第三十六話 賢者

「ブリッツェン、起きなさい」

「――ん~、もうちょっと……」

「ダメよ。私は神殿に行かないといけないのだから、あまりのんびりはできないのよ」

「……わかっ、た…………」

「それならすぐに起きなさい」

「……は、い」


 俺がムクリと身体を起こすと、待ってましたとばかりにアンゲラに抱き締められた。


 あぁ~、何これぇ~。朝から天国だぁ~。このまま昇天しても良いかなぁ~。


 そんな俺の思考を読み取ったのかの如く、アンゲラは柔らかマシュマロに挟んでいた俺の頭をガバッと解放した。


「あぁ~、マシュマロが去って行くぅ~」

「ほら、ブリッツェン。いつまでも寝惚けていないでシャキッとしなさい」

「マシュマロぉ~、……ハッ! 俺は何を見ていたんだ? あれ? いつの間にか天使が降臨している?!」

「はいはい。ほら、顔を洗って」

「あぁ、姉さんか。おはよう」

「やっとお目覚めね。おはようブリッツェン」


 柔らかマシュマロが去って行ったかと思ったら、目の前に天使がいた。何を言ってるのかわからない云々……。

 

 その後、朝食を済ますと神殿に出勤するアンゲラと別れた。

 別れ際にまた抱き締められたが、意識をしっかり保つことを心掛けた結果、悶々としたが今回はどうにか理性を保つことができた。


 ん? ”今回”は?


 え~と~、昨夜は大敗北でした。


 いや、だって……、久しぶりに身体の洗いっこしようと言われて全身を隈なく洗われたわけだけど、背中にマシュマロをむにゅっと押し付けられたら理性なんて飛ぶのが普通だよね?

 とはいえ、流石に全身を洗い返すとかはできなかったけど、今まで一度も使ったことのない秘技、背中を洗いながらの『手が滑った』を発動させちゃったよね。

 もう何て言ったら良いのかな、あれはダメだって。あの柔らかさは癖になると断言しよう! 俺はこのまま王都で姉さんと一生過ごしてもいいと思ったね!


 その結果、俺は姉さんが眠ったのを確信してから……、この世界で、この十二歳のブリッツェンの身体で……、初めて賢者モードになったよ……。

 いや、これもう覚えたての猿だね。簡単に賢者モードになんてならなかったよ。

 これの何が一番堪えたかって、姉をオカズにしたことより自家発電を覚えたことだよね。俺はこの身体でこれから生きていかなきゃいけないのに、覚えてはいけないことを覚えてしまったと思うと……、はぁ~キツいな……。


 そんなこんなで、登らなくていい大人の階段を昇ったら足を踏み外して転んで大怪我を負ったわけだが、それでも俺は歩みを止めるわけにはいかない。


 うん、カッコイイぞ俺!


 自己嫌悪しながら歩いていると、俺はいつの間にかフェリクス商会に到着していた。

 クラーマー達に挨拶をすると、エドワルダと二人で森に向かった。


「どう、実家でも魔法の練習はできた?」

「大丈夫」

「それなら、明日から学院が始まっても練習は続けられそうだね」

「しっかり練習する。もっと強くなる」

「うん、頑張りなよ」

「頑張る」


 エドワルダに魔法を教えてから、俺は実家でも宿屋でもフェリクス家でも、例え部屋が違えど必ずエドワルダの近くで過ごしていた。しかし、昨夜は初めて物理的に離れて過ごしたので、エドワルダが魔力素を使い切る程魔力を放出するかが確認できていなかった。

