21.森の魔女ブシカ

 深い眠りだった。

 転生してから……いや、桜勇太として産まれてから18年以上、こんなに深く眠ったことはない。そのくらい昏々と眠っていた。

 目を覚ましたとき、僕の額には濡れた布が置かれていた。


「う、うぅぅ」


 僕が起き上がろうとすると、隣にいたリラが押しとどめた。


「ダメよ、まだ動いちゃ。すごい熱だったんだから」

「……熱」


 だから、濡れた布で頭を冷やしてくれていたのか。

 それにしても、一体なにがどうなって……


 僕は周囲を見回す。

 どうやら、どこかの家――あるいは小屋の中らしい。

 僕は獣の皮で作られた布団に寝かされ、リラが看病してくれていたみたいだ。


 徐々に記憶が戻ってくる。

 獣人達に追われ、僕はリラと死んだふりをするために崖から飛び降りた。

 死体のフェイクを作って、それから……


 ……そうだ。

 あのお婆さん。

 魔女。


「一体、ここ、どこ? 魔女は? 獣人達は? あれからどのくらい時間が経ったの?」


 混乱して言う僕に、リラはゆっくり語った。


「落ち着いて、パド。まず時間だけど、あなたは3日間以上寝ていたそうよ。今はあの日から3日目のお昼」


 ――3日も……


 その事実に驚愕すると共に情けなくなる。

 リラを護るって言ったのに。

 結局、僕はリラに護られたのだ。


 あれ?

 リラの腕を骨折させてしまったと思ったけど、今のリラは普通に手を動かしている。

 僕の気のせいだったかな? それなら良かったけど。


「で、ここはブシカさんの家」

「ブシカさん? 誰、それ?」

「私たちを助けてくれたお婆さんよ」


 気絶する寸前に見たお婆さんか。

 魔女かと思ったんだけど……


「でも嬉しい」

「嬉しいって、何が?」

「パドがそういうしゃべり方してくれるのが」


 しゃべり方?

 あ、そういえば敬語じゃなくなっていた。

 リラも年上なのに。


「えっと、すみません」

「だから、敬語はやめてよ」

「はい……いや、うん」


 敬語は僕の体に染みついてしまっている。

 前世では話す相手がお医者さんと看護婦さんしかいなかったから、タメ口なんてありえなかった。

 転生してからは、『自分は異邦人だ』という思いがどこかにあり、どうしても他の人達から一歩離れた感情があったのだ。

 だが、リラがそれを望まないというなら、できるだけやめるか。


 と。

 扉が開き、くだんのお婆ちゃん――ブシカさんが部屋に入ってきた。


「目が覚めたかい?」

「はい。お世話になりました」


 僕はそう言って体を起こして頭を下げる。


「じゃあ、これを飲みな」


 ブシカさんが僕に突きつけたのは、お椀に入った緑色の液体。

 なんか、すごい臭い。

 明らかに飲みたいとは思えない。


「あの、これ……?」

「パドだっけ? あんた一気に魔力を使いすぎだ。熱と気絶はその報いだよ」

「魔力の使いすぎ、ですか」


 ブシカさんは、その通りと頷く。


「あんたの持っている魔力はそりゃあすさまじい。

 たとえるならば、膨大な水を溜めた湖だ。だが、湖から一気に水を流せば川を氾濫させ、周囲の木々を薙ぎ倒し、山を削る。

 同じように膨大な魔力を一気に外に出せば体が持たなくても当然だ。

 おっと、いけない。平民の子どもに説明するのに、巨大水流の例え話をしてもわからんか。どうにも昔の癖が抜けん。

 しかし、他にどう説明したもんかね」


 確かに、ジラやキドに今の話をしてもピンとこないだろう。

 リラも隣で聞いていてよく分かっていないらしい。

 この辺りでは雨期でも、川が氾濫することは何十年もなかったらしいし。


 だけど、僕はなんとなく分かる。

 前世の図鑑で川が氾濫した時の絵を思い出したのだ。


「その薬は特別製だ。魔力の状態を整える。あと、解熱作用のある薬も混ぜたし、滋養強壮に効く薬も入れてある。ついでに抗菌薬も入れておいた。

 ついでに3日間飲まず食わずだったから、栄養素と水分も取れるよ」


 ――それは、色々入れすぎじゃないですかね?


 僕はもう一度お椀の中身を見る。

 臭い。

 それに、なんかドロドロしている。しかも、エメラルドグリーンみたいな綺麗な色じゃなくて、苔のようなどす黒い緑色。


「なんだい、不満かい? 薬師ブシカの特性品だよ。本来なら金貨1枚もらうとこだ」


 金貨――村の1年の現金収入を合わせてもそんなにはいかない。

 え、ええい。飲んでやるさ。

 少なくとも毒じゃないだろう。それなら気絶している間に殺されていたはずだ。


 僕はお椀に口を付け、恐る恐る飲み下す。


 ――ぐがぁ


 にがいよ!!

