第5話 休日前、リサーチレポート

「修、探偵業の調子はどうだ?」

「……ああ」


 朝のホームルームでの事だった。普段調子で話しかけて来た龍二に対して、俺はおそらく怪訝そうに思われたであろう不快な表情を見せてあげた。


 その理由は、単純な睡眠不足だったのだが。


 昨晩見た悪夢のせいか、満足に睡眠が取れないまま起床した俺は支度を終えると、昨日も結衣に起こされたお気に入りの河川敷に向かう事にした。


 あの場所は俺にとっての安息の地、いや安眠の地と言って差し支えない場所だったので、少しは不足気味の睡眠時間を補填できると踏んでいたのだが……しかし残念ながら、未だにぼんやりとイメージが焼き付いてしまっているあの悪夢の影響を払拭する事は叶わなかった。


「修ちゃんが眠れなかったなんて、今日は雨が降るのかな……?」


 普段通りに起こしに来たはずが、何故かまぶたを重くして悶々と原っぱの上であぐらを掻いている幼馴染の姿を見かけた際の結衣の言葉だ。それだけ貴重な機会を周囲に披露している事実はご理解頂きたい。


 そのような経緯で、今の俺は自分の席の机に頭を突っ伏している。


「他人事のように聞くなよ、依頼者の立場で」

「おいおい随分と機嫌が悪いようだが、何かあったのか?」

「別に、大した事じゃないさ」

「そうか、ならいいんだけどな」


 龍二は俺の機嫌の悪さを察してくれたのか、心配の言葉を掛けてくれた。思っていたより真剣なトーンで聞かれたため、夢の内容が酷かっただけという子供じみた理由を説明するのはやめておいた。いい加減忘れて現実に戻ろう――俺は気を引き締めると、親友の言葉に耳を傾けた。


「俺も彼女の事はクラスの女子から聞いてみたんだけどな。なんというか、未だに謎だな」


 人に任せたと言っておきながら、龍二は独自に冷泉瑠華について調査をしていたらしい。あまりやる気の無い探偵に対して行動的な依頼人であった。話を聞いた俺は、思わず頭に浮かんだ疑問を問い掛ける。


「なあ、お前が調べてるのなら俺の役目って要らないんじゃないか……?」


 元々女子生徒からの人気がある龍二からすれば、一介の男子生徒である俺よりは情報網が広いことだろう。親友の人気に嫉妬している訳では無かったが、適任だと言えた。


「まあ乗りかかった船という事でここは一つ頼むよ、修」

「そもそもチケットを買った覚えはないぞ、龍二」


 ……案の定、調査続行を依頼されてしまった訳だが。

 



 冷泉瑠華が転校して来た日から、気が付けば五日間が経過した。


 その間の俺は調査というか、休み時間中の彼女と、彼女の席に集まって来たクラスメートの女子達の会話をそれとなく観察する事にした。距離の近い隣の席という事もあってか、あまり注視していなくとも会話の内容程度は俺の耳に届いて来る。


 元々休み時間であろうとも自分の席から梃子てことして動こうとしない俺にとっては、調査と休息を兼ねられるこのやり方がちょうど良かった。


 本日も相変わらず騒々しい事この上ない隣の席ではあったが、俺自身これまでに一度たりとも、それをとがめる事が出来なかったのだから情けない話である。調査の件は関係無しに、余計な軋轢を生むことは避けたかった。


 今は「学校にはもう慣れた?」と質問した一人の女子に対して「皆がよくしてくれてるから」と冷泉瑠華がお礼の言葉を返している。その様なやり取りにこっそりと聞き耳を立てている自分自身を恥じてか、俺は未だに冷泉瑠華と言葉を交わした事は無かった。


「冷泉さん。今度の週末、空いてたら遊びに行かない?」

「ごめんなさい、ちょっと用事があって」

「えー残念。時間が出来たら教えてね?」

「ええ、折角誘ってくれたのにごめんなさい」

「冷泉さんって、ちょっとお嬢様っぽい感じするよね」

「あ、わかるー落ち着いてるよね」

「まだ、新しい環境で緊張してるの。少しずつ慣れて来ると思うから、待ってくれると嬉しいかな」

「いいのいいの、誰だって転校してすぐは緊張しちゃうよね」


 ……確かに龍二の言っていた通りだった。

 冷泉瑠華は、未だに素性を明かそうとはしない。


 龍二が聞いた話によれば、冷泉瑠華は放課後を迎えると毎回違うルートを通って下校しているらしい。徒歩圏内では無いのか、駅内に入る姿を見かけたという目撃証言もあったらしい。中にはこっそり後を着けようとした猛者もいたようだったが、あっさりと巻かれてしまったようだ……最後の人物が、それを教えてくれた親友では無い事を祈りたい。


