想いをつづり、力を手繰(たぐ)る


 先週末の早朝、日本に住む姉から連絡が入った。

「今、病院から電話が入ったんやけど。お父さん、危篤やって」


 

 私の父はパーキンソン病をわずらっている。

 意識がはっきりとしているのに、身体と言葉の自由を徐々に奪われることで精神的にも打ちのめされるやまいと闘い始めて、既に十年余り。薬との相性で病状に大きな変化が現れるらしく、ほぼ寝たきりになって「もう駄目か」と思う時期もあった。

 ある時、薬を変えたことで劇的な変化が起こり、短い距離ならば自分の足でゆっくりと歩くことが出来るまでに回復した。その後、本人の希望もあって、自宅での生活を続けていた。

 思うように足を上げることが出来ないため「すり足」でよろよろと歩き、手すりがない場所ではバランスが上手く取れない父は、家の中のほんのわずかな段差にもつまづくことが多かった。誰も見ていない時に一人で動こうと無理をして転倒して骨折し、長期の入院を余儀なくされたことも二度ある。その度に誤嚥性ごえんせい肺炎にかかって危険な状態に陥った。が、二度とも難を乗り切り、退院して自宅に戻ることが出来た。


 父の生命力は底知れず強い。それでも、病魔はゆっくりと確実に父をむしばんでいく。幻覚や妄想の症状が現れるようになり、身体機能も見る間に衰えた頃、市の介護支援専門員から「自宅での介護もそろそろ限界だろう」との助言を受けた。

 父が介護保険施設に入居したのは、私が日本を発つ一年前のことだ。


 

 晩婚だった父の末娘として生まれ、容姿も性格も父にそっくりだと言われる私は、自他共に認める「父親っ子Daddy’s Girl」だ。

 父の病名が明らかになった当時、結婚して他県に移り住み、フルタイムで働いていた。が、父が「要介護3」の状態になると、矢も盾もたまらず転勤願いを出して実家に戻った。新しい職場に掛け合って就業時間を短くしてもらうことで、父の自宅介護に携わることが出来た。

 突然、『日本という名の異世界でヤマトナデシコと結婚したはずなんだけど、嫁が実家に戻っちゃったので、まさかの遠距離週末婚!?』的生活を余儀なくされた相方には本当に申し訳ないと思ったけれど、後悔したくなかったから、わがままを貫いた。 


 個人主義が徹底しているアメリカには、日本のように「年老いた親の世話を子供がするのは当たり前」「年をとったら子供に面倒を見てもらう」などという発想はない。高校を卒業した子供は、親元を出て一人暮らしを始める。親は、「子供の人生は子供のもの」と自立を尊重する。

 生活する上でも「全ては自己責任」という考え方が当たり前の国で生まれ育った相方が、「そうすることが一番良いと思うなら、きみが思うようにすれば良いよ」と理解を示してくれたことが、私の心の支えとなった。



***



 アメリカには、年齢による雇用差別を禁止する法律がある。1967年に成立した「年齢差別禁止法 」だ。

 「40歳~65歳の個人に対して、年齢を理由に採用、賃金、解雇、労働条件に関する差別をしてはならない」と定め、後に「65歳」の数字が「70」に引き上げられ、1986年の改正で適応年齢の上限が完全に廃止された。事実上の「定年退職制」撤廃だ。

 とは言え、例外として、高い決断力や身体能力を必要とされる職種(外交官、航空管制官、警察官、消防士など)では、現在でも定年制が許容されている。


 車椅子や杖に頼らなければ歩行が難しい高齢者でさえ、外出するには自力で車を運転することを余儀なくされるこの国では、「動ける間は、ずっと現役」と考えるのが当たり前だ。その分、目に見えるところでの高齢化の度合いは低く、いつまでもエネルギッシュで自立したシニア世代が実に多い。


 国民皆保険制度を持つ日本と違い、アメリカには公的な医療保険はなく、介護保険制度も整っていない。有料の介護サービスや高級ホテルさながらの老人ホームを利用することが出来るのは、国民の一割にも満たない富裕層だけだ。

