チャンスの神様

「手ーのひらをー たいようにー すかしてみーれーばー」

「あらその曲、前にも聞いた気がするけれど」

「とんだ勘違いだった。僕としたことが」

「勘違い? しょっちゅうね」

「すかすの。かざすんじゃなくて。すかしてみーれーばー 真っ赤ーにーながーれるー 僕の」

「血糊~」

「ちょっと。いるよね、一番いいとこで人の鼻歌横取りするヤツ。しかも歌詞違うし。なにさ僕の血糊って」

「あらいいじゃない。血糊の気分だったんだから。あんまり怒るとこうよ。エイッ」

「あっぶないなあ、もう。ついに凶器まで持ち出すなんてとんだ暴力女――イタッ」

「いま何て?」

「暴力反対。というかそれほんとにどうしたの?」

「失礼な。ちょっとその辺で拾っただけよ」

「その辺ねえ。こっち向けないでよそれ。危ないから――」


「そんなことより私思うのだけれど」

「だから危ないってば。話題の変え方強引すぎる」

「この劇場の時間はつくづくカイロス的よね」

「カイロス……? クロノスじゃなくて?」

「いいえカイロス。たしかギリシャ語にそういう考え方があったと思うのだけれど」

「………………」

「無視なんてひどいわ」

「いや考えてただけだけど」

「どうにも私たち流れる時間が違うわね」

「あ、思い出した。カイロスとは永遠の一瞬、束の間、機会。時よりは刻って感じ?」

「それそれ。クロノスが過去から未来に向かって一定に流れる時間なら、カイロスはむしろ想いの強さで変化する」

「まぁ前も後ろもないとなればその瞬間にどれだけ想いを込めたかということになるね」

「クロノスはより物理的で客観的でしょ。カイロスはより精神的で主観的。ただ困ることも」

「いま出会った誰かが過去なのか未来なのかわからないなぁという瞬間はまぁあるよ」

「ほんとにね。その時がくるまできっと演じてる本人もわかってないんじゃないかしら。自分が何者であるかすら――」


「そんなことより僕も面白そうなの拾ったよ」

「人の話は最後まで聞いたほうがいいわよ」

「君がそれ言う? じゃあ続きをどうぞ」

「あらちょうどさっきので話は終わり」

「……はぁ。それでさっき拾ったのはコレ」

「招待状?」

「礼拝堂の近くで拾ったの。王子が落としたっぽい。なんだか面白そうじゃない?」

「あらほんとう! 観に行っちゃう? そしたらどんな唄がいいかしら」

「ここはやっぱり〝ねずみとり〟にかけて〝3匹の盲目ねずみ〟じゃない?」

「あら、ハムレットの劇中劇にそんな唄あった?」

「ちがうちがう。アガサ・クリスティの方。地球で最も長い連続上演をしている演劇だって。流行り病で中止になるまでだけど」

「ああ確か犯人のヒントになるマザーグース。童謡のわりにはなんか残酷で意味深よね。Three Blinde Mice, Three Blinde Mice~」

「その歌詞まえに調べたんだけどさ、通常歌われてるバージョンでは3匹の盲目ねずみが農家のおかみさんを追っかけて、おかみさんが包丁でねずみのしっぽをちょん切るって歌詞なんだけど」

「あら残酷」

「実は元になった当時の歌詞はちょっと違ってて。農家のおかみさん以前にまずDame Lulianって出てくるんだよね」

「Dame Lulian? Dameは男性喜劇役者か女神か何かの敬称だとして、 Lulianって誰? あんまり聞いたことないけれど」

「でしょ? あんまり聞いたことない。せいぜい調べてみてもLとJの文字が区別されるようになったのは15・6?世紀以降らしいからLをJに置き換えてJulianかもしれないとか。どちらにしても誰のことを指しているのかさっぱり」

「私謎解きはまったく手に負えないからパス」

「僕だってパス。ただ噂されてるのは、メアリー1世が処刑した3人の殉教者を盲目のねずみに例えてるってことぐらい」

「さしずめ農家のおかみさんが血まみれメアリーってとこかしら。まぁあれだけ好き放題の父親がいれば血まみれにもなるわよね。同情はしないけれど。それでもひとりの人間として生きるにはなんて厳しい世界でしょう。それにしてもDame Lulianが謎ね。うーん、やっぱりパス。そんなことより」

「またそれ?」


「嘘と刃物は使いようよね」

「微妙に違うと思うけど。だから刃を向けないでよ危ないなぁ」

「そう危ないの。でも正しく使えば」

「うわっ。何すんの! 僕の美しい長い髪が」

「とっても便利」

「ひどい……」

「ちょっとイメチェンしただけでしょ。前は私が切られたんだからおあいこよ。これで私たちは一見双子の男の子と女の子」

「年齢不詳のくせに何言ってんだか」

「チャンスの神様って女とか男とか混同されがちでしょ? いっそ双子を装ってみたらどうかと思うの」

「いるよね、ただの常連客なのに劇場の守り神ぶってるヤツ」

「そう私はこの劇場の守り神。崇め奉ってもいいのだよ」

「ただのパワハラ教が何言って――イタッ」

「いま何て?」

「神様ごっこなんてしたっていいことないって言ってるの。助けたところで感謝なんかされないよ」

「あら感謝されたくてやってるんじゃないもの。つまるところ役者自身の力でしょ? 自由に動きまわる役者を観てるだけでなんと心は軽やかなことか。きっと鳥獣人物戯画を描いた人の気持ちもこんなだったんじゃないかしら」

「さあ会ったこともないから。まあ虚ろな瞳に光が灯る瞬間というのは何ものにも代えがたいものがあるね」

「そうなの。静かな怒りを湛えた瞳も美しいけど、やっぱりあの瞬間は忘れられないわ」

「そろそろ行かないと。月が昇っちゃう」

「あら今宵の月はいつにもまして、青いわね」



    ――――招待状――――



 親愛なる殿下



 月がますます青く冴え渡る今宵 いかがお過ごしでしょうか


 宴も終わりに近づき 私共から親愛なる殿下へささやかではございますが芝居を献上したく存じます

 外題はハムレットの劇中劇にならい『ねずみとり』といたしました

 つきましては今宵 天心に月がかかるころ ステンドグラスの教会礼拝堂にて最後の宴を催したく存じます 

 大変恐縮ではございますが ご臨席の栄を賜りたくお願い申し上げます


 殿下の御慰みになるならば私共一同この上なき幸せ

 悲劇がお好きな殿下の御心に適う想いのこもった芝居をご覧にいれましょう



   3匹の盲目ねずみとオフィーリアより

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