魔女は真面目なお仕事です!
黒辺あゆみ
第一章 ひよっこ魔女の旅立ち
第1話 旅立ちは吹雪と共に
「寒い、痛い、寒い、痛い……」
ヒカリはブツブツと呟きながら、辺り一面雪景色の中をひたすら前に進んでいた。
「なんで私、吹雪の山を歩いているの? 馬鹿じゃないの?」
歩いているのは年頃の乙女であるヒカリただ一人で、相槌を打ってくれる人間は誰もいない。それでも口を動かしていないと、固まってしまいそうなのだ。
寒さを防ぐために目深に被ったフードから覗く三つ編みおさげの黒髪も、寒さで固まっている。
雪山を歩くのに必要なのは、余裕のある登山計画と万全の装備である。だがヒカリは「こっちをずっと下れば街」くらいの地理しか知らず、その装備もモフっとした毛皮のローブにモコモコのブーツと手袋、それに荷物は背負い袋にシンプルな作りの杖のみ。
暖かそうなのは確かなものの、雪山を歩くのには軽装と言えた。
それなのに「寒い」と文句を言うだけで凍傷にならずに歩いていられる謎については、さておき。
「うぅ、師匠ってば、山を下りれば春が来ているって言ってたのに、ずっと吹雪じゃんかーー!!」
思わず天に向かって叫んでしまったのは、衝動的なものだった。だがヒカリは忘れていた、雪山で大きな音を立ててはいけないことを。
ズズズ……
「へっ?」
地鳴りのような音を聞いたヒカリは、ようやくそのことに気付く。
ドドドド!!
雪がまるで波のように、吹雪の中でヒカリに向かって押し寄せてくる。
「うわーん雪崩だぁあ!!」
慌てて逃げようとするヒカリだったが、人間が雪崩の速さに勝てるはずがない。
「もがが……」
あっさりと雪崩に飲み込まれ、流されていく。
時間が流れて、その日の夕刻。
「私、死んでないよ、意外と頑丈だよ」
山の麓近くの雪解け道をヨロヨロと歩くヒカリがいる。
なんとあの雪崩から無事脱出し、しかも雪崩に流されて一気に麓までの距離を稼ぎ、雪がとけている場所まで降りて来るという幸運に恵まれた。
『山を下りれば春が来ている』
師匠は嘘をついていなかった。ただどのくらい下りれば春に会えるのかを聞いていなかっただけで。
雪崩に流されたせいでボロボロのヒカリの視界に、やがて木々の切れ間から開けた大地が現れる。
そしてその遥か向こうに、小さく街らしきものを発見した。
「……街だ、人里だ!」
ヒカリは無事に山の麓にたどり着いたのだ。
ヒカリが何故吹雪が荒れる雪山を歩いていたのかというと、複雑で納得のいかない理由があったりする。
ヒカリの本名は新藤光(しんどうひかり)、日本生まれな日本人で十六歳の女の子だ。しかし今いるのは日本どころか地球でもなく、なんと異世界の雪山だ。
どうしてヒカリが異世界にいるのか説明するには、今から三年前の話に遡る。ヒカリは当時通っていた中学の林間学校に参加している最中、山中を歩いていてグループの皆に置いて行かれて迷子になった。
これは決してグループの皆が薄情だったわけではなく、ヒカリの持って生まれた運動音痴とドジが張り切って仕事をした結果だ。
皆と同じ道を歩いているのに木の葉や木の根に足を取られっぱなしで、ただでさえ遅れ気味だった挙句の果て、誰も見ていないスキに道から滑り落ちてしまった。突然後ろを歩いていたはずのヒカリが姿を消してしまい、グループの皆はさぞ驚いたことだろう。
予定の道から逸れてしまったヒカリはどうにか元の道に戻ろうとした。だが急に濃い靄が立ち込めたたため視界が悪く、それでもどうにか道を進んでいたら、気が付けば異世界の山にいたというわけだ。
迷い込んだ異世界の山でも迷子になっていると、突然現れた人物に拾われた。
