9-12

「あ、がっ。……し、知らなかったんだよ。アイツがアンタの女だなんて」


「……俺の女?」

 ディアゴスティーノは不思議そうな目でロバートを見る。

「アイツがか?」


「……違うのか?」


「なに勘違いしてんだよ。俺の女なんかじゃねぇ、やつぁ俺の再従兄弟はとこよ」


「ハトコ?」


 ディアゴスティーノはああそうだよ、と頷く。


「ハトコってハトコのために……ぶべっ!」


 平手がロバートの頬を強かに打った。


だぁ? アイツが俺の再従兄弟ってことはだぁ、アイツを侮辱するってのは俺の何分の何かを侮辱したことになるじゃねぇか。ああ?」

 ディアゴスティーノは往復ビンタを繰り返しながら言う。

「よぉ、何分の何だ? お前ら人間は賢いんだろう? 計算してみろよ。俺の、親の、そのまた親の、その兄弟の、子供の、そのまた子供だ。おら、何分の何だ? 戦後にデカイ顔してのさばってるお前ら人間だ。こんな計算なんてお手の物だろう?」

 ひたすらにディアゴスティーノはビンタを繰り返し、ロバートは質問に答えられずにひたすら謝り続けていた。

「オメェらは異文化の勉強がなってねぇ。俺らフェルプールは血族を侮辱されたら報復せずにはいられねぇんだよ。それが女だとしたら尚更さ。加えてオメェは使うなって忠告しといた猫耳言葉を何べんも使いやがった。アンチャン、オメェ虎の尾を踏んだぜ?」


「お、お願いです……。許してくれ……。」

 ロバートが涙を流す。頬を伝う涙は血を含み、薄い桃色に変色していた。

「妻と……子供がいるんだ……だから……。」


 ディアゴスティーノはそれに驚いたような表情を見せた。そして手下たちの方を本当か? と振り向いた。


「ええ。下調べした限りでは、その男の言ってることは本当です」


 ディアゴスティーノは拍子抜けしたように、まいったなぁと頭を掻いた。

「馬鹿野郎、そういうことは前もって言っとけよ」


「……すんません」


 ロバートは妻と子供の話をしたのが功を奏したのではと、呼吸を乱しながら期待してディアゴスティーノを見ていた。


「まいったなぁ……。」

 ディアゴスティーノはダガーを持ったままの手で頭を抑えた。


「ひ、人でなし!」


「人じゃあねぇよ」

 と面倒くさそうにディアゴスティーノは言って、ダガーをロバートの首の動脈辺りにあてがった。


「た、頼む。妻と子供だけは……。」


「……ああ、分かったよ。オメェの女房とガキにゃあ手は出さねぇよ」


「ほ、本当か? 誓ってくれ、俺じゃなくて神にっ」


「ああいいとも。オメェらの神の名前なんざぁ知らねぇが、誓ってやるよ」


 ディアゴスティーノは笑顔を浮かべた。

 ロバートは相変わらずしゃっくりを上げるように小刻みに痙攣していたが、自分の願いが聞き入れられたことで何とか笑顔を作った。

 笑い合うディアゴスティーノとロバート。


 そしてディアゴスティーノはロバートの首の動脈を掻っ切った。


「あ……がっ」


 それは同情でも憐憫でもなかった。

 旧い時代の屠殺業者は、豚の首を掻っ切る際に豚に微笑んで見せたという。そうすることで、豚を安心させ自分の体からも力みをなくすことができると考えられていたからだ。

 ディアゴスティーノは吹き出す血を延々と眺めていた。彼はどのように首を切れば返り血を浴びないかを熟知していたので、血煙はディアゴスティーノたちからそれて吹き出していた。


