第58話 彼女の未来に祝福あれ
ダンジョンによって生み出されたらしき架空の街を歩く。
ひいなが道行く人に挨拶をすると、自然な会釈が返ってくる。天候の話くらいなら問題なく成立するが、ひいなが突っ込んだ話をしようとする前に、相手は立ち去ってしまう。その仕草も態度も、すぐには違和感を見つけ出せないほどには自然だった。
「ボロを出さないようにしてるのかな」
首をひねってひいながつぶやくと、花乃華が隣で眉をひそめた。
「そもそも、道行く他人との会話なんてあの程度が自然じゃない? ひいな、マンションの隣の部屋の人とあれ以上の会話したことある?」
「……覚えてない」
隣人の男性とは、ほとんど顔を合わせた記憶もないくらいだ。ほかの近隣住人にしても、人となりをある程度把握している、と言えるほど会話をしたことのある相手は皆無だった。
「あれ以上深い会話をしようとしたら、不思議がられるのはわたしたちの方かもよ」
「それもそうか……」
通りすがりの人にいきなり近隣の事情について詳しく訊かれたら、ひいなだっていぶかしんで距離を置くだろう。”この世界はダンジョンが生み出した架空の街で、私たちはこのダンジョンを攻略する探索者です”なんて言われた日には、当然逃げ出す。
そういう意味では、通行人の反応は都市住人として適切かもしれなかった。
「まあ、そんな疑問を抱けているうちはマシな方か。そのうち、自分が疑問を抱いていたことさえ忘れちゃう可能性はある」
「そうなったら怖いなぁ」
完全に精神が麻痺して、脱出しようという意欲すらなくなってしまったら、ダンジョンから出られなくなってしまう。そうなったら……
「別にここで暮らすぶんにはいいかもしれないねぇ。花乃華ちゃんもいるし」
頬をゆるめて、冗談めかしてそんなことを言ってみると、花乃華は眉ひとつ動かさずに首を横に振った。
「わたしは嫌だからね。第一、いくらダンジョンが巨大だからって、わたしたちを一生食べさせて不自由なく暮らせるほどの生産力はないでしょ。すぐに破綻するよ」
「……いや、私はそこまで先のことは……」
まっとうすぎる反論に、さすがにひいなは口ごもってしまう。
ほんのしばらく、この夢みたいな世界でぼんやり過ごせたらいいな、と思っただけなのに。
花乃華は戸惑うひいなを横目でにらむ。
「ひいな、先行きの見通しが甘くない? 未来のこと、ちゃんと考えてないの? 魔法少女だったのに」
「魔法少女の夢見る未来が、必ずしも現実的とは限らないよ」
夢とか可能性とか希望は、魔法少女のエネルギーの源だ。地上の法則を越えた力を行使するために、そういう意志力が必要になる。詳しいことは、たぶん魔法世界連合の妖精やエージェントに聞けば知っているだろう。
ひいなたちは、ただただ魔法の力を使って、世界を救っただけ。
その先に待っている長い人生をうまく乗り切れるかどうかは、魔法少女としての適性とはあまり関係がなかった。
「戦う力とうまく生きる力は、別だよ」
ため息をつくように、つぶやいた。身近なようでどこかよそよそしい街の朝の空気に、ひいなの声は溶けた。
そういえば、車のエンジン音も、信号の音も聞こえない。そういう余分で、耳障りなものを取り払って成立している、ここは仮構の街だ。前に目をやれば、道路は朝もやの奥に淡く消えていく。わずかに下り坂になっているらしく、見通そうとすると、すこしだけ心がきゅっと冷えるように感じた。
小学校のころ、学校に行く道が、こんなふうだった。
「花乃華ちゃんは、私よりずっとうまく未来を見据えて生きられるよね」
「……馬鹿言わないで」
「でも、いつのまにか行く末も決めちゃったじゃない? 魔法世界、行くんでしょう?」
進学先を決めた友達に言うように、ひいなは口にする。もちろんそれは、隣の県の進学校に行く、みたいな話とはスケールの違う、もっと異質な決断だけれど、その根っこは似たようなものだ。
自分で考えて、自分で人生の方向性を決めるための、最初の決断。
「おめでとう」
言っていなかったな、ということを、口にしてから気づいた。
第30階層の空をふたりで飛びながら、ふいに花乃華が告げた決意。
