第17話 幼馴染、ライブアライブ

 夜の住宅街を、二人の人間が肩を並べて歩いている。周囲に、通行人の姿は見受けられない。昼間に訪れていた市街地と比べれば、この辺りは田舎寄りの場所だった。昼間の温もりを感じられた外気も、今となっては少しだけ肌寒く感じられる。


 歩いているのは、俺と結衣の二人だけだった。


 お互いに無言を貫いたまま、俺達は両足を動かすペースを一定にして目的地を目指している。その歩みは、普段の通下校の時よりもゆっくりとしていた。


 原因は間違い無く俺自身の気落ちした精神状態のせいだったのだが、隣で歩いている幼馴染は何も言わずにそんな俺のペースに付き合ってくれている。


 いつも一緒に歩いていたから――気が付かないはずが無かったのに。


 


 結衣が俺の自宅前に一人きりで待ち構えていた件には驚かされたが、話を聞いてみればそれは至極単純な理由だった。


「大原君から連絡があったの、『修の様子がおかしかったんだけど、心当たりはない?』って」

「……そうか」


 率直に、あの龍二らしい気の回し方だと思った。実際に結衣の顔を見たことで、俺は少しばかりの安心感を得られたのだから。


 しかし三年前の告白の一件以来、あいつと結衣は良好な関係を築けてはいなかったはずだ。決して険悪という訳でも無かったが、どこか気まずい雰囲気。事情を知っている俺の目には、そう映っていた。


 それが本当に起こった出来事かどうかは知らないが……少なくとも俺自身は『』記憶を持っている。


 だからこうして親友が結衣に連絡を取ってくれた事には、相当な勇気が必要だったのではないかと考えてしまった。


 気まずさを感じていたのは、結衣の方も例外じゃないだろう。俺の頼りにならない記憶を辿ってみれば、彼女との会話の中で親友の話題が出る機会は滅多に無かったように思える。


 あれだけ普段、学校で俺と一緒につるんでいる同級生にも関わらずだ。その真意は今でも掴めないが、連絡を受けた時の様子はなんとなく想像が付いてしまう。


 友達に余計な負担をかけてしまった事実に、俺は反省せざるを得なかった。


 龍二から事情を聞いた後の結衣は、俺が名結駅のホームに到着したのと同時刻、既に自宅前に到着していたらしい。チャイムを鳴らしてみたものの、反応が無かったのでそのまま俺が帰宅するまでずっと待ち続けていたそうだ。


 春の季節とは言え、数時間も日除けの無い場所で延々と待ち続けていたのは大変だったに違いない。


「日が沈んでからは涼しかったから、平気だよ」

「……ごめんな、もっと早く帰ってくれば」

「あはは、大丈夫だよ。それに……ちゃんと帰ってきてくれて良かった」

「結衣……」


 冷泉の方は、やはり帰ってしまったのだと思う。結衣と遭遇した際に自宅の様子を覗いてみたが、屋内の電灯は灯いていなかった。正直、彼女と結衣が鉢合わせになってしまう方が余程頭を抱える状況になっていたかもしれない。


 既に夜の二十二時を回っていたので、流石に夜道は危険だと考えた俺は結衣を自宅まで送っていく事にした。本人は遠慮していたが、せめてもの罪滅ぼしだった。




 結衣は、何も聞いてはこなかった。

 俺の様子がおかしかった理由。

 どこで、何をしていたのか。


 聞きたい事があったはずなのに、それに触れようとはしない。再び彼女の口が開いたのは、住宅街を抜けて見知った公園が視界に飛び込んできた時だった。


「修ちゃん、ちょっと寄っていかない?」

「……そう、だな」


 公園には誰も居ないようだった。結衣の提案を了承すると、二人並んで中へと入り込む。


 そこは、子供の頃に彼女と出会ったきっかけの場所だった。残念ながらその記憶を今思い出そうとしても、やはり『あやふや』な内容でしかなかったが。


「懐かしいね、この公園」


 そう言ってから結衣は、真っ先に公園内のブランコまで早足で近寄るとちょこんと座り込んだ。座れる遊具を選んだのは、やはり待ち続けていた疲れがあったからだろうか。後を追いかけた俺も、無言のまま隣のブランコに腰掛ける。


