【番外編11】メイドの出奔

「ガラジアル公爵、先ほどは失礼いたしました」

「いや、こちらこそ言葉が過ぎた。デスタード侯爵の忠義を疑ったわけではない。これからもよろしく頼む」

「は、ありがたきお言葉」


 国王が“茶を楽しむ”ために用意した王宮の一室で、デスタードとガラジアル公爵は互いに握手した。

 これにて、先ほどのやりとりの矛は下ろすというあかしである。


「それで、一体何があったというのだ。先ほど慌てぶり、きようらしくもない」

「はい、誠に恥ずかしきことです。実は……」


 デスタードはガラジアル公爵に事の次第を話した。

 シーラの妊娠を知り、ガラジアル公爵も顔をゆがめる。


「間違いはないのか?」

「妊娠の有無ということであれば、医師の確認はとっておりませぬ。本来ならすぐにも診察させるべきですが……」

「医師に診察させること自体が露見のリスクになる、か」

「御意。また、妊娠が真実であったとして、父親が陛下であらせられるかどうかについても、私には確認のしようがないことです」

「ふむ」


 おそらく、ガラジアル公爵の中では様々な可能性や対処が渦巻いているのだろう。

 首に右手を当て考え込んでいる。


「が、少なくともシーラと話した感触からして、彼女が意図的に虚言を弄しているようには思えませんでした」

「……そうか……いや、デスタード侯爵がそう感じたというのであればそうであろうな」

「少なくとも、国王陛下とそういう関係が全くなく、あのような言葉を語るとは思えません」


 問題はそこなのだ。

 短絡的に考えるなら、国王付のメイドが第三者の子を宿したのを契機に、国王の子を懐妊したと言い張り、側室の立場を得ようとしているのではないかと疑うこともできる。

 もしもそうであれば国王が『メイドとそのような関係になっていない』と否定すればすむことだ。もちろんその場合、メイドは王家への侮辱罪で最悪極刑もあり得る。


 が、だからこそそんな虚言をシーラが言ったとは思えないのだ。

 国王が否定すれば極刑になりかねないと分かっていて、それでも虚言を弄して側室の地位を得ようとするわけがない。

 シーラの父は王都有数の商家のあるじだ。もしもシーラが侮辱罪などになれば、実家の商売すら危うくなる。

 その程度のことが分からないほど愚かな女性を国王付のメイドになど採用していない。


「ともあれ、まずは国王陛下のお話を聞くべきであろうな」


 ガラジアル公爵の言葉は半ばため息交じりであった。


 と。

 奥の扉が開く。


 デスタードとガラジアル公爵は椅子から立ち上がり、右手を胸に掲げて臣下の礼をとる。

 奥の扉から国王が入る。

 付き従うのはデスタードにシーラの懐妊を伝えたメイド長1人だ。

 普段なら、国王にはもっと多くの人間が付き従うが、メイド長なりにここでの話の内容に見当をつけ気をつかったのだろう。


「ふむ、2人とも座って楽にしてくれ」


 国王が席に座って言った。


『は』


 国王の言葉にデスタード達も座る。

 メイド長が紅茶をそそぎ、ビスケットを中心に置く。


「失礼いたします」


 メイド長はそう言い残すと扉から消えた。


「ふむ、良い香りのお茶だ」


 国王は紅茶を一口飲むとそう言った。


「は、この時期のプラーヌ茶は透き通った味と心得ます」

「焼き菓子にもよく合いますな」


 数分、3人で雑談をする。

 実のところ、この雑談にも意味がある。

 誰かが聞き耳を立てていないか、国王直近の近衛兵やメイド長が確認する時間が必要なのだ。

 しばし、歓談し、やがて国王が本題に入った。


