アンティシペーション
「ルキアッポスさんて小物づくり得意なんですか?」
「いや得意というか。好きなんだよね。無心になれるから。どうして?」
「……いえ、ただなんとなく」
ひとつ目の広場の突きあたり。樹齢不詳の月桂樹が一対、石垣に沿うようにして立っていた。
「これは……?」
チアキが目を留めたのはむしろ月桂樹に挟まれるようにして置かれた大きな黒い石版。人の背丈ほどあるだろうか。
「ダプネーの鏡。通称、月の鏡。水鏡と悩んだけどやっぱり黒曜石のが映えるかなって、神……友だちが」
「月の鏡……」
チアキは黒曜石の鏡に映った己の鏡映反転した姿に手を当てて呟いた。
おぼろげな影の背後からかがり火の光が後光のように差し込んで妖しく煌めく。
「だいたい神が宿るのは常緑樹と言われてるでしょう? もうさ、少しでも理性の神にあやかろうという魂胆がすけて見える――イテッ」
そのとき、突然ルキアッポスめがけて黄色いメガホンが天から降ってきた。
「ったく、ちょっと小馬鹿にしただけでしょう」
ぶつくさ言いながら足元の黄色いメガホンを拾い上げるとルキアッポスは顔を上げた。
が、思いもよらずチアキの顔が目の前に現れてルキアッポスは動揺を隠せなかった。
「近っ」
「いまのどうやったんですか?」
驚くルキアッポスにかまわず肩を掴んで詰め寄るチアキ。揺れるかがり火を反射した瞳はどこか子どものように純粋で、知的好奇心に燃える眼差しからは悪戯気な狂気すら見てとれる。
「あ……ちょっとした演出のひとつで」
ルキアッポスは慌てて顔をそむけながらチアキを引き剥がした。
「演出とは?」
「えーと……あ、まずはちょっと離れてください。一旦落ち着きましょう」
麻痺した心を埋めるように、チアキはいまや理性に頼って世界を捉えようとしていた。ただ一心に対象を深く理解したいというその衝動が、知と愛が全然関係なくもないことを告げている。
「演出とはたとえば」
「たとえば?」
「うーんと……色々あるからなぁ」
若干めんどうなキャラになってきたチアキをしり目にルキアッポスは考えた。
「じゃあ……たとえばこれ」
ルキアッポスは黒曜石の鏡をコツコツと叩いた。
「映画なんかを観てるとだいたい印象に残るカットというのがあって。これもそのひとつを応用してる」
「印象に残るカット?」
「ストーリーとは別に、もっと視覚的に観ている人の無意識に訴えるというか。感動的なシーンならストーリーに合わせて映像的に盛り上がるよう演出することもできるし」
「視覚的?」
「うん。人間の視野には中心視野と周辺視野があるでしょう?」
ルキアッポスは黒曜石の鏡に映ったチアキのおぼろげな影を黄色いメガホンで指した。
「たとえば中心視野。どちらかと言えば意識して見るときに使うとこ」
「あ、一点集中みたいな感じですか?」
「そうそう。解像度が鮮明だから、くっきりはっきり見せたいとかより立体感を出したいとかそういう時はおそらく視野の真ん中のが向いてる。方向性としては情報量を増やす感じかな」
「情報量?」
「たとえばそうだな……アニメーションなら2Dより3Dみたいな。よりリアルに立体的に、くっきりはっきり。存在感を出したい時は中心の情報量を上げるか、そもそも全体をくっきりはっきり描写する。で、雰囲気を出したい時はむしろ中心の情報量は減らして、周辺視野の情報量を上げる。こう画面全体を広く平面的にね」
「わかったようなわからないような……」
「明かりのついたトンネルを進んでるときとか背後から光を当ててシルエットだけ浮かびあがってるようなときとか夜景をぼーっと眺めてるときとか。あんまり中心にピントを合わせ過ぎてないとき」
「ああ、なんとなくぼーっとした感じ」
「そう。中心を暗めにして光の量を落としつつ周りの方は光たっぷりで明るいカットなんかは結構印象に残りやすい。カイロス度が強い感じ? まあ臨時のバイトの独学だから話半分で聞いてほしいんだけど」
ルキアッポスは黄色いメガホンをチアキの影から周囲のかがり火へと移動した。
「いわゆる目の端で無意識に見てるあたりが周辺視野。中心よりも解像度が下がるから、色彩とかグラデーションを鮮明に捉えるには向いてない。でも一瞬の煌めきや微かな光もしくは動きをとらえたり、平面的に全体のシルエットを素早く捉えるには向いてる。実際のとこはどうなのかな」
「さあそう言われましても」
チアキの影がおぼろげに動いた。
「たとえば視線誘導するときに――よろしくお願いしまーす」
ルキアッポスは突然天に向かって呼びかけた。
すると石版は内側から何やら発光するように輝きだして、石版の中央にカエルの影絵が現れた。
「え、カエルくん……?」
不意に胸がチクリと痛んでチアキはまだそこに心がちゃんとあることを知った。
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