第32話 溢れる想いにサヨナラを
【Side:アリア】
ギルドは、基本的に年中無休だ。なので、今日も一階のホールは沢山のスレイヤー達で溢れかえっている。
クエストを吟味している者、ホール内に設置されたテーブルでパーティーで話し合っている者、受注したクエストの依頼書を受付に提出し、その写しに判を貰った物を受け取り外へ出て行く者……いつも通りの光景だ。
「はい、こちらのクエストの受注を承認しました。お気をつけて」
ワタシはと言えば、複数いる受付嬢の一人としての仕事をこなしている真っ最中である。これもいつもの光景、ワタシの日常。
でも、最近その日常に変化が生じた。
「ふぅ……ムサシさんとリーリエさんは、今日帰ってくる予定でしたね」
受付で処理した依頼書の原本を整理しながら、ワタシは二人の白等級スレイヤーの事を考える。
以前であれば、業務中に特定のスレイヤーの事を考えるなどリーリエさんの事以外には無かったが、そこにムサシさんという新しい人物が加わったのだ。
――そして、ワタシはそのムサシさんに恋をしている。
「……嫌な女でしょうか、ワタシは」
懺悔のように呟かれたその言葉は、ギルドの中の喧騒にかき消されて誰にも聞かれる事は無かった。
(横恋慕なのは分かっているのに……諦められないなんて)
そう、ワタシはムサシさんに好意を抱いているのが自分だけではないと知っている。それが、他ならぬムサシさんの相棒であるリーリエさんであるという事も。
リーリエさんは、ワタシなんかよりもずっと早くムサシさんの事を想っていたのだと思う。本人はその気持ちの正体を探している最中だなんて言っていたが、あの祝勝会の中での態度を見ればそれが男女のモノだと言うのは一目瞭然だった。きっと、アリーシャさんも気付いていただろう。
(知らぬは本人と意中の相手のみ、か……いえ、リーリエさんはもう自覚しているのかもしれませんね。ムサシさんは絶対気付いていないでしょうが……)
はぁ、と口から溜息が漏れる。
今ムサシさんとリーリエさんが受注しているクエストに出発する直前、事務的なやり取りを含めてお二人と少し話した。
その時、リーリエさんとの間に感じた雰囲気……あの、気まずさと申し訳なさが織り交ざったような空気を感じた時、ワタシは悟った。
(リーリエさんは、ワタシの気持ちに気付いていた……そして、ワタシがリーリエさんの気持ちに気付いている事にも)
リーリエさんを友人だと思うなら、潔く身を引くべきだ。彼女の想いが報われるように祈り、報われたのならそれを祝福する。それが最善だと、頭では分かっている。分かっているのに……。
「……嫌」
二人が並んで歩き、ワタシはそれを後ろから見守る。その光景を想像するだけで、泣きたくなってくる。ここ数日で、その症状はどんどん悪化していた。
そんな未練からだろうか、ワタシが想いを自覚したあの夜……家の前に送り届けてもらい、踵を返そうとしたムサシさんに、一つのお願い事をしてしまった。
「『リーリエさんに話し掛けるみたいに話して欲しい』なんて……言うんじゃありませんでしたね」
それは、きっと羨望と嫉妬から来た仄暗い願いだったのかもしれない。
そして、次の日にギルドへ二人が顔を出した時、ムサシさんの口調が変わっていなかった事にワタシは思わず
(……最低、ですね)
思い返すと、後悔が頭の中を駆け巡る。だが、それと同時に“アリア”と呼ばれた時に感じた熱がぶり返してくるのも、また確かだった。
「一度、リーリエさんとちゃんとお話ししなくては……」
その上で、自分の気持ちに蓋をする。それでいい。そうすれば、リーリエさんともムサシさんとも良き関係のままでいられるのだから。でも、ムサシさんを想う気持ちも、また想われたいという気持ちは無くならないだろう。それでも、これ以上ワタシのせいでこの関係に亀裂が入るくらいなら……心が拒否しても、理性で己の気持ちを強引にねじ伏せる。
