92.争いの本質

 僕はバラヌの正面に座って言った。


「バラヌ、これから話すことをしっかりと聞いてほしい」


 真剣な表情の僕に、バラヌは幼いなりに深刻さを感じ取った様子で頷いてくれた。

 それから、僕は話した。


 バラヌをエインゼルの森林から連れ出して、戦いに巻き込んでしまって申し訳ないと思っていること。

 でも、いまさらエルフの里に帰すこともできないこと。

 このまま連れて行ったらさらに辛い目に遭わせてしまうであろうこと。

 だから、教会に預けようと思っているということ。


 バラヌは分かっているのかいないのか、ずっと黙って聞いていてくれた。

 部屋の中のリラとピッケも途中で口を挟んではこなかった。


「僕はやっぱり、お兄ちゃんにとっても邪魔な子なの?」


 最後まで聞き終え、バラヌが泣きそうな顔で言ったのはそんな言葉だった。


 僕の胸がキュッと痛む。

 エルフの里で、魔無子まなことして役立たず扱いされてきた弟。

 ようやく見つけたかと思った自分の居場所を追い出されようとしている、そんな気分なのかもしれない。


 ハッキリ言ってしまえば、バラヌが邪魔なのは事実だ。

 同時に、これ以上幼い彼に残酷な事実を見せたくないとも思っているのも本当だ。


 でも、今の彼に必要なのは、そんな言葉じゃないだろう。

 だから、僕は弟に言う。もしかすると、とても重荷になってしまうかもしれない言葉を。


「そうじゃないよ。バラヌ。むしろ、君にとても大切なことを頼みたいんだ」


 そして、僕はさらに話を続ける。

 アル様や僕らがやろうとしていること。

 アル様を王女にして、エルフや獣人、ドワーフ、龍族と本当の意味で人族が対等に仲良くなれる世界を創ること。

 幼い彼にも分かるように、かみ砕いて話したけど、それでもやっぱり難しい内容だと思う。

 バラヌは真剣に理解しようとしてくれた。


「だけどね、人族は一枚岩じゃない。諸侯連立っていうのと、アル様たち王族と、そして教会っていう、3つの勢力があるんだ。

 諸侯連立とは、きっと対決しないといけないと思う。この前の戦いも元を正せばそういうことだし。でも、できれば教会とは対立したくないと、僕らは考えている。

 ここまで、分かった?」

「なんとなく。全部は分からないけど、お兄ちゃん達がエルフや教会と仲良くしたいんだってことは分かる」


 それだけ分かれば十分だ。


「だから、バラヌが教会の中にいてくれれば、とても助かる。今すぐじゃなくても、教会の中から、僕らやエルフの味方をしてほしいんだ」

「でも、僕なんかにそんなことできるかな?」

「最初は無理だと思う。でも、教会に行ったらバラヌは色々なことを学べる。色々なことを知って、教会の中で出世して、僕らとエルフに力を貸してほしい」


 とてもキツいことを言っているという自覚はあった。

 自分のお願いがバラヌの手に余るものだと分かっていた。

 このお願いは、もしかするとこれからのバラヌを縛ってしまうかもしれない。


 それでも。

『役立たずの邪魔者だからいなくなれ』なんて言えなかった。

 バラヌにちゃんと役目を託したかった。


「僕がそれをしたら、お兄ちゃんの為になるの?」

「僕だけじゃなくて、リラやアル様や、それにエルフや龍族のためにもなることだよ」


 バラヌはしばらく黙ってうつむいて。

 僕もリラもピッケも黙ったままで。


 その後彼は顔を上げて。

 そして言ってくれた。


「わかった。僕、頑張る」


 そう言った彼の顔は、涙をこらえつつも力強く決意を浮かべていた。


 そして、僕はさらに付け足す。

 ここから先は本当に僕のわがままだから、言わない方がいいのかもしれないと思いつつ。

 それでも、やっぱり何も言わないでおくのは良くないと思ったから。


「教会には僕のお母さんがいる。僕のお母さんは『闇』に攻撃されて、心を失った。いまは抜け殻みたいになっている」


 その言葉に、バラヌはハッとした表情になる。


「もちろん、僕のお母さんに対してバラヌが複雑な気持ちになるのは当然だと思う。だから、無理にどうこうしてほしいとかは思わない。でも、ちょっとだけ気にかけておいてもらえると、個人的にうれしいかなって」


 バラヌは迷った顔を浮かべた後、小さく頷いてくれたのだった。


 ---------------


 それから、僕はバラヌを連れてラミサルさんの元へと向かった。


「バラヌ、こちらは枢機卿――えっと、教会の偉い人のラミサルさん。ラミサルさん、この子が僕の弟のバラヌです」


 僕はバラヌの背を軽く押して、ラミサルさんの前に立たせる。

 バラヌは自ら頭を下げて挨拶した。


「よろしくお願いします。バラヌです」

「ラミサルです。よろしく」


 ラミサルさんは幼いバラヌに右手を差し出し、バラヌは戸惑いつつも握り返した。

 それから、ラミサルさんは膝を突いてバラヌの瞳をのぞき込む。


「なかなか理知的な瞳をしていますね。礼儀作法も悪くありません」


 バラヌは一瞬ほうけた顔をした後、「ありがとうございます」ともう一度頭を下げた。


「さて、アル殿下達は明日には王都に旅立たれるそうです。今日一日は兄弟でゆっくりされてください」


 ラミサルさんはそういったが、バラヌが首を横に振った。


「あの、できたら、ラミサルさんと一緒にいさせてください」


 え、マジ?

