第30話 その先には

「ノエル本当に良いの? アゲートに帰るの? あ、あのねノエル」


 ハープの弦を調律していると、横にいたエレーヌが纏わりつき、何かを言いかけては口を噤み黙り込む。

 傍らにいるシシィも落ち着きがなく何かを訴えかけるように見つめられる。


 あの出来事から一週間が経った。

 仮面舞踏会は予定通り三日間行われたが、ジェイド・インペリアルが死んだと言う事実は、国民や行商人の口伝いにあっと言う間に広がり他国へと伝わった。


 ユーリの亡骸は、表向きには、燃やされ海へと流したと発表された。

 だが、真実はフランシスカ王家により内密に、かつ厳重に、一部の人間しか知らない場所に静かに葬られた。


 私とエレーヌの行動は、フランシスカ王家は勿論のこと、この件に関わりのある人達から事情を聞かれる羽目になり一部からは非難を浴びた。

 エレーヌはアルフレッド様から、こっぴどく怒られ、国に帰ればしばらくは謹慎を言い渡されるらしい。

 そんな私達を守ってくれたのは、お兄様とフランシスカ王家だった。


「ねえったら! 何で帰るの? フランシスカが気に入ったならここに居れば良いじゃない。そうよね、シシィ」

「はい。エレーヌ様の言う通りです。ノエル様、その方が皆が喜びますわ」


 ずっとこの調子だ。

 私がアゲートに戻ると皆に告げたのは三日前のこと。エレーヌ達も国へと帰るこの日に、私もフランシスカを離れると決めた。

 アイーシャ様は話を聞いてくれたあと、何も言わずに頷いてくれた。お兄様とは、お互いの誤解を解消すると、何度も謝ってくれて私の決断を尊重してくれた。


「私がこの国にいる理由がなくなったのよ。アゲートに帰るのは当たり前だわ」


 フランシスカから借りたお金は、エレーヌが頼み込んでくれたおかげで、アルフレッド様が援助を申し出てくれた。

 これで、しばらくは問題ない。だが、お兄様は何とも言えない顔をしていた。妹の嫁ぎ先にまで王家の内情が知れ渡り肩身が狭いらしい。


「なんで? ノエルは、えっと、フ、フィルが好きなのでしょう? なら、伝えなきゃ何も変わらないよ?」


 エレーヌの叫び声に、調律していた手が止まる。

 なぜかエレーヌは、フィルの、アンリの名前を呼ぶのを一瞬、躊躇した。


「そうですわ、ノエル様。フィルと話し合って下さい。お二人共、喧嘩してから一度も話し合っていないと聞いております」


 フランシスカに来てから、一貫して私を助けてくれたシシィは、ジェイドによって倒れた後も変わらず私に接してくれる。操られていた時の後遺症はまったくなく、私を責めたりもしなかった。


