第2話 異世界からの物体X

――そうして、エルカさんが作業している合間合間に「声ッ!!!」とお呼びがかかる度、直立の姿勢のまま「『エルカさんは出来る』ッ!」と大声でエールを送るという拷問のような応援地獄が始まったのだった。


 300回目くらいまでは何とか数を数えていたのだが、「あれ、今のは310回目だっけ? 311回目だっけ? いやむしろ410回目か?」とあやふやになった辺りから数えるのをやめた。喉はからからで、頭がくらくらとし、立ちっぱなしのために足の感覚が無くなってきている。


 しかし、俺のため、いや羊羹のためにやってくれているのだからと座ったり横になったりする気にもなれず、棒のように立ったまま「こういう変に生真面目な部分がストレスため込んだ一因かなぁ」と自己分析してみたり、「前に食べ歩きで出会ったお婆ちゃんが分けてくれた陽千刻屋ひちこくやの羊羹は思わぬ掘り出し物だったなぁ」と思い出に浸ったりして、何とか場をやり過ごしていた。


 その後もぼーっと視線を虚空に漂わせていると、それまで忙しなく手元を動かしていたエルカさんがふいにピタリと動きを止めたのが視界の隅で見えた。しかし、ちょうど法久須堂に初めて立ち寄った時の事を思い出していた俺は、その変化を目では捉えていたものの特に意識することはなく、口を半開きにしてぼけえっと虚空を見つめたままだった。


 視界の隅のエルカさんがプルプル震えながら「でっ」と一言呟き、更に「ででででででっ」と連続で呟いたところでやっと俺はエルカさんが何か喋っているということに気が付き、慌てて尋ねた。


「どっどどっ、どうしましたか!? エールをご所望ですか!? いつでも最高のやついけますよ! 景気良くでかいのいっちゃいますか!?」


 決して退屈でぼうっとしてたわけじゃありませんからね、とアピールしつつ早速「エルカさんは出来る!」と渾身のエールをぶちかまそうとしたが、俺が言葉を発するよりも早く、


「出来たァ――――――――――――――――――――――――ッ!!」


 と、エルカさんが絶叫と共に両腕を高く突き上げた。同時に真紅のオーラのようなものが轟々と唸りを上げ、天へと立ち昇っていく。


 俺はまたその圧に押されて、「ひゃあああッ!」と悲鳴を上げながら派手に後ろへ倒れ込んだ。だが赤黒いもやの時とは違って圧力は一瞬で無くなり、オーラは一筋の真っ赤な光の柱のようになったかと思うと程なくして消え、周囲には蛍のようにちかちかと光る赤い粒子が残っただけだった。やだ、なんだか風流……。


 そしてエルカさんは微妙に焦点の合っていない目で俺をじいっと見据え、「うふふうふうふふふ」と不気味に笑いながら口を開いた。


「ふふ、ふふふ……わ、私の最高傑作ですよ……私のモナリザ、私の『ブレイキング・バッド』、シーズンファイナルです……!」

「……え、で、出来たって……まさか『羊羹創造魔法』、出来てしまったんですか!?」


 俺は再び強打してズキズキと痛む尻をさすりながらも、期待に目を輝かせてエルカさんに尋ねた。


「いえ、正確には『羊羹が作れるようになった』んです! 『羊羹創造魔法』を作ったわけじゃなくて、既存の魔法を複数組み合わせて、その結果羊羹が生み出せるようになった、というわけですよ!」

「ま、魔法の事はよく分からないんで、違いが分からないんですけど……とにかく、『羊羹が作れるようになった』んですよね!?」

「はい! 羊羹は出来まぁす!」


 そう言ってエルカさんは目を見開き、口の両端をやたらと吊りあげた奇っ怪な笑顔で、俺に向かってビッと右手の親指を立てて見せた。


 羊羹を手に入れられる無上の喜びと、エルカさんを定期的に励まし続ける地獄の苦行からの解放感とで、俺は自然と拳をぐっと握りしめて「うおおおッ!」と高く天へと突きあげていた。目に涙があふれ出し、つう、と顔を垂れていく。俺の異世界羊羹ライフ終わってなかったよ……こんなに嬉しいことはない……。


