ライネスとハティー

43*その恐怖が自らにつきまとう




「遅い! ハティーはまだ出撃しとらんのか!」


 帝都ガルディンベルクを発ったガンドール帝国軍備部飛行戦艦『ゴルバス』は、ボンより北西10キロ地点を航行していた。


 エリア69でプルメリアが破壊した『ゴリアテ』よりは一回り小型の戦艦ながら、その重厚な巨体が上空を飛行する様はガンドール帝国の武力の象徴である。その『ゴルバス』の艦内、いくつものモニターが並ぶ戦闘指揮室。そこに、軍備部総司令官のライネスはいた。


「まだ出撃の報告はありません」


 モニターを監視する乗組員が答える。


「行動の遅い男だ。これだから奴はダメなのだ」


「まったくです。しかしライネス総司令官はさすがです。国務庁に悟られぬように極秘にゴルバスを出撃させるなど、ハティー司令官には出来ぬ所業です」


 ライネスの側近が言った。


「そうだ。アポロ左大臣が出した作戦では生温い。ここは一気に叩くべきだ。しかし正式に国務庁に報告すれば左大臣がうるさいからな。ここは極秘に動き、素早く潰す。結果的にコダマを殲滅すれば左大臣も文句は言わぬだろう。彼もこれで清々しく引退出来る」


「そして、ライネス様が左大臣になられるという訳ですね」


「気が早いわ!」


 そう言って、ライネスは豪快に笑い声を上げ、側近は手のひらの上で激しくゴマをすった。ライネスは満足そうに自身の顎を撫でた。毛量が寂しげになったモヒカンも、いつもより勢いよく逆立っているようにみえる。


「ハティーの出撃を待たぬともよい。戦闘機を出撃させろ。目標はイシガミ邸に潜んでいるコダマ4機とコダマを匿っている反逆者キョウコ・イシガミだ。目的は、殲滅」


『はっ!』


 戦闘機に乗り、待機していたパイロットが通信で答えた。


『G-1、出ます』


『G-2、出ます』


 ゴルバスの両サイドに設置されている射出口の扉が開き、勢いよくジェット戦闘機が飛び出した。


 戦闘機2機は森を抜け、穏やかな夜を迎えようとしているボンの街上空に出た。ボンの街の、ほのぼのとした暖かい夜の団欒を切り裂くように、けたたましい戦闘機のエンジン音が上空を駆け抜けた。


『目標のイシガミ邸を確認』


「よし、攻撃だ」


 ライネスは、ニヤリと口元を曲げて言い放った。


『攻撃、開始します』


 1機の戦闘機がイシガミ博士の家に爆弾を投下し、もう1機の戦闘機は家の周りにある森に爆弾を落とし、焼いた。


 一瞬にしてイシガミ博士の家は形を失い、炎に包まれた。


『攻撃、完了』


「よし、上空で待機だ。トドメは私が刺す」


 戦闘機の爆撃から数分後、ゴルバスがイシガミ博士の家の真上に着くと、そこで動きを止めた。そして、ゴルバスの船底に備え付けられている主砲の砲口が開いた。


「主砲、いけます」


 ライネスは、大きく右手を掲げ、振り下ろした。


「撃て!」


 ライネスの合図で、砲口は光を放ち、大量の熱をイシガミ博士の家に放出した。


 ゴルバスの主砲の威力はゴリアテの主砲に著しく劣るものの、家一つを消滅させるなど容易いことだった。イシガミ博士の家と周りの森は一瞬にして溶け落ち、周辺にあった民家はその衝撃で窓ガラスが割れた。


「イシガミ邸にエーテル反応ありません」


 モニターを監視する乗組員が言った。


「やりましたね!」


 ライネスの側近は両手を上げて叫んだ。ライネスも、満足そうに頷いた。炎に包まれるイシガミ邸の跡地からは、何の反応も見られなかった。ライネスは、勝利を確信した。


「よし、炎が消えたらコダマの残骸を回収だ。最も、残骸すら残っていないかもしれないがな。ガハハハ! 回収作業はハティーにやらせろ」


 ライネスがそう指示した瞬間だった。


 戦闘指揮室のモニターが、緊急事態を告げる真っ赤な画面に切り替わった。


「高エーテル反応を確認!」


「な、なに!? まだ生きておったか!」


「いえ、このエーテル波形は……、え?」


「なんだ!?」


「ラ、ラ、ラ……」


「どうしたと言うのだ!」


 ライネスは、椅子の肘掛けを叩いて怒鳴った。


「ラオム・アルプトです!」


「な、なにぃ!?」


 次の瞬間、戦闘指揮室の前面にある大型モニターに、大きな黒い顔のようなものが映し出された。


 血の池を思わせる、2つの目と口のような渦。その渦の中で踠く、無数の黒い人型。その口のような渦は急速に拡大し、戦闘指揮室のモニター全体が覆われた。艦内全体に、警報が鳴り響く。