 世界屈指の経済大国であり、最先端の医療技術を誇るアメリカで、無計画なクレジットカードの利用で借金まみれとなって経済的に困窮し、医療保険に入ることも叶わず、有料の介護サービスを受けることも叶わない高齢者の多くは、自力で動けなくなると自宅に引きこもる。高額な延命処置を受けることなく、生きとし生けるものとしての「自然の死」を静かに受け入れるために。

 そんなアメリカに「寝たきり老人」という言葉は存在しない。



 日本では「寝たきり」の高齢者の多くが、薄れいく意識の中で様々な機械につながれ、食べたいものも食べられず、飲みたいものも飲めず、管から送られる栄養だけを頼りに、痰の吸引に苦しめられながら、管を抜かないように手を拘束され、ゆるやかな最期を迎えるその時まで、ただ生かされ続ける。

 誤解を招くといけないので言っておくが、私は、日本の医療従事者の方々は文字通り、「白衣の天使」だと思っている。彼らの懸命な処置のおかげで永らえる命があるのは素晴らしいことだし、これまで父がお世話になった介護士や看護師、医師、その他の病院スタッフの方々には感謝してもしきれない。今この時も、懸命に父を世話して下さっている方々には頭が下がる思いでいっぱいだ。

 それでも、機械につながれて横たわる父の姿を目にして、娘として複雑な気持ちになったのは否めない。



 頑固で言葉少なく、物静かで何事にも動じない。

 相方に「僕のワイフの父親は、現代のサムライだ」と言わしめた父は、器用に生きるすべを知らず、愚かなほどに真っ直ぐな人だ。幼い頃から突飛な行動に走る傾向にあった末娘を根気よく見守り続け、常に娘の意思を尊重しながら、間違った道を進もうとすれば厳しく諭し、あらん限りの愛情を注いでくれた。

 そんな父がゆっくりと子供にかえっていく様を、介護の日々を通して目に焼き付けた。娘の前では決して弱さを見せなかった偉大な父が、小さく弱っていく姿を見るのは、やるせないものだった。


 遠い異国の地に旅立とうとする娘に、「元気で、しゃんと生きるんだぞ」と告げて送り出してくれた父。もともと表情が豊かでない人が、病気のせいで殆ど無表情になってしまったけれど、寂しそうに顔をぴくぴくさせていたのを、今でもはっきりと覚えている。ああ、私は親不孝をしているんだな、と心が痛んだことも。




 元気に過ごしていた翌朝、意識がない状態で病院に運び込まれたことなど数知れない。その数日後には、けろりと回復して老人ホームへ戻り、再び通常の生活を送る、と言うのが、ここ数年の間に何度もあった。

 今回は、ホームの居室内で転倒した際に股関節を骨折し、入院治療をしている間の出来事だった。


「今後、万が一の時には延命治療を施しますか? って、お医者さんに聞かれたわ」

 病院から帰った姉が、電話の向こう側で少し困ったような声を出す。

「なんて答えたん?」

「もう十分頑張ったし、年齢も年齢やから、自然のままでお願いします、って。それで良いやんね?」

 私がその場に居ても、そう言ったと思う。最期まで父の人間としての尊厳を守るための決断を、姉一人にさせてしまったことが悔やまれた。


 その翌日、父は自力での呼吸を取り戻し、意識を回復した。またしても、父の生命力の強さを思い知らされる嬉しい驚きだった。

 姉が病室に持ち込んだiPhoneの画面越しに「美味しいご飯が食べたい。美味しいお茶が飲みたい」と子供のようにつたない言葉で繰り返す父の姿は、記憶の中にあるよりもずっと痩せ細って見えた。

「お父さん、元気になったらいくらでも美味しいものが食べられるよ。だから頑張って、元気になろうね」

 そう声を掛けるのがやっとだった。

 


