11.僕の秘密、お父さんの秘密(前編)

 アベックニクスの騒動から一夜明けた朝。

 朝食を終えた僕とお父さんは、川に向かういつもの道とは反対方向から村を出た。

 途中から山道をそれて森の中に入る。


「川に向かう道よりも険しいからな。もしつらかったらいつでも言えよ。おんぶしてやるから」

「大丈夫です」


 僕はそう答えた。

 おんぶなんてしてもらったら、きっと僕はチートの力でお父さんの首を絞めてしまうだろう。


 とはいえ、確かに大変な道だ。

 いや、そもそも道じゃない。

 獣道ですらない。

 誰も歩かない場所を、草木をかき分けて無理矢理進んでいる感じだ。

 踏み固められていない急な上り坂なので、僕の力だと慎重に歩く必要がある。うっかり力を入れすぎたら大穴を開けてしまう。


 歩く。

 歩いて歩いて。

 途中で何度か休憩して。


 お父さんはいったい僕をどこに連れて行こうとしているんだろう。

『お父さんの秘密の場所』……うーん、思い当たるのは5年前の浮気現場?

 でも、そんなところに子どもを連れて行くかなぁ?


「よーし、着いたぞ」


 お父さんが前方で立ち止まって言う。

 僕もお父さんの後に続く。


「うわああぁぁぁぁぁ」


 木々をかき分けた先に広がった光景を見て、僕は思わず感嘆の声を上げた。

 そこは高い崖の上だった。

 眼下には広大な木々と山肌、その先には草原、さらにはるか彼方かなたに見えるのは……大きな街だ。


 僕が知っているどんな光景よりも美しい景色だった。

 病室で見たテレビの映像なんかとは比べものにもならない。

 ラクルス村の中や川原のような木々に遮られた空間とも違う。


 そこから一望できるのは、どこまでもどこまでも続く世界だった。


「あんまり身を乗り出すな、落ちたら大変だ」

「はい」


 お父さんに言われ気づく。

 知らず知らずのうちに僕は崖から身を乗り出していた。

 この崖から落ちたら命はないだろう。

 

