第22話 守ってみせる

「ッ……!」


 目が覚めた。なんだろう体が全然動かせない。目だけで周囲を確認する。そうだ僕は優奈に崖下へと落とされてしまったのだった。


 周りはもう完全に暗くなってしまっている。一体あれからどれほどの時間が経ってしまったのだろう。とりあえず彼女の姿はない。もしかして僕が死んだように見えたのだろうか。


「うぐ……!?」


 それも妥当な判断と言えた。見ると僕の腹には建物の基礎から生えた鉄筋が背中から突き刺さって腹に抜けていた。肩からの出血もあり、僕の体の回りには血だまりが出来ていてそれがドス黒い色になって固まっている。両足も変な方向に曲がっている。まさに満身創痍。自分でも生きていることが不思議だった。


 どうする。意識は奇跡的に回復したがこのままでは近いうちに死ぬだろう。自分で動いて病院に行くなんて不可能だろうし声を出そうと思っても大きな声は出せそうになかった。


 となれば携帯か。左手だけはかろうじて動かすことが出来た。僕は自分のポケットをまさぐってみた。


「これは……」


 携帯は落ちた衝撃画面が割れてしまっているようだった。電源ボタンを押してみても反応がない。駄目だ、完全に壊れてしまっている。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 虫の息とはこのことだ。呼吸をすることすらつらい。どうやら生き残るためには再びキャンセルを成功させる他なさそうだ。


 しかしどうすればいい。さきほど僕は三回もキャンセルをしようとしたにもかかわらず失敗してしまったのだ。本当に僕はキャンセルのチカラを失ってしまったのだろうか。


 いや、まだそうと決まったわけではない。たとえばキャンセルには何かまだ僕が知らない条件があるのかもしれない。なぜキャンセルが出来なくなってしまったのだ。それを考えるんだ。


 もし仮に何かの条件に引っかかって出来なかったのだとすれば他のことならもしかしてキャンセル出来るということだろうか? そうだ、とりあえず簡単なことをやってみよう。


 僕は左手で自分の胸のボタンを引きちぎった。これをキャンセル出来ないようなら僕はもう本当にキャンセル自体出来なくなったと言っていいだろう。


「キャンセル……」


 すると、その瞬間に手の中からボタンが消えた。ボタンを引きちぎった場所に手を触れてみると、元に戻っていた。成功だ。これはどういうことだろう。キャンセルは一体どういう時に出来なくなってしまうのだ。


 そうだ、考えてみればキャンセル出来なかった経験は今回に限ったことではない。最初にキャンセルをして遊んでいた時に判明したことだが、一度キャンセルしたことはもうキャンセルが出来なかったのだ。もしかしたら、それとこれは根本的に同じことが原因だったりするのかもしれない。


「なら……」


 僕はボタンを二個引きちぎり、最初にちぎったほうをキャンセルしてみた。すると手の中にボタンは一つだけになった。そしてもう一度、今度は二回目に引きちぎった方をキャンセルしてみた。


 しかし予想通り二回目のキャンセルはうまくいかなかったようで、ボタンは手のうちから消えることはなかった。


「なるほど……」


 おそらくだが理解した。一度キャンセルしたことはキャンセルできない。それはそうなのだが、それはもっと大きなルールの中の一部のことだったようだ。


 これはつまりキャンセルの能力は今の自分自身が体験した世界のことしかキャンセル出来ないのだ。


 キャンセルしてしまえば、キャンセルの対象時間からキャンセルを行った現在時間までは自分の体験した世界ではなくなってしまう。それは記憶がないもう一人の僕が体験した世界なのだ。それがたとえほとんど同じ世界であっても、それを今の僕は体験していないのだからキャンセルは出来なかったのだ。


 つまり言い換えれば今キャンセル出来るのは、僕と優奈、二人がキャンセルした対象時間以前の行動ということか。さきほどのキャンセルはおそらく既に優奈によって書き換えられた時間に起こった自分の行動をキャンセルしようとしたので失敗してしまったのだ。