 あれから六日。今のところ、父の容態は安定している。昨日、個室から相部屋に移り、お昼ご飯だけは点滴に頼らず、口から食べられるようになったと言う。

 だが、年齢的にも、いつ何があってもおかしくない状況であることに変わりはない。

「あんたがアメリカに移住した時から、お父さんも覚悟してたと思うし……全てが終わってから帰国してもええのよ」

 姉はそう言うが、そんな風に割り切れない自分がいる。



***



 1日おきに病室を訪れる姉にビデオチャットを頼み、様子を見つつ、帰国の準備を少しずつ進めている。


 アメリカに移住する際、日本の住民登録を抹消しているため、数ヶ月滞在する予定で帰国しても日本の国民健康保険は使えない。海外在住者向けの一時帰国用医療保険を比較検討しているのだが、なかなか良いものが見つからない。格安の値段で気軽に入ることが出来る日本の旅行保険ってスゴイなあ、と実感。

「日本で病気になったら、とりあえず全額負担で病院に行って、領収書と診断書を出してもらって、アメリカの医療保険で払い戻してもらえば良いのよ」

 年に一度帰省する友人はそう言うが、「全額負担が払い切れる金額じゃなかったら、どーすんの?」と心の中でツッコミを入れた。


 乗り継ぎや待ち時間を考慮すれば、最低でも片道24時間かかる。航空チケットを近日中に迫る日付で押さえようとすれば、軽く20万円を超える。今後、何度も帰ることになるとすれば……遠方からの帰省に経済的な悩みはつきものだ。分かってはいても、我が家の大黒柱である相方に申し訳ない。もう少し、優しくしてあげよう。


 我が家には犬と猫が居る。相方は仕事柄、家を空けることが多く、私が日本に帰るとなると、彼ら2匹は必然的にどこかに預けることになる。

 愛犬サスケは持病があるので、長期で旅行などに出かける時は、掛かりつけの動物病院併設のペットホテルに預けて行く。が、その間のストレスがハンパないらしい。いつも前脚に「円形脱毛症」っぽいハゲをこしらえて戻ってくるのだ。犬を飼っている方ならお分かりだろうが、イライラや不安が募ると自分で噛んでハゲを作ってしまうのだから、余りにも可哀想……出来れば、どこにも預けたくない、と言うのが本音だ。ハゲが治るまでは、ごめんね、寂しかったね、お留守番出来て偉かったね、と思い切り甘やかすことになるので、ちょっぴり面倒臭くもある。

 愛猫シュリはご飯さえ上げていれば問題はないようだが、私の方が彼女のモフモフボディなしではツライ……いっそのこと、2匹を日本に連れて帰ることが出来れば一番良いのだが、国境を越えるとなると、そうもいかない。


 昨年の夏にグリーンカードアメリカ永住権の更新手続きを済ませたはずなのだが、新しいカードが未だ手元に届かない。お陰で、期限切れのカードと共に、更新手続きを済ませて永住期間が延長されている旨を記した数枚の書類をいつも持ち歩く羽目になっている。が、「これだけで、本当に再入国出来るのか? アメリカへの入国を拒否されて日本に強制送還になるんじゃないか?」と不安がぎる。移民局に問い合わせても、案の定、曖昧な返答ばかり。おまけに、電話口で対応する人間が変わると、言うことまでコロコロ変わるというお粗末さ。

 おバカな大統領が掲げたおバカな移民政策と、政府機関の閉鎖というバカげた事態のお陰で、とっても面倒臭く時間も掛かる正規の手続きを踏んで、高額な経費を支払った永住者の資格更新手続きが完了するのは、申請日から数えて18ヶ月以上先になる見通しだとか。「いい加減にしろよ、アメリカ」と文句の一つも言いたくなる。



 想いばかりがつのりながら、思うように事が運ばない。もどかしさを覚えながら、想いをつづることで苛立つ心を抑え込む。少しでも隙を見せれば、悪しき思いに囚われて、崩折れてしまいそうだから。 

 言葉には力が宿ると言うのは本当かもしれない。もやもやと浮かび上がる言葉を夢中で書き連ねている間は、確かに心がしずまってくれるから。


 言葉が、私の力となる。



 大丈夫。

 もう少しだけ待っていて。必ず帰るから。


(2019年4月4日 公開)

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