 ――ここがお父さんの秘密の場所。


「とりあえず、座れ」

「はい」


 僕はお父さんと並んで、崖の方を向いて地面に腰を下ろしてた。


「パド、お前が住んでいる場所の名前を知っているか?」

「……ラクルス村でしょ?」


 いまさら何を言うのかと、僕はいぶかしむ。


「もちろん、その通りだ。だが、もっと大きな世界がある」

「……大きな世界」

「ラクルス村は聖テオデウス王国のゲノコーラ地方に属する……らしい」


 国名はともかく、村の中でゲノコーラという地方名を聞くことはほとんどない。

 なにしろ生活基盤がほとんど村の中で完結しているから、国名はまだしも地方名なんて村人同士で意識する必要もないのだ。


 ……っていうか……


「らしいって?」

「俺だって村とその周辺くらいにしか行ったことがないからな。サーラとも村内そんない結婚だったし」


 村長以外が他の村に行くのは年に数回の合同お見合いの時くらい。さすがに村人だけで結婚を繰り返すわけにはいかないから。

 でも、お父さんとお母さんはどちらもラクルス村の出身だから、それすら経験がないらしい。

 隣村というと近そうだが、徒歩半日はかかる。

 まして、遙か向こうに見える街になど、村長だって行ったことはないだろう。

 ラクルス村はそのくらい田舎なのだ。


「俺は子どもの頃、この村から出てもっと大きな世界に行きたいと思っていた」

「そうなんですか?」

「そりゃあそうさ、男ならみんな一度は冒険にあこがれるもんだろ?」


 それはそうかもしれない。

 前世では11年病院のベッドの上だった僕からすれば、川まで行くだけでも冒険に感じる。

 だけど、それはまだ水くみを始めて数ヶ月だからで、このまま1年も経てばもう少し広い世界を見たいと思うものかもしれない。


「……と言っても、本気の覚悟があったわけじゃない。村から出て1人で食っていくことができるとも思っていなかった。今思えば子どものあこがれでしかない」


 お父さんははるか彼方かなたの街を眺めながら続ける。


「俺のお袋と親父おやじが死んで、サーラと結婚すると決まった時、俺はそういった夢みたいな想いは捨てた。まあ、当然だな。

 だけど、最後に俺があこがれた外の世界を見たいと思って、領主様の住む街が見えるこの崖にやってきたんだ」

「そうなんですね……」


 確かに、村の外を冒険してみたいという憧れに踏ん切りをつけるにはいい場所かもしれない。


 ――うん? でもちょっと話が違わない?


「さっきから聞いていると、お父さん以外にもこの場所を知っている人がいるんじゃないですか?」


 人づてにこの場所を教えてもらったみたいだし。


「ああ、結構みんな知っているぞ。街のある方角はアボカドさんに聞けば分かるし、村の男衆ならはだいたいこの場所に来たことあると思う」

「じゃあ、秘密の場所じゃないんじゃ……?」

「おう、この場所自体は全然秘密じゃないぞ」


 おいおい。

 話が違うじゃん。

 いや、もちろん、この光景には感動したけどさぁ。


「そんな顔するな、秘密というのは俺がここでしたのことだ」


 ある行動?

 お父さんの秘密の行動……僕が思い当たるのは1つしかない。


「……お父さん、ここで浮気したんですか?」


 僕は冷めた口調で言った。


「そんなわけあるかっ!!! こんな場所で横たわってナニをしたら崖から落ちる……じゃなかった、そんな場所に息子を連れてくるかっ!!」


 お父さんは全力で僕にツッコむ。

 まあ、そりゃあそうだろうけど。


「じゃあ、いったい何をしたんですか?」

「ふむ、恥ずかしいことだ。恥ずかしすぎて今まで誰にも話したことがない」

「浮気よりもですか?」

「いや、浮気から離れろ、たのむから……」


 お父さんが疲れたように言う。

 まあ、親の浮気を子どもがあんまりゴチャゴチャ言うもんじゃないか。


「とにかく、だ。これはお前が俺の息子だから話すんだ。他の人には絶対言うな。俺とお前だけの秘密だ」


 真剣な顔のお父さん。


 ――ふむぅ。

 僕を信じて秘密を明かしてくれるってことか。

 ちょっと嬉しい。


「わかりました。誰にも言いません」


 僕は神妙な顔で頷いた。


「あの日――サーラと結婚した前日、俺はこの場所に来た。そして、遠くの街に向かって、あることをした。今からもう1度やってみせる」


 お父さんの言葉に僕はもう1度頷いた。

 いったいお父さんは何をしたのだろうか。


 じっと見つめていると、お父さんはおもむろに立ち上がった。

 そして、崖の方を向く。


(ゴクリ)


 思わずつばを飲み込む僕。


 と。

 お父さんがズボンを足下まで下ろした。


 ……って、お父さん!?

 なにをしているの!?


 ちなみに、ラクルス村では下着を履く習慣はない。

 習慣がないというより、布が足りないのだが。

 特に今の季節はズボンを下ろせば色々まるだしになる。


 唖然とする僕をよそ目に、お父さんはアレを街の方に突き出し放尿を始めた。

 ……って、オイ!!


「あ、あの……、お、お父……さ……ん……?」


 あんまりと言えばあんまりなお父さんの行動に、僕は呆然となる。


「いやー、結婚前日に街に向かってションベンぶっかけたら、なんか世界を征服したような気持ちになってスッキリしてな。

 村で母さんや産まれてくる子どもと家族を作ろうっていう気持ちになったよ」

「……は、はぁ……」


 生返事をする僕。

 ……いや、他にいったいどうしろと……


「とはいえ、結婚前日にこんなアホなことをしたなんて、他人に言えるわけないだろ?」


 そりゃあ、そうだ。

 あまりにも恥ずかしすぎる!!