「それで、一体何があったのだ?」

「はい、実は……」


 デスタードが改めてシーラの懐妊を報告する。


「間違いはないのか?」

「医師の診察は受けさておりませぬ。それ自体が露見のリスクになります故」


 国王の問いにデスタードが答える。


「恐れながら陛下、むしろ尋ねたいのは私たちの方でございます。その、シーラというメイドの懐妊に心当たりはございますか?」


 ガラジアル公爵が尋ねる。


「……あると言えばある」


 国王の答えに、いよいよ覚悟を決めてこの事態に当たらなければならないとデスタードは考える。


「お妃様方がおられながらメイドに手を出すなど、何故そのようなことを」


 ガラジアル公爵の言葉は不敬罪になりかねない国王を咎めるものだった。

 国王との信頼関係があるからこその苦言だ。


「シャルノールもテミアールもキルースも最近は夜の相手をしてくれぬ。それどころか、世継ぎの争いに暗躍する始末。もストレスのはけ口がなくてな」


 国王が並べた3人の名は、国王の正室、側室達である。

 第1妃シャルノールはガラジアル公爵の遠縁、第2妃テミアールは現教皇の娘、第3妃キルースは諸侯連立盟主の娘である。

 確かに現在この3人と、それを取り巻く貴族達が世継ぎ争いに明け暮れていることはデスタードやガラジアル公爵の頭痛の種であった。


「そんなときに、あの若く美しいメイドが入ってきてな……なんというか……フラフラと」


 50歳を超えた国王ともあろう者が、なにが『フラフラ』というのだ。

 デスタードは頭を抱えたくなるが、国王の御前であることを必死に意識してそれを抑える。

 おそらく、同じ気持ちであろうガラジアル公爵が気を取り直して尋ねる。


「起きたことは仕方がありませぬ。問題はこの後のことです。陛下は如何いかにされるおつもりですか?」


「むろん、シーラを側室に迎え入れる」


 国王の言葉に、デスタードは頭痛を覚えた。

 不敬であるとは承知しながらも、国王の正気を疑いたくなる。

 平民出身のメイドを国王の側室にするなどありえない。


「陛下、お戯れを仰せられるものではありませぬ」


 ガラジアル公爵が言う。


「戯れではない。女性を懐妊させたのだ、男として責任は取らねばなるまい」

「ことはそのように単純な問題ではございませぬ。シーラは平民の出と聞いております。平民を陛下の側室に迎え入れることなどできませぬ」

「先代の御代より、我が国では身分差の解消に努めておる。身分差は婚姻を妨げるものではないはずだ」


 国王の言葉は正論と言えば正論である。

 確かに先代の国王が身分差別の解消に努めたことは事実なのだ。


 しかし。


「恐れながら陛下。それは詭弁が過ぎるというものです」


 デスタードは意を決して言った。

 国王の言葉を『詭弁』と断じれば、さすがに不敬罪に問われかねない。それを知っていても、ここは引けなかった。


「詭弁だと?」


 さすがに侯爵に自分の言葉を『詭弁』と言われ、国王も不快感をあらわにする。


「不敬は承知の上で申し上げます。陛下、シーラが陛下に身を任せたのは何故かお考えください」

「どういう意味だ、デスタード侯爵?」

「恐れながら、陛下のご年齢は53歳。シーラは18歳でございます。一般論として18の娘が53歳の男に惹かれると思われますか?」


 国王の顔の不快感が強まる。


「無礼であろう、デスタード。は仮にも国王ぞ」

然様さよう。シーラが陛下に身を任せたのは、陛下が国王であり、シーラがメイドだからです。考えてみてください。もし、陛下がただの町人であればシーラは陛下に身を任せましたでしょうか?」