 なぜそんなことに今まで気づかなかったのだろう。偶然? いや、僕達はキャンセルしようとするとき、とりあえず二人の死んだ時間から遡るようにしてキャンセルすることを無意識のうちに選んでいたように思う。その方が世界に与える変化が少なさそうだからだ。そう考えるとそこまでの偶然ではないのかもしれない。


 彼女がいつの出来事をキャンセルしたのか分からないが、それ以前のことをキャンセルしなければならない。



一つ思い当たることがあった。


「おそらくあれなら……」


 それは先生と中学校で時再会した時の記憶だ。僕は先生に命の恩人だと言われ、なんとなく押されるがままにそれを受け入れてしまった。それをキャンセルすれば、頑なに違うと突っぱねればそれ以降の先生の行動も大きく変わるはずだ。


 僕にとって、それが最後の弾だと言えた。長い時間をかけて熟考すれば何か思いつくかもしれないが、血を出しすぎたのか目がなんだかかすんできた。今更他のことを思い出している時間は残されてはなさそうだ。


「……キャンセル」


 僕は最後のチカラを振り絞るようにその言葉を発した。


 そして僕は気付けば自分の部屋の中へといた。


「ふぅ……」


 とりあえず怪我が完治していることに安堵する。


 現時刻は午後八時を回ったところだ。僕がさっき燃え盛る我が家にたどり着いた時刻は午後五時半くらいだったはずだが、僕は思ったよりも長い時間意識を失っていたらしい。


 さて、予想通りキャンセルは出来た。これからどうするべきか。みぞれは生き返っただろうか。とにかく確認しに行く必要がある。もう夜遅いが、そんなことは気にしている場合ではない。彼女が生き返っていればそれはもちろん素晴らしいことではある。しかしそしたらまた優奈の兄は死んでしまっているかもしれない。そしたらもちろん優奈はまたキャンセルをしようとしてくるだろう。彼女からしてもどんどんキャンセル出来る選択肢は少なくなっているのだからすぐにキャンセルはされないかもしれないがボーッとしている暇はない。


「またこの家に来てしまったか」


 バスに乗ってみぞれの家までやってきた。僕はチャイムを鳴らしてみた。


「はーい……?」


「あ、えっとみぞれさんはいらっしゃいますか」


「えーっとどちらさまですか?」


「僕は同じ高校の志都瀬と申します。ちょっと近くまで来たので」


「……あらそうなの。ごめんなさいねぇ、彼女今出かけてるのよ」


「出かけて……? そうですか」


 よし。どうやら先ほどのキャンセルによって彼女は生き返ったようだ。それにしてもこんな夜に彼女はどこにいる? もしかしたら家にいるのに僕を警戒して追い返したのか?


 そうじゃないと仮定した場合、彼女がいるのはきっとあの場所だろう。




 僕はみぞれの家を離れるとあの倉庫へとやってきた。すると彼女がいつもの椅子に座り何か編み物をしていた。よかった。やはりここにいたのか。


「みぞれさん!」


 すると彼女は手を止めてこちらに目を向けた。


「えっと……あなたは?」


 彼女は僕のことを知らないようだった。そりゃあそうか、中学も高校も違うのだから接点なんてあるわけがないだろう。


「えっと……僕は志堵瀬ハジメという者です」


 僕は軽く頭を下げて言った。


「……そうなの。それで……何か用かしら」


「あぁ、えっとそれは……」


 初対面でなぜか名前を知っているなんて、これではストーカーか何かだと思われても仕方がない。どう説明すればいいだろう。


「……安否確認をしに来たんです。あなたが生きていて本当に良かった」


 しかし変にごまかすのも面倒だし、僕はそのまま伝えることにしてみた。


「安否確認……? 私の?」


「えぇ。でも、まだ終わってないんです。またあなたはこれから消えてしまうかもしれない」


「私が消える……? あなたが一体何を言っているのか私にはよく分からないのだけれど」


 彼女の生存が確認されたところで次の行動が決まった。優奈を何とかしなければならない。これ以上キャンセルをさせてはならない。彼女は今兄がいなくなってしまったことを嘆き、また何かキャンセルすることを探しているはずだ。


 いやしかし、どうなのだろう。これまではそんなことはなかったが、もしかしたら今回のキャンセルは特別かもしれない。優奈の兄も同時に助かっている可能性もゼロとは言えないだろう。だとしたら、この件はこれで終わり?


