り大きくしたぐらいだし、ぎょろりとよく動く眼球と尖った耳は、悪戯好きの妖精という雰囲気すらあったけれど……怖かった。足が震えるほどに。小さな子供みたいに、泣き叫んでしまいたくなるほどに。

 ――ゴブリンが飛びかかって来た。両手を上げたのは、もう何も見たくなかったから。無限にも思える時間が過ぎたけれど、痛みも、衝撃も、何もなかった。

「麻耶さん!」

 名前を呼ばれ、目を開く。すると、空子ちゃんがいた。なんで? どうして?

「空子ちゃん?」

 空子ちゃんは笑顔を見せてくれたものの、すぐに表情が強張った。視線の先にはゴブリン。ギィギィと金切り声を上げ、飛び上がる。私は再び両手を上げ、視界が塞がる直前……見てしまった。ゴブリンが繰り出した棍棒の一撃を、空子ちゃんが掲げたノートパソコンで受け止めているのを。私は目をぱちくりし、腕を下ろした。

 ――戦っている。空子ちゃんが。ゴブリンと。一進一退。遠くからは、新手のゴブリンがこちらに向かって跳ねてきている。私は一歩後退り……それで足を動かせることに気付いた。目の前のゴブリンは、空子ちゃんをじっと見ている。不意に、私の足が動いた。柏崎さんに教わった護身術……すっかり忘れていたと思っていたけれど、体の方はしっかり覚えていたようだ。爪先が弧を描き、ゴブリンの飛び出た鼻っ柱を叩き折る。思った以上にゴブリンの体は軽かったようで、ゴロゴロとボールのように転がっていった。私はその余韻を振り切り、空子ちゃんに向かって叫んだ。

「逃げるわよ!」

 空子ちゃんが頷くと、私は走り出した。当てなんてない。ただ、ここではないどこかへと向かって、私達は走り続けた。伸ばしたお互いの手を、繋ぎ合わせながら。

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