回答少女とホワイトボード

大喜利会に興味はありませんこと?

【001】


「春香さんは、大喜利会に興味はありませんこと?」

 いきなりそんなことを言われたものだから、びっくりしたあたしは手元のスマホ落っことすかと思った。今年の夏に買い替えたばかりのスマホの画面には、一人の女の子を可愛いアイドルへと育てていくという趣旨のアプリゲームが表示されている。ちょうど女の子のレッスンを終えて、各パラメーターが上昇したのを確認したところだったのだ。取りこぼしそうになったスマホを両手で抱えるようにして、ほっと息を漏らす。

 あたしは大学のラウンジに設えられたベンチに座っていて、テーブルを挟んで向かい側には同じ学科の同級生二人の姿がある。どうやら彼女たちが、あたしに声をかけてきたようだった。

 一人は金髪を耳の下辺りでゆるく縦ロールにした女性。勝ち気そうな大きなつり目を初めとした顔つきのキツさも相まって、派手目な印象を受ける。暖色を基調とした花柄のチュニックに、白のパンツが映えて見えた。足下はゴテッとした厚底のブーツで、真夏の暑い日も履いているところを見かけるくらい気に入っているらしい。名前を諫早令という彼女は、入学式初日の学生の顔合わせで知り合った。出会った当初は「派手! 怖! ドSそう!」とマイナスイメージが先行しており、メアドこそ交換したもののそう長続きしない関係だろうなと思っていた。だが、意に反して話してみると馬が合い、入学から半年経った今でもこうして行動を共にするくらいには仲がいい。

 もう一人は一転して地味な女の子だ。赤縁の眼鏡をかけており貞子のように長い黒髪が半ば顔にかかっているせいで、表情を読み取ることすら難しい。おしゃれを無精しているのか単に好きなのかは分からないが黒系の服を好んでおり、今日も黒のタートルネックセーターに濃いグレーのロングスカートを合わせるという徹底ぶり。夜道で闇と同化して、うっかり車に撥ねられても文句は言えそうにない。こちらの彼女は名前を渡良瀬文代といい、一年生の必修科目で知り合った。口数が多い方でないため、一緒に居て非常に楽なのである。

 とにかくよく喋るあたしと令、そしてその二人が喋り疲れた頃にぽつりと一言言い添える文代。そんな感じであたしたちは、うまいこと歯車の噛み合った三人組として連れ立っているのだった。

 今あたしに声をかけてきたのは、よく喋る方の友人、令だったらしい。が、あたしはアプリゲームに夢中でそれまでの彼女の話の一切合切を右耳から左耳へ受け流してしまっていたようで、会話の前後がまったく分かっていなかった。

「ごめん、オリビアのレッスンに夢中で訊いてなかった。なんだって?」

 オリビアというのは、あたしが夢中になって育てているゲームに登場するアイドルの名前だ。スマホアプリの中で生きていることだけを除けばごくごく普通の十五歳の女の子で、あたしのプロデュースによって今ではファンが十万人ほどいる立派な有名アイドルに育っていた。彼女はレッスン成功の旨の表示とともに、充実感に満ちた笑顔をあたしに向けていた。ファンには見せることの無い、有名アイドルになるための長く困難な道を共に歩いてきたあたしだけに見せる無垢な笑顔だった。

 あたしが同じテーブルについていながら話をまったく聞いていなかったらしいと悟った令は、これ見よがしに溜め息を吐く。

「またそのアイドルゲームですの? 人と会話している時くらいは、ゲームの中のアイドルから離れることはできませんの?」

「それはできないよ。今見たら体力が満タンだったの。レッスンして体力を消費しておかないと、もったいないじゃない」

 このゲームでは体力ゲージと呼ばれる数値があり、基本的にはこの体力を消費することで様々なアクションを行うことができる。各能力値を上げる為のレッスン然り、あるいはライブをしたり握手会をしたりといったお仕事をこなすにしても、体力の有無がものを言う。この体力は、時間の経過によって回復する。満タンになっていればそれ以上は増えないので、必然、満タンの時はさっさと体力消費してしまおうという考えになるのだ。

 これはこの手のゲームをプレイする者たちにとってみれば、あるあるともいえる事象なのだが、令は理解できないとばかりに首を横に振るだけだった。

 理解されない哀しみはあったが、膝を付き合わせて話をしているというのに顔だけはずっとスマホの画面とにらめっこというのも確かに失礼だろう。あたしはレッスンを終えたばかりのオリビアに、「それじゃあまた後でね」と声をかけてスマホをしまった。「この人、スマホに話しかけましたわ」などと若干引かれ気味に言われたが、そもそもスマホとは携帯電話なのだから、話しかけるのは当然だろうに。