 それでも問題ないことはわかっていたが、念の為に確認してみると、エドワルダはしっかりやれていたようだ。


「ブリっち、明日帰る?」

「そうだね。何だかんだシュヴァーンの皆を放置し過ぎちゃったからね」

「ボクの所為?」

「エドワルダの所為ではないよ。元々姉ちゃんと合宿する予定だったから、それが少し長くなっただけさ。それに、冒険旅行の練習もできたし」


 本音を言えば、シュヴァーンがいなければもっと自由に動けると言う思いはある。それでも自分で決めて一緒に行動したのだから、足枷のように思ってしまうのはダメだと思う。でも、実際にシュヴァーンと離れて魔法の弟子と行動するのは楽しかった。エドワルダには感謝すらしている。


「学院辞めてボクも冒険者やりたい」

「それはダメだよ。ちゃんと学院に行くって約束したろ?」

「約束は守って学院行った。でも、卒業するとは約束してない」


 なんと?! まさかそんなトンチのようなことをエドワルダが言い出すとは思ってなかったよ。あー、何て言えばいいんだ?


「その~、何だ……あれだ――」

「ブリっち、困ってる。ごめん」

「い、いや、まぁ、ははははは……」


 アドリブ効かな過ぎだろ俺!


「大丈夫、学院は行く」

「そ、そうか」

「だから、約束して」

「何を?」


 結婚してとか言われたらどうしよう。正直、エドワルダは見た目だったらこっちがお願いしますと言いたいレベルだ。性格も……、素直でいい子だな。たわわに実った果実も、この身長の少女としては破格のサイズだし。うん、ちょっと感情が読みにくいことを除けば超優良物件だな。でも、俺は腐っても貴族だから、俺の感情だけで結婚を決めるのはできない。そうなると、まずはあれか、結婚を前提としたお付き合いだな。……あれ? 結婚を前提としたお付き合い? 前にもこんなことがあったような。


「ブリっち?」

「……ああ、ごめん。それで約束って?」

「ブリっちと一緒に冒険者、やりたい。ずっと一緒に」

「あ~、でも、俺は旅をする予定だから……」


 うん、知ってた。結婚とかエドワルダが言い出すわけないじゃん。なんだよ俺! 頭お花畑にも程があるだろうが! 自己嫌悪っすわー。


「ボクもブリっちと旅する」

「ん~、その約束はできないかな? 俺自身がどんな感じで旅をするかまだ明確に決めてないからね」

「ダメ?」

「何れまた一緒に狩りに行くのは約束できる。でも、旅については保留にして欲しいかな」

「……分かっ、た」


 こんなに歯切れの悪いエドワルダの『分かった』は初めてだった。

 エドワルダには申し訳ないが、適当に軽はずみな約束をするわけにはいかない。


「何か、ごめんな……」

「ボクが我が儘言った。ブリっち悪くない」


 ひょっとして「エドワルダが俺に結婚を申し込んでくるのでは?」、なんてアホなことを考えてしまったけど、エドワルダにとっては真面目なお願いだったんだよな。本当、こんなお花畑な男でごめんなさいと謝るべきだよな。


「ボク、もっと強くなる。魔法も内緒で練習する。ボク頑張る」

「お、おう。頑張れ」

「ん、頑張る。それに、妖精様も王都にくる。今度は妖精様の魔法、教えて貰う」

「そうだな。エドワルダが姉ちゃんの風砲移速魔法を覚えたらもっと強くなる」

「ん、強くなる。約束」


 エドワルダがこんなに言葉数が多いのは、きっと気を遣っているのだろう。そこで俺がまた謝るのは無粋だ。それに、エドワルダが強くなることを敢えて約束した。これはエドワルダの決意なのだろう。その決意を、俺は師匠として受け止めてあげるのが正解だと思った。


 その後、俺は一日中みっちりエドワルダの修行に付き合った。


 その日の夕食時、俺は何か足りないと思っていた違和感に気付き、クラーマーに質問した。


「そう言えば、アルフレードは商隊として旅をしているのですか?」

「おや? エドワルダから聞いておりませんでしたか?」

「何をです?」

「アルフレードは学院での成績が認められ、内政官として宮廷で仕事を始めたのですよ」


 なんと?! アルフレードがいないのはてっきり旅に出ているのかと思いきや、しっかり目標であった内政官になっているというではないか。


 あれ? だったらここから通えるはずだよな? 何でいないんだ?


