126.穏やかな日々
僕とリラが日本にやってきて10日が経過した。
リラは毎日お母さんの手伝いをしている。
水道に驚き、掃除機に驚き、水洗トイレに驚き、エアコンに驚きながら、それでも彼女なりにこの世界との折り合いを付けようとしていた。
日本語はまだまだカタコトすら話せないけれど、それでもごく僅かな単語は覚え始めたようだ。
僕は、両手がないから手伝いも出来ない。200倍の
リラに日本語を教える以外は、はっきりいってポケーッとしていた。
稔やお母さんは、僕らに必要以上のことを聞こうとはしない。
気になっていることはたくさんあるはずだけど。
稔はほとんど毎日診療所で働いているようだ。
一応、日曜日は休みみたいだけど、島には他に医師がいない。
急患があればすぐに対応しなければならないらしい。
リラは稔の仕事も手伝おうとしたみたいだけど、さすがにそれは無理というものだ。
お師匠様に薬作りを習ったとはいえ、この世界の医療とは別物である。
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1度、島の駐在所からおまわりさんが訪ねてきた。
僕らの様子を見に来たらしい。
「それじゃあ、彼らはここに住まわせるんですか?」
尋ねるおまわりさんに、稔が答える。
「当分はそのつもりですよ」
「しかしねぇ、先生、その子達は……」
「例え密入国者だったとしても、子どもだけでやってきたとは思えません。まずは両親なりを探すのが先でしょう」
やっぱり僕らのことは問題になっているらしい。
当たり前と言えば当たり前か。
おまわりさんが帰った後、僕は稔に尋ねる。
「やっぱり、僕らはご迷惑なんでしょうか?」
「ま、彼も仕事だからね。心配はいらないよ。ただ、しばらくは家と診療所以外にはいかないでほしいかな」
そうに言われてしまって、僕とリラはずっと稔の家にいる。
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穏やかな日々が続く。
やることといったら、リラに日本語を教えるくらい。
『リラ、それじゃあ、挨拶の復習だよ。朝昼晩の挨拶』
『朝が「オハヨウゴザイマス」、昼が「コンニチハ」、夜が「コンハンハ」』
『夜は「コンバンハ」だよ』
『「コンバンハ」』
ふむ。
『でも、昼間、パドのお母さんに「コンニチハ」って言ったら変な顔をされたわ』
『そりゃあ、お母さんとは朝からずっと一緒だったからね。挨拶はその日初めて会ったとき以外にしたらおかしいよ』
『そっかぁ』
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『パド、テレビの中に獣人がでているわ』
リラに言われ、僕もドキッとして慌ててテレビを見てみる。
テレビの中には某ゆるキャラがいた。
『それは着ぐるみだよ』
『キグルミ?』
『お人形っていったらいいかな。人が中に入っているんだ』
『ふーん』
『この世界には獣人もエルフもドワーフも龍族もいないんだよ』
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さらに時は流れていく。
稔は医者として、僕やリラの体の様子を診てくれる。
「パドくん、君の両手は生まれ付き?」
「いえ、色々あって……いや、それもよく覚えていないんですけど、生まれ付きではないです」
「そうか……」
稔は少し困惑したような顔を為る。
「だけど、どちらも縫った後もないし、変な言い方だけど、あまりにも綺麗な断面だね。とても後天的に切断したとは思えない」
右手はルシフの力で、左腕は教皇の魔法で傷を塞いだからだ。
稔からみれば、あまりにも非常識な医学に見えるらしい。
「本当は義手を用意してあげたいけれど保険や助成金を受けられないと、さすがにきびしいからなぁ」
義手かぁ。
確かに、この世界ならばあっちとちがって、本格的な義手があるのかもしれない。
だけど、200倍の
「ところで、リラちゃんのお腹や背中の皮膚炎なんだけどね。やっぱり前例が見つからないんだよ」
稔がいう皮膚炎とは、獣人の鱗のこと。
この世界の医師からみれば、未知の皮膚炎だろうってことになるらしい。
「本人は痛くも痒くもないらしいし、ウィルス性ではないみたいだからとりあえずは放置して大丈夫だとは思うんだけどね。ただ、この30日ですこしずつ広がっているのが気になるんだよね」
リラも、だんだんと獣人の因子が増えているのだろう。
この世界で生きていくためには障害になりうるかもしれない。
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日本にやってきて、3ヶ月。
恐ろしいほどにノンビリした時間が流れていた。
稔は僕らが学校に通うことも考えてくれたみたいだけれども、戸籍の問題やらなんやらで、今のところ実現していない。
リラはカタコトの日本語を話せるようになった。
島の中であれば出歩くことを許され、僕らは散歩に出かけることが多くなった。
この島は半径3キロほど。
住人のほとんどは漁業従属者らしい。
稔は島唯一の医者として尊重されているらしく、島の人達は僕らにも優しかった。
最初は密入国した子どもとして、警戒されていたけれどね。
リラはアスファルトの地面に驚き、車に驚き、船に驚き、クレーン車に驚き、とにかく見るモノ全部に驚いていた。
稔から携帯電話を渡されたときは、本当に目をまん丸にしていた。
『これが「カガク」の力なのね』
リラも、だんだんと、魔法ではなく科学というものだと分かってきたらしい。
『もし、あっちの世界に車があったら、ピッケに乗って死にかけることもなかったかしら』
『うん、でも、獣人が車を持っていたら逃げ切れなかったかもね』
そんな仮定に意味は無いけれど。
何度目かの散歩の時、リラは言った。
『私、もっともっとこの世界について知りたい』
『うん』
『稔の医療技術はすごいわ。お師匠様に習ったことなんて霞むくらいに』
それはそうだろう。
『この世界の技術を、あっちの世界に戻っても役立てたい』
あっちの世界に戻ってもか。
僕らは戻ることができるのだろうか。
仮に戻れるとして、僕は戻るべきなのだろうか。
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そして、こちらの世界に来て半年。
僕は生まれて初めて雪を見た。
ラクルス村には雪は降らない。
僕もリラも、この世界での暮らしになれてきた。
最近では、僕と2人で話していてもリラの言葉に日本語が混じるようになってきた。
向こうの世界に戻る方法は未だ見当もつかない。
僕は――すでにそれを諦めているのかもしれない。
ここでの暮らしは悪くない。
いや、とても心地いい。
バラヌや向こうの両親のことを忘れたわけじゃないけれど、それでも僕は、ここで暮らして大人になるのが一番良いんじゃないかと、そう思い始めていた。
だけど。
破局は突然訪れた。
一発の銃声とともに。
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