第7話「対立」

 

 ――意外にも、僕達は何事もなく解放された。いつでも捕まえることができる……レイモンドさんが別れ際に見せた顔は、そう言わんばかりだったけれど。

 施設から離れた場所で宿を取り、部屋に入ってからも、僕は落ち着かなかった。今この瞬間も、監視されているかもしれないかと思うだけで――。 

「どうしたのじゃ? さっきから黙り込んで……」

 ベッドの上で横になっていたリューネが、むくりと身体を起こす。半分以上閉じている、眠そうな瞳……リューネはいつもマイペースだ。

 何があっても動じることのないリューネを見ていると、黙っていることが馬鹿らしくなってきた。見たいなら見ればいいし、聞きたいなら聞けばいい……何もやましいことはしていないんだからと、僕は口を開いた。

「……何だか、大変なことになっちゃったなぁって」

「そうでもないぞ? お陰で、儂が封印される見通しもついたのじゃからな」

「そりゃそうだけど……」

「それ以外に何がある? 旅の目的を忘れたわけではあるまい?」

 僕が何も言い返せないでいると、リューネはふっと息を吐いて、「すまんな」と一言。戸惑う僕に向かって、リューネは小さく首を振って見せた。

「……何十年、何百年経とうが、変わらぬものじゃのぉ」

「変わらないって?」

「人間じゃよ。人間は変わらん……愚かで好奇心が強く、愛を語らいながらも争いを繰り返し、痛い目に遭おうが反省することもない。満足というものを知らず、いつも何かを求めている」

 ……人間の僕としては、反論の一つぐらいするべきだったかもしれないけれど、僕はそんなことより、リューネがなぜこんな話を始めたのかが気になっていた。リューネは僕の返事を期待するでもなく、独り言のように言葉を紡いでいく。

「じゃがな、だからこそ人間は続いておるのじゃろう。完璧ではないからこそな」

「……辛いの?」

 ふと僕の口をついて出た言葉に、リューネは目を丸くした。……別に深い意味があったわけじゃない。ただ、そんな風に見えたから、そう口にしただけだ。

 僕はいつも自由奔放なリューネに、悩みなんてあるわけがないと思っていた。リューネの本当の姿……竜はまさに無敵だ。体は大きいし、鱗は硬いし、炎を吐くことも、空を飛ぶことだってできる。寿命だって人間より長いだろうし、そもそも、寿命があるのかすらも分からない。少なくとも、リューネが死ぬことなんて、とても考えられない。だからこその封印……なのかもしれない。だけど、もしそうだとしたら、封印を望むことは、死を望むことと同じなのではないだろうか?

 僕はこれまで封印はより深い眠り……ぐらいにしか考えていなかったし、なぜリューネが封印を望んでいるかなんて、考えたこともなかった。ずっと一緒に旅をしていたというのに……僕は今初めて、その理由を知りたいと心から思っていた。

 リューネは天井を見上げ、すっと目を閉じる。

「……時としてな。久遠の孤独に悩み、苦しむこともある。じゃが、命を絶とうと思うほど、繊細にできてはおらんからの。あくまで儂が求めているのは封印じゃ。次に封印が解かれた時、何と出会えるかも楽しみじゃし……」

 リューネは顎を引いて目を開くと、僕をじっと見据えた。

「だからこそ、お主とも出会えたわけじゃからの」

 ……真剣な顔でそんなことを言うものだから、僕の顔は熱くなってしまった。リューネは「うぶな奴じゃのう」と僕をからかう。

 僕はリューネの笑顔を見て、すっと気持ちが楽になった。リューネは封印を前向きに捉えているし、それを望んでいる。それが叶うというのだから、僕が思い悩むことなんて一つもなかったのだ。僕は一つ頷き、ぐっと拳を握り締める。