 メチャクチャ、にがいよ!!!

 これを全部飲むとか、地獄だよっ!!

 前世の世界のお薬がどれだけ飲みやすく改良されていたのかって思うくらい、メチャクチャ飲みにくいよ。


 が。

 心配そうに見つめるリラと、睨み付けるブシカさんを見ると、とても飲まないわけにはいかなさそうだ。


 クソ。

 こういうのなんて言うんだっけ。

 前世の言葉で――

 ――そうだ、『良薬は口ににがし』だ。


 もっとも良薬以上に毒の方が口ににがいと思うけど。

 ともあれ、泣きそうになりながら僕は薬を飲み干したのだった。


 ---------------


 薬が効いたのか、それとも自然回復したのかわからないが、少し経つと、僕は普通に起き上がれるようになった。

 ブシカさんはそれを確認すると、僕らを隣の部屋に連れて行き、椅子に座らせた。


「ちょっと待ってな」


 彼女はそう言うと小屋から出て行く。

 僕はリラに気になっていたことを尋ねることにした。


「リラはいつ起きたの?」

「実は私も目を覚ましたのはついさっきよ。だから、状況はよく分かっていない部分も多くて。ブシカさんが私たちをここまで運んでくれたのは間違いなと思うんだけど」


 そっか。


「体は大丈夫?」

「ええ、特に痛いところもないわ」

「よかった」


 どうやら骨折させたと思ったのは、僕の勘違いだったらしい。

 そう思ってホッと息をついたのだが。


「そのの骨折は私の魔法で治したよ」


 ブシカさんが何やら壺を抱えて部屋に入ってきた。


「え? そうなの!?」


 驚くリラに、ブシカさんは頷く。


「ああ、あんたの右腕はポッキリ折れていたからね。他のも擦り傷や切り傷もあった」


 先ほど魔力の話をしていたのでそうじゃないかと思ったけど、やっぱりブシカさんは魔法使いなのだ。

 ルシフの言っていた魔女というのは彼女のことなのだろうか?


「じゃあ、なんで僕には薬なんですか?」


 未だに口の中がにがいんですけど、とこれは心の中で伝える。


「魔力の使いすぎで倒れた者にさらに魔法をかけるなどありえん。とどめを刺すようなもんだ」


 なるほど、納得。


 そんなことを考えていると、ブシカさんは机の上にお椀を3つ並べ、そこに壺から麦粥を入れた。


「色々聞きたいことはあるし、そっちにもあるだろうけど、まずは腹ごしらえをしようじゃないか」


 ブシカさんの麦粥は、ラクルス村のそれよりも美味しかった。

 香草やお肉がたくさん入っていたからだろう。


 ---------------


「さて、それじゃあ話してもらおうか、あんた達が何者なのかをね」


 食事が終わると、ブシカさんによる僕らへの取り調べが始まった。


「何者って言われても……ねえ?」

「ただの子どもだよ」


 リラと僕はなんとかごまかそうとする。

 が。


「ただの子どもが天から降ってきてたまるかい。いや、実際には崖の上から落ちてきたのかもしれんが。

 なにより、パド、あんたの使った結界魔法はとんでもない威力だ。

 私にも再現できない。最大の魔力を使っても、あの高さから落ちたら骨折くらいはするだろう。

 そして、ニセの死体を作り出した魔法。

 魔法そのものも見たこともないが、そもそもニセの死体を作らなければならない状況に置かれた子どもが、普通なわけがないだろう」


 う゛。


「それに、リラ。怪我を調べる内に、あんたの腹も見た」


 あ。

 リラの鱗か。


「最初は獣人かと思ったが、それも違うね。鱗がでる因子をもった獣人だというなら、あんたの年齢のころには全身に達しているはず。どうにも中途半端だ」


 うう。


「私は助けられる子どもを放っておくほど冷血漢ではないつもりだけれども、助けられたのに事情説明を拒否するガキを無条件で受け入れるほど博愛主義でもないんだよ。

 なにより、ニセモノの死体を作るって事は、何かのトラブルに巻き込まれたんだろう?

 ちゃんと説明しもらえないなら今すぐ出て行ってもらうしかないね」


 ごもっともすぎる。


「わかりました、説明します」


 僕は頷いた。


「言っておくけど、嘘は通じないよ。心を読むとまではいかないが、嘘を見破る魔法なら使えるからね」


 そりゃすごいな。

 感心しつつ、どうせごまかせないならと、僕らは覚悟を決めてこれまでの経緯を話しはじめた。

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