「おや珍しい客人だ」
そう言って家に招き入れてくれた人物と、行くあてのないヒカリは一緒に暮らすことになる。
だがヒカリの拾い主は山奥で暮らす引き籠りで、実はヒカリも拾われてから三年間、山を下りたことがない。それどころか拾い主以外の人間に会ったことすらなかった。
そんな生活をしていて、何故ここが異世界だと気付いたかというと、拾い主が魔法を使ったからだ。なにもない場所に火を生み出し、井戸を使わずに水を満たす。拾い主は自らを「魔女」と呼んだ。
冬は雪深くなる山奥にある家の周辺は空間が切り取られたかのように暖かで、庭になっているいろいろな果樹は一年中実をつけ、畑の実りは豊かだ。
家の周辺は快適だが、そこから一歩外に出れば冬は雪に覆われ、夏は凶暴な魔獣が跋扈する場所となる。そんな場所で生きていける自信のないヒカリは、拾い主である魔女を師匠として魔法を学びつつ、三年を過ごした。
さらっとした説明になったが、この三年間は危険と隣り合わせの、実にスリリングな生活だった。魔法に関して師匠はスパルタで、何度死にそうになったことか。
そんなある日、師匠が言った。
「アンタも今日十六歳になった、立派な成人だ。だから今から独り立ちしな」
師匠からの突然の宣言に、ヒカリは口をポカンと開けた。
師匠は白銀の長い髪に白銀の目をしており、若く美しい女性のようで、老獪な女性のようでもある、不思議な人だ。そんな師匠はヒカリの誕生日をこの世界の暦に換算してくれており、さしてズレはいないはずだという。師匠の言うことなので、ヒカリが十六歳になったのは確かなのだろう。
――でも、成人?
「……成人って、二十歳じゃないの?」
そう尋ねたヒカリを、師匠は鼻で笑った。
「アンタの故郷じゃそうでも、ここは十六歳で成人だよ」
ヒカリの予定よりも四年早く訪れた成人である。おめでたいのだろうが、もう一つ疑問がある。
「独り立ちって、なにするの?」
「山を下りていって、魔女として一人で暮らすのさ」
「……えーど」
成人したから独り立ちというのは理解できる。いつまでも甘えているなということだろう。だがヒカリはすぐに頷けないでいた。
――山を下りるって、今外はめっちゃ冬で雪山なんだけど!
せめて夏ならば、怖い魔獣も魔法でなんとかなるだろう。けれど雪はどうしようもない。深い場所にハマれば動けなくなって最悪凍死する。
「無理無理無理! せめて春まで待って!?」
涙目で縋るヒカリに、師匠は無情に言った。
「山を下りれば麓は春さね、頑張って下りな」
「麓は春でもココはまだめっちゃ冬だよね!?」
「大丈夫、アンタはやればできる娘だよ。そうさね、真っすぐ東に向かった麓の街あたりがいいか」
やればできる娘ならば、そもそも林間学校ではぐれて異世界まで迷子になったりしないと思うのだがどうだろうか。おざなりな励ましにジト目をしていると、師匠がさらに付け加えて言った。
「ああそうだ、山を下りたら人前で魔法を使っちゃいけないからね」
「は、なんで?」
「なんででもさ。でもそうだね、生活費を稼ぐのに魔女の薬を作って売るのはいいさ」
そんな奇妙な助言をされた後に続いた必死の抵抗も空しく、明くる朝ヒカリは家を追い出されたのだった。
――師匠、私って実は邪魔でしたか?
しょんぼりと肩を落として雪景色に消えていくヒカリだったが、師匠がその姿をずっと窓から見送っていたなんて、気付かなかった。
「さて、これで世界は最悪を免れるかね……」
その呟きは、当然ヒカリに届くこともない。
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