「……いっそ、全員で幸せになれる未来があればよかったですね」
二人の事を考えながらそう願うワタシは、きっと傲慢な人間なのだろう。
◇◆
ギルドの一日が終わる。外は太陽が沈み、もうすぐ月が昇るだろう。
「あー、やっと着いた。あの御者馬車の運転が荒ぇよ……おかげでケツが痛ぇ」
「そ、そうですね。私もお尻がちょっと……」
そんな会話をしながら臀部に手を当てギルド内に入ってくる二人のスレイヤー。声も姿も間違える筈が無い、ムサシさんとリーリエさんだった。
「お帰りなさい、お二人とも。無事にクエストは遂行できましたか?」
努めて平静に、ワタシはいつも通りの自分を演じる。心の中は、ちっとも平静なんかじゃないのに。
「おお、ただいまアリア」
「ただいま戻りました、アリアさん。クエストはバッチリこなしてきましたよ」
「それは何よりです。では、こちらの納品証明書と共に納品所に依頼されていた物の納品をお願いします。」
「ほいほい。納品所……は、確か換金所の中にあったな」
「そうですね。ちょっと量が多いので納品に時間がかかるかもしれませんから、早く行きましょう」
「せやな。アリア、また後で」
「……はい」
短いやりとりの後、二人は受付を後にする。
……情けない。名前を呼ばれるだけで、胸が高鳴るなんて。決めた筈だ、穏やかな関係を保つために気持ちに蓋をすると。
「あっ、そうだ」
出口に向かいかけていたリーリエさんが、何かを思い出したようにこちらへと戻ってきた。
「アリアさん、この後って何か仕事が残っていたりしますか?」
「えっ? いえ、今日は特にありませんが……」
「じゃあ、少し私に付き合って頂けませんか? ――お話したい事があるんです」
落ち着いた口調で語られたリーリエさんの提案。それは、ワタシにとって青天の霹靂だった。
◇◆
「わぁ……なんだか、すごくお洒落なお店ですね」
「気に入りましたか?」
ギルドでの業務が終わった後、ワタシはリーリエさんと一緒にある一軒の喫茶店へと訪れていた。
路地裏にひっそりと佇むそこは、ワタシが普段行きつけにしているお店で、珈琲を飲みながら読書をしたい時などによく利用していた。誰かを伴って訪れるのは、これが初めてである。
「はい! あ、でも私こういうお店に来るの初めてなので……ちょ、ちょっと緊張しますね」
「ふふっ、大丈夫ですよ。ここのマスターはとてもいい人ですし、
そう言ってワタシがマスターに会釈をすると、リーリエさんもそれに倣うようにぺこりと頭を下げた。
マスターはこちらを一瞥すると、無言で同じように頭を下げてからすぐに視線を元に戻した。
そうした後、ワタシ達はカウンター席の一番端へと腰を下ろす。今はワタシ達以外のお客さんは居なかったが、念のためである。これからするお話というのは、きっとあまり人に聞かせるような事では無いと思うから。
「さて、ここは一応お酒も飲めますけど……酔いながら話すような内容じゃ、ありませんよね?」
「……そうですね」
「……マスター、珈琲を二つお願いします」
ワタシの注文を聞き届けると、マスターは一つ頷き珈琲を淹れ始める。その間、ワタシ達は無言だった。
やがて、出来上がった珈琲がワタシ達の前に出された。
「あっ、美味しい」
カップに口を付けたリーリエさんが、ほうっと息を吐く。その隣で、ワタシはリーリエさんの口から言葉が出てくるのを待った。ワタシの方から切り出せなかったのは、きっと臆病風に吹かれていたからだろう。
「……私、ムサシさんに怒られたんです」
ふっと息を吐くように発せられた言葉は、予想外の言葉だった。
「怒られた、ですか?」
「はい。それはもう、こっ酷く」
「それは……中々、想像出来ない場面ですね」
あの飄々としたムサシさんが、怒る。……イメージし辛い場面だが、あの風貌で怒られたら相当怖いのではないだろうか。