「どうしたの二人共。もう良いのよ……気にしないで」


 本心を隠して微笑むが、それが二人には痛々しく映ったようで、エレーヌは立ち上がり、シシィが泣きそうな顔をする。


「ノエル! 伝えなきゃ相手はわらかないって何度言ったらわかるの? いい加減にしなさいよ!」


 これで何回目だろうか? アゲートに帰ると伝えた日から、二人は勿論のことアルフレッド様にも説得をされる始末。


「フィルも迷惑よ……。私の噂がまた広がっているようだし、それにシャルワ様との婚姻を断る形になるのだから、これ以上フランシスカ王家に迷惑はかけられないわ」


 誰にも話してはいないが、シーラとの約束も守らないといけない。


「だから違うのよ! シャルワ様は本当は――――」

「エレーヌ様、私を呼びましたか?」


 いきなり聞こえた声に振り返ると、シャルワ様が立っていた。その後には、いつものように仮面をつけたフィル……アンリの姿がある。

 アンリと顔を合わせるのは、ユーリが亡くなってから二回目だった。一回目は、 ユーリの亡骸を埋めた時。何か話さなければと思っても言葉が出てこなかった。


 アンリも私を避けているのか、それ以外で会うことはなかった。私も気まずい想いを抱え、どうしても目を逸らしてしまう。

 今だってそうだ。すぐに目を逸らしてシャルワ様へと視線を移す自分が情けない。


「エレーヌ様。どうかなされましたか? 午後には皆様出発と聞いておりますが、支度は終わりましたか?」

「ちょっと――! いつまでっ……あなたも何とか言いなさいよ」


 今にもシャルワ様に掴みかかりそうなエレーヌに目を丸くするが、これではいけないと間に入る。


「シャルワ様申し訳ございません。妹の非礼は私からお詫び致します。エレーヌ、さっきからどうしたの?」

「だって……このままじゃノエルが!」


 エレーヌの視線はアンリへと向かっているようだ。二人に何かあったのかと不思議に思っていたら、シャルワ様から声がかけられた。


「ノエル様、私達を探していたとシシィから聞いておりますが」

「はい。最後に皆様に、私のハープを聞いて欲しくて。つたない演奏ですが、お聞き下さいますか?」


 最後にどうしてもアンリに聞いて欲しかった。

 口では伝えることの出来ない私の臆病な想いを。たとえ、身勝手な自己満足だと言われても聞いて欲しかった。


「それはぜひ。街ではノエル様の話で持ちきりですよ。姫君の歌とハープを聴きたいと皆が言っています」

「あの場にいた兵士達が口々にノエル様の歌を褒めて、それが街へと伝わったようです」


 シャルワ様が答えると、シシィも大きく頷き説明してくれた。シャルワ様とシシィは親し気に視線を交わす。


「シャルワ様とシシィはどういうご関係なのですか?」


 ずっと気になっていた。もう私はいなくなるから聞いても問題ないだろう。

 私が聞くとは予想していなかったのか、シシィとシャルワ様が目を丸くした。その後、シシィがなぜかアンリに視線を送ったあと、シャルワ様に寄り添った。


「……お気づきでしたか。幼き頃からの遊び相手で将来を約束していました」

シャルワ様が嬉しそうに答えると、シシィは顔を赤くさせる。

「そうでございますか。おめでとうございます。これで、私も安心してアゲートへと帰れます」


 心からそう思った。

 私のせいで二人の仲がこじれなくて、シシィに辛い思いをさせずに済んでよかったと。


「……アゲートに帰られてどうなさるのですか?」


 今まで沈黙を守ってきたアンリが私を真っすぐに見ていた。


「しばらくはアゲートに滞在しますが、落ち着いたら降嫁しようと思います。もう兄には伝えてありますので。私を……迎えてくれる方がいればですが」


 胸が苦しくなる。

 声が震えないように、気にしていないように、不自然にならないように答えるのがやっとだ。

 いつもの様に仮面越しのアンリは、どう思っているのかわからなかった。


「ちょっとノエル! 私は嫌よ。どうしてよ……どうして」


 今にも泣き出しそうなエレーヌに困ってしまう。私の、アンリへの気持ちを知っているから、なお更許せないのだろう。


「エレーヌ、もう良いから……。大丈夫だから手伝って。最後ですので庭でご用意させていただきました。最後の私のわがままだとお付き合い下さいませ」


 目を潤ますエレーヌに微笑み、大丈夫だと伝えるように肩を抱く。そのまま庭へ出ようとすると、エレーヌがアンリの方を振り返る。


「どうして? どうして言ってはだめなの? このままじゃ……ノエルが」


 私がどうしたのだろうか? 室内の気まずい空気も、私以外はその理由を知っているみたいだ。

 皆が、なぜかアンリの方を見ている。


「エレーヌ、もう止めなさい。さあ……行きましょう」


 まだ、何か言いたげなエレーヌを引きずるように庭へと出る。あの日が嘘のように雲一つない清々しい陽気だった。

 この空を私は一生忘れないだろう。



 すべての用意が整うと、辺りは静まり返った。

 聞こえてくるのは水の流れる音と風の囁き。

 フランシスカへと来て、見る物すべてが新鮮だったのに、心を閉じて人との関わりを絶とうとした、あの日を思い出す。

 それが、今はとても穏やかだ。まさか、こんな気持ちになれるなんて、あの時は思わなかった。


 後ろにある滝の音を聞きながら、ハープの弦に指を置く。

 ハープは、また最初から組み立てた。

 元々、ハープの音を最大限に引き出すと言われている高級な木をベースに使っている。あのまま捨てられるのは可哀想だと、一生懸命組み立て直した。


 一本の弦を弾くと、ポーンと本来の音源が、滝の水音に混じり消えて行く。

 深呼吸をすると、見つめた先にはアンリの姿。

 木々の下に敷いた絨毯の上で、シャルワ様を始め、シシィやエレーヌ達と一緒に座り、私を見守ってくれている。


 最後だから……最高の演奏を。


 鳥の鳴き声が高く鳴り響いたのを合図に指を動かす。

 それは――初めて演奏する恋の歌。

 ユーリの前ではなぜか弾けなかった淡い恋の歌。それに自分の想いを乗せる。

 アンリと出会った奇跡と恋に落ちた淡い夜の語らい。

 助けられて励まされ……そして夢を見ているように幸せだった。一度は思い描いた、二人で暮らす幸せな日々。

 でも……傷つけてしまった。謝ることさえ出来ない臆病な私は、最後までずるい……。


 ハープの音色に合わせ、警戒心の強い小鳥達が集まって来た。まるで自分達も歌っているように声を弾ませる。

 その音色に合わせ、木々が風に吹かれ葉音を鳴らす。

不思議な感覚だった。まるで皆が私に、頑張れと励ましてくれているように思えた。


「えっ……」


 すると、雲一つなかった空から細かい雨が降り注ぐ。濡れるほどではないが、肌をわずかに湿らせる細かい雫。

 エレーヌが驚いたように空を見上げ、シシィやシャルワ様も不思議そうに顔を見合わせている。



 ただ、アンリだけが私をじっと見つめていた。


 ……ユーリだわ。怒っているのかな。最後まで自分の想いを伝えないから……でも。


「――――っ」


 雨に混じってユーリの声が聞こえた気がした「歌ってみたら?」と。

 そう言われると歌わずにはいられなかった。


 旋律と共に、小鳥たちや風の囁き、かろやかに流れる水音が応援してくれるように、歌声に合わせてくれる。

 それにのせ歌い上げる。


 アンリへの想いを――――。


 いきなり歌い出した私に、アンリは驚いているようにも見える。

 届いたら嬉しいな。私は、あなたの髪も瞳も全てが好きだと。とても綺麗だと声にのせた。

 声が枯れるまで、これで歌えなくなっても私は後悔しない。あなたに少しでも伝わるなら、私は幸せだ。


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