第14話


「まあ、みんなそうですよね。……これ言ったことあったっけな」


 委員長が今一番望んでいる言葉が、引田の口から引き出されることはない。


「えーっと、俺はですね、実は親の仕事の都合で、昔から転校を繰り返してて。小学校から全部合わせて……五回くらいにはなるのかな」

「……そういう噂は、聞いたことある」

「噂っていうか、まあ事実なんですけど」


 委員長の声にはかすかな困惑が混じっていた。

 もっと他に言うべきことがあるだろうに、なぜ今そんな話をするのか。


「で……五回もやってると、さすがにしんどくなってくるんです」

「……しんどい?」

「そう。転校生って、いろいろ噂されるじゃないですか。……いろいろ、期待されるでしょう?」


 男か、女か。イケメンか、美人か。

 面白い人だといいな、実は暴力事件起こして前の学校追い出されたらしいぜ、等々。


「たまにいるんですよね。変に気利かせたつもりなのか知らないけど、最初の紹介のとき『転校生を紹介する。はっはっは女子諸君は期待していいぞ、とびっきりの美男子だ!』……みたいなこと言う担任」

「……そんな人、いるんだ」

「たまにっていうか、一回……あれ、ほんっとやめてほしくて。入った瞬間の微妙な空気が、もうなんか、ほんと……」


 そこでちらりと引田の顔を伺って『それはかわいそうに』みたいな表情をした委員長もたいがい失礼な気はするが、ともかく。

 蘇る過去のトラウマを抑え込みつつ、苦み走った声で続ける。


「まあ、ここまでひどいのはレアケースにしても、ですよ。たぶん誰だって、一回くらいは、考えたことあると思うんです」

「……何を?」

「突然やってきた美少女、もしくは美少年の転校生と、恋に落ちる。そういう妄想です」

「……」


 委員長はなにも言わない。

 唐突すぎて意味がわからなかったか、それとも――意味がわかったからか。


「転校生といえば、遅刻しそうになってパンくわえて走ってるときに曲がり角でぶつかる相手。……は、さすがに現実的じゃないにしても……」


 誰もが一度はやったことがあるだろう。男女問わず、誰もが一度は通る道だろう。

 妙に押しの強い転校生(もちろん、外見は美少年/美少女)がクラスにやってくる妄想。

 その転校生にやたらと絡まれる妄想。

 それを鬱陶しげにあしらいながらも、いつしか二人は惹かれ合っていく――そんな妄想。


 あるいは、どこか影のある転校生(美少年/美少女)がクラスにやってくる妄想。

 クラスで早々に孤立してしまった彼/彼女の裏の一面を目撃してしまい、それ以来二人で行動を共にするようになる――そんな妄想。


「『この日常を変えてくれるんじゃないか』って……そういうふうに期待することって、あると思うんです」


 ――さて、現実を見てみよう。

 こういう妄想をする人間というのは、得てして現実では恋人がいない。

 魅力がないからか? 行動を起こさないからか? 様々な理由が考えられるが――

 そんな人間に、美少年/美少女の転校生が惹かれる理由がいったいどこにある? 

 そこに整合性のある理屈をつけることができるだろうか? できない。


 と、いうか。そもそもの話。

 現実での転校生というのは、美少年とは限らない。美少女とも限らない。

 押しが強くてグイグイ迫ってきてくれる人間とも限らないし、なにか暗い過去を抱えた影のある人間とも限らない――


「みんな、勝手に期待するんですよ。きっとこういう人に違いない、こういう人だったらいいな、っていうイメージを、勝手に作っちゃって。で、期待が外れたら……がっかりする」


 ――普通の、人間なのだ。

 委員長も、転校生も。


「委員長といえば眼鏡をかけるもの。委員長と言えば髪型は三つ編み。委員長と言えばもちろん真面目、いや委員長と言えば真面目と見せかけた遊び人……ま、好みは人によりますけど」


