第20話 現れた厄災②

 喉の奥に驚きを閉じ込め、目を見開くことしか出来ない。私の困惑した表情に、 困ったように笑い、アンリは私から距離をとった。

 何が起こったのかわからなかった。


「ノエル。話を聞いて欲しいんだ。長くなるけど、まだそれくらいの時間はあるから」

「どうして、フィルがいるの……。アンリは……どこ?」

 頭が混乱してきた。

 私が一緒にいたのはアンリだった。

 話を聞いてくれたのも、慰めてくれていたのもアンリだった。でも……今、私の目の前にいるのはフィルだ。


「……話せば長くなる。フランシスカ王家の先祖には、特別な国から嫁いできた女性がいるんだ。天の子孫と呼ばれた国から来た姫君の血が入っている」

「天の子孫……?」

 初めて聞く話を、フィルは淡々と語り出した。

「もう何百年も前の話だよ。その国の王族は、代々不思議な力を持って生まれてくる。宝石を用いて怪我や病気を癒し、人々を幸せへと導いた。その女性の血を受け継ぐ子孫には、稀に同じような力を持つ子供が産まれる。……月日が経ち力は衰えたけどね」

 力を受け継ぐ? そう言われると思い当たる節があった。

 確か、あの時、眠くもないのに、アンリに手をかざされただけで意識が遠のいたことがあった。


 一回目は助け出して貰った時。そして二回目は昨日だ。

「思いあたる節があった? 小さな力だけど、手をかざすだけで相手を眠らせることが出来る。あまり人の役には立たないけどね」

 そう言って笑うフィルは、今までの真面目でお堅い態度とは違った。とても親しみが持てて雰囲気が柔らかい。

 ……こっちが本当のフィルの姿? 確かに昨日や、さっきまでのアンリと同じ口調と仕草だわ。それに、この潮が混じった香りも一緒だ……。


「それと容姿も、夜だけ髪と瞳の色が変わるんだ」

 そう言うと、自分の黒い髪に触れて困ったように笑った。

「気味が悪いと言われることもあるから、国外では帽子や仮面で隠すようにしている。他国では見なれない近寄りにくい姿は、面倒な質問や近寄って来る令嬢達もかわせるから良いこともあるんだけどね」

 黒い帽子と仮面? それって、まさか……。

「アゲートで助けてくれたのはフィル? あの仮面と帽子の男性なの?」

「……そうだよ。フィリップに言って静かな場所を教えて貰ったんだ。まさか、あんな場所にノエルが来るなんて予想外だったけど、ノエルが無事で良かった」

 切なそうに見つめられると、腕をとられ引き寄せられた。そして、そのままフィルの腕の中へと閉じ込められる。


 途端に、どうしたらいいのか狼狽えてしまう。でも、嫌じゃなかった。安心出来るこの腕の中は、とても温かい。

「ハープの演奏、素晴らしかったよ。素敵な想いと演奏をありがとう」

 どうして、この人は、私の欲しかった言葉をくれるのだろう。久しぶりに弾いた、あんなにもつたない演奏で『ありがとう』と言ってくれるなんて。

「扉の前で聞いていてくれたのね……」

「気付いた? 暗いからわからないと思ったけどね。まさかノエルがハープを弾くとは思わなかったから、どうしても聞きたかったんだ。髪の色が目立つから、急いで仮面と帽子を身に着けて広間へ向かった」

 わざわざ、私が来るのを待っていたり、急いで変装して戻って来てくれたり、忙しい人。

 その時のフィルを想像して思わず笑みが零れた。


「もしかして笑ってる? ノエル」

「ち、違うわ。聞きに来てくれて、ありがとう」

 拗ねたようなフィルの声に慌てて取り繕う。そして、フィルを見つめながらふわりと笑った。


「やっとで笑ってくれた――」

 フィルの大きな手で髪を梳かれる。

 どうしようもなく胸が高鳴った。視線を合わすだけで恥ずかしくてすぐに逸らしてしまう。でも、このままでいたい。

 自分の変化に驚きながらも戸惑いを隠せない。

「ノエル……。やっぱり気持ち悪い? こんなに変わった体質の人間は」

 いきなり黙り込んだ私に、何を勘違いしたのかフィルが寂しげに笑った。

「ち、違います。気持ち悪くなんてありません。初めて助けてくれた時、天使様が迎えに来てくれたと思うほどに、とても綺麗だった――」

 あの時言えなかった想いを今、言おう。今なら、素直に伝えることが出来るから。

「助けてくれて、ありがとう。あの時来てくれたのがフィルで本当に嬉しかった……。ありがとう」


 何度も感謝の言葉を口に出してもフィルの反応は薄く、不思議に思っていると、背中に回されていた腕に力がこもった。

「ノエル……それ、ちょっと反則」

 私の肩に顔を埋めたフィルが、小さな声でボソボソと何かを言っているが聞き取れない。

……どうしたのかしら? フィルの顔が赤いようだけど具合でも悪いのかしら?