「じゃあ、バッチリ封印してもらわないとね!」

「……とはいえ、そう上手く事が運べば良いのじゃがのぉ」

 ――リューネの予感は当たった。その夜、僕達の部屋に制服姿の一団が押し寄せて来たのである。一団の紅一点、小柄な女性の瞳は、リューネに向けられていた。

「魔法生物保護局のサラ・ヴィクトリアです。あなたを保護しにきました」

 リューネはやれやれと首を振り、僕はただ、呆然とするばかりだった。



 私は「ふぅ」と息を吐いて、青空を見上げた。屋上の指定席。膝の上にはノートパソコン。いつものサイクルが戻ってきたなと、私は思う。場所も、人も、目的も……とても「いつも」とは言えないものになってしまったけれど。

 私は画面の端で時間を確認、ノートパソコンを閉じてショルダーバッグにしまうと、立ち上がって肩に提げた。今日は麻耶さんが家で待っている。何か話があるみたいだけど……私は図書室に立ち寄り、加奈子に一声かけると、麻耶さんとの約束の時間が迫っていたので、駆け足で家に向かった。

 

 家に帰ると、麻耶さんと女の子が私を待っていた。アイドルみたいに華がある女の子は「里奈」と名乗ったけれど、麻耶さんは「室井君」と呼ぶこともあった。どういうことなのか麻耶さんに尋ねると、里奈ちゃんの中身は男性なんだとか……よく分からないけれど、きっと複雑な事情があるのだろう。ともあれ、室井君……じゃなかった、里奈ちゃんが、この世界についてお話してくれるらしい。

 私がダイニングテーブルの椅子に腰掛けると、向かいに座っている里奈ちゃんは、「こほん」と咳払いを一つ。大きな瞳で私をじっと見詰めた。

「空子ちゃん、あなたはもっとこの世界について知らないといけないの。本来は知らなくてもいいことなんだけど、あなたは非常に特殊な――」

「里奈ちゃん、くれぐれも簡潔にね?」と、麻耶さん。

 釘を刺された里奈ちゃんは、隣に座る麻耶さんに「了解しました!」と敬礼し、私に向き直って口を開いた。


 ――麻耶さんの世界を模して作られた仮想現実世界「ネスト」。それが、私の暮らしていた世界だった。そのネストと同じリソース……仕組みを利用して、異なるルール、人によって運営されているのが、この世界だという。

 リアルであることが信条のネストだけれど、この世界は管理者の七福神……福ちゃんの手で「何でもあり」に調整されているらしい。

 ネッシー、ツチノコ、チュパカブラといった、私の暮らしていた世界でもその存在が未確認だった生物達が実在し、UFO、幽霊、超能力といったものまでもが実在する……それがこの世界だと、室井君……じゃなかった、里奈ちゃんは語る。

「現実世界……私達が暮らしている世界でも、それらは存在するかもしれない。だけど、それはあくまで可能性であって、実在を示す証拠があるわけじゃないの。……ただ、私の世界にも宇宙人を捕まえた証拠だとよく取り上げられる写真もあるし、それは空子ちゃんの世界にもあったと思うけど、それが本物かどうかは分からない。でも、この世界では紛れもなく本物だというわけ」

 ……だからといって、それらの超常現象を誰もが信じているわけではなくて、むしろ信じている人は少数派だというのは、この世界でも変わらないことだ。

 それでも、最初からそれが実在することを知っている人がいて、そればかりか、それを最大限に利用している人がいる。それは麻耶さんや室井君……里奈ちゃんと同じ世界に住んでいる人達で、その人達が操作しているキャラクターは、「特別な力」を持っていることがほとんどなのだという。

「超能力で抗争を繰り返しているグループもあれば、世界征服を目論む秘密結社もあるし、世界を守るために戦っているヒーローだっている……全員が全員、そういうわけじゃないんだけどね。私……里奈だって、特別な力を持ってるわけじゃないし。ただ、エミュサーバーで遊ぶ醍醐味はそこにあるというのも事実だから、ネストのように遊んでいる私みたいなユーザーは、希だと思う」