 誰も彼もが好き勝手に自分好みの属性を張り付けていくが、張られる側は人間なのだ。

 理不尽な期待と失望をぶつけられれば、怒りもするし悲しみもする――人間なのだ。


 一通り言い切った引田は、大きく息を吐いて脱力する。

 その場にあぐらをかいて座り込むと、ちらりと、委員長の様子をうかがった。


 委員長は――――震えていた。


 引田はずっと不思議に思っていた。

 自分が好きだと言ったバンドのボーカルが赤髪だったから、委員長は髪を赤く染めた。

 B組生徒の追跡を、屋上に隠れてやり過ごしていた委員長は、屋上に出る方法を自分にだけは教えていた。


「……私も、おんなじだって言いたいの?」


 そして実際、屋上に現れた引田を見て――委員長は、遅いよ、と言った。

 これが自意識過剰でないとするなならば。


「委員長は眼鏡じゃなきゃダメだとか、真面目じゃなきゃおまえらしくないとか、そういうこと言ってくるやつらと……同じだって」


 はたしてこの委員長は、自分の何を見たのだろうか。


「おまえも、どうせ同類だって! そういうこと、言いたいの!?」


 たった一度、転校直後の校舎案内で少し話しただけの間柄でしかないのに。

 いったい、自分のどこを見て、そんな感情を抱いたのか?


「転校生が……転校生が、『無理しなくていい』って言ってくれたから、それで、この人ならきっと、私のことをわかってくれるって、期待して、こんなバカな騒ぎ起こして、待ってたのが! 同じだって!」 


 日常生活の中で、勝手なレッテルを張り付けられるばかりで。

 誰からも、理解されなかった彼女は――

 日常の外側からやってきた転校生に、期待をかけたのだろう。

『彼ならばきっと、私を救ってくれるに違いない』と。


 委員長で眼鏡っ子であることを求めた河野、委員長に真面目であることを求めた担任。

 ある意味では彼らと同じ、自分勝手な、都合のいい期待を。

『転校生』という肩書に、張り付けた。



 いつの間にか委員長もへたりこんでいた。

 あぐらをかいて座り込む引田の隣で、へたりこんでいた。


「……まあ、なんていうか……みんな、期待しちゃうもんですよ。どうしたって。誰だって同じだと思います。俺だってやってます」


 すすり泣く声に静かに耳を傾けながら、できるかぎり声色が優しくなるよう。

 ゆっくりと、引田は語り――


「でも、みんな同じだから、『だから我慢しろ』って言いたいわけでは……まあ、ないです」


 そして、立ち上がった。




「――俺と、友達になってください!」




 中腰になった引田が差し出した手――を、ぽかんと見つめて、委員長は硬直していた。

 二秒。

 五秒。

 十秒が経ち――耐え切れなくなった引田が、自分で解説を始めた。


「……いや、その、あれですよ、あれ。お友達から始めましょう、っていう。アレです」


 なお、このとき〝アレ〟という表現を用いてしまったばかりに、ただでさえいっぱいいっぱいだった引田の脳裏に突如河野のあの醜態がフラッシュバックしてしまったことを記しておく。


「……えっ、と……」

「……だから、まあ、アレですよアレ!」


 いまだに意味を計りかねている委員長、またも”アレ”などと言ってしまったため脳内が河野カーニバルな引田。

 すべてを吹き飛ばすヤケクソじみた大声で、引田は吠えた。


「彼氏彼女っていうのはですね! 『こいつなら私の望みを叶えてくれる』とか、『こいつなら俺の期待に応えてくれる』っていう、そういうのじゃなくて! 王子様お姫様を探すんじゃなくて。『こいつなら期待外れでも別にいい』、『それでも一緒にいたい』って思える、そんな人を選ぶべきだと思うんですよ!」

「……」

「だから、そのっ、なんていうか。まずは友達から始めて、それで、相手の期待通りな部分も、期待以上な部分も、期待外れな部分も……全部、知った上で」

「……ふっ」

「知った上で、一緒にいる、っていうのが、たぶん、愛かなあ、って……」

「……っふ、ふふふ……っ!」

「……あの、すいません、笑われるとちょっと……」

「ご、ごめん。……でも、なんか、……っっ……!」


 笑いすぎで瞳に滲む涙を左手の指で拭いつつ。

 もう片方の右手で、差し出された引田の右手を取る。


「うん、そうだね。友達かあ……私、あんまり友達って多くなかったから。いいかもしれない」

「やー、俺もですよ俺も。転校続きだったもんだから、ほんともう、できてもすぐに離れちゃう……」


 震えも、笑いも、もう止まっていた。

 ただ安らかな時間だけがそこにある。


 今はただ、握り合ったお互いの右手に力を込めるだけで――


「これから、よろしく。委員長……じゃ、なくて。大和さん」

「鏡子でいいよ?」

「……いや、こういうのはその、段階を踏んで……」

「……っふふ! う、うん。わかった。じゃあ……私も」



「――よろしく、引田くん」

「おう!」



 ふらふらと彷徨い続けていた委員長の虚像は、今この瞬間――たしかに、地に足をつけた。

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