五話『その時は』

 午後の授業。

 午前こそ、あまりに周りの目を気にしすぎて挙動不審になるくらいだったが、現にそんな午前を乗り越えた後なので、少々気が抜けつつある。

 優月さんからも「目立たない程度に堂々としていればバレませんよ」と心強いお言葉を頂いたし、きっとなんとかなるだろう。


「……で、あるからして──」


 少々お疲れの雰囲気が漂う午後の教室に、教師の声と黒板にチョークが擦れる音、それに紛れるように時計の音も響いている。つられて時計に目を向けると、のらりくらりと動いている針は、授業が終わるまで、まだほんの少し時間があることを僕に告げた。

 思わず溜息が出る。

 午前に精神を研ぎ澄ませていた分、もうすっかり集中力が無くなってしまっている。ゆえに僕のシャーペンを持つ手は板書を写すフリをし、視線は窓の外へ向けられていた。


「…………」


 なにもしていないと、つい考え事をしてしまう。

 無論、その内容は、自身の今後について。すぐにでも元の身体に戻るのが一番だが、性転換したばかりで戻る方法どころか原因すら分からない今、その保証はどこにもない。そんな現実を認めずに願望ばかり喚くよりは、これからを案じたほうが有意義なことは僕にも分かる。生活の見直しは当然、その生活を変える覚悟も必要だ。

 なにより、学校生活。

 姉の休んだらという提案に首を振った手前、明日になって甘えるのも情けない。かといって、このまま男として振る舞い続けるのにも無理がある。故意にしろ過失にしろ、そのうち嫌でも露呈してしまうことだろう。

 正直、あまり想像したくないが、このような危ない橋を渡っている以上、いつかは壊れてしまうものだ。


(……まぁ、その時はその時か)


 その時には、僕自身、それなりの心構えができているはずだ。結果がどう転ぼうと、きっと、少なくとも姉と優月さんはだけは僕を励ましてくれる。そもそも、優しい町にあるこの学校自体、心の広い生徒が殆どなのだから、不幸に見舞われた一人の生徒を見離したりはしないだろう。

 ただ、扱いは変わるはずだ。

 僕は、それが嫌なのだ。

 今まで築いてきた人間関係──それが崩れるとまではいかなくとも、変化するのが嫌なのだ。

 だから、抗っている。

 そんな未来は許さない、と。


 ──抗っている。


「ち──新立! 外ばかり見てないで、黒板を見ろ!」


 気がつくと、壇上から先生が僕をにらみつけていた。


「は、はい! すいません!」


 僕は慌てて姿勢を整え、ノートに向かうが、そこで修業チャイムが鳴った。


「授業はここで終わる。新立、ノートが出来ていなければ、隣から借りて写させてもらえ。今日は特に大事なところをやっていたんだ」

「……はい」


 肩をすくめる僕を、先生はもう一度目でいさめて教室を後にした。

 喧騒が戻り始める教室内で、溜息を吐いてうなだれる僕の目の前に、一冊のノートが差し出される。見ると、それは隣の女子のもの。僕が礼を言って受け取ると、女子は微笑む。


「外に綺麗な女の人でもいた?」

「ち、違うよ。別にそんなんじゃ……」


 そんな会話を聞きつけてか、クラスの男子達がこぞって窓際まで押し寄せてくる。


「誰だ新立、綺麗な女の人って!」

「俺にも見させろ!」

「どこにいるんだ?」

「だから違うって! ちょっと考え事してただけで、女の人なんか──」


 ──抗っている。


 それが無駄なことも、はっきり分かっている。

 でも、無駄だからこそ、抗いたくて。

 運命を、今まで以上に嫌いになりたくて。

 でも、いずれは諦めが勝ってしまう。

 それを受け入れたときに、まだ自分の願いが叶っていなければ、心変わりするのも悪くないのかもしれない。

 女として生きるのも、悪くないのかもしれない。

 それまでは、面白さなどたかが知れたこの平凡な日常を、今まで以上に謳歌しているとしよう。


 それが、今の馬鹿な僕に考えられる、最善だと思うから。

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