魔女と時渡りの書"next to continue" ――【それでも再び世界は廻ってる】――

雨乃ジャク

――プロローグ――





――世界が真っ赤に染まっていた。


 いや、真っ赤に染まっているのは自分だけなのか。

 自分の視界が切れかけた蛍光灯のようにチカチカと点滅しながら、『赤』『白』『黒』また『赤』と切り替わっている。

 どちらかといえば『赤』の比率が多いかもしれない。


 『赤』の時だけは『世界』が見える。

 だが、その瞬間を諸手を上げて歓迎する気になどなれない。

 『赤』の時は、意識が目覚めている時であり、意識が目覚めているということは、この身体を引き裂くような痛みに耐えないといけないからだ。


「――――、――――――っぁッ!!」


 ――痛い、痛い、痛い、痛い、痛いっ。


 

 口を開いても出るのは、嗚咽か泣き言ばかり。

 当然だ。こんな全身を焦がすような痛みが駆け巡っている中、意味のある言葉を告げることなんてできない。

 

 歯はガチガチと震えていつまでも噛み合うことがない。

 左手で肩を爪が食い込み皮が裂けるほど握りしめ、少しでも、少しでも痛みを紛らわすことに奔走する。

 

 震える右手を腹に押し当てて、あふれ出る液体が手に触れ、この真っ赤な世界の原因に気付いた。


 

 ――腹が真横に裂けている。


 

 原因が分かったのは良いが、原因が分かったことで、噛み合わせが悪い歯はさらにガチガチと震える。

 恐怖で吐き気が込み上げてくる。

 身体の赴くままに、喉に込み上げる不快なものを吐き出そうと口を開けると、ごぼっと、血の塊が出てきて地面を汚した。



 ――止血しないと。



 ふいに頭に浮かんだ言葉に祈る様にすがる。


 生憎、止血に使えそうな上着は羽織っていなかったことを思いだし、未だに震えが止まらない歯を鳴らしながら自分の上着に噛みつき千切ろうとする。

 ………が、力が入らず上手くいかない。


 当然といえば当然だろう。

 上着を歯で噛み千切るなど、体力が万全な状態でも難しいのだ。

 それよりも、上着を脱ぎ止血する方がはるかに簡単なことに気付かずに、生きる可能性をぶら下げられた哀れな男は必死に噛みつく。


 噛みつき、引き千切ろうと首を捻じり、上手くいかず一呼吸置く。

 力いっぱい噛みつき、捻じるが上手くいかない。

 上手くいかないことに業を煮やし、肩を押さえていた左手で引き千切ろうとするがそれも上手くいかない。

 そんなことをしている間に、命の灯は地面に染み込み続け、世界に残れる時間を短くしていく。


「――――、――――――――――!!

 ――――――――――ッ!!!!!」


 もはや、自分でさえ、何を言っているのかは分からない。

 今や、自分の世界は『赤』よりも『黒』か『白』の方が多い。

 それどころか、『音』までもが消えたようだ。


 一人だ。一人ぼっちだ。


 だれか、誰か、だれか、誰か、助けてくれ。


 一人にしないでくれ。苦しい。苦しい。苦しい。


 自分はここに居る。声を聴かせてくれ。


 おかしいだろ。自分がこんなに苦しんでいるのに誰もいないなんて。

 この世界でテレビを見て呑気に笑っている人がいる。

 振った腫れたの恋愛話を好んで語っている人がいる。

 人の荒探しを嬉々として描きこんでいる人がいる。

 

 そんなのおかしい。おかしいだろ。おかしい。おかしい。おかしい。


 ――それは身体の底から出てくる恐怖だった。


 思考はぐちゃぐちゃのそんな呪詛にも満たない願いを聞き入れたのか。

 視界にべちゃりと靴を汚しながら、佇む人が見えた気がした。


 それは救いだったのかもしれない。だが、あまりにも遅すぎる。


 もう、世界は『黒』一色だ。

 何も見えない、何も聞こえない。何も感じない。



「―――――――――――――――――――――――っ」



 最後に呟いた言葉は『死にたくない』だったと思う。


 ――男、ヤガミハルトは死んだ

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