第28話 天使の歌声
「っ、はぁ……」
足元に転がった鏡を拾おうとして膝を付く。また立ち上がろうとしたが、すぐには立ち上がれない。
久しぶりに扱った弓の反動からか、手が痺れ、肩で息をするほど身体中に痛みが走る。
「大丈夫? 手から、また血が出てるわよ」
「問題ないわ。……そのうち止まるから行かないと……エレーヌが危ない」
今にも倒れそうな私の体をシーラが支えてくれた。
私達の後には数人の男性が心配そうに見守っている。
鷹に逃げられたあと、次に向かった洞窟で、偶然にもシーラと遭遇したのだ。
神殿での舞の準備のためにと、ゴンドラに乗り込んでいたシーラに縋る思いで頼み込み、街に連れて行って欲しいと交渉した。
最初は驚かれ不愉快な顔をされたが、私の持っている弓と血で汚れた手が目に入った途端、何かを思いついたように、こう言った。
「あの方の傍からいなくなるなら、願いを叶えてあげる」
あの方とはフィルのことだろう。シーラの態度と、シシィから少し聞いていた話を繋ぎ合わせれば安易に想像がつく。
フィルを思い出し、心がざわめくが、ぎゅっと唇を噛みしめて頷いた。
「……わかったわ。もう、近づかないわ」
私には頷くことしか出来ない。
ジェイドを射抜くことが出来たなら、私はアゲートに戻る。ジェイドを射抜くことが出来なかったら、私はジェイドと共に生き続けるだろう。
どちらにしろ、私にはフランシスカで暮らす未来は残されていない。
心の中の葛藤を押し込めて頷くと、シーラは嬉々として協力してくれた。
エレーヌ達が乗っている船を探し出し、ジェイドと忌まわしい鷹を見つけるために、運河を見渡せる小高い山へ登った。そして、ジェイド達が姿を見せるのをひたすら待った。
「ねぇ、顔色が悪いわよ。少し休んだら?」
あの攻撃的で高飛車なシーラが心配してくれるほど、私の顔色は悪いらしい。でも、立ち止まっている暇はない。
エレーヌとジェイドの姿を見た時、迷いが生じた。
エレーヌに矢があたるかも知れない懸念と、ユーリを射抜くことが本当に出来るのかと。
かつて、愛おしいと感じたユーリを、自らの手で殺めることが出来るのかと、自問自答を繰り返した。
だが、雨が降り出した時……決意した。
これはユーリからの合図だと。私の心の迷いを消すために、ユーリが降らせた雨だと思ったから。
「ここで十分よ。あなた達は避難して。何が起こるかわからないから」
小高い丘を下りた所で、肩を貸してくれたシーラに礼を言うとエレーヌ達を探す。
「一人で行くつもり? 危ないわよ」
シーラが私の心配をしてくれているようで、細い眉を寄せて私を見た。シシィが言っていたように、本当は素直で優しい性格のようだ。
「……ありがとう。でも大丈夫よ。もうすぐ、シシィが目覚めるはずよ。シシィに、ごめんなさいと伝えて……。そして、フランシスカでの暮らしは楽しかった、ありがとうと」
涙ぐみながらシーラを見ると、怪訝な顔をされる。
「何をする気なの?」
「もう一つ伝言をお願いしても言いかしら。フィルに、ごめんなさいと伝えて。あなたは私の天使だったと。そして、とても綺麗だと」
シーラの質問をはぐらかし、自分ではもう伝えることが出来ないだろうと、シーラに託す。でも、上手く言えなかった。
シーラが何かを言う前に走り出した。
視線が纏わり付く。
目指している場所へと足を進める度に、好奇な眼差しを向けられ身が竦みそうになった。
小雨が降る中、濡れた髪とドレスをそのままに、左手には弓を持って歩く姿は、さぞや異様だろう。
そんな雰囲気を察してか、人が引くように道をあけられた。
近づく度に嫌な予感がぬぐえない。
矢を放った時に、エレーヌ達がいた石橋には姿がなかった。いたのは、騒ぎを聞きつけた民衆と後処理に忙しい兵士達だけ。
その近くにいた行商人から、どうなったのか問いかけると、神殿の方へと男が逃げて行ったと言う。