「フィル、体調が悪いなら休んで。私なら、もう大丈夫だから――」

 まだ離れたくはなかったけど、夜中、ずっと付き合わせてしまった。いつも忙しくしているフィルを思って、慌てて休むようにと声をかける。

 私の言葉に顔を上げたアンリのとけるような笑みに息を呑んだ。


「ノエル……。アンリだから。二人の時はアンリと呼んで。誰かいる時はフィルと」

「どうして、二つの名前を?」

 なぜ、二つの名前を持ち使い分けているのか疑問が浮かんだ。それに、この庭は私とシャルワ様しか入れないとシシィが言っていた。なのに、どうやって入ってこれたのか不思議でならない。


「アンリは幼少期の名前だ。フィルは成人してから与えられた公務用の名前」

 フランシスカでは、成人してから名前が変わるのかしら?

 初めて聞いた独特な文化に戸惑いを感じた。だが、これからフランシスカで暮らすのであれば、それが当たり前なのだと納得した。

「わかったわ……。アンリ」

 そう言うと、嬉しそうに彼が笑った。

 あ、まただ。また、胸が締め付けられるように痛い。でも嫌な気分じゃない。すべてを忘れて、ずっとアンリの傍に居たいと思ってしまう。



「……こんな所で、二人で何をしているんだ」

 いきなりかけられた、低く淡々とした口調に身体が強張った。恐る恐る声の主を確認するとシャルワ様の姿。

「あ……」

 近くの木によりかかり、腕を組みながら私達を見ている。その姿は無表情で何を考えているのかわからない。

 シャルワ様の後には、気まずそうなシシィの姿も見えた。その表情は強張り、困っているようにも見える。


「何をしているんだ? フィル、答えろ。それとノエル様、逢い引きは俺の知らない所でやってくれ」

 逢い引きと言われると反論しようがなかった。朝早くに、私用の庭でフィルと二人きり。不審に思われても仕方がない。

 しかも、私はシャルワ様ではなくフィルに惹かれてしまっている。


「どうしてフィルがここに居る? ここに入るのを許可した覚えはない。二人共、納得のいく説明をして貰うぞ」

 顔が青ざめるのを感じた。

 私は何をされても耐えられるけれど、フィルにまで咎が及んだ場合、私の立場では助けられない。フィルだけでも許して貰わないと。

 フィルの止める声が聞こえるが、シャルワ様の元へと行き跪いた。


「シャルワ様。申し訳ありません。すべては私の責任です。咎めはすべて私が受けます。フィルは関係ありません」

 頭を下げていると、フィルが私の隣へとやって来る。

「ノエル様はそのようなことをする必要はありません。シャルワ様、話があります」

 フィルが私の肩に触れ立たせようとした。

「……フィルの話は後回しだ。ノエル様の話から聞こう。お前達は下がれ」

 シャルワ様が、フィルとシシィに冷たく言い放つ。

「シャルワ様。どうか、フィルの話からお聞き下さい。ノエル様は顔色がすぐれない様子。それに……怪我をされています。手当てが終わってからでもよろしいかと」

 シシィも私の傍に来ると、心配そうに眉を寄せ、膝を付くと私の顔を覗き込んだ。


「だめだ。二人共早く離れろ。でないとノエル様を水牢にいれるぞ」

「シャルワ様! いくらなんでもそれはやりすぎです。水牢だなんて女性には酷でございます」

 シシィが憤慨したように言い返すと、シャルワ様の目が泳ぐ。だが、すぐに表情を消した。


「これが最後だ。二人共、離れろ」

「シャルワ様……」

 フィルの押し殺したような低い声に、思わず空気が凍りつく。二人が対峙すると、シャルワ様がため息を吐き頷いた。

「……わかっている。約束は守る。話を聞くだけだ」

「わかりました。シシィ行くぞ。ノエル……様、ありのままお話下さい。私を庇う必要はありません。素直に思いついたまま、お話下さい」

 そう言うと、フィルが不満げな顔をしたままのシシィを連れて傍を離れた。

「ノエル様、こちらへ。石の上では冷える。あそこで話を」

 私が立ち上がったのを確認すると、シャルワ様が歩き出す。その後ろを追い駆けた。


 辿り着いたのは、人口で造られた滝のある場所。そこの茅葺の四阿に入り、勧められるままに長椅子に腰を下ろした。

 シャルワ様も椅子に座ると、じっと私を見つめてきた。その視線は、じろじろと容赦なく突き刺さり居心地が悪い。


「……あなたは何か勘違いをしている。あなたは私の妃となるべくフランシスカへと来ている。フィルとではない」

