第15話 思い出、オールドストーリー

 突然冷泉の口から告げられたその言葉は、俺自身がまるでSF映画の中にでも入り込んでしまったのかと錯覚してしまいそうな、突拍子も無い物だった。


 仮想現実……確かそれはコンピュータによって作り出された世界が存在し、それをあたかも知覚させてしまう技術の事だったと思う。実際にそのような人工的に作られた世界を舞台にした映画を、俺はいくつか知っていた。


 例えるなら、仮想現実の世界に飛び込んだ主人公が不慮の事故から出られなくなってしまって脱出の方法を模索する映画もあれば、あるいは主人公が暮らしている『』が仮想現実で現実世界は別に存在していると認識する事から物語が始まる映画も存在する。


 ……この場合、今の俺の立場に近いのは『』のタイプにあたるのだろうか。しかし間違ってはいけないのは、それはあくまでも映画の設定上の話でしかないという事だ。


 所詮は創作上、空想上の産物でしかない。現実に映画の主人公と同じような立場に置かれたと第三者から告げられて、はいそうですかと納得できる人間がこの世に存在するはずもないだろう。


 その事実を認めてしまう事は、自分のこれまでの生き方、有り様、記憶。それら全てを否定しかねない行為だからだ。現実から逃げ出した逃避と言ってもいいかもしれない――認められるはずが無かった。


 


「……何を言ってるんだ、突然」

「榊原君には到底信じられない話でしょうね。でも、これは現実の話よ」

「どうして急にそんな話になるんだ。そもそも俺は、代行者について聞いていたはずだろう」

「この話を前提としなくては、代行者の説明は出来ない。そう思ったからよ」

「冷泉……」


 冷泉は覚悟を決めたかのように、躊躇う事も無くそう断言した。その表情は至って真剣で、思わず返す言葉に詰まってしまう。彼女はこんな時に冗談を口にするような人間じゃないと、俺自身これまでの経験で感じていたからかもしれない。


「この世界が作られた存在で、では何故その事実を私が知っているのか。それは、代行者という存在が現実世界からやってきた世界各国の代表者だから」

「代表者……?」

「『代理戦争』――代行者同士が戦って命を奪い合う争いがこの世界で行われているの。そしてこの仮想現実そのものが、代理戦争を行うために作られた舞台だったという訳」

「…………」


 言葉が出てこない。

 そもそも仮想現実という前提からして理解が追いついてこなかった。


 代行者同士が戦っている事実は、昨日の一件を経た俺にも理解できている。しかし、その戦いの為にわざわざ『世界そのもの』を作ってしまったと言うのか。


 俺から見れば、冷泉や少年のような人間の方がよほど現実離れした存在に思える。異世界からの来訪者、そんな話をしてくれた方がまだ納得できただろう。


「……仮にその話が本当だとして、その代理戦争とやらに勝った人間は何を得られるんだ」

「戦争は戦争よ、外交の一手段とも言えるわね。勝ち残った代行者の所属している国にはそれ相応の恩恵が与えられる。巨額の資金、大量の資源、それらが動くと聞いているわ」


 聞けば聞くほどに、無茶苦茶な話だった。あまりにも内容が飛躍し過ぎている。冷泉の話している事は、やはり映画の設定のような作り話に聞こえてしまう。彼女は本当に真実を語っているのだろうか、そんな不安が頭をよぎった。


 半信半疑に陥っている俺の心境を見抜いたのかは定かでは無かったが、冷泉は話の切り口を別のものに変えてきた。


「……正直なところ、この話は大した問題じゃないわね。少なくとも、『』の榊原君にとっては真実であろうがなかろうが関係のない事よ」

「それだ、そのNPCって言葉は……何を意味してるんだ」


 冷泉は俺に真実を語ることを躊躇っていた。

 その理由は……多分そのNPCことばにあると考えられた。


「私たちの世界では、ある程度知られている言葉よ。どうやらこの世界では、NPCという言葉の存在そのものが無かった事にされてるみたいだけど。そうね……このテーブルを仮想現実と仮定して説明しましょう」


 そう言って冷泉は、制服のポケットから取り出した財布から何枚かの小銭を手に取ると、着席していたテーブルの卓上に視線を向ける。俺は説明の見やすい位置に移ろうと立ち上がり、彼女の傍らまで近づいた。


「代理戦争に参加した代行者、その一人がこの私」


 冷泉は百円玉を一枚見せると、それを卓上に置く。クロスも何も敷いていないテーブルに、パチンと硬貨が置かれる音が響いた。


「私や榊原君が遭遇した銀髪の少年、あれも代行者の一人」


 次に取り出したのは数枚の十円玉だった、これも同様に卓上へと置かれる。実際の数には足りないけど、問題ないでしょうという話だった。この数枚の中に、冷泉が実際に遭遇したという『もう一人の人格』も含まれているのだろうか、俺は漠然とそう思った。


