運が悪かった
ミラ=エストハイムは、おとぎ話が好きだった。 木漏れ日すら差し込まぬ森の中で、薪を拾って単調な道を歩くのも、想像しながら歩けば退屈じゃない。鳥の鳴き声、風に揺られる樹々の音に、鼻歌でハモりながら、ステップを踏みながら、その世界を妄想する。例えば、そこの山道の奥から、白馬に乗った凛々しい騎士が現れ――
「へっ、ついてるな。極上の女じゃねえか」
「……」
野盗だった。現実は、常に少女の期待を裏切り、幻想はあくまで夢のまま。そんな日々を過ごすことにも、もはや慣れた。そして、そんな寂れた色のない現実への対処にも。
少女は反射的に持っている薪を投げつけ、すぐに向きを変えて全力で逃げ出す。
「あっくそっ……待ちやがれこの野郎」
野太く荒々しい声が木霊し、彼女を一層焦らせる。捕まれば、最後。されるがままの慰みものだ。
運が悪かったとしか、いいようがなかった。
いつもの道を、いつも通り歩いていた。陽は落ちかけている山の一人歩きもいつものこと。日々食べていくために、森から薪を拾い、教会にもっていくのは彼女の仕事。不用心だと言われても、仕事をやめるわけにはいかないし、護衛をつけるなんてこともできない。
なので、偶然遭遇した野盗たちから逃げているのは、それ以外の言葉では表現できなかった。
ミラという少女は、総じて運が悪い。
絶対的なカースト制度を敷かれているバージスト聖国において、辺鄙な小村の平民の娘として生まれたこと。
家庭に長男、次男までの学費しかなかったこと。
精緻に整った輪郭、粉雪のような細やかで透き通った肌、
近く、父と母がミラをどこぞの富豪貴族に売り飛ばす話し合いを重ねていること。
そんな両親の会合を、聞いてしまったこと。
現在、追ってきている野盗たちが異様にしつこく、粘着びた、下種であったこと。
無我夢中で、助けを求めながら走り、辿りついた先が……8年前にへ―ゼンと呼ばれた黒髪の老人が『二度とここへ来てはいけない』と忠告した場所であったこと。
眼前には、庭を埋め尽くす程の墓標。中心にあるのは無機質な黒鉄で建てられた、まるで要塞とも言える巨大な建造物。ミラは覚えてはいないが、その場所は8年前から変わらず、存在し続けていた。
その佇まいに、しばし圧倒される美少女だったが、すぐに頭を切り替えて、館の中へ入った。野盗が迫っている最中、彼女に迷う時間を与えられていない。
「凄い……なにここ……」
入るや否や、ミラはつぶやく。
館の中は、まるで、おとぎ話に出てくる貴族の館のようだった。その広い間取りはもちろんのこと、シャンデリア、絵画、青磁の壺――重厚感のある豪奢な装飾品の数々。全てにホコリが被っており、長年使われていないことがうかがえるが、素人目にも非常に高価そうなものに見える。しかし、唯一違和感を覚えるのは、一面に並べられた本棚だった。本、本、本、至るところ、本ばかり。
しかし、それも一瞥のみ。気を取られている場合じゃないと思い直し、すぐに別のものがないかを探し出す。
「……誰か……いませんかぁ!? 誰か……」
そうは叫んでは見たものの、そのホコリ具合から無人であることは容易に想像できた。早々に助けを求めるのをあきらめ、なにか立ち向かえるものを――剣、盾、ナイフでもいい。悪いとは思いつつも、ミラは部屋を順番に見て回る。
しかし、あるのは、書物のみ。
「……もうっ! どれだけ本好きなのよ」
本好きであろう館主に文句を言いながら階段を駆けあがり、6つ目の扉を開いた。中は、他とは違ってかなり広い。カーテンは全て閉めきられており、ここだけ光が全く差し込んでおらず、全てが暗闇に覆われていた。
「やぁ……美しいお嬢さん」
見えるはずがないのだが、確かにミラは彼の表情を捉えた。鎖で繋がれた白髪の男が、陽気な笑顔を見せているところを。
「あの……」
「おっと、僕としたところが、失礼。僕の名はアシュ=ダール。以後、お見知りおきを。お辞儀をできないのは、紳士として恥ずべき行為だが、どうか許してほしい」
「は、はぁ」
場に似合わぬ丁重な挨拶で、思わず間の抜けた声が出てしまう。
「美しいお嬢さん、君の名前も聞かせてくれないか?」
「えっと、ミラ……です。ミラ=エストハイム」
そんな場合ではないのに、つられて自己紹介してしまった。
「ふむ……かつて、悠久を支配したという女神と同じ名だね……あなたのような美しい方に相応しい名前をつけたご両親に、僕は万感の意を示したいよ」
ミラの姿をひとしきり眺めまわした後、白髪の男はフッとため息をつく。
「……」
「僕のことを、人は『大陸一の美男子』、『至高の紳士』、『天才闇魔法使い』等、様々な異名で称するが、君は好きに呼んでくれたまえ」
「……」
ミラは、思った。
なんだ、このナルシスト野郎は、と。
「あの……なんで鎖に繋がれてるんですか?」
そんな質問してる場合ではなかったが、あまりの不自然さゆえに、反射的に質問していた。
「逆に聞くが、なぜ、君は鎖に繋がれていないんだい?」
「……」
ミラは、察した。
あっ、関わっちゃダメな人だ、と。
そして、そんなことをしてる場合じゃないことも同時に思い出した。
すでに、野盗たちがここに到着していてもおかしくはない。
「武器……なにか……武器……」
なにもしないまま、ここで慰み者にされるわけにはいかない。
人はいるのだから、なにか道具があってもおかしくないと考えた。
が、ない。
本しか、ない。
ミラが半ば絶望しかけた時、白髪の男が口を開いた。
「助けてあげようか?」
関わっちゃいけないであろう人が話しかけたきた。
「……」
無視した。
「ねえ、君……」
「……」
無視。
「聞きたまえ!」
「な、なんですかもう!」
「我が館には武器なんて無粋なものはないよ。ここにあるのは、人類の英知である書物だけさ」
「……ああ」
ミラは頭を抱えた。
「だから、僕が助けてあげよう」
「……ホントですか?」
半信半疑で尋ねる。
第一印象から、全然、まったく、信用できない。
「もちろん。君は……運がいい」
アシュ=ダールは低い声で、笑った。
「……」
彼の言葉とは裏腹に、ミラは今日が最悪の日になることを予感した。
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