 やがて血の流れの勢いが涙のように弱々しくなると、ディアゴスティーノは手下たちに言った。

「……こいつの死体をに持ってけ」


「……へい」


 死体を睨んだままディアゴスティーノが言う。

「持ち物は全部燃やせ。燃えないもんはエンブレムを削って行商人に売っぱらえ」


「へい」


「捜索が始まるようだったら。物乞いにコイツを見たって役人に証言させろ。こことは街道を挟んで逆方向に行ったのを見たってな」


「へい」


「終わったら物乞いは始末しとけ」


「へい」


 指示が終わるとディアゴスティーノは大きなあくびと共に伸びをして、眠そうに目尻を猫のように拳でこすった。

「んじゃあ、俺はもう帰るわ」


 ディアゴスティーノは手下に渡していた帽子を取るとそれを頭に被り、手を振って階段を上っていった。

 店を出ると、ディアゴスティーノは肺に溜まった血の匂いを追い出すように深呼吸をし、そして自分にも血の匂いがこびり付いていないか上着に鼻を近づけた。


「クライスラーさんっ」

 すると、花売りの娘が彼に声をかけてきた。歳は七歳(人間で一四歳ほど)、成人には届かない少女だった。


「おお、ミネロか……。」

 ディアゴスティーノは機嫌よさげに花売りの娘に近寄った。

「こんな時間まで家の手伝いか? 感心だな」


「もう店じまいですけど……。そういえば、少し前にタタさんがこちらで花を買っていきましたよ」


「そうか。今日は奴の女房の誕生日なんだよ」


「みたいですね。だから一番上等のシマリンドウを」

 そう言ってミネロはクスクスと笑った。まだ幼いものの、看板娘としては十分な愛らしい笑顔だった。


「どうした?」


「だって、リンドウの花言葉は“悲しんでいるあなたを愛する”と“誠実”ですよ? まるで奥様にやましい事があるみたい」


 ディアゴスティーノは気まずそうに指で頬を掻いた。

「……話は変わるがぁ、親父さんの容態はどうだい?」


「おかげさまで随分と良くなりました」


「そうかい。そりゃ良かった」

 ディアゴスティーノが微笑む。


「ただ……お医者様がもっと近くにいれば……。」

 と、ミネロの表情が少し沈んだ。


「……そうか」

 ディアゴスティーノは懐から財布を取り出した。

「花を一本くれねぇか?」


「あ……でも、もうほとんど片付けてしまって……。」


「それでいいぜ」

 と、ディアゴスティーノは花瓶にさしてある飾り用のアゲハソウを顎でしゃくった。

 黄色と黒の力強い色合いが特徴の花だが、茎ごと折られ花瓶に入れられて時間が経っていたため、少ししなび始めていた。


「……これでよければ」

 と、ミネロはその花をディアゴスティーノに差し出した。


 ディアゴスティーノは財布から硬貨を取り出してそれをミネロに握らせた。少女の手に辛うじて収まるくらいの量だった。


「こんなっ……多過ぎです、いただけませんっ」


「親父さんの薬代だ」


「クライスラーさんからは普段から十分にいただいてますっ」


「じゃあそれはオメェの小遣い賃だよ。家の手伝いは感心だが、いい歳した娘がそんな格好じゃあいけねぇ。服でも買いな」


 確かに娘はモップハットにエプロン、オーバースカートと他の町娘と変わらない服装だったが、布地はテーブルクロスを仕立て直したかのように汚れて布の劣化も目立っていた。

 少女は頬を赤らめ濡れた瞳でディアゴスティーノを見ると、握った硬貨を腰のポシェットにしまいこんだ。

 ディアゴスティーノは硬貨が納められるのを確認すると、受け取った花束の茎をちぎって水色の山高帽※に差し、冗談めかしてを作ってみせた。

(山高帽:フェルト生地の半球状の帽子。ポーラーハットとも)

「似合うかい?」


「ええ、とってもっ」

 ミネロは笑顔で言った。


 ディアゴスティーノは娘の笑顔に満足すると、じゃあなと手を振って去っていった。

 ディアゴスティーノが街中まちなかを歩いていると、彼を見つけた住人達はミネロのように声をかけてきた。


「クライスラーさん。こんばんわ」


「クライスラーの旦那。いい晩だね」


「親分さん、今度うちの店にも寄ってくれよ」


 声をかけられる度に、上機嫌にディアゴスティーノは手を振った。


 つい先ほど人を殺めた獣は、月明かりの射す街道の真ん中を堂々と歩いていた。

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