「……そしてNPC、これは代行者ではない全ての一般人を指している。彼らはこの世界の真実に気付いていない、現実と認識した上で生活している人達よ」


 そう言って冷泉は最後にまた数枚の今度は1円玉を取り出すと、適当にそれらを並べてみせる。これまでの説明に比べると、どこか躊躇いがちな様子だった。


「重要なのは、代行者が現実世界からこの世界へと転移して来た存在という点。でもNPCは『』、言ってる事は分かる?」

「それは――」


 本当にこの世界が仮想現実だとして、NPCは現実世界から来た存在じゃない。その二つが意味する答えは、考えるまでもなくたった一つだけだった。


「『』だって、言いたいのか」

「……こんな事実、私だって話したくなかった」


 俺の視線から目を背けると、冷泉は吐き捨てるかのようにそう呟いた。あるいは、事実を打ち明けた事を後悔していたのかもしれない。一瞬、気まずい雰囲気が流れる。


 現実世界という言葉を口にし始めた時点で、その結論にある程度予想がついていたのも事実だった。しかし冷泉は、最初の時点で俺の正体がNPCだと告げていた。その事が「あなたは人間じゃない『機械』だ」と言われたかのように感じられてしまい、思わず語気が荒くなってしまった。 


 しかし、それでも俺は未だにどこか他人事のように彼女の話を聞いている。単純な理由だ、現実離れし過ぎている。このまま話を終わらせてしまえば、俺自身が納得し理解を示す事は難しいだろう。


「……それなら、もう一人の人格の説明はどうなる」


 だから俺は、納得の行くまで疑問を投げ掛けるしかない。冷泉もそれを理解したのか、再び視線をテーブルの方に戻すと説明を再開した。元々説明を頼んだのは俺の方なのだから、彼女の方が大人だったと反省しなければならない。


「私は最初にあなたがで、代行者としての人格を別に有していると考えた。つまり普段の榊原君がこの硬貨の表で、裏がもう一人の榊原修という事」


 冷泉は卓上に置かれた十円玉を一枚手に取ると、表面、裏面とひっくり返す。


「でも実際にはもう一人の人格の上に、榊原君という一円玉が置かれていた」


 今度は一円玉の方を手に取ると、先ほどひっくり返した十円玉の上にそれを重ねた。


「二つの人格を有している点においては二重人格と差異は無い。でも、この二つの人格は『』が異なるのよ。たとえ裏返しにしても一円玉は一円玉のままであるように、十円玉は十円玉のままで硬貨の種類が変わる事は無い」


 積み重ねた二種類の硬貨を交互に指差しながら、冷泉はそう言った。


「人格の種類……NPCと代行者の事か」

「そう、榊原君が私の転送武器ウェポンを手にした時に痛みを感じた理由はあなた自身がNPCだったからとしか考えられない。元々代行者だったのなら――そんな事は起こり得ないもの。そしてあなたが意識を手放した結果、もう一人の人格は姿を現した」


 卓上に置かれた一円玉と十円玉の『上下』が入れ替わる。

 ……これが、人格の入れ替わりの真実という事らしい。


「おそらく、転送武器が代行者にしか扱えない物だったからでしょうね。その瞬間、あなたと彼との上下関係は一時的に『逆転』してしまった」


 冷泉の言っている上下関係とは、人格の主導権の事だろうか。確かに俺には、転送武器を手にして以降の記憶が全く残っていない。俺自身の意思とは関係無しに、もう一人の人格が勝手に動いていた可能性は高かった。


「私の転送武器を彼が使いこなしていたのは他ならない私自身が目撃しているから、代行者なのは明白。もう一人の人格が全くの別人と説明したのはそういう事よ。彼は、あなたの裏の人格じゃない。代行者という、全く種類の異なる人格なのよ」

「……それは」


 少しずつ、彼女の論理に追い詰められていくような感覚だった。転送武器を手にした時の話は俺自身の実体験だったから、それを根拠にされてしまえば無視するわけにもいかない。


 転送武器を使いこなせなかったNPC、『榊原修』としての人格。

 転送武器を使いこなせた代行者としての『もう一人』の人格。

 種類の異なる人格、その異なる部分こそが俺をNPCだと証明している。


 それでも……


「……納得がいかないって顔をしてるわね」

「冷泉の言ってる事はわかる。でも、納得出来るかって言われたらそれは出来ない。俺が転送武器を使いこなせなかったのは事実だが、これだけ話を聞かされてもまるで現実味が無いんだ。この世界そのものが仮想現実だと言われたところで、俺にとっては今ある世界の方を現実として捉える事しか出来ない。まだ代行者がイレギュラーな存在だと説明された方が納得がいく」


「根拠は、もう一つあるのよ」

「もう一つ?」


 冷泉は頷くと数秒程目を瞑ってから、軽く溜息をこぼした。

 そして再び目を見開くと同時に、隠していた真実を告げた。


「代行者の私に――は一人も存在しない」


 彼女の言葉の意味を、最初は理解出来なかった。

 その口調は、俺にはどこか寂しそうにも感じられた。


「あなたがこの世界の友人との『記憶』を持っている事実、その事実こそが、あなたをNPCだと示しているのよ。私に、この世界での記憶は無い。あるのは、現実世界の記憶だけだから」