「観測不能! 全てのメーターが振り切れています!」


「ほ、砲撃開始だ!」


 ライネスは震える手を前方に振って叫んだ。


『砲撃開始します』


 ゴルバスから機関砲が黒い顔に撃ち込まれる。


 砲弾は黒い顔に命中し、黒い顔は裂け、裂けた部位から真っ赤な人型が溢れ出てきた。しかし、その裂けた部位はすぐに再生し、元に戻ってしまった。


「な、なんなんだこいつは……せ、戦闘機にも攻撃指示だ!」


「G-1、G-2、ラオム・アルプトと思われる目標に攻撃開始せよ……ダメです! 通信不能! 電波障害により通信不能です!」


 上空を旋回していた2機は次第に飛行が不安定になり、まるで殺虫剤をかけられた虫のように弱々しく落下し、爆発した。


 黒い顔は、ゆっくりとゴルバスに近づいていった。そして、口と思われる渦が更に急速に拡大し、顔全体に広がった。


「ぎ……ぎゃああああ!」


 ライネスの側近は叫び声を上げて逃げ出した。


「あ、あ、あ……」


 ライネスは、そこから動く事も、声を上げる事すら出来なかった。


『総員退避! 退避! た——』



 飛行戦艦ゴルバスは、黒い巨人の口に飲み込まれた。














 飛行戦艦ゴルバスとの通信が途絶えてから30分後に、ハティーの部隊はボンの街に到着した。


「なんだ、これは……」


 ハティーは、大型の照明機材で照らし出された目の前の光景に、立ちすくんだ。


 ボンの街があったとされる場所は、生命の息吹が一切感じられない、腐った荒地となっていた。土は黒く変色し、木はおろか草の根一本生え残ってはいなかった。


 唯一残されていたのが、少し離れた場所にあった、イシガミ邸と思われる建物の残骸だった。建物や森を焼いていた炎はまるで念入りな消火作業をされたみたいに鎮火しており、煙さえ立ち上ってはいなかった。


「これがコダマの力か」


「恐ろしいですね……。我々は、こんなものを相手に戦っているのか……」


 ハティーの側近は、鳥肌が立ち、冷や汗を流した。ライネスが先に攻撃を仕掛けていなければ、自分たちがこの悲惨な光景の一部分になっていたのだから。そして、戦い続ける以上、これからもその恐怖が自らにつきまとう。


「ハティー司令官!」


 1人の軍人が、ハティーに駆け寄る。


「コダマ、発見出来ませんでした。生死は不明です」


「そうか」


「ハティー司令官!」


 また1人、別の軍人がハティーに駆け寄る。


「ゴルバスの一部と思われる破片が発見されました!」


「生存者は?」


「見つかっておりません。遺体も、残っているものは腕や脚など身体の一部分だけで、個人を特定出来るような状態のものは残っておりません」


「ボンの市民もか?」


「はい、同じ様な状態で……」


「分かった」


 ハティーは、足元の、きっちりと磨かれた靴のそばに転がる鉄片を見た。



 冷静に見極め、的確な判断をしないからこうなるのだ。


 思い切りだけでは、失敗る。



 ハティーは背後にいる軍人達の方を振り返った。


「国務庁に伝えろ。ライネス総司令官の作戦によりコダマ殲滅は失敗。コダマ4機は逃亡。部隊は全滅。現在調査中だが……ライネス総司令官は戦死された模様だ、と」


「はっ!」


 ハティーは再び振り返り、かつてボンの街が存在した荒地を眺めた。



 ククク、面白いように上手く事が運ぶ。


 ライネスが馬鹿でよかった。




 腐った土地の上には、優しい光で大地を照らす美しい月が浮かんでいた。

 

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