まだ動けるのかと唇を噛みしめた。気をひきしめ、神殿への行き方を教えて貰うと駆け出した。
矢は、ジェイドの右肩を射抜いた。それだけでは死ぬ訳がない。だが、弓と矢の力が注がれていれば、その場で意識を失うこともあるのではないかと思ってしまった。だが、考えは甘かったようだ。
でも、エレーヌが私の合図に気が付いてくれて安堵した。
鏡を反射して合図を送る方法を教えてくれたのは、お兄様だった。困ったとき、遠くで声が伝えるのが困難な時は、こうやるようにと。昔の遊びが役にたった。
神殿へ近付くにつれて兵士や騎士達の姿が目立つ。
だが、――――静か過ぎる。
誰もが強張った顔をして神殿を目指す私を止めない。
この国の象徴とも言える、真っ白で厳かな神殿が見えて来た。早足になりながら、周りを見渡す。人で溢れ返っているが、エレーヌ達の姿は見当たらなかった。
途端に不安に襲われる。
何処にいるの……? エレーヌ。ユーリ……。
探していると、私の顔を見た騎士達は、目を大きくさせ、驚いたように私を見つめている。そして、さらに奥の森に、多くの騎士や兵士が集まっている場所を見つめて困惑していた。
……この反応、エレーヌと私を間違えている。
その方向へ進もうとすると、騎士達が焦ったように私を引き止めた。
「どきなさい。妨害することは許されません」
顔を上げて命令すると、私の雰囲気に呑まれたのか戸惑ったまま道をあけた。
人が多くいるのに怒鳴り声や叫び声さえも聞こえない。静まり返った森に、最悪な事態を想像しながも、そこへと向かう。
森を通り抜け開けた先には、木々に囲まれた大きな湖と滝がある。水が滝つぼへと落ちる地鳴りのような音が聞こえた。
「ノエル――!」
一際大きな声で私の名前を呼んだのは、無事な姿を見せたエレーヌだった。その声で、一斉にその場の視線が私へと集中する。
皆、一様に私の姿に戸惑い、驚き困惑していた。
一歩、また一歩とエレーヌに近付く。だが、湖のほとりで倒れている人物が視界に入ると、エレーヌには目もくれずに走り出す。
「ユーリ!」
悲鳴のように叫ぶと、ユーリの周りを取り囲んでいた騎士達がわずかに表情を変えた。
「ノエル、待つんだ。危ないから」
輪の中から出て来たのは険しい表情を見せたフィル。私を助けてくれた天使様……アンリだった。しかも、珍しく仮面をしていない。
駆け寄ろうとした私の腕を取ると、その場に引き止めようとする。
「離して……。お願いだからユーリの元へ行かせて」
これが最後の別れになる予感がしたから、ユーリの傍にいたかった。最後に傍にいてあげたいと思った。
「だめだ。動けないとは言えまだ意識はある。危ない」
動けない……?
ユーリの状態が良くないと、アンリの歯切れの悪さから伝わって来る。すぐに傍に行ってあげたかった。
「嫌よ、離して! あなたの指図に従う義務はないわ!」
思いっきり腕を振り払うと、アンリが悲しそうな顔をした。その表情を見ていると、アンリを傷つけた夜を思い出す。
「ごめんなさい……」
小さく呟くと背を向け、ユーリの元へと駆け寄る。
騎士達が一瞬、躊躇った素振りを見せたあと、素直に場所を空けてくれた。
一歩近付く度に、嫌な予感があたったのだと胸が痛くて想いが込み上がる。
湖の傍に仰向けに横たわり、目を閉じたままのユーリの姿に涙が溢れた。
右肩に突き刺さった矢は抜かれたのか、衣服に血が付き色が赤黒く変わっている。服は所々破れていて、顔にも体にも無数の血が滲んでいる。
血を流しすぎているせいか顔色も悪い。
「……ユーリ」
手から弓が力なく落ちた。傍へと跪くと、ユーリを大切に抱き抱えた。
「……やっぱり、ノエルと会う時は、いつも、雨だ」
私に気づいたユーリは、重そうな瞳をあけると、途切れ途切れに呟いた。
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