第44話 見知らぬ天井と見慣れた魔女

 話はおよそ8時間前に遡る。時刻にしたら正午過ぎ。ミレノアールとルーシーがちょうどエルフの里から戻り、名もなき森を抜け、スティーレという街を目指すという頃のことだ。

 

 場所はクロエの小屋から南西に30キロほど離れた人気ひとけのない森の中。そこに魔導士ベルコ・リンドルの魔法によって急遽作られた簡易な丸太小屋があった。



(ううっ…… あれ……? ここは……?)


 その小屋の中のベッドで、長い時間眠りついていたクロエがようやく目を覚ました。

 ボーっとした頭と知らない天井に戸惑いはあるものの、ゆっくり横を向くとクロエにとって良く知る人物が目に飛び込んできた。

 長い黒髪と純白のローブ、そして見慣れた赤ぶちの眼鏡。


「ベルコ師匠?」


 ベッドの傍で椅子に座りながら何かの本を読んでいるのはベルコ・リンドル。

 リンドルはクロエが目を覚ましたのに気付くと、左手の中指でずれた赤ぶちの眼鏡をそっと押し上げてから優しく微笑みかけた。


「おはよう、クロエ。ずいぶん長い間寝ていたのよ。24時間くらい?」

「え!? そんなにですか!?」


 予想外の長さに思わず飛び起きるクロエ。


「まあ、魔力を使い切っていたからね。傷の方は私の治癒魔法でどうにかなったけど……ただ、魔力を使い果たすと命に危険を及ぼすのは知っているわよね?」

「ええ。すみません……」

「クロエ、何があったのか思い出せる?」


 クロエは今だ冴えない頭で眠る前の記憶を呼び起こしてみた。


「そうだ……あのガルスとかいう王都の魔法騎士団に襲われて……ベルコ師匠が助けてくださったんですよね?」

「ええ、そうよ。あの程度の魔法使いに負けるなんて……あなた私のいない間、修行をサボっていたでしょう」


 リンドルは、弟子であるクロエの魔法の才能を高く買っているのだ。


「あ……あはは。やっぱりバレてしまいますか……ところでここはいったいどこなんです?」

「あなたの住んでいた小屋は、ガルスあいつの炎のせいで丸焦げになってしまっていたから、それにまたあいつらがやってくると厄介だからね。少し移動して似たような小屋を建て直したの。あなたの使い魔のショコラにも手伝ってもらってね。もちろん強い結界は張ってあるわ」


 リンドルがそう言い終わるのとほぼ同時に使い魔のショコラがコップに注がれた水をクロエに差し出した。

 クロエはその水をショコラから受け取ると一気に飲み干した。


「クロエ様、ご無事でなりよりです。ミレノアール様とルーシー様は、地下のゲートよりお逃げくださいました」

「そうだ! お兄様とルーシー! ベルコ師匠にお聞きしたいことがあります」


 クロエは、ようやく冴えてきた頭でリンドルに尋ねた。


「その前に、私もクロエに聞きたいことがあるわ。ミレノアールとはどういう関係なの?」


 リンドルは手のひらをクロエに向けて話を遮ると自分の疑問をぶつけた。


「ミレノアールは……私の兄です。血は繋がってませんけど……」

「そう。あなたがミレノアールと義兄妹だったとはね。今までどうして黙っていたの?」

「それは……お兄様からそうするように言われてましたので……」

「それってもしかして100年前の戦争と関係が?」


 クロエはリンドルから目を背けると視線を手元に落とした。

 話し辛そうにするクロエを察してリンドルが話題を変えた。


「昨日、私があの場に来たのは『ルーシー・パンプキン』という一人の少女を探していたからよ。ルーシーの気配を追ってきたらあの場で途切れていたからね。クロエ、あなたルーシーに会っているのよね?」


「はい。確かにルーシーは2日前、お兄様といっしょに私のもとにやって来ました。そして……ルーシーの『封印』について調べたんです……」


 ――――クロエはゆっくりとこの数日の間に起こったことをリンドルに話した

 

 それはルーシーをよく知るリンドルにとっても、思いもよらない出来事の連続だった。

 

 ミレノアールという魔法使いと共に行動していること、ルーシーにかけられている『破邪の封印』を本人も知ってしまったこと、地下のゲートの行き先が『エルフの里』であること。


「ルーシー……なんてことに……」


 リンドルはその一つ一つの出来事に驚きを隠せなかった。王都の魔法学校に向かっている(もしくはもう着いているかもしれないとは思ったが)、ルーシーを見つけて連れ戻せばいいだけだと軽く考えていたからだ。

 例え危険にさらされたとしても『破邪の封印』には使い魔であるカボチャのジャックが付いているのだから、と。


「ベルコ師匠……私が言うのもなんですが、ルーシーにはお兄様が付いていますわ。お兄様の魔力は、まだ戻っていませんがきっとルーシーの助けにはなるはずです」

「そうね。今はミレノアールを信じるとするわ。あれでもかつては『世界最強の魔法使い』と呼ばれていたものね。私はてっきり100年前に死んだものだと思っていたけど……」


 二人はショコラに淹れてもらった紅茶を飲んで一息ついた。

 

 そして今度はクロエがリンドルに対して疑問をぶつけた。


「ルーシーの封印は……あの『破邪の封印』は、ベルコ師匠が施したものなんですか?」

「ええ。そうよ」


 リンドルは、その質問を予想していたのか意外にもあっさりと答えた。


「どうして!? あんな封印、10歳の少女にかけるような封印じゃないはずです。あのままでは……ルーシーは一生魔法を使えるようにならないじゃないですか!?」


 クロエは、ルーシーが魔女になりたいという願望を知っている。それだけについ師匠に対しても声を荒げてしまった。


 リンドルはすぐには答えなかった。いや答えられなかった。

 空いたティーカップの底を見つめるリンドルと、その姿をじっと見つめるクロエ。暫くの間、二人の視線はぶつかることなくそのまま固まった。

 少しばかりの静寂が辺りを包んだのち、窓の外でカラスの鳴き声が二人の耳に突き刺さった。

 カラスが鳴き止むのを待って、リンドルは重い口を開いた。


「そうね。クロエには話しておくべきかもしれないわね、ルーシーの秘密を……」

「ルーシーの秘密……?」


 リンドルはクロエの目を見ると、力強い意志とともに小さく頷いた。

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