88.獅子と豚の化かし合い(晩餐編)

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(三人称/レイク視点)


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 やたらと大きく立派なテーブルに、今着席しているのはアルとブッターヤ領主のみ。


「どうぞ、ブルテ卿とスタンレード卿もお座りください」


 ブッターヤ領主はそう言うが、キラーリアとレイクは固辞する。


「今の私はアル殿下の騎士であって、貴族としての立場を有しませんので」

「私は侯爵の位を返上したわけではありませんが、今はアル殿下の従属ですので遠慮致しましょう」


 そう言って、レイクとキラーリアはアルの背後の壁に立つ。


「さようですか、スタンダード卿――いや、キラーリア殿のお父上には私も大変お世話になったので、立たせておくのも恐縮なのですが、では仕方がありませんな。はじめさせていただくとしましょう」


 ブッターヤ領主はそう言って、手元の小さなベルを鳴らした。


 キラーリアとレイクはブッターヤ領主に聞こえないように囁きあう。


「レイク、気づいているか?」

「ええ、さすがに」


 この部屋の中に不釣り合いなほど兵士がいる。しかも武装して。

 無論、領主と王女の歓談に際して護衛がつくのは当然だ。なにより、キラーリアも同じ立場である。レイクはどちらかと言えば助言者の立場だが。

 だが、いくらなんでも多すぎる。それに、兵士達の緊張感が尋常ではない。


(これは見誤ったかもしれませんね)


 いくらなんでもここまで堂々と領主を訪ねれば、相手も過激な手段はとれないと思ったのだが。

 いずれにせよ、こちらから手を出すわけにはいかない。それこそ相手の思うつぼである。


 緊張感を募らせるレイクとキラーリアをよそに、まずは前菜が運ばれてくる。

 前菜と言っても、王女に出される食事。肉が野菜にのった立派なサラダである。


「急なご来訪でしたが、良い肉がありました」

「ほう、それは嬉しいな」


 アルはにやりと笑う。

 用意されたのは2枚の皿。


「どうぞ、お好きな方を」

「ふむ、では奥のにしようか、若干肉が多そうだ」

「これはしたり。皿ごとに肉の量が違うとは、あとで料理人を叱っておきましょう」

「いやいや、それには及ばん。今のはジョークだ」

「はははっ、これはお上手な」


 寒々とした会話だが、アルに料理を選ばせたのは毒入りではないというアピールだ。


「お話ししたいことは山のようにあれど、まずはサラダをお食べください」

「ふむ。おお、そうだ」


 アルは今思いついたとばかりに荷物の中からナイフとフォークを取り出す。


「不躾でもうしわけないが、自分用のナイフとフォークを持ってきていたのだった。こちらを使っても構わないかな?」

「はははっ、これは信用されていないようで」

「いやいや、単なる習慣よ。王女という肩書きで旅をするとなれば、用心に越したことはない」


 ちなみにレイクは、旅の途中、アルがなんの警戒もなく酒場などでアルコールや食べ物を口にしていたことを知っている。


「なるほど、王女殿下ともなると、私ごときには分からぬ苦労もあるのでしょう」


 そう言いながら、ブッターヤ領主は自分のサラダから肉を一口。

 王女に先立って食事を食べるのは一見すると無作法だが、この場合は自身が毒味をしたと暗に示す意味合いがある。

 それを見て、アルも肉と野菜を口に放り込む。


「時に王女殿下。あなたもお好きですな」

「何のことだ?」

「あの子ども達のことです。いやいや、王女殿下に稚児趣味があったとは」


 ニヤっと笑うブッターヤ領主。


「無礼でありましょう、ブッターヤ殿」


 キラーリアが声を上げる。


「おっと、これは失礼。私も女子おなごは幼い方が趣味に合うもので、つい口が滑りました。お許しください」


 いよいよレイクの中で警鐘がなる。

 ブッターヤ領主の言葉は、まるでアルを挑発しているかのようだ。


「……ゲスがっ」


 アルが不快気に鼻を鳴らす。

 彼女が幼少期を売春街で過ごしたことを考えれば、ブッターヤ領主の発言はまさにゲスの極みに聞こえることだろう。


「おお、これは失礼致しました。

 ……ところで王女殿下、お顔の色が優れませんが大丈夫ですかな?」


 ニヤニヤ笑うブッターヤ領主。


「まさかっ」


 キラーリアが鋭く舌打ちする。

 次の瞬間、アルがガクッと机に突っ伏し、彼女の手からフォークが床に落ちる。そのまま、アルは机と椅子からずり落ち、床に倒れた。


「アル殿下っ!!」


 キラーリアがアルに駆け寄る。


 それを見届けたブッターヤ領主が立ち上がり、周囲の兵士達が一斉にアルとレイク、それにキラーリアに剣を向ける。


 レイクはブッターヤ領主を睨み尋ねる。


「どういうおつもりですか、ブッターヤ殿?」

「もちろん、王女殿下の名前を語る不届き者とその一味をここで成敗すると、そういう話ですよ」


 ブッターヤ領主はニヤニヤ笑ったままだ。


「きさまぁっ!!」


 頭に血を上らせて叫ぶキラーリア。

 それを横目に、レイクはある程度冷静さを保ったままで尋ねる。


「アル殿下も毒は一応警戒していたのですがね。2分の1に賭けられたのですか?」

「まさか。肉と野菜を両方使った食事で、肉のみを食べたのを見て野菜も問題ないと考えるのは愚かだと言うことです」

「なるほど、そういうことですか」


 毒は両方の皿に仕込まれていた。ただし、肉は無害で野菜だけに。

 ブッターヤ領主は肉だけを食べて安心させ、アルはまんまと肉と野菜両方を口に入れてしまった。

 そういう話だろう。


(最初からそのつもりでしたか。いや……)


