第8話

 ディーンは目を覚ますなり、激しくベッドの上で暴れだした。すぐ傍らにいたアレクが必死になだめるのだが、聞く様子はない。

「何故……何故だ、アレク!!」

 髪を振り乱し、ひどく興奮した様子でディーンがアレクに掴みかかった。アレクは落ち着けと言うのが精一杯で、しかしそれは何の効果も上げはしなかった。

 あの地震の後──。

 アレクは難なくディーンと合流した。そうしてふたりがエリスたちの元へと戻ってきたときに見たのは、兵士たちに連行されるところだった。ディーンはもちろん助け出そうとした。剣に手をかけた……ところまでは覚えている。アレクはずっと屋根の上から戦いを見ていたせいか、戦いに身を投じて気が昂ぶっているディーンよりも冷静だった。揺れが収まってからどれだけかしていたから、地に伏していた者たちが起き上がり様子を見る者、逃げ出す者、仲間や家族の安否を確かめる者などさまざまだった。そんな中でやはり女王軍の方が早く立ち直ったのだ。連行される三人に、さらに翡翠騎士たちまでもがこちらに向かっているのをアレクは目撃していた。

 アレクは武器を所持していない。ディーン一人で三人をかばって複数の兵士と戦い、それも翡翠騎士に加勢されたのではあまりに不利、最悪全員が捕らえられてしまう。そうなったら、反乱軍は指揮する者を失ってしまう。アレクは容赦なくディーンの鳩尾に重い拳を沈めた。剣を抜くこともなく気を失ったディーンを担いで、混乱に紛れてその場を後にしたのだった。

 ディーンにしてみれば、何故あの時救出に向かわせてくれなかったのかと叫びたいところだろう。だがアレクに言わせれば、あの時どう考えてもディーンひとりでは及ばなかったし、ディーンさえいれば作戦を立て直して反乱軍総出で救出に向かうことだってできるはずなのだ。あのままひとりで戦わせるよりは、よほど正攻法だったと思っている。

「ディーン、お前は何でもひとりで背負い込みすぎなんだよ」

 アレクの言葉に、ディーンが静まる。

「みんなで行こうぜ。エリスとベルティーナ様を助けに」

「……リグルは助けないのか?」

 少しだけ顔をほころばせてディーンが問うた。

「俺らが助けにいくまで、ふたりをちゃんと守ってくれてりゃあ助けてやってもいいけどな」

 アレクも、笑った。

「さあリーダー、作戦を立てようぜ。みんなが待ってる」

 太陽が西に傾いていた。


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 謁見の間。王が国民や諸外国からの商人などと直接話すために作られた、王宮内で一番広い部屋だ。正面の重い扉からまっすぐに敷かれた赤い絨毯の先に、数段高いところに設けられた玉座がある。

 そこに悠然と掛けているのは、独裁の女王ロゼーヌ・ジルベール。深紅のドレスが窓から差し込む夕陽に照らされて、一層の深みをまして艶やかだった。

 その玉座の前に突き飛ばされ、まろぶようにして女王の前に連れられたリグルとエリスは、まっすぐに女王を見上げた。その妖艶な笑顔は愉悦に満ちていたが、その美しさをやはりどこか歪にしている。

「……いい気味だな、魔法剣士シルヴィアの息子よ」

 連行してきた兵士たちに無理やり玉座の前に跪かされたが、リグルは顔を上げ女王を睨んだ。

「ほう? 何か言いたいことでもあるか? よかろう、言うてみよ」

「……何故こんな真似を」

「主君の前に膝をつくのは当たり前であろう」

「違う!」

 噛み付いたリグルの背を兵士が思い切り蹴飛ばした。反動で顔面から床にぶつかったのだが、後ろ手に縛られているのでそのまま起き上がることもできない。それでも眼はしかと女王を睨みつけて、叫んだ。