が立場を盾にシーラを手込めにしたとでも言うつもりか?」

「そこまでは申しません。が、国王と平民という身分差があったからこそ、50を超えた陛下が18の娘とそのような関係になれたことも否定できないと申しておるのです」


 国王の顔が不快にから怒りに変わる。

 デスタードはにらみつける国王を正面から見返す。

 自分の言葉が不敬だということは重々承知している。如何いかにかつての教育係とはいえ、この場で切り捨てられてもしかたのないの発言だ。

 だが、命をかけても進言しなければならないことである。


 空気がとがったような、痛みを伴う沈黙が流れる。


 やがて。


 国王は「ふぅ」と息を吐き、表情を和らげた。


「デスタード、そのほうの言葉が必ずしも間違っていないことは分かる。が、だとしての言葉のどこに詭弁があったというのだ?」

「恐れながら申し上げます。身分差があったからこそのシーラを懐妊させておきながら、いまさら身分など関係ないという陛下のお言葉は詭弁と思われても仕方がないということです」


 それは国王と侯爵という身分差を考えれば、命がけの進言であった。


「……いわんとすることは分からぬではない。だが、シーラを側室として迎えることは本当にあり得ぬことなのか? はシーラに男としての責務を果たしたいだけなのだ」


 国王は忠臣ちゆうしん2人に尋ねる。

 その問いには、ガラジアル公爵が答えた。


「陛下、男としての責務を果たしたいというお気持ちは大変ご立派だと思います。が、もしも彼女を陛下が側室として迎えれば、彼女とその子どもは早晩命を狙われることになるでしょう」

「命を狙われるだと?」


 顔をしかめる国王。


「はい。先ほど陛下もおっしゃられたとおり、現在お世継ぎを巡って争いが起きております。そこに平民出身の側室とその子どもが現れれば、他のお世継ぎ候補達からどのように写るかお考えください。最悪暗殺などの危険すらあります」

「いや、まて。いくらなんでも妃達やその子どもがシーラの命を狙うなど……」

「奥方様方がそのようなことをお考えになるとは私も思っておりませぬ。が、奥方様方やお世継ぎ候補ご自身ではなく、その周辺にはきな臭いモノが漂っていることも事実」


 自分と懇意の王位継承者が次期国王になれば、支持者達も甘い蜜が吸える。そう考える貴族達は多い。

 貴族達の中には王子、王女に今のうちから取り入り、他のライバルを様々な手段で失脚させようと暗躍している者達がいた。


「しかし、これまで暗殺などといったことまでは起きていないではないか」

「それは奥方様方がそれぞれ後ろ盾を持っておられるから。されど、後ろ盾のない平民出身の側室となれば何が起きても不思議はございませんぞ」

が後ろ盾になるわけにはいかぬのか?」

「それこそ悪手。陛下がシーラとその子に肩入れすれば、皆からは、陛下がシーラの子こそが次期世継ぎと考えていると受け取られかねませぬ」


 ガラジアル公爵の言葉に、国王も目をつぶって考える。


「ガラジアル公爵、デスタード侯爵、2人の進言は理解した。

 ……いや、も分かってはおったのだ。2人にこのような言葉を言わせてしまったことを申し訳なく思う」

「もったいなきお言葉」

「ご無礼いたしました」


 国王の言葉に、ガラジアル公爵とデスタードは答えた。


「シーラにはの軽挙で申し訳ないことをした。正直、年老いた自分に子をなす力が残っておるとはおもわなんだ」


 国王は小さくため息をついた。


「後悔は後でしましょう。今は目の前の事態にどう対処するかです」

「ふむ、2人の意見は?」


 デスタードの言葉に、国王は尋ねる。


「……話が広がらないうちに、シーラを王宮から出奔させるべきかと」


 ガラジアル公爵が言った。発言の前に言いよどんだのは、もっと過激な対処が頭に浮かんだからかもしれない。


「実家に帰すか」

「いえ、それも危険かと思います。シーラの実家は平民とはいえ、王都有数の商家。しかも、王直属のメイドとなったことは家族だけでなく周囲も知っているとのこと。どこか別の場所に隠すより他ありますまい」

