8-18
21区へ向けて走る馬車の荷台の中、覚醒してはいたクロウだったが、痛みのあまり動くことができなかった。
そんな中、歌声が聞こえるような気がしたので目を開け顔を上げた。
「ああ、気づいたのかい」
そこにいたのは人間の女だった。
歳は17歳くらいで、体の年齢としてはクロウよりも下のようだった。
亜麻色の長髪はまっすぐに肩からさがり、肌は薄らと日焼けしてはいるものの、元々は色白だということが伺える。
大きな筋の通った鼻は、顔を上げただけでつんと上を向きそうなほど高かかったが、それが彼女の顔の全体のバランスを悪くしていた。
髪と同じ亜麻色の目は細く吊り上り、勝ち気な性格をうかがわせる。
背は高いものの胸は小さく寸胴体型で、踊り子には向いていなさそうだった。
クロウほど抵抗しなかったせいか殴られた様子はなかった。しかし、両手には手枷が、片足の足首には小ぶりの鉄球のついた足枷があった。
クロウが自分の足元を確認すると、彼女と同じように足枷がはめてあった。
「大した立ち回りだったみたいだね」
だがクロウはうわの空のように言う。
「さっきの歌は?」
「え? ああ。アタイら人間に伝わってる歌だよ。虐げられていたアタイら人間を、異世界から来た救世主が救い出してくれるって歌さ。祈りみたいなもんだね」
「……祈り?」
「祈るしかないだろう? こうなっちまったからにはね」
女は格子に背をもたれたまま外を振り返った。
クロウも走る馬車を確認して、ようやく自分の置かれた境遇に実感を得た。
クロウは体育座りの状態で膝と膝の間に顔をうずめた。
「……可哀想に、男に売られたんだね」
クロウは何も応えない。
「男なんていずれ裏切るもんさ。だからって金って奴らもいるけどさぁ、貨幣なんて戦争が起こって国がなくなりゃゴミクズになっちまうし、別の国じゃ通用しないこともある。だから最後の最後、人は祈るしかなくなるんだよ」
達観したように女は言う。
「……そう?」
「そ、神様はアタイらを裏切ったりはしないからね」
「……神様?」
「種族や国によって違うけどねぇ。ま、アタイらは時代を変えてくれる転生者を信じてるかな」
クロウは暗く笑い始めた。
「……何がおかしいんだい?」
クロウは顔を上げた。
「そいつなら最初に私を捨てたよ」
今しがた男数人を相手どり、命のやり取りをせんばかりに暴れまわった女のその異様さに女は息を飲んだ。
未だ開放しきれず、また押さえ込むこともできない激情が微笑から溢れていた。
クロウに気圧されたせいで少し沈黙していた女が訊く。
「……そういえば、自己紹介がまだだったね。アタイはシーナ。アンタは?」
「……クロウ」
「クロウ?」
「変わった名前でしょ?」
「そうかね? いい名前じゃないのさ」
いい名前、とクロウが繰り返して嗤った。
シーナはクロウのことを、とっつきにくい女だなと思った。
日が傾きかけた頃、クロウの鼻が初めて嗅ぐような酸味を含む煙の臭いを捉えた。
そして間もなくクロウとシーナは喉の奥がいがらっぽくなり、同時に咳き込み始めた。
外を見るとそこは工場地帯が広がっていた。高い煙突から黒煙が立ち
シーナが黒い煙を見て言う。
「……魔法が使えるのとそうじゃないの、どっちが幸せかね」
「え?」
「なまじ
「……聞いても?」
「なんだい?」
「21区ってどういうとこ?」
「アンタ、ホントに何も知らずに売られたんだね。21区は鉱山だよ」
「鉱山? 鉄とか取るわけ?」
「そ、あの戦争以来とにかくどこも鉄を欲しがってるのさ。何をするにも鉄が必要ってことでね。でも、残念なことにずっと昔から鉱山はアルセロールにあるってのが常識だった。何てったってドワーフだからね、戦争のずっと前から鉱山も加工技術も奴らの専売特許さ。エルフなんてのは鉄とは無縁に生きてたから、鉄が必要になってからはアルセロールに足元見られっぱなしだったんだけど、戦後しばらくしてアルセロールとの
「……どうして私たちがそこに?」
「分かんない? 酒と女用意してりゃあ肉体労働やるしかないような男達がとりあえず大人しく居ついてくれるんだよ。ぶっちゃけ、ヘルメス侯のお墨付きさ」
シーナは嫌なこと話させんじゃないよ、と格子に背をもたれかけた。
そうこう話していると、馬車は足場の悪い道を走り始めた。
何度も小さく揺れては、時に大きく揺れて、狭い荷台の中で半座するしかなかった二人は尻と腰を痛めた。
どうやら工場地帯から少し離れた、ほとんど舗装されていない場所を馬車は走っているようだった。
馬車が到着した場所は、山中にあるせいで既に周囲が暗くなっているところだった。周辺はかつては森だったのだろうが、開拓のために切り開かれ周囲は禿山になっていた。
ガロが馬車から降りて荷台の格子扉を開いた。
「降りろ」
クロウとシーナが下りると、馬車の前には3階建てのレンガ造りの建物があった。
それは元々は貴族の別荘だったが、鉱山が発見されてから彼らがここを明け渡した後、紆余曲折を経て娼館となった建物だった。
小洒落た風情の建物だったが窓には牢屋のような鉄格子がハメられていた。だがそれは元からではなく、どうやら後から取り付けられたような雑な施工だった。
というのも、窓の一部はその工事すらも面倒だったのだろう、窓そのものを分厚い板で塞いでいる所もあったからだ。
全体的にそういう感じの建物で、使用している箇所は目が行き届いているが、気を配らなくてはいいところにはとことん気を回していなさそうだった。
「そこで待ってろ」
ガロは二人に言うと玄関に向かった。
ガロが拳骨をかたどった青銅製の重々しい扉のドアノックを叩くと、建付の悪い扉がゴリゴリと音を立てて開いた。
「おお、ガロか。馬の音がしたんでな、お前かと思って降りてきたところだ」
中から出てきたのは、黒く日焼けした60手前くらいの男だった。
初老のため髪は白髪混じりたったが、それが目立たないよう短く切り揃えられている。目は飛び出すほどに大きく爛々と輝き、鼻は拳闘士のように低く潰れていた。
胸板は厚く、半袖のシャツからのぞく腕は逞しく、シャツも派手な柄物と若作りに入念のない男で、性欲も未だに強そうだった。
そのせいで、男が今ほのかに汗をかいているのは、寸前まで性交していたのではないかという疑念すら抱かせた。
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