「何故父を殺させた! 何故母を攫い処刑しなければならない!?」

 はらはらと対峙するふたりを見比べるエリスの前で、すっと立ち上がり歩み寄ってきた女王の高いヒールが、容赦なくリグルの頬を蹴った。

「リグルさん!」

 這いつくばるような状態で横面を蹴られたリグルは、そのまま勢いで横に転がりエリスのすぐ前に倒れこんだ。今すぐにでも彼を助け起こし治癒の魔法をかけたいのだが、やはり後ろ手に縛られているエリスには何もできなかった。

「王に忠誠を誓った翡翠騎士の、それも団長でありながら亡命するような裏切り者が死んだからと言って、どうというほどのことでもなかろうが?」

「ふざけるな! 父は……」

 そこから先は、女王に踏まれ蹴られの暴行を受け、言うことはできなかった。身体ごと体当たりして女王を止めようとしたエリスだったが、リグルに目で制されて断念した。リグルだから耐えられるようなものの、例え非力な女の暴行でも、エリスに危害を受けさせるのは忍びなかった。

 やがて気が済んだのか、女王はリグルの腹部に最後の一蹴りをお見舞いすると、再び玉座に掛けて兵士に命じた。

「封じの塔にでも閉じ込めておけ!」

 ふたりは無言のまま女王の前を去った。


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 封じの塔。それは罪人を捕らえるためにアープが魔道を施して建設したもので、内側から壁に向かって攻撃を加えると、それがそっくりそのまま自分に返ってくるという不可思議の塔。壁を打ち破って逃げ出そうとしても、打ち破るときの衝撃がそっくりそのまま自らの身に降りかかるのだ。壁は簡単に破れそうなのに、それを為すことは絶対不可能な監禁用の建造物、「封じの塔」。リグル達が連れられたのは、その最上階だった。

 後ろで縛られていた手を解かれた代わりに、錠をかけられた。手が後ろにあるよりはよほど楽ではあるが、縛めがあることに変わりはない。剣を奪われ両手を拘束された状態で押し込められた塔の部屋は、兵士が持っていた松明が扉の向こうに行ってしまうと真っ暗になった。

「灯りをつけるわ」

 小さくはあるが、エリスの掌に収まるほどの光をふわりと出して、室内に漂わせた。「封じの塔」とは言えど、壁に衝撃を与える訳でなければ魔法を使っても差し支えないらしかった。

「ケガは?」

「私は……それよりリグルさんの方が……。待ってて今魔法を」

 灯りを近づけ間近で見ると、リグルの口の端から血が伝っていた。女王に頬を蹴られたときに切ったのだろう。癒しの魔法をかけようと縛められたまま伸ばした手を、リグルに掴まれた。

「リ……」

「静かに……誰かいる」

 その部屋は窓もなく、鉄の扉の前には蝋燭があるが、扉を閉ざしてしまえば一切の光が届かない、真の暗闇となる。エリスの出した灯りが照らし出すにはその部屋は少々広く、全体を見ることはできない。この塔にいる、ということは罪人なのだろうか。あまりにも弱々しい気配で、リグルも気づくのに時間がかかった。

 ふわりふわりと灯りを漂わせて、室内を観察する。剥き出しのレンガの床、壁、他には何もなく……。

 ……否。

 そこに、先客がひとり、いた。

 腰まで届く金髪はもつれ、質素な布の服から見える手足は薄暗い室内でもわかるほど傷だらけで、うつ伏せに横になっているその人物の背に、血が滲んでいた。

「あ……っ」

「母上!」

 先刻、連行されるときに引き離されたリグルの実母が、捨てられた人形のように転がっていた。慌てて駆け寄り、エリスが何の治療もされていないベルティーナの背中に治癒の魔法をかける。それだけでどれほど回復するかは解らなかったが、少なくとも死にはすまい。

「母上……母上、聞こえますか」

「……リグル、なの……?」

 抱き起こされて、ベルティーナはおそるおそる声のする方に手を伸ばした。リグルの頬に触れた両手が、何度も何度も確かめるように優しく撫でる。

「おば様、私が判りますか……?」

「……アープの、エリス? エリスなの……?」

 十数年ぶりに聞く幼馴染の母の声に、エリスは目頭が熱くなった。処刑場で助け出したときも一言も発せず、もしや別人か人形なのではと思うほどだったのだが、今この人はここに生きているのだと、ようやく実感したのだった。