 少なくとも領主館に自分たちを迎え入れたときのブッターヤ領主は、そこまでしようとしていたようには見えなかった。


(何か状況の変化をもたらすことがあったのでしょうか)


 ともあれ、今は自分たちの身を守らなくてはならない。


「キラーリア、勝てますか?」

「この程度の雑兵ならば」


 言う、彼女の瞳には未だ怒りの炎が灯ったままだ。


「大した自信ですな」


 皮肉気味にわらうブッターヤ領主に、キラーリアが最後の警告をする。


「ブッターヤ殿、兵を引かせてほしい。無駄な血は流させたくない」

「ならば、投降してはいただけませんかな。王女――を語った女は間もなく毒で死にます。あなた方がここで抵抗する意味はないでしょう。あなた方のお連れ達もそろそろ掴まっていることでしょうしね」


(パドくんたちにも兵を差し向けましたか)


 それはそうだろう。多少気になりはするが、パドやピッケの力もあるし、少なくとも殺されはしないだろう。できれば龍族やエルフだということはまだ明かしてほしくないが。


「どうやら交渉決裂のようですね」


 レイクが言うと。


「残念です」


 ブッターヤ領主もそう言い、目を細めて命じる。


「やれ」


 レイク達に兵士達が襲いかかってきた。


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「馬鹿なっ……」


 ブッターヤ領主が戦慄く。

 あたりは血の海と化していた。

 全ては兵士達の血痕だ。

 死体がそこかしこに転がり、さながら地獄絵図である。


「たった1人で20人をだと!?」


 そう。

 キラーリアはたった1人で全ての兵士を斬り捨てて見せたのだ。


「だ、だが王女は助からんぞ。それに兵士はまだまだいる」


 ブッターヤ領主は震えながらもそう言った。


「ブッターヤ殿、これ以上無駄な血をまだ貴方は欲するのか?」


 言うキラーリアの全身は返り血だらけであった。

 レイクは思う。


(あなたが味方で本当に良かったですよ)


 彼女はレイクの知る限り最凶の人族である。

 はっきりいって、キラーリアほど恐ろしい人族を、レイクは知らない。

 キラーリアは確かに頭がちょっと不幸にできている。だが、その力は凄まじい。その上、いざとなったら躊躇がない。

 馬鹿だからこそ会話で止められないし、パドのように人殺しを恐れもしない。


「ならば仕方が無い。今この場で貴方を斬り捨て、その首をアル殿下に捧げるるのみ」


 キラーリアは言って、ブッターヤ領主に迫り――


「落ち着け、キラーリア」


 ――その右手を、が掴んだ。

 キラーリアが呆然とした声を上げる。


「アル……殿下。ご無事だったのですか?」

「当たり前だ」


 アルは言って口からを吐き出す。


「この状況下で相手の出した物を食う馬鹿がいるわけなかろう」


 領主館に入る前から、毒を盛られる可能性は分かっていた。

 だから、ルアレにたのんで、植物の花びらから食べ物を包める薄い膜を作ってもらった。エルフの能力を持ってすれば造作もないことらしい。

 アルは晩餐会直前にその膜を口に含んでおき、毒が回らないように口の中で包んだのだ。


 むろん、部屋の外で聞き耳を立てられているのを承知の上で、ルアレと次のような会話もしておいた。


『そこはご心配なく。アル殿下の食べる食事は十分に相手方に毒味させますし、私やキラーリアは水すら口にするつもりはありません』


 ために。

 もっとも、エルフであるルアレにとっては、その後小声で言ったようにピッケの命の心配の方が大きかったようだが。


 そして、始まった晩餐会。

 明らかに緊張している兵士。

 肉と野菜を同時に食べることを前提として作られた料理で、領主ともあろう者が。もはや怪しいなどというレベルではない。

 むろん、領主側が用意した食事で、彼の嫌いな野菜が含まれているわけもないだろう。


 といったような解説は後か。

 ちなみに、キラーリアとパドら子ども達にはこの仕掛けは知らせていない。5人は顔芸の出来るタイプではない。アルとレイクとルアレだけが知っていた企みである。


 レイクはアルに言う。


「戦闘が始まっても起きないから心配しましたよ」


 あくまでもルアレに頼んだのはもしもの時のための手法。口の中で処理が上手くできなければ少量の毒程度は体内に入りかねない危険な賭だったのだ。


「ふんっ。あの程度の雑兵、キラーリア1人で十分だろう――と言いたいところだがな。少し毒は入ったらしい。手足が震える」


 なるほど。だから死んだふりをして戦闘はキラーリア一人に任せたらしい。


 今のところ大丈夫そうだが、念のため解毒は必要か。

 ルアレの力や薬師としてアラブシの教えを受けたリラの力を借りれば解毒剤は作れるだろうが、どうせならできるだけ早くアルには飲ませたい。


「領主殿。あなたは解毒剤を持っていますね?」

「なぜ、そう思われるので?」

「仮にもあなたも毒入りの皿から肉を食べたのです。もしもの時のために解毒剤を用意していないわけがないでしょう」


 レイクの言葉に、領主は『ちっ』と舌打ち。

 どうやら図星のようだとレイクは安堵の息を吐く。


 次の瞬間だった。


「この中だよー」

「よし、行きましょう」

「あ、ちょっと待ってっ!!」


 部屋の外から聞こえてきたのはピッケとパドの声。

 そして扉が開かれ、部屋の中に悲鳴が響き渡ったのだった。

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