7-6
クロウは肩をすくめて返事をした。
とんだ茶番だった。
ジャービスは、あえてクロウに見せつけるようにこの国の言葉を使い、大げさに制裁を加えて見せたのだ。肝心なところは自分達の言葉で囁いて。
「私はアナタが帰ることを認めます。お帰りください」
「……そこまでされちゃあ、こちらとしてはもう言う事がないね」
だが、これ以上場を荒らすのは自分の方が不利になることもクロウには分かっていた。
ジャービスはクロウには柔らかく話していたが、手下たちには自分たちの言葉で厳しく「開けろ」と言った。
男たちが道を退ける。
クロウは男たちの間を歩いた。正中線をぶらさず、どの局面にも対応できるように。
全く襲ってこない男達に挟まれてクロウは言う。
「……随分と簡単に帰らせてくれるんだな?」
ジャービスはクロウに顔すら向けず言う。
「私は騒ぎを起こしたくありません。ここで騒ぎを起こすことは、アナタも私たちも損をするということです……。」
「ああ、そうだったね。そうすれば私もお前さんたちもハッピーだってことだったな」
再びクロウは男たちの間を歩き始めた。
男たちはクロウに道を譲るものの、ジャービスの命令があればすぐにでもクロウに襲いかかれる程に神経を尖らせているようだった。
一方で、クロウも最後に通り過ぎた男に対して神経を尖らせた。
その東方民族の男は、他とは違い平静であるものの、衣類からは拭いきれない血の匂いが漂っていた。
――このコミュニティの始末屋か……。
クロウは歩法のリズムを変え、意識下で構えた。
クロウの歩法の変化を読み取り、始末屋の体が微妙に揺れた。
クロウは知る。動いた時の体軸のバランスの崩れから、始末屋がロングローブの下に重厚な刃物を隠し持っていることを。体臭に強い鉄の匂いも混じっている。
始末屋は知る。歩法の緩急と体重移動の滑らかさから、クロウが遥か東方のリザードマンの剣術、もしくはそれに近似した武術を使うことを。動線には無駄がない。お稽古で習い覚えた程度ではないようだ。
クロウはジャービスの方を振り向いて言う。
「……ところで、エルフはお前さんたちとどういう関係だったんだろうか?」
「彼とは、良きビジネスパートナーになるはずでした。けれど彼は消えてしまった。残念です」
――消えた……ね。
廊下の半ばあたりで、手下の数人がジャービスに何かを大きな声で訴えているのが聞こえた。だが、ジャービスは大人しい声で何かを伝えてそれを黙らせた。
建物を出るとクロウはマーケットの人ごみに紛れ、商店の建物の陰にいる物乞いの女性に着ていた服を与えた。
さらに金を払い、その服を着てマーケットをうろつくように頼んだ。
クロウの方は、用意していたいつもの私服に着替え建物の陰に身を潜め夜が来るのを待った。
太陽が完全に落ち、マーケットから人がいなくなり暗闇が全体を覆い、身を隠すのに最適になってからクロウは再び倉庫を目指した。
マーケットの住人の居住区は灯りがあり、夕食を終えた住人たちの匂いが建物から漂っていた。
一方で、東方民族が店を開いていたところはもう人がいなくなっていた。
道を照らすのは月の光のみ。さらに曇っているせいで、ほとんど地上に月明かりも届かなかった。
完全な闇ならばクロウの独壇場だった。鼻と耳を頼りに暗闇を抜けていく。
東方民族にはクロウを捕まえる選択肢もあった。もちろん、選択肢があるだけで実行可能かどうかは別だが。
しかし、彼らはジャービスの言うように騒ぎを起こすことを一番恐れていた。
エルフの事に対して敏感で、騒ぎはおこしたくない。クロウは隠し事の匂いを十二分に感じ取っていた。
昼間にジャービス達がいた廃倉庫には既に人がいないようだった。真っ暗で、物音もしない。
用心のため、クロウは彼らが使っていない隣の倉庫から侵入し、屋上に上がった。
