8-36

 シーナの死からしばらくの間、クロウは大人しく娼婦の仕事に従事していた。カールスは、シーナの一件が見せしめの効果があったのだと思い込んでいた。

 しかし、再びカールスが町の寄り合いに出かけた時、クロウは行動に出た。


 バリーにカールスの帰宅時間を確認したあと、クロウはカールスの部屋に再び忍び込んだ。以前と同じようにピッキングで机の鍵を開けると、中には以前と同じように、彼女の借用書があった。

 こんなものがあるから……。クロウはもはや意味もなかったがシーナの借用書も取り出し握り締めた。これを持って逃亡しよう。犬はシーナがカタをつけてくれた。町の人間も信用できないから、山を下りたら誰にも見つからないようにしないと……。

 とっとと全部処分をしたいが、なるべく逃げる時間を稼ぐために痕跡は残したくない。クロウは借用書を懐にしまい机を戻し鍵をかけ直そうとした。

 だが、同時に彼女の耳は不穏な足音を捉えた。

 クロウは慎重に耳を澄まして足音を分析する。足音の重さから女ではなく男、歩幅からバリーよりも大きい。そして客が迷子になったとはいえこんなところに来るわけがない。つまりは……。

 クロウの心臓は飛び跳ねるように激しく脈打った。ヤバイを胸中で連呼し混乱したが、すぐに暗い室内を見渡し目に付いた鎧戸※のクローゼットに忍び込み息を潜めた。

(※鎧戸:羽板はいたと呼ばれる細長い板を、枠組みに隙間をあけて平行に組んだもの。組み方により、風や光を選択的に取り込むことができる )

 入室してきたのは、やはりよりによってこの時この場では最も来て欲しくなかったカールスだった。クロウは、シーナと同じくここに神はいないのかと呪わざるを得なかった。

 何故カールスは戻ってきたのだろうか? クロウは羽板が一枚欠けている隙間から室内を伺った。

 カールスはランプに火を灯し、彼もまた何かを探すように室内を伺っていた。そして机の前に立つと、カールスは借用書が入っていた引き出しに手を掛ける。

 バレているのか? クロウは、カールスに聞こえてしまうのではというくらいに鼓動を激しくしながらそれを見守った。


「おかしいなぁ。鍵をかけ忘れたかぁ」

 カールスがわざとらしく言う。気のせいだと思ってくれればそれに越したことはないのだが。クロウは扉の隙間から目を離して瞼を閉じた。


 しばらくカールスが室内をうろつく音がしていた。クロウは呼吸音も聞かれぬよう息を止める。

 カールスが小さく唸った後、扉の閉まる音を耳にする。だが安心はできなかった。何かまだ室内に誰かがいるような気配がするからだ。何より、まだ室内には灯りがついている。

 しかし一向に室内の雰囲気・気配が変わろうとしない。本当にカールスは部屋を出て行き、灯りに関してはカールスが消し忘れたのではないか。クロウはそんな甘い希望を持って、もう一度ゆっくりと慎重に羽板の隙間から室内を見た。

 隙間の向こうには鳶色のカールスの眼球があった。

 意図せず見つめあう二人。金色の瞳は恐怖で見開き、鳶色の瞳は怒りで見開いていた。


「!?」


 クロウは悲鳴を上げるのを口を押さえて何とか堪えた。だが、無駄だった。


「隠れても無駄だ泥棒猫!!」


 カールスがクローゼットの戸に手をかける。クロウはクローゼットの中にあったハンガーのフックを鎧戸の取っ手に引っ掛け、外側から開かないように抵抗を試みた。

 カールスがクローゼットごと外さんばかりの力を込めて扉を引っ張る。カールスの力で扉が歪みギシギシと音を立てるたびに、クロウが小さく悲鳴を上げる。


「なめるなぁ!!」


 カールスが扉をぶん殴り、歳に似合わぬ馬鹿力で扉を突き破った。そしてそのまま突っ込んだ手でクロウの服を掴み、さらに扉を破壊しながらクロウを外に引きずり出す。


「きゃあ!!」

 クロウは耐えきれずに悲鳴を上げた。


 引きずり出そうとする勢いが余って、カールスが後ろの机にぶつかる。その衝撃で机の上のランプと酒瓶が床に転げ落ちていた。


「手癖が悪い泥棒猫だ! しかも物覚えが悪いときた!」

 カールスはクロウを押し倒し、顔面を踏みつけようと足を上げる。

「あの田舎娘と同じ目に合わせてやるからなぁ!!」


 激昴しているカールスからクロウは何とか身を守ろうと、仰向けの状態から足でカールスの下っ腹を蹴り上げた。

 ちょうどクロウを踏みつけようと足を上げた状態だったので、カールスがバランスを崩す。そしてたまたま床に転がっていた酒瓶を踏んづけカールスは後ろに大きくのけぞった。

 カールスは、ぶつかるというより何かが刺さるような鈍い音をたてて床に倒れた。

 カールスの次の行動から身を守ろうとしていたクロウだったが、何も攻撃が来ないことを変に思い防御を解いてカールスを見た。

 カールスは床に大の字なって倒れ動かなくなっていた。


「……え?」


 クロウは這いながらカールスに近づく。そして、カールスの顔の周辺を見るなり息を飲んだ。

 使い古されて薄汚れていたベージュの絨毯が、どす黒い赤で汚れていたのだ。

「まさか……。」


 カーペットに滲んでいるのはカールスの血だった。そしてその血は、少しづつシミを絨毯に広げていっていた。

 クロウは正座した状態で、動かなくなったカールスを呆然と見る。そして「ざまぁみやがれ……。」と、呟いてから床に散らばっていた借用書を掴み取り、さらに机の中にあった他の娼婦の借金の借用書も取り出した。

 これでみんな自由になれる。そう興奮しながら部屋から出ようとしたクロウだったが、ふと室内が気になり振り返った。彼女の視線の先には形見の刀があった。

 どうせ売れもしないものだと無視して部屋を出ようとしたが、何か後ろ髪を引かれる思いがあり、クロウは再度振り返って室内に戻り刀を手にとった。

 室内からは、酒瓶と一緒に落ちたランプの火が絨毯に引火し、炎が燃え上がり始めていた。


「……この娼館と一緒に火葬になりな。本望だろ?」


 クロウは倒れているカールスに捨て台詞を放った。

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