「なんだって……」


 その言葉は、頭を思い切り殴られたかのような衝撃を受ける物だった。

 同時に俺は、先程の脈絡も無いタイミングでされた質問の真意に気が付く。


「私が榊原君を助けた理由を話してなかったわね。代行者達がこの世界に転移してきた日、それは私があの学園に転入して来た日でもあったのよ。あの日のあなたは、クラスメートと仲良く話していたり、青山さんとも一緒に下校していた」


 冷泉が転入して来た日から既に1週間以上経っている。まさかあの日から俺のことを調べられていたとは、後々探偵業という名目で彼女の事を調べていた自分自身が滑稽に思えた。


「代行者は、元々この世界に存在していたNPCとこの世界に組み込まれる。しかし記憶が現実世界の物しか残っていない以上、どうしても周囲との関係に『違和感』が生じてしまうものなの」


 置き換わる、という言葉の意味はよく分からなかった。しかし、代行者は――この世界での記憶を持っていないらしい。それが事実だとすれば、俺が友人達との記憶を持っている事は。


「……私はこの世界では転校生の立場だったから、そういう意味では楽だったと言えるのかしら。でも榊原君には、その『違和感』を一切感じられなかった。だから私は、あなたが代行者では無いと考えた」

「それは……」


 反論したかったが、彼女の根拠を崩す事はできない。

 それは、友人達に対する裏切りと同義だった。


 龍二や結衣、あの二人の思い出や記憶が嘘だったなんて。

 そんな事……口が裂けても言えるはずが無いだろう。


「どうしても信じられないのなら、過去を思い出しなさい。これだけ精巧な仮想現実とは言っても、どこかに綻びがあるはず。人の人生を全てデータにするなんて、情報量的に無理があるもの」

「過去を……」


「榊原君は先程、ご両親が単身赴任中だって話していたけど真っ先に顔や声を思い出せるかしら? 青山さんや大原君と出会った時の事を明確に思い出せる? ならあるかもしれない――そういう『』と考えればね。でもそれ以外の記憶をよく思い出してみれば、どこかに『空白な部分』が見つかるはず」


 彼女から誘導されるがままに、俺は昔の事を思い出そうとした。

 親の顔や声を忘れている訳がない……そのはずだった。


 だが、記憶を掘り起こそうとした俺の脳裏に両親の顔や声が明確に浮かび上がってくることは無かった。単身赴任を始めてから随分と経っているから仕方ない、そうやって割り切るのは簡単だったが、これが冷泉の言っている『空白な部分』だというのか。


 たまたま忘れているだけ。

 言い訳をする事は簡単だ。

 本当か。本当にそうなのか。


 結衣とは気が付いたら友達の関係だった。

 なぜ――『』なんだ。


 友達だったなら、初めて出会った時の事を思い出話にするのが自然じゃないのか。結衣あいつと、これまでにそんな話をした機会が一度でもあっただろうか。


 龍二とは中学からの知り合いだった。当然、結衣よりも知り合った時期は最近という事になる。あいつはバスケが好きで……結衣に告白して……違う、そういう事じゃない。過去を思い出そうとすればする程、最近思い出したエピソードの時点で思考が停止する。


 友達が『こういう性格』で『こういう人間』だと説明する事は出来る。

 でもそれは、あくまでも説明の範疇でしか無い。


 以前こんな事があったと記憶を掘り起こそうとしても、一つ二つの出来事しか思い浮かばない。本当に友達なら――そんな過去の記憶は、あり得ないだろう。


 詳細な過去を一向に思い出すことができない自分自身に対して、苛立ちが抑えられない。このままでは、彼女の話している事実を認めてしまいそうだ。自分がNPC、作り物の存在という事実を。


 だから俺は、決意した。


「さ、榊原君!?」


 無我夢中になって、玄関へと走り出す。

 このままでは、心が『何か』に押し潰されてしまう。

 居ても立ってもいられなかった。


「待って!!」

「――っ!?」


 玄関のドアノブに触れた際、後ろから冷泉の叫び声が聞こえた。

 このまま俺を行かせてはいけないと感じたのか、必死な叫びだった。

 その声を聞いて、思わず立ち止まる。


「榊原君……それでもあなたはこの世界で、間違いなく『生きてる』のよ」

 冷泉の表情は、真実を打ち明ける前のどこか気遣っていたそれに戻っていた。


「私がそれを言う資格はないかもしれない。でも、それだけは……忘れないで」

「…………悪い、冷泉」


 俺は彼女を一人残して、自宅を飛び出した。

 親友と信じている男の元へ向かうために。

 気になる幼馴染の女の子に会いに行くために。

 過去を取り戻すために――『昔話』がしたかったんだ。

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