 ……話を聞けば聞くほど、私はゲームの世界の住人なんだなと思う。神様の娯楽のために作られた世界……小説や漫画ではよくある設定だけれど、自分がその世界の住人だと思い知らされるのは、正直、気分が良いものではなかった。

 麻耶さんはそんな私の気持ちを察してくれているのだけれど、むろ……もういいや、室井君は、お構いなしだ。やっぱり、話し出すと止まらない人なのだろう。

「だからといって、何でも好き勝手やっていいというものでもないの。世界がめちゃくちゃになってしまったら、遊ぶどころじゃなくなっちゃうからね。ルールがあるからこそ、ゲームは面白い……だから、この世界には管理者がいるの」

 管理者の頂点に立つ七福神……福ちゃんから特別な権限を与えられた管理者達は、がめちゃくちゃになってしまわないように、対立する組織のいざこざを仲裁したり、あおったり、横やりを入れたりと、様々な方法で世界の均衡を保っているのだという。……そう、どうやらこの世界は一つだけではないようで、他にもたくさん……と、余りにも余りな話の連続に、私はもうお腹がいっぱいだったのだけれど、室井君はさらなるメインディッシュを用意していた。それは……。

「それでね、空子ちゃんにも管理者になってもらうことになったの」

「そんなこと、私、聞いてないわよっ!」

 私が何かを言うよりも早く、麻耶さんが口を開いた。肩をすくめる室井君。

「この前、言おうとしたのに……とにかく、これは福ちゃんが決めたことです。福ちゃんが決めたということは、決定事項と言っても――」

「じゃあ、空子ちゃんが嫌だと言ったら?」

「消してあげるよ」

 ――その場の視線が一点に……私の隣に集まった。空いていたはずの椅子に、男の子が腰掛けている。無邪気な顔を浮かべて……って、まさか、この子が?

「消すって何よ、消すって!」

 麻耶さんが身を乗り出すと、男の子はすっと顎を上げた。

「文字通りの意味だよ。僕にはその力もあるし、権利もあると思うけど?」

「……やけにあっさり引き受けてくれたと思ったら、こういう魂胆だったのね」

「参ったなぁ。里奈ちゃん、何か言ってくれないか?」

「麻耶ちゃん、落ち着いて。別に福ちゃんも最初からそうしようと思っていたわけじゃないと思う。ただ、空子ちゃんの特殊な立場を考えると――」

「そんなことはどうでもいいの! 大事なのは、空子ちゃんの気持ちよ!」

 ――沈黙。麻耶さんは眉をつり上げ、怒りの表情。室井君は困ったようにきょろきょろ。七福神……君は、にこにこと微笑みながら、私を見上げている。

 誰もが、私の答えを待っているようだった。……私の答え? そんなもの、本当は必要ないのだと思う。私が何を答えたところで、結末は同じ……そんな気がしてならなかった。それなら、私の答え、私の気持ちは……。

「やります」

「空子ちゃん……」

 麻耶さんは表情を悲しみに変えた。表情の切り替えが自然になったなぁと、場違いなことを思う。私はせめて言葉ぐらいは自分でと、口を開いた。

「何をすればいいのかは分からないけれど……私がこの世界とは違う世界からやってきた、異質な存在だという自覚はある……つもりです。だから、それを忘れて暮らしていくことなんて、とてもできません。それならいっそ……それに見合った役割を与えて貰った方が、楽かもしれない……かなって。それに……」

「それに?」

 七福神君が先を促す。私は七福神君に顔を向けて、精一杯、微笑んで見せた。

「……何をしたって、今より悪くなりようがないと思うから」

 満面の笑みを浮かべる七福神君。……予想通りだったのだろうか? 私の答えも、気持ちも、表情も、言葉までもが……そうなのかもしれない。それでも、他にやりようはなかった。私にはこれ以上のことは、何も。