「しかし、18歳の妊婦を放り出すわけにもいくまい」

「……そこは私にお任せを」

「具体的にはどうする?」

「具体的なことは陛下は知らぬ方がよいと心得ます」


 ガラジアル公爵の言葉に、国王は黙想した。


「わかった、其方を信じよう」

「有難きお言葉」


 ---------------


 デスタードはシーラを乗せて暗い夜の森を馬を走らせた。

 乗馬は初めてなのだろう、必要以上に自分の腰にしがみついている。が、それを咎める気にもなれない。


 国王に任せろといったが、ガラジアル公爵にも彼女が安全に暮らしていける場所などほとんど心当たりがなかったらしい。

 少なくとも、デスタードやガラジアル公爵の知り合いの貴族に預けたり、自分達の手元がかばうのは無理だ。

 今の彼女の立場は、どこかの商家に奉公させるだけでも危険なのだ。

 いかにも策があるかのように国王に言っておきながら、この始末だ。


 正直、今この場でシーラを切り捨てることも考えたくなる。

 あるいはそれが一番確実な方法なのかもしれない。

 これから自分が彼女を連れて行こうとしている場所を考えれば、その方が彼女にとっても幸せではないかとすら思ってしまう。

 本来なら大陸の反対側にでも送り届けたいが、相手は妊婦だ。


 だが、彼女には生きてほしかった。

 何故そう思ったのかは自分でも分からない。

 あるいは、10年前彼女と同じ年齢で死んだ自分の娘の姿が、重なって見えたという感傷的な気持ちからなのかもしれない。


 今、彼らが向かっているのは王都から馬で半日ほど離れた売春地区である。

 様々なワケありの人生を送った者達が最後にたどり着く場所。

 ある意味で死んだのと同じ扱いになる街。


 そんな街に18歳の妊婦を置き去りにしようとしている。

 王宮から旅立つ前、デスタードがシーラに行き先を告げると、彼女はただ『分かりました』とだけ答えた。

 商人の娘である彼女は、遊女の暮らしがどういうものなのかおぼろげには知っていることだろう。

 それでも文句一つ言わなかった。

 あるいは命が助かっただけでも良かったと思っているのかもしれない。


 やがて森が開け、目の前に明るい街が見える。

 真夜中にもかかわらず、その街は光り輝いていた。

 いや、真夜中こそ光り輝く街なのかもしれない。


 馬を止めると、シーラが尋ねた。


「あの街ですか?」

「ああ、そうだ。店主の1人への紹介状は持っている。案内しよう」


 その紹介状はデスタードの部下の知り合いの商人の、そのまた部下の名前で書かれている。紹介状を手に入れること自体が露見のリスクにもなりえたが、デスタードの名前で紹介状を書くわけにはいかなかった。


「いいえ、侯爵様があのような街に入られるわけにはいかないでしょう。ここから先は私1人で大丈夫です」

「しかし……」

「恐れながら申し上げれば、侯爵様のような方に連れられてあの街に行くことこそ、私にとって危険だと考えます」


 それは道理であった。

 彼はお忍びの格好とはいえ、こういった歓楽街には不釣り合いな生地の服を着用している。

 このままシーラを送り届ければ、彼女と貴族の関係を疑われかねない。それで即座にどうなるという話ではないだろうが、彼女の今後の生活に良い影響はあるまい。


 デスタードは懐から紹介状と当面の生活費、貴金属を取り出してシーラに渡した。


「ありがとうございます」


 彼女は遠慮することなく、それを受け取る。今後生き残るために必要な者だからだ。


「このような形になってあなたには申し訳なく思う。私のことを恨んでくれてもかまわない」

「いいえ。私にも本来ならお腹の子ごと殺されてもおかしくないということは理解できます。ここまで送っていただき、新しい生活のための支度金までいただいて、お恨みすることなどございません」

「すまない」

「ここまで、ありがとうございました」


 シーラはそう言って頭を下げ、シーラは歓楽街に向けて歩き始めた。

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