 どこから転校してきたか? という質問にも、要領を得ない答えが返って来たという。西の遠い地方から来たとかなんとか。担任の教師に聞いても、プライバシーの問題が云々とかで満足のいく回答は得られなかったそうだ。


 端から見てる分には物腰や言葉遣いは柔らかいし、時折話しかけて来る女子に対して笑みを零すようになった気がする。本人の言う通り、新しい環境に馴染むための試行錯誤をしているのかもしれない。


 ……ただ俺には、ある一点が気になっていた。

 彼女が笑みを零している時、決して事を。


 それは緊張というよりも……『警戒』という言葉がしっくりくるような。そんな感じに捉えられた。もしかしたら、過去に友人関係で何かトラブルがあったのかもしれない。素性を明かそうとしない理由にも繋がる。


 だがその事で首を突っ込もうとする程、俺や龍二を含めたクラスの連中も空気を読めていない訳じゃ無かった。一日でも早くクラスメートとして彼女に溶け込んで欲しいと、誰しもが思っているはずだ。そういう意味では、彼女がこのクラスに転校してきた事は運が良かったのかもしれない。


 それにしても、週末か。


 流石に休日にまで探偵業を持ち込むつもりはない。それとも何か、噂の冷泉瑠華の家を探してみろと? それは探偵というよりは、別のジャンルの人間のやる事ではないだろうか。現時点で、既に危ない橋を渡っていると言えなくもないが。


 さて、どうする。


 普段の俺は暇があれば寝てばかりのように思われているかもしれないが、休日では案外まともに活動してたりする。学校という存在に追われずに済むからだろうか。


「龍二、お前週末は空いてるのか?」


 俺はまず、希望的観測が殆ど見込めないであろう親友に誘いの言葉を掛けてみる事にした。


「あー悪い、いつものように部活の練習が入ってるな」

「だろうな、一応聞いただけだよ」


 当然のように断られた。龍二とは校内ではよく話しているものの、休日では大体部活動が忙しいとケチが付いてしまうので滅多に会うことは無い。親友と呼べる関係にしては微妙な距離感ではあったが、互いがそう認識しているのなら別に構わないだろうと前向きに捉えている。


「夏の大会がラストだからな、もうしばらくはこんな感じだよ」

「ああ、分かってる。気にしないで練習に励んでくれ」

「すまないな、夏が終われば付き合ってやれるからさ。どうだ? それまで探偵業に勤しむってのは」

「悪いが、土日は休業中だ」


 週休二日制を守っている探偵がどれだけいるかは知らないが。しかしその返答を龍二は予想していたのか、即座に代替案を提示してきた。


「だったら、青山さんを誘って遊びに行けばいいじゃないか」


 ……何故そこで、結衣の名前が出て来る? と疑問が出たところで。


「修、前にも言っただろ? 青山さんはお前の事が好きなんだよ」

 龍二は、先日から信じてやまない自説を俺に吹っかけてきたのだった。


 お前のその理論は一体何処から出て来るんだ……俺にとっては結衣が何を考えているのか、疑問が深まるばかりだというのに。


「別にデートしろって言ってる訳じゃないさ。適当に理由付けて、幼馴染として遊べばいい」

「……じゃあ聞くだけ聞いてみる」


 それは既にデートという行為に等しいのではないか? という突っ込みは野暮だと思ったので敢えて避けることにした。


「おう、仲が進展したら教えろよ?」

「大体、お前にとっては面白くもなんともない話じゃないのか?」


 当然の疑問だった。仮に、本当に仮に俺と結衣と付き合いだしたら、龍二との関係にも良くない変化が起こるのではないかと危惧した。平和主義者である俺は、ドロドロの三角関係なんてものを望んではいない。


「そりゃあ、お前以外だったらな。親友のお前だったらさ、彼女を任せてもいいって思えるから言ってるんだよ」


 ……こういう恥ずかしい事を、サラッと言えてしまうのが龍二の良い所だと思う。探偵業の事にしてもそうだ、たまに悪乗りする事はあっても、きちんと止めて欲しい場面でブレーキをかけてくれる。