「そうですね。ムサシさんが怒ったのを見たのは二度目でしたけど、一度目は私に向けて怒った訳じゃありませんでしたしたから」
「……ジークさん達との一件があった時、ですね?」
「はい。なので、実質初めて見たようなものでした」
「どうして、怒られたんです?」
ワタシが問うと、リーリエさんはカップを両手で挟みながら静かに語りだした。
「私、今魔法を作ってるんです」
「えっ!?」
「ムサシさんを最適にバックアップするための、ムサシさん専用の魔法です。クラークスでの一件で、今ある改良魔法だけでは駄目だと思いまして」
「……リーリエさん、それは」
「はい。とても困難な道だというのは理解しています。以前の私なら、決して進もうとしなかった道でしょう」
「では、何故」
「――好きな人の為ですから」
「っ!」
それは、余りにも真っ直ぐな言葉。それを聞いた瞬間、ワタシの淡い期待は粉々に砕け散った。
「魔法の研究が凄く時間のかかる事は分かっています。だから、少しでも空いた時間で研究を進めようと思って、採取が終わった後にその場でノートやら資料やらを広げているのが見つかっちゃいまして」
そう言って少し照れ臭そうに笑うリーリエさんを見て、ワタシは思った。
――ああ、最初から勝ち目なんて、無かったんだ――
「クエスト中で、いつ何が起こるかなんて分からないのに、慢心して……」
「……それを、咎められた訳ですね」
「そうです。焦っていたんですよね、私。急がなきゃ、急がなきゃって……でも、ムサシさんに焦らなくていいって、俺は待つからって言われたんです。それで、肩が軽くなりました」
そう言い終わったリーリエさんは、自分のカップへと再び口を付ける。
「リーリエさんは、凄いですね」
「えっ?」
「好きな人の為……その一念で、その人の為の魔法を作ろうなんて考える人はまずいません。その位困難な道だと、皆理解しているからです」
「……私も、頭では理解はしているんですけどね。それでも進まずにはいられないんです」
そう言ったリーリエさんの言葉は驚くほどに清んでいて、その意志の強さを大いに感じさせる。
――だから、ワタシは自分の手でこの想いに引導を渡す事にした。
「出来ますよ、リーリエさんなら」
「……!」
「想い人の為に、困難な道を突き進もうと言う強い信念があるんですから。昔から偉業を成し遂げる人と言うのは、それに見合うだけの信念を持っていると言われていますからね。今のリーリエさんは、そう言った先人達と比べても遜色無いと思います。だから、きっと大丈夫。魔法の事も、ムサシさんとの事も……」
「…………」
「ですから、リーリエさんの事は、一人の友人として応援させて頂きます」
ああ、喉が渇く。ワタシは、ちゃんと喋れているだろうか。震えた声で、話していないだろうか。笑顔を……作れているだろうか。
「でも、ムサシさんに関してはハッキリと好意を伝えなければいけませんね。彼、その辺りに関しては酷く鈍そうですから。アリーシャさんなら的確なアドバイスの一つでも出来るんでしょうけど、ワタシは色恋の経験が無いので月並みな――」
口の回りが早い。限界が近い証拠だ。
一刻も早く、この初恋との決別の意味を込めた言葉を言い切らなければ。そうしないと……想いの丈が、溢れてしまう。そうなったら、全てが台無しだ。
――あぁ、ワタシって……こんなにもあの人の事が、好きだったんだなぁ――
「アリアさん」
その声は、ワタシの言葉をハッキリと遮るように発せられた。
――どうして。どうして止めるの? もう、苦しいのはイヤ。
リーリエさんは、カップをから離れたワタシの左手をその両手で包み込み、真っ直ぐにこちらを見つめて……静かに、口を開いた。
「――アリアさんは、それでいいんですか?」
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