 なんで?


 ちょっと寂しい。


「ラミサルさんは教会の偉い人なんでしょう? 色々勉強したいんです」


 うわっ、なんか燃えてる。

 ラミサルさんもちょっとびっくりした表情になったが、すぐに顔を元に戻してうなずいた。


「分かりました。ではしばらくは私の元で修行してもらいましょう」

「はい」


 バラヌは元気よく返事をしたのだった。


 ---------------


 僕が1人で部屋に戻ると、ピッケと2人で待っていたリラが声をかけてきた。


「あら、バラヌはどうしたの?」

「なんか、ラミサルさんといっしょにいて勉強したいって」

「そう……ねえ、本当に良かったの、彼を教会に送り出して」


 リラに聞かれ、僕は頷く。


「しかたがないよ。やっぱり、ここから先はバラヌを連れていくのは無理だ」

「そうかもしれないけど……でも、だからってあんな風に言ったら、彼の今後は大変だと思うわ」

「そうかもね」


 バラヌに僕が言った言葉。

 教会に行ってから、彼を追い詰めるかもしれないお願い。


「でも、邪魔だから追い出すなんて言いたくなかったし。それに、教会の中に味方がいた方が有利なのは事実だよ。ラミサルさんは本当の意味で僕らの味方じゃないし」

「それは……そうかもしれないわね」


 ラミサルさんは、ブシカお師匠様の兄弟弟子として、僕やリラやレイクさんに目をかけてくれてはいる。だけど、結局は教会の人だ。僕らの味方ではない。

 バラヌが教会の中にいれば、きっといつか役に立ってくれる。

 僕はそう思っている。


「でも、私達が連れて行く以上に過酷な道を歩かせることになるかもしれないわよ」

「そうだね」


 僕は頷いた。


「だったらなんで?」

「僕も、覚悟を決めたから」

「え……?」

「レイクさんやリラと同じように、僕も覚悟を決めた。ここから先、何があっても突き進むって。

 どんな犠牲が出たとしても、目的をかなえるって、そう決めたから。

 たとえ、弟を身勝手に利用する兄だって周囲に軽蔑されたり、それこそ神様に怒られたりしても、僕は先に進む。

 バラヌには申し訳ないけどね。死んだ後地獄に落ちるっていうなら、その時考えるさ」


 もっとも、どこぞのガングロおねーさんによれば、死後の世界に天国も地獄もないらしいけど。


「……もし、パドが地獄に落ちるなら、私も一緒に行くわ」

「ありがとう。リラ」


 そんな僕らに、ピッケが横やりを入れる。


「ふふふ、面白いよねー、人族は。いや、エルフや獣人やドワーフもかなぁ」

「どういう意味よ?」


 リラがちょっと不快そうに言う。


「だってさ、人族同士で戦争したり、獣人同士で禁忌がどうこう言って争ったり、危険な武器を興味本位だけで開発してみたりさぁ。

 龍族オイラ達から言わせれば、みんな破滅願望があるとしか思えないよねー。

 そういう意味では、エルフはまだマシかなぁ、もっとも魔力がないってだけで差別して虐めるとかもよくわかんないけどねー」


 ピッケはそう言ってクスクス笑う。

 さすがにちょっと不愉快な気持ちになる僕。


「ピッケ、僕のことはともかく、リラやバラヌのことまで笑うのは許さないよ」

「あ、ごめんねー、そんなつもりはなかったんだけど。

 それに、この数日間で、亜人種君達が争いたがる理由もすこし分かったしねー」


 争いになる理由? 

 色々あるだろうけど、ピッケはどう理解したというのだろう。


「君たちが争う理由はこれだろう?」


 ピッケはピョンっと椅子に飛び乗ると、机の上から果物を一つ手に取った。

 意味が分からない。


「よーするにさ、人族も獣人もドワーフもエルフも食べ物が必要な種族だからさー。そりゃあ、奪い合いになるよねー」


 いや、それはあまりにも短絡的すぎる考え方のような。


「ま、食べ物だけじゃないんだろーけどね。オイラ達龍族は水さえあれば、あとは何もいらないんだけどねー。大変だねー、他の種族は」


 ピッケの言うことは、的外れなようでいて、もしかするとこれ以上なく争いごとの本質をついているのかもしれない。


「ま、いいさ。オイラはエインゼルの森林の外を見てみたいだけ。父ちゃんの言うとおり、しばらくは協力してあげるよん」


 その言葉に、僕は少し背中が寒くなる。


 ラミサルさんだけじゃない。ピッケも――いや、龍族も、必ずしも完全な味方じゃないんだ。

 僕はそのことをぐっと心に刻んだのだった。

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