屋上からは港の先に広がる大海原が見えた。
灯台が点っていたが、海を照らすには不十分で、海は墨汁のように真っ黒だった。
上に広がる曇天で月も星も見えないために、周囲は暗闇どころか真っ黒に塗り潰されている。
クロウは屋根伝いに隣の建物に飛び移った。
見張りの心配はない。この暗闇を灯りなしで見通すのは、いくら訓練された人間でも不可能だからだ。
クロウは床に耳を当てた。人の気配はしなかった。
海風の寒さしのぎの為に上着代わりに巻いていた布をひも状に破り、屋上のとっかかりにそれを結びつけ壁を降りる。
小さな採光窓から三階の中を覗くと、やはり誰もいなかった。
クロウはそこから体をねじ込み中に入った。
三階の室内は、元々物置として使われていた後に宿無しが住まいに使っていたらしく、新旧の物が混在していた。ランプや毛布、食べ残しが付着した日用雑貨といった宿無しが持ち込んだらしい生活品。まだ倉庫として使用されていた頃に商店から持ち込まれたのだろう、古びた看板やマネキンがある。
あまり人の出入りが激しくないようで、埃が所々積もったままのところがあった。
クロウは部屋の隅に真新しい木箱があるのを見つけた。
蓋がずれているので中を開けてみると、中には昼間見たのと同じようなピン札が残っていた。
クロウはやはり何か違和感をおぼえた。
一枚取り出し、昼間と同じようにそれの質感を調べた。さらに懐から一枚自分の紙幣を取り出し比べてみる。
もったいなかったが、それを順番に破いてみると破れた境目が異なっているのに気づいた。嗅ぐと、インクの臭いにも違いがある。
……これは、偽札?
東方民族が偽札に関わる犯罪に手を染めているということだろうか。
ただでさえ彼らを嫌っているヘルメス侯の領地である。そんなことをすれば、彼らのこの侯国での商売など途端に立ち行かなくなる。
それはこの領地だけではない。彼らが偽札を使っているという話は、虚実ないまぜになって途端に周辺諸国に広まる可能性もある。彼らと取引をしたがる者などいなくなってしまうはずだ。
国を持たない東方民族ならば、些細なことで信用も後ろ盾もすぐになくなってしまうだろう。
この偽札と自分が襲撃されたことに何か関係があるのだろうか。あまり、事態が大きすぎて、すぐには答えが見つかりそうになかった。
役人に相談するにも必要だろうと、クロウは偽札を一枚懐に忍ばせた。
だが、それ以上にこの部屋に入ってから気になるのは、妙な異臭が鼻をついていることだった。
海の匂いと傷んだ青果やゴミの匂いと一緒に、鼻に入るだけで体の毛が逆立つ、できることなら嗅がずに済みたい独特の覚えのある不吉な臭いがしていた。
クロウは鼻でフロア内を探る。その臭いは部屋の奥からしてくるようだった。
不自然に木箱と木箱を組立て、急でこしらえた部屋のように囲われた場所にクロウは近づく。
そこにあったのは死体だった。死体を見るのはもちろん初めてではない。しかし、クロウの心臓は激しく鼓動し始めていた。
ただでさえ窓の少ない倉庫の奥だった。死体があることしか確認できないくらいに周りが見えない。クロウは死体のそばにあった、東方民族が使っていたのだろうランタンに明かりをつけ中を確認した。
銀髪がランタンの光で反射した。心臓が、一瞬で凍てつきかけた。そこにいたのは、エルフだった。
クロウの呼吸が荒くなっていた。鉄に似た血の臭いを吸い込み、胃が心臓と同じくらいに脈打ちクロウは膝をついて倒れそうになった。
「嘘だ……。」
まだ建物内には東方民族がいるかもしれないのに、息をひそめるのを忘れてクロウは思わず口走った。
かつて額縁の絵画から飛び出してきたような美しさを誇ったエルフは、今ではゴミと一緒にうち捨てられていた。
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