それから花乃華がひいなを誘ったり、ほかの魔法少女を捜したり、ダンジョンの出口を探さなくちゃいけなかったり、どたばたしていた。それに、花乃華が直面しているメノンタールとの戦いのことが心配で、その話ばかりしていた。
だから、肝心のことをずっと言いそびれていた。疑問だとか、不安だとかじゃなくて、祝福。それを真っ先にすべきだったのだ。進路を決めたこと、未来を決めたことは、すごく幸せなことなんだから。
永遠に言い損ねる前に、ちゃんと言っておけてよかった、と、心の奥でひいなは苦笑する自分を感じる。
花乃華は、一瞬、変な顔をした。笑いそうになって、涙が出そうになって、でも、結局最後にこぼれ出てきたのはため息、みたいな顔。
「……他人事みたいに言わないでよ。ひいなも来るんだからね」
「何を決定事項みたいに言っちゃってるの? 私はまだ何にも決めてないからね」
誘われはしたけど、行くとは言っていない。ひいなの魔法体の損傷を治す、というメリットはあるにせよ、それが、この現実での生活を捨てる理由になるかは、微妙な線だ。
花乃華は眉をひそめて、いっそう変な顔になる。
「この夢みたいな世界に住むのはよくて、魔法世界はだめなの?」
「さっきのは冗談だってば……さすがに現実のことはもっと真面目に考えるよ」
「真面目、ね」
「……何、私が四六時中ふざけてるとでも思ってるわけ?」
「考え込むのって、実は決断力が欠けてるってだけのことが多いから。昔の爽子、割とそんな感じだった。真面目に考えてる、って顔して、実は何も決められないだけ」
魔法少女仲間の名前を出して、花乃華はそう言う。昔の、ということは、魔法少女としての戦いで成長する前の、幼くて頼りない少女、という意味に聞こえる。ひいなはそれより心が弱い、と、責めているようにも聞こえた。
でも、そうじゃない。
「私が一緒でないと、さびしい?」
ぐっ、と、息の詰まるような音がした。
こちらをまじまじと見つめる花乃華の顔が、あからさまに赤い。こんなふうに感情を表に出すのは、花乃華らしくない。体がすこし成長したような気がする、と言っていたけれど、そのぶん心の方は素直になったのかもしれなかった。
素直になりたい、というのが、花乃華の抱いた理想の自分なのだとしたら、それはなんとも、いじましくて、抱きしめてあげたくなる。
そして花乃華は、絞り出すように言う。
「……それは……うん。ひいなも、仲間だもの。パナケアのみんなとは違うけど、大事な仲間」
「仲間かぁ」
「何、文句ある?」
「いや、なんか、照れながらそういうこと言う花乃華ちゃん、新鮮だと思って」
「いいじゃないの、たまには」
「ひょっとして、この花乃華ちゃんもダンジョンが生んだ偽者?」
「……そうだって言ったら、ひいなはそれを信じるわけ?」
「花乃華ちゃんの言うことならね」
「偽者だったらわたしじゃないじゃない」
「あ、そうか」
ひいながわざとらしくのけぞって言うと、花乃華はあきれたようにくすくす笑った。朝の冷たい道を歩きながら、他愛のない会話をしていると、なんだかふたりとも本当に同級生であったかのように錯覚してしまう。
幻でなければ、ずっとここにいたくなる。
だけど、しょせん夢は夢で、嘘は嘘だ。
どこの何にも微妙に似ていない白い校舎が、ふたりの視界で大きくなっていく。見れば、窓にかかったカーテンの隙間で、人影がちらほらと動いている。校内にいる生徒たちも、きちんと作り込まれているらしかった。
校舎の壁に掛かった薄汚れた灰色の時計に文字盤はなくて、2本の針の角度だけでおおよそ8時を指し示している。
「間に合ってるのかな?」
「別に遅刻でもいいんじゃない?」
言い合うふたりの足は校門のそばまで近づいている。ゆるゆると校舎の中に流れていく生徒たちは、ひいなたちと同じ制服を着ているけれど、おのおの微妙に着こなしが違っていて個性的だ。それでも、学校という場にとけ込んでしまえば、きっとみんな同じ顔だろう。
そんな中を、ふと、ひいなたちの方に近づいてくる人影。
「おはよー♪」
独特の抑揚をもった、その少女の声には、ふたりとも聞き覚えがあった。
魔法少女ファニー・フロウこと琴引みなみは、ひいなたちと同じ制服を着て、にこやかに笑いながらこちらに手を振っていた。
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