 ちなみに、当たり前だけどお父さんのおしっこは崖の下に落ちただけで、街までは届いていない。


「今のが秘密だ。誰にも言ったことはない。お前も言いふらすなよ、パドを信じているから話したんだからな」


 そっぽを向くお父さん。

 でもちょっとだけ見える頬は赤い。

 やっぱりお父さんも恥ずかしいらしい。


「いや、そりゃあ、誰にも言いませんよ」


 というか、自分の親が結婚前日にこんなアホなことをしていたとか、情けなすぎて他人に言えないよ、お父さん。


「……と、まあ、俺の秘密は以上だ。俺はパドを信頼しているから話した。パド、お前はどうだ? 俺を信頼しているか?」

「え……?」


 真剣な顔で僕に向き直ったお父さんの言葉に、僕は思わず詰まる。


「俺は頼りない父親かもしれん。確かに7歳の息子に浮気したなど言われるのはダメ親父おやじだろう。だが……」


 お父さんはそこで言葉を切る。


「それでも、お前が抱えている秘密を受け止めて、信じてやることはできる。お前がどんな秘密を持っていてもお前の味方でいてやることはできる。お前が望むなら他の誰にも明かさない」

「僕は秘密なんて……」

「お前が秘密を抱えていることくらい俺にだって分かるさ。毎日、子どもらしくない遠慮をしていることだって分かる」


 お父さんはそういうと、再び僕の横に座る。

 そして、僕の頭をぎゅっと抱きしめてくれた。


 お父さんの腕と胸はとても温かくて……

 それは前世では手に入れられなかった暖かさで……


 お父さんの腕はとっても太くて。

 お父さんの胸はとっても硬くて。

 でも、とっても優しくて。


「俺を信頼して話してくれないか?」


 いいのかな……

 僕の秘密、話してもいいのかな?


 7年間、ずっと我慢してきた。

 前世のことも、チートのことも、誰にも話さずに。

 ただひたすら自分の力を抑えて。


 だけど、それももう限界だ。

 アベックニクスの騒動で僕は自分の力を白日の下にさらしてしまった。

 キド達は秘密にしてくれたけど、ジラの言うとおり不自然すぎる言い訳だった。


 ――いや、そもそも。


 アベックニクスのことがなくても、バレバレだったのかもしれない。

 地面に穴を空けてしまうから走り回ることもできず。

 バケツを持ち上げただけで何度も壊してしまった。

 こうしてお父さんが抱きしめてくれても、抱きしめ返すこともできない。


 お父さんは――もしかすると、お母さんや村長や、他の大人たちも、あるいはテル達も――色々不自然に感じていたのかもしれない。


 だって、話したらきっとお母さんはもっと僕のことを怖がる。

 お父さんだってお母さんと同じように怖がるかもしれない。

 そうしたら、転生してまで手に入れた、この幸せな村人生活を失ってしまうかもしれない。


 それは僕にとって、ものすごく恐ろしい想像で。

 そう思うと、とても相談なんてできなくて。


 でも、でも……


 気がつくと、僕の両目からボロボロと涙が流れていた。

 ずっと抑えてきた気持ちが一気に吹き出しそうだった。


 お父さんは泣き出した僕を見ても何も言わず、ただ抱きしめて待ってくれていた。

 僕の気持ちが落ち着くまで。


 僕のことを信頼しているから。


 だったら、僕は――


 ――僕もお父さんを信頼しよう。


「わかりました。僕もお父さんのことを信頼します。ありえないと思うかもしれないけど、これから話すことは全部本当のことです」


 僕がそう言うと、お父さんが神妙な顔で頷いた。


 ――そして僕は、僕の秘密を話し始めた。

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