「まさか……ふたりに会えるなんて」

 やっとリグルの頬から手を離し、今度はそっとエリスに手を伸ばす。薄暗くてよく見えないのか手を宙に漂わせていたが、エリスがその手をとって自らの頬に触れさせた。昔もほっそりした手だったが、今はやつれてはかないほどの力しかなかった。

「……大きくなったのね……きっと美しくなったのでしょうね」

「……母上?」

 頬だけではなく、鼻や唇や目、それに髪や耳などを撫でるように触れる母に何か違和感を感じたのか、リグルがその手を取って息を止め、すぐ間近で母の顔を覗き込んだ。

「母上、まさか目が──!」

「大きくなったアープのお嬢さんを、見られないのが残念だわ……」

 リグルの疑問を肯定するようにベルティーナは呟いた。それを聞いてエリスがはっと息を飲んだ。

 処刑台に引きずり出されたときも、戦いが始まった混乱の最中を逃げるときも、ベルティーナはずっと目を閉じていた。精も根も尽き果てて目を開ける気力も無いのかと思っていたのだが、それはとんでもない思い違いだったのだ。

「おば様……どうして」

「……」

 沈黙をもって答えたベルティーナに、リグルは低い声で静かに問うた。

「……女王ですね」

 問うというよりは確認だったのかもしれない。リグルに対しベルティーナはやはり沈黙で答えたが、彼はそれを肯定と受け取った。

「……あの人は……ウュリアは」

「父は今、森の巨木の根元に眠っています……」

「……、そう」

 大きく息を吐いたなり、ベルティーナは気力を使い果たしたかのように黙り込んでしまった。リグルもエリスもその静寂に身を委ねていたが、しばらくしてリグルが低い声で呟いた。

「脱出しよう」

「え……」

 どうやってとエリスが問う前に、リグルは無言で鉄の扉の前に立ち、何を思ったのか思い切り扉を蹴飛ばした。

 ガン、ガンと扉が悲鳴を上げるのだが、別段リグルに異常はない。どうやらこの塔自体、つまり壁や床などに衝撃を加えるのでなければこちらに返ってくる訳ではないらしい。

 ガンッ! ガンッ!!

 何度も鉄の扉を蹴りとばし、エリスとベルティーナがそのうるささに耳をふさいだ頃、扉の前にいた見張りの兵士が外側から扉を蹴り返した。

「うるさいぞ! 静かにし……」

 怒鳴りつけた兵士の声が途切れた。そして、ガチャリと音がする。

 エリスはいったい何が起きているのか、それを目の当たりにしていても理解しきれなかった。

 静かにしろと怒鳴りつけた兵士が何故、自ら鉄の扉を開いたのか。薄暗くて兵士の表情などは見えなかったが、見る暇もなくリグルの拳を腹部に受けて、兵士は声をあげる間もなくその場にうずくまった。

「リ、リグルさん、今何が起きたの!?」

「こううまくいくとは思わなかったけど……」

 鉄の扉を内側から蹴ることで兵士を扉の前におびき寄せ、扉越しに幻覚の魔法を使ったのだ。女王の声で『扉を開けろ』という幻聴が聞こえるような幻覚で、もし兵士が女王の姿を探したり、その命令に疑問を抱いたらそれまでの、一か八かの賭けだったのだが、どうやら幸運がリグルの背を押したらしい。かくて兵士は自ら扉を開けてしまい、リグルと顔を合わせてすべてを悟るまでに気絶させられてしまったのである。

 リグルは外にあったランプを取って、兵士の懐を探った。ほどなく塔内のものであろう錠を見つけると、ランプで周囲を照らし出す。

 最上階は今彼らがいる部屋だけらしい。部屋の外にも廊下にも奪われたリグルの剣は見つからず、仕方なく兵士の剣を取り上げてそのまま佩いた。

「行こう」

 ランプをエリスに託し、リグルは母を抱えて部屋を出た。

 部屋に小さな灯りが取り残されていたが、気絶した兵士を照らすのにも飽きたのか、扉が閉められると同時に、消えた。

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