第8話 再会
昨日からの強風で、中学校の校庭に咲く桜の花は、すっかり散ってしまった。じゅうたんのように敷き詰められた花びらの上を、運動部が掛け声をかけながら走っている。優衣は夕日に照らされたそんな光景を、校庭の隅からぼんやりと眺めていた。
「優衣ー、お待たせー!」
風で乱れる髪を手で押さえ、同じクラスで同じ吹奏楽部の青木恵美が駆け寄ってくる。
「ごめんねぇ、先輩に引き止められちゃってさー」
「ううん、大丈夫だよ」
そう言って笑いかけた優衣の隣で、恵美が空を見上げる。
「わー、見て、すごい夕焼け!」
「明日も晴れるね」
「なんで?」
「夕焼けだと明日は晴れるんだよ」
「へえー、知らなかったぁ」
恵美がえへへっといたずらっぽく笑う。優衣も恵美と一緒に笑う。
違う小学校出身の恵美と、初めて言葉を交わしたのは、入学式の日だ。新しい教室に新しいクラスメイト。緊張気味で座っていた優衣に、隣の席の恵美が気軽に話しかけてきた。
「ねぇ、どこ小からきたの?」
「あ、あたしは北小」
「あたしは西。このクラス、西の子が少なくてさみしいんだぁ」
そんな会話から始まって、一緒に勉強するようになり、同じ部活にも入って、今一番仲がいいのはこの恵美だ。そして昔から友達の多くない優衣に、他に親友と呼べるような子はいない。だけどそれでもいいと思った。やっぱり大勢とつるむのは苦手だから。
小六でクラスが別れた亜紀とは、だんだん一緒にいることがなくなって、今ではほとんど話すこともない。バレー部に入った亜紀が、部活の仲間と楽しそうにしている姿をよく見かける。
同じように香織とも離れていった。積極的で顔立ちも綺麗な香織は、中学に入ってすぐ男子に告白されたとか、その子をあっさりふったとか……そんな噂を時々耳にする。
「あーめんどー。明日英語のテストじゃん」
恵美がスクールバッグをぶらぶら振りながら空をあおぐ。
「ねえ優衣ー、英語のノート写さしてくれないー?」
「あ、どうしよう。ノート、教室に置いたままだ」
「えー?」
「取りに行ってくる。恵美ちゃん、ちょっと待ってて」
「もー、優衣、しっかりしてよー。頼りにしてるんだからさぁ」
恵美に笑われて苦笑いしながら、優衣は校舎の中へ戻った。
運動部の掛け声も消えた、下校時刻の過ぎた学校は、やけに静まり返っていた。優衣は上履きに履き替え教室へ向かう途中、職員室の前を通った。
カララ……と小さな音がして職員室の扉が開く。制服姿の男子生徒が出てきて優衣とすれ違う。
しんとした空気が漂う廊下。窓から差し込む、沈みかけた夕日の光。優衣はふと立ち止まり、後ろを振り返る。
「……裕也?」
優衣の声が廊下に響く。職員室から出てきた生徒がゆっくりと振り返る。
「なんだ、七瀬じゃん」
優衣の目の前に裕也の姿があった。あの頃、優衣とあまり変わらなかった背丈がぐんと伸び、顔もほっそりとしたような気がする。そしていつも聞いていたあのかすれた声も、心なしか低いトーンに変わっていた。
「な……んで?」
ぼうぜんとしながら、なんとかつぶやく優衣に、裕也が言った。
「俺六組。お前は?」
「さ、三組……」
優衣の声に裕也はふっと笑う。その冷めたような笑い顔は、あの頃のままだ。
「ちょっと、三浦くん! まだ話は終わってないわよ!」
甲高い声とともに、六組の担任教師が職員室から飛び出してくる。
「じゃあ、またな!」
裕也は優衣にそう言うと、背中を向けて廊下を走り去っていった。
裕也がこの学校にいた。でもそれはありえないことではなかった。
あの五年生の二学期、担任教師が言ったように、裕也は『お化け屋敷』と呼ばれていた家を引っ越してしまった。けれどまだこの町に住んでいたんだ。そしてこの町の違う小学校に通っていた。だから三つの小学校が集まってくるこの中学に、裕也がいても不思議ではない。
優衣の前で、昨日のテレビの話をしながら、恵美が弁当を食べている。恵美に聞いてみようか……もしかしたら裕也と同じ小学校だったかもしれない。
――いきなりそんなこと聞いたら、おかしいよね……。
ため息をつく優衣の前で、恵美が首をかしげる。
「どうしたの? 優衣」
「あ、ううん。べつに……」
優衣がそう言って苦笑いしたとき、クラスの女の子がふたり、優衣たちの机に寄ってきた。
「ねえ、七瀬さん」
優衣が箸を持ったまま顔を上げる。恵美と同じ小学校だった後藤千夏と守屋美咲だ。活発そうな千夏とおとなしそうな美咲は、まるでタイプが違って見えるけど、すごく仲がいいらしい。
「確か七瀬さん、北小だったよね?」
「うん。そうだけど」
千夏と美咲が「やっぱり」というように顔を見合わせる。
「七瀬さん、六組の『三浦裕也』、知ってるでしょ?」
「え……」
突然千夏の口から出たその名前に、優衣の心臓がトクンと動いた。
「五年の一学期まで北小にいた、三浦だよ」
「あ、うん。知ってるよ」
千夏がもう一度美咲を見てから言う。
「七瀬さん、三浦と仲良かったってほんと?」
「べつに仲良くなんて……」
「でも話せるでしょ?」
「は、話せるけど……」
すると千夏がにこっと笑って、優衣の耳元にこっそり話しかけた。
「好きな人いるかどうか、聞いて?」
優衣がぼんやりと千夏の顔を見る。
「好きな人いるか、三浦に聞いて?」
教室のドアが開いて、男子がふざけながら入ってきた。いつも騒がしいサッカー部の連中だ。教室の中がいきなりざわめきだす。
「な、なんで?」
優衣がつぶやく。千夏はまた美咲を見てから、優衣の耳元でささやいた。
「美咲が三浦のこと好きなんだって。だから聞いて? お願い」
優衣は美咲に視線をうつす。美咲は少し顔を赤くして、千夏の袖をひっぱった。
「じゃあ、お願いね! 七瀬さん!」
千夏がそう言って、美咲と一緒に背中を向ける。
――どうしてあたしが聞くの? 自分で聞けばいいのに……。
「三浦のこと調べろって?」
黙って弁当を食べていた恵美が、優衣の顔を見ないまま言った。
「え、あ、うん」
「美咲も好きなんだぁ、三浦のこと」
「美咲も……って?」
恵美が顔を上げて、箸で優衣のことをさす。
「知らないの? 六組の三浦っていえば、有名じゃん。ちょっと他の男子と違うっていうか……クールなとこが、かっこいいってさ」
「知らない……」
「ほら、あんたと同じ北小だった、二組の『篠田香織』。あの子も三浦狙いだし」
――篠田香織……あの子が? だってあの子は、裕也のこと嫌っていたはず。
「でもさ、三浦ってやっぱコワそうじゃん? 今朝も顔に傷つくってて、隣町の中学生とケンカしたとかいう噂だし……だからみんなビビって、声かけられないんだよ」
優衣はさりげなく恵美から視線をはずし、教室の窓を見た。四角い窓の向こうには青い空が広がっていて、裕也とふたりきりで見た、夏の空を思い出した。
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