「…………」

「…………」


 お互いにブランコを動かそうともせずに、静かな時間が過ぎて行く。時々お互いに目線を送ったり、明後日の方向を向いたりするだけだ。


 隣の幼馴染は、今何を考えているのか。そして俺は、何を話すべきなんだろうか。ここ数日の怒涛の出来事の影響で精神的に参ってしまっている俺には、その答えを見つけ出せなかった。


「修ちゃん……なにかあったの?」

「……色々、な」

「そっか」


 先に本題に切り込んできたのは結衣の方からだった。俺自身それを待ち望んでいたのかもしれないのだから、情けない話だと思う。


 何も無かった、とは言わない。誰がどう見ても俺は落ち込んでいる様子だっただろうから、嘘を付かない事が彼女に対するせめてもの謝罪だった。


「私はね……修ちゃんの幼馴染だから、修ちゃんの色んな表情を知ってる。でも今の修ちゃんは、初めて見る顔をしてる」

「色んな表情、か」


 それは結衣が持っている、俺に対する記憶なんだろう。

 でもそれは、作られた物で、こじつけで……偽物の記憶なんだ。


 その真実を伝える事はできない。真実を聞いて傷付くのは、俺一人で十分だ。


「修ちゃん。私、修ちゃんと出会った時の事が……よく思い出せないの」

「……え」


 だから結衣の告白とも言える話の内容を聞いて、俺は思わず驚いてしまう。


「たまに、その事ですごく落ち込む事がある。どうして覚えていないんだろう、どうして忘れているんだろうって。不思議だよね、修ちゃんとはずっと一緒だったはずなのに」

「結衣……」

「……それでね、昔を思い出せないなら、せめてだけはずっと覚えていたいなって思うの。こうやって公園で一緒に過ごしてる時間も、学校で過ごす最後の一年間も、卒業してから先の将来も」

「これからの記憶……か」


 果たして俺たちに、『将来』なんて物が存在するのだろうか。冷泉の話によれば、この世界は代理戦争のために作られたはずだ。それならば当然、戦いが終わってしまえばこの世界に存在する理由はなくなってしまう。


 戦いの終わりは、世界の終わり、そう考えていた。

 しかし結衣は……その先の未来を見据えている。

 その瞳はとても前向きで、ひたむきな物だった。


「修ちゃんが居なくなっちゃったら、私は凄く悲しいと思う。ずっと一緒に居られるなんて、そんなの夢みたいな話だってわかってるけど、それでも……それでも、ね」

「俺が居なくなるなんて……そんなわけがないだろ」

「……そうだよね。何言ってるんだろうね、私」


 幼馴染の勘の鋭さに驚きながらも、俺は悟られないように言葉を返す。


 俺が居なくなったら、悲しい、か。

 そうだよな、当たり前だよな。

 だって俺たちは――幼馴染なんだから。


 大切に想う人を心配している、その気持ちに嘘や偽りなんてあるはずがない。俺だって、もし結衣が居なくなってしまったらとても寂しいし、悲しい。それは龍二も例外ではないし、たとえ顔が思い出せないような両親にでも、同じ事を思うはずだ。