 全身の血が一気に体中を駆け巡り熱くなる。

 シャルワ様に見抜かれている。私がフィルに惹かれ始めていることを。このままでは、私とフィルの問題だけではすまなくなる。お兄様やエレーヌにも迷惑をかけてしまう。

「わかっております。私が悪いのです。今後はこのようなことがないように致します。ですので、咎めはすべて私に。フィルには慈悲をお与え下さいませ」

 膝の上に重ねてある両手に力を込めて、頭を下げた。

「この庭だったから良かった。他の場所で他人に見られると、いらぬ噂が立つ。そして私の立場もあやうくなる。あなたも王族なら自覚し、教えられているはずだ。醜聞がどんな災いを運んで来るのかを」

 悔しかった。まるで、アゲートでの教育が悪いと言われているみたいで。お兄様に申し訳ない。


「……申し訳ございません」

 震えながら、声を絞り出す。

「それと、そのような姿で、今後人前に出ないように」

 言われて更に身体が熱くなる。

「……申し訳ございません」

 薄い夜着を身に着けただけの姿に、更に羞恥が沸き起こる。

 アンリだから、天使様だから大丈夫だと思った。そんな自分の甘い考えに後悔が押し寄せた。

 あからさまにシャルワがため息を吐き立ち上がる。すると、なぜか、私の隣へと移動し腰を下ろした。


 いきなり肩が触れ合うような近い距離に、無意識に離れようと動くが、腰に手を回される。

「忠告しておこう。これからはフィルに近付くのを禁止する。フィルにも伝えておこう。理由は言わなくてもわかるだろう」

「……はい」

 仕方がない。私はシャルワ様の妃としてこの国に来たのだから。

 でも、心の中は複雑だった。フィルに会えなくなる寂しさと、小さいながらも自覚しかけた想いは簡単には消えてくれない。


「それから、この頬は誰から受けた? フィルではないな。あいつは絶対に女性には手を上げないからな」

 シャルワ様が私の頬に触れる。

 フィルの時には感じなかった気持ち悪さを感じ、思わず逃げたくなった。でも、ここでシャルワ様を突き飛ばしたりすると、私よりもフィルに罰がいくかも知れないと我慢する。


「っ、それは……」

「フィルなら大罪だ。次期、国王の私の妃に手を出した罪は重い」

 きっぱりと言い切ったシャルワ様に血の気が引いた。

 ……フィルではない。でも、ここでジェイドのことを話せば大騒ぎになるだろう。ジェイドが弓を探して私を訪ねて来たと知られると、私が弓を所持していることが知られてしまう可能性が高くなる。それだけは避けないとならない。

 だけど、黙っていればフィルに罪が及ぶ。どうしたら、どうすれば良いの。


「答えられない程の相手か? では、フィルに聞くとしよう」

 シャルワ様の声色は、とても怖くて、本気でフィルに何かするような気がした。

 それだけは……だめ。

「ジェイド・インペリアルが私に……会いに来ました」

 決意すると、シャルワを真っ直ぐに見つめて伝える。大きく息を飲む音が聞こえた。

「会って、あの男はあなたに何を言った? それに、どうして、わざわざ会いに来た?」

「……弓を知らないかと言われました」

 一瞬迷いながらも答えると、考え込むようにシャルワ様が口に手をあてる。

 全部は言えない。でも、このくらいなら差しさわりがないだろう。全てを教える訳にはいかないのだから。


「それで、ノエル様は何と?」

「知らないと、身に覚えがないと答えました。でも、信じて貰えなくて……それで、殴られました。フィルが来てくれたおかげでジェイドが姿を消しました。だから、フィルに咎を与えないで下さい」

 自分自身で決着を付けなければならない。フィルを、これ以上巻き込む訳にはいかないから。


「確かに良いタイミングで、フィルはあなたを助けたかも知れない。しかし、夜に二人で会うのは許せる行為ではない。しばらくは、あなたにも謹慎を命じる」

 謹慎と言われ顔が強張った。ジェイドの時のように囚われるかと思い体が微かに震えた。

「謹慎ですか……」

「部屋から一歩も出ないように。もちろん庭にも。常にシシィや侍女を傍に置くように。仮面舞踏会が行われる四日間だけですよ。その日に、私とノエル様の結婚がフランシスカ中に知らされますから。また、間違いが起こったら大変だ」


 きっぱりと宣言され、肩を落としてうな垂れることしか出来なかった。

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