「決まりだ。今から君は管理者、僕の同志だ。共に世界を守ろう」

 七福神君が伸ばした右手を、私はおずおずと握り返す。その手は柔らかくて、暖かくて、うっすらと汗ばんでいて……いかにも子供らしい、リアルな感触だった。



「……気に入らないわね」

 ――お昼休み。私は室井君を事務所から引っ張り出し、ファーストフード店で昼食をとっていた。二人掛けの席で、私の向かいに座った室井君は、包み紙の中から照り焼きバーガーを取り出す作業を中断し、首を傾げた。

「気に入らないって、何がですか?」

「七福神のことよ。神様気取りでさ」

「神様ですから」

 私はハンバーガーを頬張ろうと大きく口を開けたまま硬直。室井君は再び照り焼きバーガーの包み紙に手を伸ばしつつ、先を続けた。

「もちろんネストの……それも、エミュサーバーの世界での話ですけどね。以前にもお話しましたが、ネストのエミュは実現不可能だと言われていたんです。何らかの方法でオリジナルのリソースを入手し、強固なプロテクトを突破したとしても、それを運営し、維持していくためには最新の設備と莫大な費用がかかりますからね。ただ、成功例……いや、成功と言っていいのか微妙なレベルですが、ごく限定的な、たとえば自分のキャラクターと部屋だけを再現するといった、不完全なエミュは存在していました。ですが、とても使い物にはならなくて……以前、宮内さんがクラッキングの犯人を使えるために使ったコンピューターがありましたが、運営会社ですらあのレベルの介入しかできないぐらいですからね。誰もがネストのエミュは夢物語だと思っていた……そんな中、彼が現れたんです」

 ――七福神のエミュレーターサーバーは完璧だった。それを利用した人が、とてもエミュレーターだとは思えないほどに。さらに、この新たな世界には、オリジナルのネストにはないファンタジーがあった。人々が求めて止まない、夢の世界が。

「リアルを眺めるというネストに対して、エミュはゲーム色が強かった……何しろ、ユーザーが住人に干渉できるだけでなく、住人を新規作成することも、操作することもできるんですからね。当時からネスト住人に介入したいというユーザーの声は大きかったですから、エミュのユーザー数は爆発的に伸びたんです。もちろん、本家のネストとは比ぶべくもありませんが、エミュであることを考慮すると――」

「ちょっと待って」

 私はハンバーガーを包み紙の上に戻し、こめかみを軽く指先で叩いた。

「今の話からすると……エミュサーバーの方が、ニュー・ネストよりも前にあったてこと? だって、ニュー・ネストが先にあれば……まぁ、課金は必要だけど、エミュでできることって、ニュー・ネストでも大体できるわよね?」

「仰る通りです。古いユーザーの間では、DE社がエミュをパクったなんて話もあるぐらいですからね。他にも七福神がニュー・ネストの開発に関わっているとか、エミュはニュー・ネストのための公開β版だとか、憶測は色々です」

「なるほどねぇ……」

 私はハンバーガーを手に取って、がぶりと噛みついた。もぐもぐと租借そしゃくしながら、頭の中で情報を整理する。どうやら七福神は、単なるいけすかない少年というわけではなさそうだ。……いや、少年である可能性も低い。仮に天才少年だったとしても、頭脳面はともかく、経済面での限界があるはずだ。いずれにしても……私はごくりと口の中を空にする。

「……実際に会ってみたいものね」

「僕もそう思って、独自に調べてみたことがあるんですけど……駄目でした」

「それなら、署内のデータベースを使ってみたら? あれって凄いんでしょ?」

 私の冗談まじりの一言に、フライドポテトを摘まんでいた室井君は盛大にむせた。……なるほど、もう使ってみたわけだ。真面目一点張りだと思っていたけど、ちゃっかりしているところも……と、感心してばかりもいられない。