 全身を使ってかつてない喜びの表現をしていた俺をエルカさんはニコニコと見つめていたが、「あっ」と小さな声を上げたかと思うと、ばつが悪そうな顔になってボソボソと喋り始めた。


「ただ、ですね……その……えっと……」


 しかし言葉はすぐに止まってしまい、エルカさんは伏し目がちになって空中でもじもじとしていた。折角「羊羹創造魔法もどき」が完成したっていうのに、一体どうしたんだろう?


「……? あっ、もしかして法久須堂の味を再現できなかったとかですか? この緊急事態ですから、葉和阿堂はわあどうレベルの味でも妥協できますが」

「それって確かデータだと牧野さんの二番目のお気に入りの店ですよね? 妥協小さすぎません!? 味はちゃんと法久須堂の味を再現出来まぁす! そうじゃなくて問題は……その、この組み合わせに必要だった魔法が思ったよりも多くて、残ったリソースで授けられる魔法が、本来なら授けられたであろう魔法と比べると結構格下のものになってしまうんですよ……羊羹を生み出すために選んだ魔法の中から、使える物を頑張って組み合わせて補いはしたんですけど……転生先の世界のヒエラルキーで言うと、ぎりぎり上の中……いや上の下くらいの実力に……」


 語気を弱めながら、しょんぼりと肩を落とすエルカさん。なんだ、味はちゃんと法久須堂なのか。ではあとは些末事じゃあないかと思い、俺は出会ったばかりの時のエルカさんのように顔をきりりと引き締めて話し始めた。


「羊羹はちゃんと生み出せるんですよね?」

「えっ? は、はい」

「体も丈夫にしていただけるんですよね? 糖尿病知らずの?」

「ええ、勿論です! ほぼ全ての病気にかからないようになってます!」

「なら……なんの問題も無いじゃあないですか」


 俺は穏やかな笑みを浮かべつつ、エルカさんの方へ一歩踏み出して話を続ける。


「元々は俺のワガママから始まったことじゃないですか。それをエルカさんは真正面から受け止めて、実現してくれて……」


 更に二歩、三歩と踏み出し、エルカさんの手をぐっと握って言葉を続けた。


「百年に一度の逸材と言った俺の目に狂いは無かったようです。俺は、羊羹と、エルカさんのその熱い心意気だけでもう十分なんですよ……辛いのに耐えてよく頑張った! 感動した! おめでとう!」

「うううヴヴヴッ! 牧野ざあああああアアアアアんッ!」


 途端、エルカさんは堰を切ったようにブババッと涙と鼻水をまき散らし始める。ま、まずいぞ、俺の決め台詞が余りにもキマりすぎててエルカさんの顔が正視に耐えない物になってしまった。しかしここで顔を背けてしまうと雰囲気が台無しなので、俺は顔を引きつらせながらも「ハハハ、落ち着いて下さい。鼻水はやばいですよ鼻水は」とエルカさんをなだめ続けた。





「……落ち着きましたか?」

「ふぁ、ふぁい、重ね重ね申し訳ないれす……」


 そろそろ冷静になったかなという頃合いに改めて話かけてみると、エルカさんはぶびーっとティッシュのようなもので鼻をかみながら返事をした。ティッシュのようなものはそのままポイッと宙へ放り投げられると、放物線を描く途中でフッと暗闇に吸い込まれるように消えてしまった。すげえ、今のどうなってんだろう。


「普段、頑張りを褒められたことがあまり無かったものでして……牧野さんに温かい言葉をかけられて、つい目頭が熱く……また、みっともないところを見せちゃいましたね……」


 エルカさんは上目遣いで、照れくさそうにしながら頬をぽりぽりとかいた。あんな顔面大洪水になるほど褒められ慣れてないのか……一時は余りの凶悪さに本当の正体は邪神じゃないのかとも思ったけど、この神様も案外苦労してんだなぁ。可哀そうだし、目頭だけじゃなく鼻の栓もぶっ壊れてた事は言わないでおいてあげるか。せめてもの情けってやつだ。


