3 高校2

「元一、今日もセンター寄ってく?」

「ん」


 この人とは仲良くなれそうという直感は当たり、私は元一と友達になった。

 というか、クラスの中で仲良くなれたのは元一だけだった。

 片角かたずみの家と同様に、武敷という名前もそこそこ忌避きひされているらしく、私と元一はそろってクラスメイトかられ物のように扱われていたのだ。

 とは言っても決して邪険にされていたわけではない。むしろ怖がられている、あるいは気を遣われていると言った方が近いだろう。この程度の距離感ならば、私がこれまで味わってきた学校生活に比べれば天国と言ってもいいくらいだった。

 私たちは部活には入らなかったので、ほぼ毎日のように一緒に帰っていた。

 帰り道の途中で行きつけのショッピングセンターに寄り、何をするでもなくダラダラと過ごし、日が傾く頃に解散する。そんな日々はとても心地よく、これこそが普通の人生というものなのか、などと考えていた。

 しかしある日、一人の女の子から話しかけられたことで、私の人生はわずかに変化していくこととなる。



「一組の武敷くんだよね。アタシは三組の、尾礼おれいりりの」


 休み時間、トイレから戻る途中の廊下で突然声をかけられた。初対面の女の子だったが、私や元一の場合、家の関係でクラスメイト以外にも顔と名前が知られていることは珍しくないので、あまり驚きはしなかった。


「あ、アタシ自分の名字あんまり好きじゃないから、りりのって呼んで。キミはえーと、ショウくん? でいいんだよね?」


 彼女は初対面にしては不自然なほどに親しげだった。

 それはもう可愛らしい声で急激に距離を詰めてくる。そしてこの小首をかしげて見せる仕草だ。男の人ってこういうのが良いんだろうか。

 しかしそんなあざといポーズを堂々とやってのけるだけのことはある。

 背中まで伸びた髪は見とれてしまうほどサラサラで美しいし、小顔で目がぱっちりと大きい。

 目の大きさの割に黒目が小さいので、一瞬冷たいような表情に見えて――こういうのは三白眼とか言うんだっけ――ちょっと怖い感じがするけれど、笑顔になると瞳がほどよく隠れてとても美人だ。


「うん。ショウで合ってるけど……何か用?」


 やや無愛想な返答になってしまったのは、決して彼女の可愛さに負けたような気がしたからではない。

 これまでにも色々な学年の生徒から好奇の目を向けられることがあった。こうして直接話しかけられるのは初めてだったけど、どうせ今回も同じような手合てあいだろうと思ったのだ。

 しかし、彼女の目的は全く別の所にあった。


「キミさ、片角くんと仲いいよね。あ、アタシ片角くんと同じ中学だったんだけど。ちゃんと喋ったこととかなくて。だからなんていうか、紹介して欲しいっていうか……」


 髪の毛を指でくるくる巻きながら、恥ずかしそうに言う。

 私は無意識に腕を組み、紹介とは一体どういう意味なのか、と考えた。

 普通に考えれば見ず知らずの二人をお知り合いレベルにまで引き上げ、ひいてはお友達へと進むための橋渡しをしろ、ということだろう。話は分かる。しかし私と彼女はたった今初めて会話したばかりなのだ。ほぼ他人と言って差し支えない。普通、他人にいきなりそんなこと頼む? え、ちょっと図々しくない? などと考えていたらなんだか無性に腹が立ってきた。


「え、紹介? 僕が? なんで?」

「なんでって……いいじゃん。ダメなの?」


 私もかなり大人げない言い方になってしまったが、返ってきたのは予想以上に低い声だった。さっきまでの可愛い声はどこへ行ったのだろう。そして照れくさそうにはにかんでいた顔から表情がスーッと消えていって……やだなー怖いなー。

 しかしなぜ、彼女は私に何の見返りもなしで紹介してもらえると思ったのだろうか。可愛いアタシとお話できるだけで十分な報酬でしょ、ということだろうか。くそう、ちょっと可愛いからって……。

 というか私には普通に話しかけてきたのに、元一には話しかけられないというのはどういうことなのか。まあ、大体察しはつくけど……。


「りりのさん、だっけ? 元一のこと好きなの?」

「すっ…………すきとかじゃないし。ちょっと気になるだけっていうか……いいでしょ別に!」


 予想外のリアクションだった。

 こんな風に突っつけば、軽蔑したような目でにらんで容赦のない罵声ばせいを浴びせ、最終的に「アンタみたいなヤツにはもう頼まない!」とか言って勝手にどこかへ行ってくれると思ったのに。あろうことか一瞬で顔が真っ赤になってしまっている。

 この女の子は思っていたよりも素直というか、少なくとも狡猾こうかつに罠を張って行動するようなタイプの人間ではないらしい。


「ふーん。それなら自分で声をかけた方が早いと思うよ。同じ中学なら共通の話題もあるだろうし」


 好きじゃないならわざわざ手伝うほどでもないでしょ、という意味を込めた我ながら意地の悪い返答だ。

 彼女がそれほど悪い人間ではなかったからと言って、それじゃあ言われるがままに便利に使われてやるかというと、それはまた別のお話なのである。

 というか好きなら好きで、それこそ自分で話しかけなきゃ駄目だと思う。下手に紹介を挟んだせいでグダグダになって結局関係が悪化した、なんてことになったら私が悪者にされかねないし。

 なのでこれは決して嫉妬とか意地悪とかではない、正当な忠告なのである。


「……キミさあ、自己紹介の時、心はオトメとか言ってたって一組の子から聞いたんだけど、それってどういう意味?」


 彼女は私の言葉など聞こえなかったかのように、突然話題を変えた。

 押して駄目なら別の手で、とでも考えたのだろうか。

 というか、なんで自己紹介の時のことまで調べてるの……怖いんですけど……。


「どういうって、別にそのままの意味だけど?」


 私は平静を装って答えた。

 平然とした態度で、当然のように、本当のことを言う。

 カミングアウトなんて大層なものではない。ただ聞かれれば答えようと、最初から心に決めていたのだ。だからこその、あの自己紹介だった。


「ああ……そう……そういうことね。わかった」


 彼女は何か納得したような顔でそう呟くと、自分の教室へと歩いていった。「負けないから」などという不穏な捨て台詞を残して。



 この時の私は、まさかその伏線が当日の放課後に回収されることになろうとは夢にも思っていなかった。

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