夢の聖地
役者すなわちANIMATOR
「まったくこのエレベーターいつも誰か使ってるんだから」
時は平成。荻窪のとある高層ビルの9階で、カエルは業務用エレベーターに飛び込んだ。
「まあ、少し余裕を持って出たからよしとするか」
社用車の鍵をくるくるさせながら、カエルは鼻歌まじりに『下へ参ります▽』ボタンを連打した。
つきっぱなしのボタンの明かりが思いのほか頭に響くのは頭痛明けのくたばった神経によるものか、それとも白黒映像の演出によるものか。カエル(仮)の目には白と黒のコントラストが余計目につくのだった。
「スミマセン乗りますー!」
「あ、お疲れさまですー」
慌てて乗り込んできたのは制作部の優しそうな女性の先輩。
夢をつくる側になりたいと全国から集まった先輩たちの中には個性的な人も多いが、同じ夢を求めて出会った者同士、身ひとつで上京してきた新人にも優しい先輩が多かった。
無論、まともな人ほどすぐやめるという噂は常にあったけれども。
「ああ、良かった! カエルさんお疲れー。あれ、こんな時間に外回り? 珍しいね。こんな昼間じゃ青梅街道も環八も混んでるでしょう?」
「あ、今日は監督の送迎に。美術監督さんとの顔合わせもかねて初打ち合わせなんです」
「ああ、ついに現場動き出したんだ。映画班」
「はい、分室って何やってるのかいまいち伝わらないですよね。たまには本社顔出さないと忘れ去られそう」
「あはは、まあ車使うときはこっちくるだろうし。備品もこっちでしょう? あれ、美術班もこっち? というか外注か。今本社の美術班テレビシリーズで手一杯だよね」
「あ、今回は熱風吹き荒れる砂漠からはるばる出向してくださるそうで。もう本当に有難いです。あとはフリーの人もいますし。今度お引っ越しかねて色々備品を運びに」
「ええ? そんなことまでさせられてるの? 大丈夫?」
「え……? はい、大丈夫です。ありがとうございます! 私も前に別の会社に出向してたことがあるんですけど」
「ああ、あの修羅場ってた映画だね?」
「修羅場って……? ああ、ははは、確かに修羅場ってましたね。それでその時に向こうの会社の方々が私用の席を用意してくださって」
「あれ、入社して早々放り込まれたのって最後の2ヶ月じゃなかったっけ?」
「はい、噂通り最後の2ヶ月はほぼ毎日2時間睡眠でしたよ」
「あはは。入社して何もわからないままいきなり放り込まれて……ほんと気の毒に……」
「いや顔おもいっきり笑ってますけど」
「まあ映画は長期戦だからねー」
「本当に死ぬかと思いましたけど。でもその時ただの臨時の新人に親切にしてくださってとても嬉しかったので、今回は私も制作として頑張る所存です」
「まあせいぜい頑張ってくれたまえ。遠くから応援しているよ」
ガコンと音を立ててエレベーターのドアが開いたのでうっかり出ようとするカエルを、先輩が優しく引き止めた。
「あ、カエルさん。地下駐車場はもう一階、下」
「え? ああ、危ない。ありがとうございます」
「ははは、みんなちょくちょく引っ掛かるからね」
白く点滅するエレベーターのランプを見上げながら、カエルは心の内で今後の段取りを確認していた。
『えーと、昨日プロデューサーから教わった道は確か大通りに出るからあそこを通って……でも万が一渋滞してたらあそこから裏道にしよう。初対面で遅刻とかありえないし……それにしてもカーナビくらいつけてくれればいいものを……あ、あと人を乗せるときはブレーキの最後はソフトに……ソフトに……』
「それにしてもカエルさん変わってるね。この会社で制作部って言ったらだいたい将来は演出家かプロデューサーになる人が多いのに」
何やら俯いてぶつぶつ呟くカエルに、先輩は気さくに声をかけた。
「え? はは、そうですね。よく言われますけど。やっぱり〝役者〟になりたくてはるばるど田舎から東京まで出てきたので。面接でもそう言いましたし」
「〝役者〟ねぇ」
「もう生き生きと動き回る彼らを見てるといてもたってもいられなくて。ああ好きだなって。でも気づくの遅かったので卒業してバイトしながら改めて専門学校入ろうか、それとも稼ぎながら勉強するつもりで制作として現場入ってしまったほうがいいのか悩んでるといったら雇ってくれました」
「まあ現場に入ったら覚えざるを得ないよねー」
「あはは。ですよねー」
「そっか。そっかー。でも元気そうでよかったよ。まあ私も〝役者〟に憧れて入ったようなものだから。その気持ちわかるよ」
ガタンと大きな音がしてエレベーターが到着を告げる。
最後のランプが消えると、先輩は開き始めエレベーターの扉に手をかけて、カエルを振り返った。
「じゃあそんな正直なカエルさんに最後に一つだけアドバイス。あのプロデューサーには気をつけて」
「え、気をつけてって先輩。一体何に?」
「まあ、そのうちわかるよ」
そう軽やかに言ってのけた先輩の優しい顔が一瞬翳った理由を、この時のカエルはまだ知る由もなかった。
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