 そんな可能性があるとするならば迅速にそのことを確かめたい。


 この世界では僕は優奈とも知り合いではないはず。だから連絡先が分からない。いますぐ本人に尋ねることは難しそうだ。さらに言うなら、お互い通う高校も違ってしまっている。共通の知り合いもいないので友達に聞くという手も使えない。


 いや待て。そうだ、目の前にいるみぞれに聞いてみればいい。みぞれを助けて彼女の兄は死んでしまっていた。だとしたらきっと優奈の兄とみぞれは元から知り合いなのだから。


「みぞれさん」


「……何かしら」


 しかし、よく考えてみれば彼女の兄の名前は何というのだろう。そういえばそんなこと一度も聞いたことがない。


「えーっと、あなたは倉木優奈という人をご存知ですか」


 僕はとりあえず優奈の話から始めてみることにした。二人は同じ中学だったと言っていたし、この世界でもおそらく知り合いのはずだ。


「えぇ、私のお友達よ」


「え……お友達……ですか」


 僕が知っている元の世界では、二人は同じクラスではあったけれど友達と呼べるような関係だっただろうか。二人が仲良く話しているところなんて見たことなどなかった。それどころか優奈は簡単にみぞれのことを消し去っていたのだ。たぶんどちらかというと仲は良くなかったのではないかと思う。


「えぇ、彼女のお兄様は私の命を救ってくれたの。それがきっかけで今では私達二人は一番のお友達なのよ」


「……そうですか」


 やはり、僕が最初にいた世界とはそのあたりの人間関係が結構変わってしまっているのだろう。まさか消そうとしている相手が親友だなんて。今の優奈もたぶんこんなこと知らないのではないか。


「あなたも優奈のお友達なの?」


「え、えぇ……まぁそんなところです」


「なるほど、それで私のことも知っていたのね」


「そ、そうなんですよ」


 面倒なのでそういう事にしておこう。これなら少しは信頼されるだろう。


「それでそのお兄さんって、今どうなったか知っていますか」


「それは……」


 彼女は僕の質問に顔を伏せてしまった。


「もちろん知ってるわ」


 これは、おそらくいい結果ではなかったのだろうと察することが出来た。


「……亡くなられたと知ってるってことですね」


「えぇ、もちろん。彼は私を助けたせいで死んでしまったのだから」


「……すいません、嫌なことを思いださせてしまいましたね」


「いいのよ別に」


 やはり優奈の兄はこの世界で死んでしまっている。結局こうなってしまうのか。彼女の兄も同時に助かってくれるのならそれで全てがうまくいくのだが。


「ところで、気になることがあるのだけど」


「……なんでしょう」


「安否確認ってどういうことかしら」


「あ、あぁ……それは……」


 どう説明すればいいだろう。一から説明している暇はなさそうだ。こうなった以上優奈はいつキャンセルをしてしまうか分からないのだから、みぞれを無視してここから出て行ったほうがいいかもしれない。でもまぁ、一言ここで優奈のことを警告しておくことにしよう。


「……倉木さんには気をつけてください」


「え……?」


「彼女は危険な存在なんです」


「一体何を言っているの……? 彼女は私のお友達なのよ」


「そうですね……たぶんさっきまでは本当にそうだったのでしょう。でも彼女はもう変わってしまった。今は別人だと思ってください。あなたをこの世から消そうとしているのは彼女なんです。あなたに直接危害を加えても不思議はない。見かけても近づかないように気をつけてください。僕は……必ずあなたを守ります!」


 僕はそれだけ言い残すと踵を返し出口の方向へ向かって走った。


「あ、ちょっと……!」




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