 同情の視線を向けていると、エルカさんは「さて」と居ずまいを正し、まだほんの少し涙と鼻水の跡が残った端正な顔を引き締めて口を開いた。


「……牧野さん、長いこと引き留めてしまって申し訳ありませんでした。これで転生のために必要な準備は全て整いました。後は、転生を残すのみとなります」

「確かに長かったですけど、意外と楽し……いや、応援は辛かったかな……」

「うぐぅっ!」

「ハハハ、冗談ですよ……俺は、エルカさんとは心と心で深く理解し通じ合えた友人であり、共に羊羹道を究めんとする同志だと思ってますよ」

「いや、羊羹は別に好きじゃないんですけど……」

「は? 今何て?」

「ああああああああッ! 嘘です嘘です羊羹好きだなー! えっとあのほら文鎮みたいな重量感とかかっこいいですよねー! なんかこうシュッとしてる感じとか! シュッシュッ!」


 思わず俺の目つきが鋭くなってしまったのを受け、エルカさんが慌てながら身振り手振り釈明した。やっぱり、まだしばらくはここにいて教育すべきだろうか?


「……まだ羊羹の素晴らしさを語る余地はありそうですが、まぁいいでしょう」

「ほっ……で、では、今度こそ転生に取り掛かりますね。少し後ろに下がっていただけますか?」


 安堵した様子のエルカさんに指示された通り、俺は三歩ほど後ろに下がった。エルカさんはそれを見ると手元に視線を落とし、指をスイスイッと動かす。すると俺の足元に薄青い光の輪っかのようなものが現われ、瞬く間に地面の輪から天へと向かって青白い光が放たれ始めた。


 俺の全身が浮遊感に包まれ、ふわりと体が浮き、青白い光の中を通って上へ上へと運ばれていく。


「お、おおっ! 浮いた!」


 感嘆の声を上げつつ運ばれていく俺をエルカさんが見上げ、右手をこちらに振りながら「牧野さん、お達者で!」と声を張り上げた。


「私、牧野さんの暖かい言葉、絶対に忘れません! 溜まってる仕事が落ち着いたらどうなってるか様子を見ますからねー!」

「エルカさんこそ、あまり仕事に根を詰めすぎないように! 先輩からのアドバイスですよー! 年齢知らないですけどーっ!」


 俺も眼下のエルカさんへとぶんぶんと手を振り、別れの挨拶を返した。ああ、色々と大変だったけれど、いよいよ俺の異世界羊羹ライフが始まるんだな――と感慨に浸っていると、あれ、ちょっと待てよ、とある事に気が付いた。


 俺、羊羹の出し方を教わってない。


 それに、その他の魔法の使い方とかも全く教わってない。


「あっ、ちょっ! エルカさん待って! ストップストップ! 俺、羊羹の出し方教わってないです! 魔法の使い方も! その他諸々もッ!!」


 その時点で既に俺は八メートルほど浮き上がってしまっており、結構小さくなってしまった下方のエルカさんに向かって必死に声を張り上げた。俺の異世界羊羹ライフ、始まる前から終わってたなんて洒落にならんぞ!


 だが、期待に反して、エルカさんは右手に加えて左手もぶんぶんとし始めただけだった。どうやらもうこちらの声は向こうへ届いていないらしい。それでも、俺は諦めずに叫び続ける。


「ち、違います! これは大声で別れの言葉を述べてるんじゃないんです! エルカさーん! 気づいてーっ! エルカさあああ――んッ!!」


 しかし無情にも俺の体は更にぐんぐんと上へと運ばれて行き、下方のエルカさんが豆粒くらいの大きさになった辺りで、ひと際強い光が俺の全身を包み込んだ。そして「うおっまぶしっ!」と思ったのとほぼ同時に――俺の意識は途絶えた。

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