「それで見つからないことなんてあるの? というか、あっていいの?」

「それは何とも言いにくいことですが……僕の権限では限界もありますからね。他の方法も……えっと、その、色々と試してみたんですけれど、何といいますか、彼はその全てをお見通しといいますか、僕の腕ではとても彼には敵いませんからね」

「彼じゃなくて、彼女かもしれないわよ?」

「確かに。日本人なのかどうかすらも分からない、それが現状ですね」

 ……七福神についてはそれ以上話しようもなかったので、話題はお互いが担当している仕事のことへと移っていった。

 私は現場でネスト絡みのいざこざ――とても事件とは呼べないような――の仲裁をしたり、関係者から事情聴取したりと、割と警察らしいことをするのが仕事だ。

 一方、室井君はいざこざの内容を吟味し、法律と照らし合わせながら、DE社の権限でどうにかできることと、どうにもならないことの切り分けをするという、説明するだけでも頭が痛くなりそうなことが仕事である。

 私も「警察は暇な方が良い」という柏崎さんの言葉に諸手を挙げて同意したくなるぐらいの忙しさなのだけれど、室井君は輪をかけて……私から見ると、深入りしすぎというか、頼られすぎというか、まるで出向しているのではないかと思うぐらいDE社に出ずっぱりである。……というのも、ニュー・ネストではこのところ頻繁に障害とメンテナンスを繰り返しており、その原因が外部からのクラッキングによるもの……かもしれないということで、室井君はその調査も手伝っているのだ。

 公式にアナウンスされている以上に深刻だというニュー・ネストの惨状を、室井君は渋い顔をしながら、私に説明してくれた。

「何と言いますか……世界の境界が曖昧になっているんです」

「境界?」

「ニュー・ネストには様々な世界……サーバーが用意されていて、この世界を模したものはもちろん、ファンタジーの世界もあり、SFの世界も……と、これは以前にもお話したことがあると思いますが、とにかく、それらの世界は明確に区別されている……いや、区別されていなければならないのですが……」

「その境界が曖昧になっている……って、どういうこと?」

「たとえば……SFの世界で人型ロボットのパイロットをしているとしましょう。その場合、地上で敵国の人型ロボットと戦ったり、宇宙でエイリアンと戦ったりするわけですが……」

「うんうん」

「そこに突然、ドラゴンが現れるんです」

「ドラゴンって……あのドラゴン? 大きくて、鱗があって、炎を吐いて……」

「そのドラゴンです。いきなり宇宙にドラゴンが現れたんですから、それを目撃したネスト住人、それにユーザーはさぞ驚いたことでしょうね。ただ、余りにも突拍子がないことなので、バグ……障害ではなく、そういう演出、イベントだとユーザーは思ったようです。その後、サプライズだったとDE社もアナウンスしたのですが……実際のところ、DE社はそんな仕込みをしていなかったんです。調査を行ったところ、そのドラゴンはファンタジー世界……別のサーバーで使われているデータだということが判明しました」

「それって問題なの? 結果オーライというか、何だか楽しそうじゃない?」

 私は宇宙で人型ロボットとドラゴンが戦っている場面を思い浮かべる……うん、悪くない。だけど、室井君はぶんぶんと首を振った。

「大問題ですよ! ユーザーは敵のロボットやエイリアンとの戦いを楽しみたいのに、いきなり現れたドラゴンに撃墜されたんじゃ、面白くもありませんよ!」 

「ああ、やられちゃうんじゃ、面白くないかもね」

「他にも、贔屓ひいきにしていたネスト住人が別の住人と入れ替わったり、若返ったり、年老いたり、ゾンビになったり、PKされたり……」

「PKって? サッカー?」

「プレイヤーキラー……キャラクター同士が互いに攻撃することが可能なシステムのことです。ニュー・ネストではPKが禁止されている世界、サーバーが多いですから、そこでPKができるようになってしまうと……もう、大変です」