「アルフレードの勤務先が宮廷でしたら、ここから通勤しているのでは?」

「それが、実家暮らしでは甘えが出てしまうと、わざわざ寮に入ったのですよ」

「アルフレードらしいですね」

「そうでございますね」


 アルフレードの話をするクラーマーは、長男なのに跡を継がなかったことを憤慨するのではなく、むしろ誇らし気であった。


「クラーマーさんは、跡継ぎであるアルフレードが商人ではなく内政官を選んだことを素直に認めたのですか?」

「……当初は反対でした。ですが、アルフレードの熱意に負けたのでしょう、反論する言葉を失ってしまいまして、結果的に認めざるを得ない状況にされてしまいました」


 ほう、クラーマーさんにここまで言わせるとは、アルフレードは何といったのか気になるな。でも、根掘り葉掘り聞いて良いことじゃないからな、ここは好奇心を抑えよう。


「それでも、今はアルフレードを認めている感じですか?」

「そうですね。そもそも平民が内政官になるには、上流学院で上位の成績であることと、推薦されることが条件となります。その条件をアルフレードは自分の力で勝ち得たのですから、これは誇るべきことでしょう」

「そうですね」

「ですが、アルフレードには是非昇爵して欲しいと思っております。貴族としてフェリクス商会の後ろ盾となってくれれば、跡を継がなくともフェリクス商会を守ることになりますので」


 流石だよ。ただでは転ばないな、このオッサンは。


「そうなると、跡継ぎはカールですか?」

「エドワルダが良い婿でも迎えてくれれば別ですが、まぁ……無理でしょう。そうなると、跡継ぎはカールとなります」


 クラーマーは、『良い婿でも』と口にした瞬間にチラッと俺を見ていたが、それは……そういうことなのだろう。だが、無理だと思っているようなのでひと安心だ。

 俺としてはエドワルダとの結婚は、エドワルダが俺を好いてくれているなら大歓迎だが、俺が商人として生きて行くのは無理だ。性に合わないというか、商談のスキルが無さ過ぎる。


 しかし何だ、もしエドワルダと一緒になれば、俺はフェリクス商会の会頭になれるのか。それは逆玉ってヤツだよな。俺は貴族と言っても結婚すれば貴族の地位を剥奪されるのだから、それなら富豪であるクラーマーさんの跡を継ぐのは金銭とか立場としては美味しい。とはいえ、判断を誤れば従業員達を路頭に迷わせてしまう立場だから、それだけの責任と商才が無いといけないんだよな。……うん、やっぱ無理だ。


 将来の可能性を少し考えてみたが、やはり俺には無理だと感じた。


「そうだ。カール、初等学院はどうだ?」

「はい、とても楽しいです」

「それは良かった。剣技の授業はどうだい?」

「ぼくは小さいので大変ですが、ブリッツェン様に教わったので何とか頑張れています。それに、兄様の代わりにぼくがフェリクス商会の跡を継ぐので、勉強も頑張ってます」


 予想どおり、剣技は苦戦しているようだな。それでも何とかなっているようだし、跡継ぎとしても頑張っているようで何よりだ。


 フェリシアとは『フェリシアさんの料理はやはり旨い』『あら嬉しい』みたいな遣り取りもして、楽しい夕食の時間となった。


 何だかんだで、すっかりフェリクス商会は王都での俺の実家みたいな場所になってきたな。でも、甘え過ぎないように節度を弁えないとダメだぞ俺!


 根がダメ人間な俺だが、自分の悪い部分を自覚して自制できるくらいには成長しているのだ。……時と場合によって、と但し書きが付くのでまだ成長が必要ではあるのだが、その分だけ伸び代があると思っておこう。

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