64.エインゼルの森林
砂漠の先に現れた森林。
緑豊かなその姿は、確かにエルフが住んでいると言われて納得できるほどに美しい。
いや、美しすぎる。
これまでの砂と岩しかなかった砂漠とあまりにも違う。
確かにこの森だけをみれば美しいが、まるで人工的に管理されているかのごとき、砂漠との境界線は、むしろどこか不自然さを感じる。
「ここがエインゼルの森林ですか」
レイクさんがデゴルアさんに言う。
「ああ、そうだ」
「それで、エルフから見て我々は合格でしょうか?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です」
なにやら、とんち問題みたいな会話をするレイクさんとデゴルアさん。
「なるほど、俺の正体に気づいていたか。いつからだ?」
「そうですね……怪しいと思ったのは初日の数回目の戦い辺りからでしょうか。魔物達がどういうわけか、貴方だけは襲わなかった」
――えーっと、それはつまり……
僕が考察する間もなく、デゴルアさんの姿が、まるでモザイクでもかかったかのようにぼやける。
数分後、そこに立っていたのは無骨なデゴルアさんとは似ても似つかない美青年だった。
僕らよりも色白で、エメラルドグリーンの長髪。目は細く、耳は少しとがっている。
「それがあなたの本当の姿ですか」
「はい、私の本当の名前はデ=アルテニゴ=ルアレといいます。以後はルアレとお呼びください。
ご安心を。あなた方は合格です。ようこそ、エルフの里へ」
デゴルアさん――いや、ルアレさんの声は、これまでのデゴルアさんのものとは全く異なる、透き通ったものだった。
「えっと、つまり、デゴルアさんはルアレさんでエルフだった?」
リラもさすがに驚いたのか、やや文法がおかしくなりつつ言う。
「はい。人族が死の砂漠とよぶ場所を、我々は試しの大地と呼んでいます。試しの大地を抜けることができた者のみ、我らエルフの大地への立ち入りを許しております」
つまり、この5日間は壮大なテストだったってこと?
僕が思っていると、アル様が吐き捨てるように言う。
「なるほど、つまりあの魔物どもも幻だったということか」
――え、それはどういう?
「よく自分の服や身体を見てみろ、パド。こびりついていたはずの魔物の血液がなくなっているだろう」
アル様に指摘され、僕は自分の両手や服を観察する。
ここに来るまで百匹近くの魔物を粉砕した。さっきまで僕の
だが、その返り血は今はない。
――つまりそれは。
「巨大芋虫も、蝙蝠みたいなのも、
「そういうことらしい」
――考えてみれば、不自然なことも多かった。
食べ物も水もない砂漠であれだけの魔物が存在する時点で不可思議。
夜になると魔物が行動しないというのも、やはりそういう習性だからというだけでは説明がつかないだろう。
魔物の炎の球が見た目ほどの威力に感じられなかったのも、幻だったからだと思えば説明がつく。あくまでも、『熱い』と僕に錯覚させていただけなのだ。
ついでにいえば、道中デゴルアさんはやたら余裕そうだった。
彼がどれだけ強いかは知らないが、まるで魔物は恐くないといわんばかりだ。
そもそも、これまでの5日間、デゴルアさんだけは何故か魔物に直接攻撃されていない。
そういったことから、レイクさんはデゴルアさんの正体を怪しんだ。
レイクさんが魔物を倒すことより、小銭を大切にしているようにもみえたのも、魔物が幻だと疑っていたからだろう。
「気に食わんな」
レイクさんとルアレさんを睨む。
「それならばそうと最初から言えばいい。欺され掌の上で踊らされるほど、不快なことはない」
「ヒントはお出ししましたよ。最初から申し上げておいたでしょう。この砂漠には人を惑わす存在もいると」
ルアレさんはそう言う。デゴルアさんの時とは口調まで変わっている。
確かに魔物の幻をみせるというのは、人を惑わす行為だ。
「なるほどな。確かに私が愚かだった部分もある。気に入らんことは変わらんが、ここで暴れればより空しいか」
確かに、ここでルアレさん相手に暴れても、逆ギレみたいでもっとかっこ悪い。
「ねえ、もうそんな話はどうでもいいから、とっとと森に入りましょうよ。もう、暑くて」
――いや、リラ、さすがにそれは空気を読まなさすぎだろ……
……と、思ったのだが。
「ふん、まあ、確かにリラの言う通りか」
うわぁ、アル様、ストレスたまってそう。
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エインゼルの森林は、とても静かだった。
ラクルス村という森の中の村で育った僕からすると、不自然なほどに。
森の中というのは、もっとにぎやかなものだ。
鳥や虫の鳴き声、草木の揺れる音、時には獣の咆哮。
そういった音が一切しない。
砂漠には吹いていた風も、ここまでは届かないかのようで、鳥や虫も存在しないかのようだ。
僕がそのことについてルアレさんに尋ねると。
「我々エルフは、少量の草花と水があれば生きていけます。小動物や虫をエインゼルの森林に置く理由はありません。砂漠の風もここまでは届かないよう、森全体を結界魔法で囲んでいます」
「なるほどな。たとえ案内人なしにここまでたどり着いたとしても、結界魔法を突破することはできないということか」
「はい。そして、案内人を雇うことができるのは、人族の中でも賢者ブランドの子孫に認められた者だけ」
賢者ブランドの子孫とはつまり教皇のこと。彼に認められなければ、そもそもエインゼルの森林に立ち入れないってわけか。
「でも、虫も小動物もいなかったら、木々の栄養も足りなくなるんじゃないですか?」
動物の死骸が土に還り、それが栄養となって草木が育ち、その草木を動物が食べる。前世で子ども用の図鑑にも載っていた食物連鎖の基礎だ。
「おやおや、人族の幼子とは思えない理知的な疑問ですね。その答えは簡単。この森林は我らエルフの魔力によって支えられているのです。故に、動物の遺骸を栄養素とする必要はありません」
なるほど。
だから、この森はどこか不自然なのか。
大木はあるし、中心には湖もある。
しかし、動物はいないし、食物連鎖も存在しない。
いわば魔力で作った巨大なビニールハウスみたいなものだ。
砂漠の中央に、これだけの人口森林を作り出すエルフや龍族の魔力、恐るべしといったところか。
そんな話をしながら、さらにしばし歩く。
――と。
「ねえ、あそこに誰か倒れていない?」
リラが声を上げ、僕らがそちらに注目すると、確かに幼い子どもが傷だらけで倒れている。
慌てて駆け寄る僕と、リラ。
「ねえ、
その子は薄汚れていた。
年齢は5~6歳くらいか。もっとも、エルフと人族では歳の取り方も違うかもしれないが。
全身、痣だらけ。口の中を切っているのかちょっと涎にも血が混じっている。
明らかに、暴行を受けたあとにしかみえない。
こんな小さな子に、一体誰が!?
いや、考えるのはあとだ。
僕はレイクさんに叫ぶ。
「レイクさん、回復魔法を」
「はい」
レイクさんがやってくる。
が。
「必要ありませんよ」
冷たく言い放ったのはルアレさん。
「ですが、この子の怪我は……」
「その子――バラヌは
言ったルアレさんの声には、明らかにこの幼子に対する侮蔑が混じっているのであった。
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