 溜息をつく室井君。その表情から大変さが伝わってきたけれど……私はもしオールド・ネストでPKが禁止されていたら、殺人も戦争も起こらないのかと考えたり、いや、もうオールド・ネストは存在しないのだと思い出したり、エミュでは……空子ちゃんがいる世界ではどうなのだろうかと気になったり……すると、そんな思いが顔に出てしまったのか、室井君は小さく首を振った。

「PKの禁止はあくまでユーザーに対するものですから、ネスト住人の行動が制限されることはありません。もし制限してしまったら、とてもリアルだとは言えなくなってしまう……というのは、なんとも皮肉な話ですが」

「全くね。それにしても、ニュー・ネストがそんなことになっているなんて……それじゃ、今はエミュの方が安定しているんじゃない?」

「まさにその話がユーザーの間でも広がりつつあるんです。ニュー・ネストの規模から考えるとごく僅かですが、実際にエミュサーバーへ鞍替えしたというユーザーの声も上がっていて……」

「それなら、犯人はきっと七福神だ! 動機はユーザーの獲得……どう?」

 私が指を鳴らすと、室井君は神妙に頷いた。

「……それは僕も考えました。今は無料で利用可能なエミューレーターサーバーですが、あのクォリティと安定性を考えれば、たとえ有料になったとしても、金額次第では継続するというユーザーも少なくないと思いますから」

「動機がお金なら分かりやすいんだけど、それにしてはやり方が回りくどいというか、七福神らしくないような気もするのよね」

「それは……僕も分かるような気がします」

「ただ、七福神ならできそうな気もするし……いっそ、直接聞いてみよっか? 私達が警察官だっていうのも、バレてるみたいだし」

「彼なら答えてくれると思いますが、そうだと言われるのが一番怖いんですよ。何しろ、こちらがリアルで接触する術がないんですから。ただ、さすがに七福神とはいえ、ニュー・ネストに干渉することはできないと思います。ですから、内部の誰か……それも、開発に深く関わっている誰かの犯行だと考えるのが妥当ですが、何度言っても、DE社は内部調査をやりたがらなくて……」

「それは怪しいわね。……って、そういえば、七福神がDE社と関わってるっていう話もあるって、さっき言ってたわよね?」

「そう、そうなんですよ! だから、本当、どうしたらいいか……」

 これ以上あれこれ言うと室井君が泣きだしかねないので、私は口を閉ざした。

 室井君は一生懸命やっているとは思うけれど……結局、大変なことになっているのはニュー・ネスト……データの話であって、リアルへの影響はごく僅か。幸い、リアルで人死にが出るような事件も起こってはいない。

 ……日夜危険な現場に駆り出されている同僚達のことを思えば、仮捜が鼻つまみものなのも分からないでもなかった。だけど、私にだって空子ちゃんがいる。守るべき、データの女の子が。それを思うと、私はニュー・ネストの問題をもっと深刻に考えるべきなのか、気軽に考えるべきなのか……分からなかった。

 気落ちする室井君を励ましつつ、ファーストフード店を出た私は、別れ際、ふと気になったことを訊ねてみた。

「そういえば、ネストを作った人って誰なの?」

「プログラマー……ということですか?」

「まぁ、そうなるのかな? また凄いものを作った人がいるもんだなぁって」

「そうですね。確か、現社長を含めた上層部の人間は、何らかの形でネストの開発にたずさわっていたはずです」

「そりゃ、一人で作れるようなものじゃないものね」

「ただ、その中でも生みの親だと言われている人物がいます。本名も素性も明らかになってはいないのですが……」

「それって、まんま七福神じゃないの」

「ええ。ですから、七福神の正体ではないかとも言われています。ただ、どちらも謎が多くて、そうだとも言えるし、そうではないとも言えるし……」

「良く分からない、ってことね」

「その通りです。ただ、渾名というか、コードネームは伝わっています」

「コードネーム?」

「マトリョーシカ」

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