「で? 何の話だっけ。哲学科の園崎准教授が、自分の研究室の水槽でイクラを飼ってるって話?」

「そんな話、初耳ですわ。マジですの?」

「マジらしいよ。スーパーで買ってきたイクラをそのまま水槽にぶち込んだんだって」

 さすがに孵化するとまでは思ってはいないだろうが、しかし奇行には違いあるまい。あたしは哲学科に所属する友人からその話を訊いた時、「さすが哲学科はやることが違うねえ」と言った。友人は、少し悩んでから「哲学で片付くものと片付かないものとあると思うよ」と返してきた。あたしが思っているほど、哲学の懐は大きくないらしい。

「……って、そんな哲学科の園崎准教授が毎週金曜日は学食でカレーを食べてて、『自衛隊みたいだ』って言われてる話なんてどうでもいいんですのよ!」

 そっちの方は初耳だった。生き方が独特すぎて、哲学的なのか単なる変わり者なのかがまるで分からない准教授だ。

 と、そのまま話の流れが園崎准教授の奇行の数々の方面へと向かって行くのかと思いきや、手綱を引っ張り軌道修正をしたのは、それまでずっと黙りこくっていた文代だった。

「…………大喜利会、よ。……今週末……令と行くの」

 それは消え入るようなか細い声でありながら、ラウンジ内を行き交う学生たちの喧噪にかき消されること無くあたしの耳に届いた。

「大喜利会?」

 あたしが聞いたまんまを繰り返すと、令は大げさに頷く。

「そうですわ。なんでも今度、参加者を募って大喜利をして楽しみましょうという趣旨の会合があるみたいでして」

「奇特な会合だなあ」

「あなたもおやりになられたこと、あるでしょう? 大喜利」

「え? いやまあ、そりゃああるけどさ……」

 大喜利、という単語に説明が必要なのかどうかは分からないのだが、敢えて説明するとするなら、それは演芸の一つである。

 出題者がお題となる問題文を提示して、参加者が各々その問題文に対しておもしろくて笑えるような答えを返す、というのが一般的な『大喜利』の姿だ。

 テレビ番組で言うならば日曜夕方の『笑点』が代表的な存在である。その他にもフジテレビ系列のバラエティ番組『IPPONグランプリ』では芸人さん同士の本気の大喜利対決が見られたり、またあるいは雑誌の投稿コーナーに大喜利コーナーが載っていることもざらにある。

 そんな『大喜利』という単語そのものは一般的にも広く周知されてはいるが、実際に『やったことがあるよ!』という人は少ないだろう。それはそうだ、『おもしろいことを言う』のが主目的となるのが大喜利の本質なのである。お笑い芸人でもなんでも無い一般人たちが、ホイホイ大喜利なんてやっているわけがない。

 ではなぜ、令と文代は、その大喜利を行うという会に行こうと言い出したのか。

 そしてなぜ、あたし自身も大喜利をやったことがあるのか。

 それは、あたしたちが皆、大学でお笑いサークルに所属していたから……に、相違ない。

 あたしたちが所属するサークルの名前は、『SDOC』という。桜之森大学お笑いサークル、略してSDOCだそうだ。正式な読み方としては『ソドック』というらしいのだが、あんまりにもダサすぎるのであたしたちはそのままアルファベット読みで『エスディーオーシー』と言っている。

 SDOCに入りたい、と言ったのは意外にも文代だった。

 入学直後の四月の頃、あたしたちはサークルを決めるにあたり、お昼時を大幅に過ぎた後のガラガラの学食で顔を突き合わせて話し合った。もちろん、せっかくこうして大学でお友達になれたのだから、と一緒のサークルに入る算段をつけるためである。

 大学のサークルの花形っぽいテニス部やチアリーディングは、令が真っ先に候補に挙げて、しかし真っ先に却下された。却下したのはあたしで、「疲れるから」「汗をかくから」「そもそもあんな短いスカートで動き回れる思考回路そのものが痴女」という言い分だった。あたしが候補に挙げたのはオカルト研究部とアニメーション研究部で、「ここだったらオタサーの姫として天下獲れそうな気がする」という意見だった。あたしの話すオタサーの姫としての大学生活の興隆っぷりを聞いて目からウロコとばかりに乗り気になってくれた令だったのだが、「……でも、オタクにチヤホヤされて……嬉しい、の……?」という文代からの一言で冷や水を浴びせられたかのごとくテンションが下がって結局却下された。あたしは正直、オタクからでもいいからチヤホヤされたかった。

