Collige, Virgo, Rosas : 摘めよ、乙女よ、バラの花
「ふふ、やっと血の気が戻った」
「……ちょっと。余計気になるんだけど」
「ううん、本当にあなたが気にすることじゃないの。愛の反対が無関心なら、気にかけたり目に留めるというのはそれだけで相手の存在を認めることになるでしょう? プラスにしろマイナスにしろ、それだけで相手にとっては大きなエネルギーになる。あなたを不安にさせるものなんて、全部幻想のままにしとけばいいのよ」
女性はふたたびハグをして言った。
「目に見えようが見えなかろうが、本当にあなたのことを大切に思っているなら、あなたを無駄に不安がらせたりしないもの。選択肢を提示することはあっても強制するような真似はしない」
女性はふたたび僕の瞳を正面から覗きこんだ。明るい瞳に僕の心は夢心地になった。
「はじめてのお使いを頼まれた子どもに大人がああしろこうしろこっちの道のが早いなんて言い出したら、それこそ興ざめだわ。だってそれは大人の都合。誰にだって自分なりの歩幅で歩んでいく自由があるでしょ」
女性はふふっと笑うと全身で寄りかかってきた。
「あなたの小舟はあなたのもの。どんな時だって、操縦するのはあなたよ」
「うわっ」
平衡感覚を失った小舟は思わず花畑に倒れこんだ。海の上じゃなくてよかった。
「いっそこのままずっとここにいたら?」
「いまさら。あの人に届けてって言ったのきみでしょう?」
「それはそうなんだけど」
ほんのり甘い花の香りがして、花畑に寝そべる僕たちを優しく包んだ。不意に諦めとも哀しみともつかない感情が込み上げて、僕はいよいよ笑いを堪えきれなくなった。
「ふっ。何これ。意味わかんない。こんな宇宙の果てまできて僕は何やってるんだか」
「ふふ、本当にね。何やってるんでしょう」
「狂ってる」
「あら、ここは夢の聖地よ。どこもかしこも狂ってるわ」
「はは、そうだった」
「それにここは宇宙の果てなんかじゃないわ。どちらかと言えば、宇宙の真ん中よ」
ひとしきり笑い合って、僕はハーとため息をついた。
「それにしてもあの姿、ビックリした。そっくりで」
「そんな驚いてくれるなんて早変りした甲斐があったわ」
「声まで似てた。それに突然で。普通驚くでしょ」
「そりゃあ頑張って似せたもの。『夢はいつだって気まぐれなんだから。ひょこっと現れたと思ったら、また知らぬ間に姿を消してしまう。次にいつ現れるかなんて、誰にもわかりやしないよ』ね、似てるでしょ?」
女性は少年の声色を真似て言った。
「それ、きみの台詞?」
「ううん、ともだちの台詞」
女性はふふっと笑うと僕の瞳を覗きこんで言った。――
花畑に寝そべって、二人でどのくらい話していたかわからない。彼女はおもむろに起き上がるとフゥとため息をついた。それからまるで何かを決意したかのように息をゆっくり吸い込んだ。
「生きるべきか死ぬべきか」
「どうしたの急に」
僕もつられて起き上がった。
「カッコイイわよね。劇的で。立ち止まってるときに背中を押してくれるのはいつもこんな台詞。白か黒か。端的で、力強い」
女性はおもむろにスカーフを取り出すと摘んだ二輪の花を掴みあげた。
「もちろん本当は間もあることを知ってる。原色だけじゃないグラデーションがあって、そこにリアルを感じることも。でも、つい忘れちゃうの。大事なことに限って。あ、私じゃないわよ。ともだちよ、ともだちの話」
この人は僕にむしろ分かりやすいとか言っておきながら、自分が嘘をつくときには不自然なほど相手の瞳を覗きこむクセがあることを知っているのだろうか。さも私のつくり話を信じてください、嘘なんかじゃありません、だって私にとってはホントの話ですものとでも言うように。
「きみってともだちいたの?」
「失礼な。私だってともだちくらいいるわよ。それでそのともだちの話なんだけれど」
そう言って、彼女は僕の瞳をぐいっと覗きこんだ。あぁ、やっぱりこの人の瞳は綺麗だなぁ……。
「ねぇ、ちゃんと聞いてるの?」
「もちろんですとも」
「それでそのともだちは花を貰うたびにこう思ってた。せっかく綺麗に咲いてたのに私なんかの為に摘まれて申し訳ないなって。私だってしたたかなだけじゃないんですからね」
話題がコロコロ変わってついていけない。せめて眠らないようにしなければ。というかともだちとやらは何処へ行ってしまったのだろう。
「でもよく耳を傾けてみれば、この花たちはそんなこと思ってもない。ただ誰かを笑顔にしたい一心で咲いてる」
どうせまたつくり話だろうと思ってちらと見れば、彼女は僕の瞳を覗きこむどころか花と会話をするように二輪の花を顔に近づけた。
「はぁ、いい香り。それでね、私……あ、違った……ともだちがね、思ったの。この花の心意気を、覚悟を、どう受け止めて生きようかって。The readiness is all. 肝心なのは覚悟でしょ。だから……」
彼女は二輪の花を差し出して小首を傾げた。
「受け取って。そりゃあ私はあなたの家族でも恋人でもないし、ふとゆきずりに知り合った人にそんなこと言われても困っちゃうかもだけど。愛であることにかわりないわ」
ついにともだちは完全に姿を消した。カモフラージュするのはどうでもよくなったらしかった。
「あなたは? あなたはこの花の覚悟をどう受け止めて生きる? 演じることは生きること。なら、あなたが演じたいのはどんな役? 王子さま、お姫さま、それとも――」
最後につくりもののバラを差し出すと、彼女は可憐な花のように優しく微笑んだ。
「あなた自身?」
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