第36話 魔法を使うか否か、それが問題だ

『人前で魔法を使っちゃいけないからね』

師匠からの言いつけが、ヒカリの行動を縛る。

 ――どうしたもんかなぁ。

 魔法の使用について悩むヒカリが、オーレルにどう見えたのか。

「ヒカリ、いくらお前がどんくさくても、走れば十分逃げ切れる。俺に付き合わずさっさと行け」

オーレルが薄く笑みを浮かべてそう告げた。

 人を馬鹿にするのか格好つけるのか、どちらかにして欲しいところだが、ヒカリの身を心配してくれたことは確かだろう。

 人の命はなにより大事だけれど、師匠の言いつけを破るのにも勇気がいる。

 そして例えヒカリがここで逃げても、誰も責めたりはしない。

――ただ、私自身が後悔するだけ。


 師匠の言いつけを言い訳にしてオーレルたちを見捨てたら、ヒカリはどんな気持ちで今後の人生を生きるのだろう。

 救えるはずの命に背を向けるのは人殺し同然だと、自らを苛みながら寿命を迎えるのを待つのか。

 ――そんな楽しくない人生、絶対嫌!

 ヒカリはこの世界に迷いこんだ時、もう二度と戻れない故郷を思って一生分の涙を流しただろう。

 人生にこれ以上の不幸エピソードは必要ない。

「ここで逃げたら魔女が廃ぁる!」

ヒカリは自らに気合を入れて背負っていた杖を手に持ち、オーレルを見る。

 要は、バレなければいいのである。


「オーレル、復唱して。『自分はなにも見なかった』、はいどーぞ!」

「この非常時に、お前はなにを……」

突然おかしなことを言い出したヒカリに、オーレルが困った顔をするが、今は無視だ。

「いいから復唱する!!」

ヒカリがビシッと杖を突きつけると、オーレルは逃げ場のない枝の上で上半身をのけぞらせた。

 「なんだコイツ?」と思う気持ちはわかるが、悠長に説明するつもりはない。

 第一これからすることを言っても信じない。


 オーレルが無言だったのは、数秒だ。

「……自分はなにも見なかった」

そしてヒカリが言った通りの内容を復唱する。

 ――ヨーシ、言質は取った!

「オーレル、これから起こることはなにも見ていないってことでヨロシク!」

この場にはオーレルしかおらず、彼に口をつぐんでもらえば情報は洩れない。

 これぞヒカリの考えた「見なかったことにしてもらう」作戦である。

 それでも師匠にバレた時は、土下座して許しを請うまでだ。

「よぅし、やるわよー!」

ヤル気に満ちていたヒカリは、格好良く木から飛び降りようとしたが。

 ――やっぱり高い!

 高さで身体が竦んでしまう様子を見て、オーレルが呆れ顔をする。

「……ヒカリ、降りれないならもっと早く言え」

ヒカリは結局、オーレルに背負われて木から降りた。

 ――なんでこうビシッとスマートにいかないの、私!

 子供向けテレビでよく見る正義の味方のようには、なかなかいかないものだ。


 気を取り直して。

 ヒカリは手に持つ杖を地面に立てて、魔力を掴もうと集中する。

 薬草探しでよく見た姿だからだろう、オーレルは特になにも言わずに見守る体勢だ。

「ぐうぅ」

だがヒカリは、すぐに悲鳴のような唸り声を上げる。

 これが魔の山で修業した時なら、大地に満ちた魔力を軽く摘む程度で魔法が発動する。

 しかし今は、魔力が吸われるばかりで、摘むどころか手繰り寄せることも困難だ。まるでマッチョ相手に綱引きをさせられている気分である。

 次第に、ヒカリの額に脂汗が滲んできた。


「……ヒカリ、一体なにをしたいんだ?」

杖を立てるのを邪魔しなかったオーレルが、苦しそうなヒカリの様子を見て声をかけてくる。

 しかしこれは今の世の中で代わってもらうことのできない、ヒカリにしかできない作業だ。

 ――根性見せろ、私!

「魔女をなめんなぁあ!!」

ヒカリは身体にある全ての魔力と精神力とその他諸々の力を注いで、逃げる魔力を引き寄せる。

 ズワッ……

 この一瞬だけ、魔力の道の逆流が止まる。

 その機会を逃すことはしない。

 イメージはマグロの一本釣りだ。


「うおっしゃ捕ったどぉお! ≪遮断せよ、壁!≫」

ヒカリが気合と共に唱えた直後。

 ゴゴゴゴ……

 広範囲の大地から地鳴りが響き、夕闇の中河沿いに薄い光が浮かぶ。

「なんだ、なにが起きている!?」

突然始まった超常現象に、オーレルが慌てる。

「まあ、見てなさいって」

ヒカリは杖を支えに立ったまま、ゾンビがうろつく河の方を見る。

 地鳴りは次第に大きくなり、まさに河を越えんとしていたゾンビ軍団の目の前に、突如高い土の壁が現れた。

 それは両横にずっと伸びていき、きっと砦近辺にも到達していることだろう。

 ――よっしゃ、成功だ!

 やり遂げたヒカリはその場に崩れ落ちてへたり込む。

 魔女の修行を始めて以来、こんなに疲れたのは初めてだ。


「なんだ、アレは……」

壁を見て呆然と立ち尽くすオーレルを、ヒカリは杖で突く。

「どうかした? なにも見えていないオーレル」

地面に座り込んだヒカリを、オーレルがゆっくりと見下ろす。

「……ヒカリお前は、一体何者だ?」

「私は魔女だよ? 最初から言ってるじゃないの」

今更な質問に、ヒカリはニヤリと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る