 そんな侃侃諤諤(主にあたしと令が)な議論が煮詰まってきた頃、それまでサークルの案を出していなかった文代がぽつりと言った。

「……私は、お笑いサークルが、いいな……」

 話を聞くところによると、文代は元々漫才だとかコントだとかのお笑いが好きで、ライブにもよく足を運んでいたらしい。そんなわけでもって大学ではその漫才やコントに挑戦してみたい、みたいな想いがあったのだそうだ。せっかく知り合った学友であるあたしと令の入りたいサークルがあるのならば、自分の想いを押し殺して別のサークルに入ってもいいかなと考えていたというのだが、「……二人が、あんまりにも、決めないから……じゃあ、って思って……」との弁である。

 そんなわけで鶴の一声であたしたちは揃ってお笑いサークルSDOCに入会することとなった。

 SDOCのメンバーは総勢十三人。そこにあたしたち三人が加わったことで、合計十六人。入会の挨拶に行った時、部長殿からは「ハッハッハ! これでトーナメントが組みやすくなったな!」と言われた。そんなに頻繁にトーナメントを開催する予定のあるサークルなのだろうか。

 SDOCは大学の文化祭の特別ステージの他、年に数回ほど定期的にお笑いライブを開催している。これは大学構内の講堂を貸し切って行われるイベントであり、五月に開催されたライブにはぺーぺーのド新人ながらあたしたちも舞台に立たされた。いわゆるニューフェイスのお披露目、というやつだったのだろう。そしてその時にあたしたち三人がやらされたのが……“大喜利”だったのだ。

 あたしはその時の記憶を思い出すと、思いっきり顔をしかめて令を睨んだ。令はあたしの顔を見るや、ひょうひょうと口を開く。

「あらまあ、そんな不細工な顔をなさってどうしましたの」

「どうしたもこうしたもないわよ。あんた、あの時の惨憺たる滑りっぷり、忘れたとは言わさないわよ」

 なにせあたしたちは、本当に直前まで何も知らされていないままに舞台に上げられていたのだ。後々先輩方から聞いた話によると、五月の公演では毎年新人が入ってきたときの恒例のサプライズとして大喜利コーナーを設けていたらしいのだ。だが、そんな恒例のヤツみたいな流れを知らないあたしたちにとっては、地獄の沙汰でしかなかった。

 結局舞台上にいたのは、たっぷり十五分。大喜利という名の針のむしろにホイル焼きみたいに包み込まれたあたしたちは、さざ波程度のお情けみたいな笑いを頂戴した後、猛ダッシュで楽屋に逃げ込んだ。三人揃って身を縮こめて、五月だっていうのに寒い寒いとタオルを肩に羽織り身を寄せ合って心の傷を舐め合ったのは今でも夢に見る光景だ。悪夢のな。あの後「サプライズ成功だな!」だのと宣って楽屋に現れた部長殿に対し、あたしはグーで殴り、令はパーで引っぱたいて、文代はチョキで目潰しにいった。なにげに文代が一番エグかったので、彼女だけは部員たちに止められていた。

 まあ、長い昔話になってしまったが、つまるところあたしは大喜利に関してはそんな恐怖体験をしているのである。

 それが今更大喜利会だなんて、正気の沙汰とは思えなかった。それに令と文代は、あの時一緒に滑り散らかした仲間だったではないか。何を、のうのうとあたしを置いて大喜利側にまわっているのだ。

「だいたい何よ、大喜利会って? そんなホイホイみんなで大喜利できる会があるとでもいうわけ?」

「それが、あるらしいんですのよ」

 ね、と令は文代に話を差し向けた。どうやら大喜利会に行こう、という計画の舵を握っていたのは文代の方だったらしい。

「……渋谷に、専門店が、できたらしいの……」

「専門店? なんの」

「……大喜利、の……」

 は? とあたしは素っ頓狂な声を出して、文代を見た。珍しく文代が冗談を言ったな、と思ったのだ。

 しかし文代の目はいたって真剣だった。そこにはあたしをからかっているような悪意めいたものは、何一つ無い。

 つまり、あるのだ。文代の言う、それは。

「……大喜利カフェ『white × marker』。……それは、いつ行っても大喜利で遊ぶことのできる、……日本唯一の、サロン。……なの、よ」

 遊びのことならどこまでも追求する国、日本。ここまで来るとさすがに終わってんな、と思った。

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