「龍二、お前ってなんで結衣に振られたんだろうな」

「お前な!」

「悪い、冗談だよ」


 からかい半分、照れ隠し半分の言葉は逆効果だったらしい。




 放課後を迎えると俺は、既に帰り支度を始めていた結衣を捕まえた。まだ他のクラスメート達が残っている教室内ではあったが、用事のある時はお互いに遠慮せず話し掛けるのが二人の暗黙のルールだった。


「結衣、ちょっといいか?」

「修ちゃん、どうしたの?」

「結衣ー先に行ってるよ」

「あ、ごめんね! すぐ行くから」

「いいよいいよ、ごゆっくりどうぞー」


 結衣はちょうど、他の女子達と下校しようと帰り支度を終えた所だったらしい。俺と下校する時は"たまたま"遭遇したというイベントを経た結果であって、普段から約束を取り付けている訳じゃない。登校時はともかく、一緒に帰らない日も特別珍しい事では無かった。


「榊原くん! 結衣と仲良くねー!」

「あ、ああ」

 

 その中の一人から去り際に冷やかしに近い言葉を掛けられて、俺は思わず慌ててしまう。彼女達からどのような印象を受けているのかは知らないが、結衣以外の女子とはあまり喋る機会を持っていなかった。


「……ははは。えっと、何の話だっけ?」

「いや、まだ何も話してない。あの二人と仲良くなれたみたいだな」

「うん! 二人とも優しいんだよ」


 結衣が一緒に帰ろうとしていたのは、先日登校した際に彼女と話していた二人の女子生徒だった。


 元々結衣は、俺と違って友達作りの上手なタイプだ。本人の認識は置いておくとして、毎朝男子と登校して来るような女子は変な目で見られる可能性が高いはずだが……思えば登校してからの俺と結衣はあくまでも『ただのクラスメート』としての関係でしかない。


 今日こうして声を掛けた事が、新学期が始まって以来最初の機会だった。下手にクラス内で話さない分、周囲の人間もあまり気に掛けていないのだろうか。


 ああ、だから結衣も学校では俺に話しかけてこないのかもしれない、と最近抱いていた疑問の答えらしきものに行き着く。勿論、結衣の人懐っこい性格の良さもあってだと思うが、俺もわざわざ幼馴染の友人関係の邪魔をするつもりは無かった。


 今の状況が平和なら、それで良かった。

 あくまでも、『』での話だが。


「そうか、良かったな。結衣……次の週末って空いてるか?」

「週末? どうしたの?」


 しかし『』での関係については別だ、特別な進展があろうとなかろうと俺も結衣とは久し振りに遊びに行ってみたいと思っていた。龍二の言葉を意識してしまったからか、誘い文句が少しぎこちない。


「特に予定もないからな、たまには遊びに行かないか?」

「うーん、どうしようかなぁ」


 反応は思いの外鈍かった。もしかしたら一目散に飛びついて来るかもと淡い期待をしていたのだが、そんな事は無かったらしい。まあ、これまでもそうだったか、と過去に誘った時の記憶を辿っていると。


「実は、さっきの二人ともう約束しちゃってて……」

「ああ、なるほど」

 どうやら、既に先約が居たらしい。


「ごめんね。仲良くなったばかりだから、流石に今から断るのは……」

「いや、いいさ。前にもこんな事はあっただろ? 気にしないでいいから、楽しんでこい」

「うん……今度は絶対遊ぼうね!!」

「ああ、話はそれだけだから。早くしないと、二人とも待ってるぞ」

「あ、そうだった! それじゃあ修ちゃんまた来週ね!」

「おう、またな」


 結衣に遊びの誘いを断られた経験は、一度や二度ではなかった。交友関係が広いと、色々とその辺大変らしい。その代わり、断られた次の機会は必ず付き合ってくれる。こういう所も、俺がこれまで彼女を意識していなかった理由の一つだったのだが、一歩前に進むという意味では誘った事も無駄ではなかった……気がする。


 さて、親友にけしかけられた計画もこの通り破綻してしまった。いよいよ予定も無いまま、週末を迎える事になりそうだ。


 ――これが、ある意味の、平和な日常だった。

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