『榊原君……それでもあなたはこの世界で、間違いなく『生きてる』のよ』


 その時、昼間の別れ際に冷泉が話していた言葉を思い出した。


「……あのさ、結衣」

「うん」

「悪いけど事情は話せない。それでも……ありがとう」

「……私だって、本当に言いたい事は言えなかったから、おあいこだよ」

「本当に言いたい事?」

「ううん、なんでもないの。修ちゃん、帰ろう?」

「そうだな、もう夜も遅いし」


 そう言って、お互いにブランコから立ち上がった。


 それから結衣の自宅に到着するまで、俺達は将来の話をした。

 行きたい大学、目指している職業、夢や希望に溢れた将来の話。


 昔話はロクに出来なかったが、それでも楽しかった。なぜなら、今の俺たちが見ている未来の話は間違いなく『』だったのだから。 




「……冷泉。お前、まだ居たのか」

「――ん、おはよう榊原君。とうとう『お前』呼びになったのね、あなたって中々図々しい性格をしてるわね」


 既に日付を跨ごうとしていた時間帯、ようやく自宅に到着した俺は室内の電灯を付ける。するとそこには、居間のテーブルにうつ伏せの体勢で眠っていた冷泉瑠華の姿があった。


 話を聞けば俺が自宅を飛び出して以降、彼女はずっとここで寝ていたらしい。


「傷口が塞がったとは言え、それでも撃たれたダメージは身体に残っていたの。本当なら榊原君を追いかけたい所だったけど、途中で行き倒れになってしまいそうだったから我慢したわ……身体が眠りにつくまでは、随分と時間がかかってしまったけど」


 寝ぼけ眼になりつつも、彼女はそう説明した。普段の鋭い眼差しも最初は鳴りを潜めていたが、すぐに元通りの表情に戻る。


 結衣が鳴らしたチャイムについては全く聞こえていなかったらしい、それだけ疲労していたんだろう。本来なら半死半生に近かったあの状況を考えてみれば、仕方無かったとも言える。


「……心配かけてすまなかった」


 先ほど幼馴染に対してしたような謝罪を、今度は目の前の彼女に対して行った。


「いいのよ、気にしないで。……少しは吹っ切れた?」

 冷泉は神妙な表情を浮かべながら質問してきた。


「……正直、まだ落ち込んでるよ。そう簡単には割り切れない」

「でしょうね。それでも家を飛び出した時に比べればいい表情をしてると思うわよ、今の榊原君。なにか前向きになれる出来事でもあったのかしら」

「それは――」


 心当たりはあった。でもそれを答えるよりも先に、彼女には訊いておきたい事があった。


「あのさ、冷泉。この世界って、代理戦争が終わったらやっぱり消えてなくなってしまうのか? 昼間のお前の話を思い出すと、そういう感じに捉えられてしまったんだが」

「……え?」


 妙に明るい調子で訊いてきた俺の質問に対して、冷泉は少し驚いた表情を浮かべていたが「今の榊原君なら大丈夫か」、そう前置きして答えを返した。


「厳密に言えば、消えてなくなるわけじゃないの。最終的には私や少年、代行者に関する記憶がNPC達全員から消えることになる。そして次の代理戦争が始まる時まで、世界そのものが冬眠、コールドスリープのような状態になると言われているわ」

「……なるほど」


 あながち的外れという訳でも無かったらしい。代理戦争が終わった後もこのまま世界が変わることなく続いていく、そんな理想がまかり通るほど現実は甘くなかった。


「――それなら、世界が終わるまでは必死に生きないと駄目だよな」


 俺は少しだけ笑みを浮かべて、彼女に対して宣言した。


「俺には、心配してくれる人達がいる。その人達を悲しませないために、今の自分がやらないといけない事。それが、『生きる』って事なんだと思う」

「榊原君……」


 俺が代行者としての人格を背負っているなら、この戦いは俺が生きている限り決着が付くことは無い。それまで――この世界は終わらない。


 最後まで生き残れる自信なんて物はこれっぽっちも無かったが、せめてこの世界が続いている最後の瞬間までは足掻いてみよう――そう決意した。


「そうね。頑張って生きなさい、榊原君」

「……ああ」


 今思えば、彼女がどうして敵であるはずの俺の心配をしてくれたのか理由が分からなかった。自分が生きると宣言した以上、この戦いが決着を迎える時までに彼女と戦う機会が訪れるかもしれなかったのに。それでも、今こうして目の当たりにしている彼女の『表情』だけは、嘘偽りの無い真実だと信じたい。


 なぜならそれは、俺が初めて見た彼女の『』だったのだから。


 感想を言えば彼女に怒られてしまうかもしれないから黙っておくが、代行者という枠組みを取り払ってしまえば冷泉瑠華も普通の女の子なんだなと俺は心の底で呟く。


 ――とても可愛らしい、優しい微笑みだった。

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